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正岡貞雄のブログ一覧

2013年03月31日 イイね!

内なるライバルの登場! 

内なるライバルの登場! ~「紙の単行本」か、それとも「電子Book」か~


 夢にまでみた「ミラージュCUP同窓会」。それも終わってみれば、心はすでに次なるターゲット、岡山国際での「スーパーGT戦」の翌日に設定した「ベストモータリング同窓会」に向かっているはずだったが、じつはその中間に、もう一つ、ビッグイベントが待ち構えていた。

 当BLOGをスタートさせてすぐに、それまで「ベストモータリング」というメディアを愛し続けてくれた読者との交遊を紡いでいくなかで、ガンさんの『ドライビング・アカデミー開講』への道はないものか、とこだわりはじめ、模索していた。そんなとき、山口県萩の自動車教習所で教官をつづけていたる波田昌之さんから、心のこもった「コメント」がとどいた。そこには、ガンさんの「ATドライビングテクニック」から学んだ「ハンドルを片手で一杯に切った時に肩甲骨がシートから離れない」という教えを、自分なりの指導指針にして、教習に励んでいる、と。



 波田さんと言えば、清水和夫の「松・竹・梅クラス別」読者参加のテクニック診断でも、絶賛モノのスキルを発揮したことで、強く印象に残っている。その波田さんが、あれからもずっと、運転技術習熟講習に情熱を燃やし続けているとは!

そのあたりの弾んだやりとりは、この関連URLから読み取っていただきたい。
https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/d20110718/

 直ちにガンさんに箱根の山から降りてきてもらって、『アカデミー開講』をもちかけた。
「わたしもそれをやりたかった!」
 即答した時のガンさんの笑顔。それが人を動かすんだなぁ。かといって、それにはさまざまな克服しなければならない課題が山積みされている。では、その手がかりとして、まず講習テキストにもなる『ドラビング・メカニズム』の最新版を用意しようではないか、と話が発展していく……。

 その段階で、同じ手がけるならスマホやタブレットでも読める「電子書籍」にして、PCなら、ポイントの箇所をクリックするとYou Tubeのような「動画」が立ち上がるものに取り組んでみようか、と。ガンさんにしても、単なるドライビングテクニックではなく、人間がドライビングというものと向かい合う時に何が求められるのか?といった、これまでにない斬新な視点を披露して、各方面から注目を浴びた『ドラビング・メカニズム』(勁草書房・刊)も、10年を超える歳月を経ている。そこで、次のステップへとさらに深化したものをまとめておきたい、と思っていたのだ。

 さっそくガンさんを中心としたプロジェクト・チームが結成される。若い人の視点も参考にしたいというので、わたしの「みんカラフレンド」のひとりで、将来をモータージャーナリストとして開花してほしい、と期待をかけていた久度慧悟という新しい才能を起用、箱根のガンさん邸でのミーテイングに同行するなど、ともかく、動き始めた……。

 いくつかの紆余曲折があって、去年の夏、第1稿が出来上がった。が、ガンさんは納得できないでいた。そこがガンさんの厳格さであった。「荷重移動」の奥行きや、「タイヤのメカニズム」の説明に限界付近の動きを、もっと感覚的に感じ取ってもらうための説明要素が足りなくて、もうひとつ練りこみを重ねたい、と注文がついたのだ。



 あれは7月の初旬だったろうか、関東地方でドスンとタテ揺れを感じる地震に見舞われた日、東名、小田原・厚木道路、小田原・湯本から小涌谷を経由して、わがプログレは箱根のガンさん邸の門をくぐった。こちらは地震をさほどには感じなかったという。

「とっくに最終稿が仕上がっていなければならないのに……」
 と、挨拶がわりにこちらから謝る。

「いや、いいものをつくるためなら、仕切り直しは大歓迎。では、はじめましょうか。やっぱり、人間が運転する、ということからはじめましょうか。まず、ドライバーがシートに座ってタイヤからの情報をとって、それから運動するというのが、いかに時間的な要素で、いかに難しいか、ということです」
 それをガンさんは、よりわかりやすく理解してもらうために、こんな例を持ち出したのである。
「たまたま、先日、NHKのTVを見ていたら、ロボットと人間がジャンケンをやっていて、100%、ロボットが勝つ。その様子を今度は高速カメラで撮影して、ゆっくり回すと、要はロボットは後出しジャンケンで、人間が〈グー〉を出すのを見てから〈パー〉を出している。それを通常の時間軸で見るから、後出しとは見えないだけの話。ところが人間というのは、何かを目で見て判断するのが遅いだけで、機械はものすごく速い。とくに光と電気のスピードはゼロではないが、限りなくゼロに近い。ところが人間の方はジャンケンで何を出そうか、と判断するのに、0.03秒はかかる。その上、大脳からの指令で手や指を動かすのに個人差はあるにしても、0.02秒はかかるんです。それはかねてから僕がいっている運動神経のスピード、0.02秒に近い。それで合計してもせいぜい0.05秒ですけれども、それをロボットは、相手の手の形を瞬時に把握し1000分の1秒だけ後出ししている。それが人間の目は、その時間差を認識できないから、後出しされたこともわからないわけです」
 


 だから、極論すると、センサーをどうするかというのは難しいだろうけれど、F1マシンもロボットが運転すれば、もっと速く、もっと適確にドライビングできるだろうが、そこには楽しさとか、凄さはないないし、第一、誰もそんなレースを見たいとも思わないだろうが、とガンさんは笑う。

「ただね、ロボットを時間軸にしてみると、人間がいかに遅いか、ということを肝に銘じてほしいんだよね」


*2012年10月6日付の朝日新聞夕刊にも紹介された「じゃんけん 必勝ロボット」

 このことは、ガンさんも現役時代から感じていたという。その時間差を克服して、オンタイムでドライビングする――それが理想だろう。が、そのためにはどうすることが必要なのか、それが「ドライビング・メカニズム」の入り口だと受け取ってほしい。これがガンさんの新しいメッセージだった。



 そのヒントが今朝から配信を始めた『ConTenDo』の電子書籍(こちらは1260円=税込)であり、4月5日から単行本として『主婦と生活社』から発売される『新ドライビング・メカニズム』(1575円=税込)に盛り込まれている。

 そのひとつ。わたしが間違いなく受け取ったガンさんの「奥義」の一端――それは、今、わが目で捉えている姿はすでに0.04秒の「過去の残像」だということだった。どうしてもっと早く、それに気付かなかったのか、悔やまれてならない。

 この内なるライバル同士、いままさに、競い合いがはじまろうとしている。

Posted at 2013/03/31 23:12:19 | コメント(12) | トラックバック(0) | 黄金の日々 | 日記
2013年03月29日 イイね!

ふたつの『同窓会』  

ふたつの『同窓会』     ~終わった「ミラージュ」はじまる「ベストモータリング」~

 3月23日の新宿副都心は肌寒かった。満開直前だったソメイヨシノの競演も「本日休演」といった感じで、大江戸線「都庁前」の地下鉄出口から、会場の「新宿ワシントンホテル」まで、ゆっくり歩きながら花見を楽しむつもりだったのが、すっかり裏切られてしまった。

 しかし「ミラージュCUP同窓会」の会場は予想以上に熱かった。わたし自身の関わった時代からすでに20年近くが経っているというのに、あのころと同じ気分の若者たち(男女を問わず)がごっそり結集して、レースの終わったあとのパドック並みに、ワイワイガヤガヤ、気勢をあげる。その落差が、妙に嬉しくって、こちらも負けずに燥いでしまった。



 あとで全員集合写真から数えてみてわかったことだが、総勢47名。おお、赤穂義士の討ち入りではないが、四十七士とは、縁起のいい数字ではないか。さしずめ、大石内蔵助は通算12勝、今回の幹事長を務め、人脈の広さを駆使して、連絡網を築きあげた小幡栄さんだろう。そして実質的に事務局機能を発揮した、久保健、田部靖彦の両君はどの義士に比すればいいのだろうか。
人気者の堀部安兵衛(あの高田馬場の仇討ドラマの主人公、中山安兵衛のこと)はやっぱり、眞田睦明さんだろう。首筋を痛めて動くのも辛い、とボヤキながら、どっかりと会場の椅子に陣取って、昔の仲間からの挨拶を嬉しそうに受けていた。



「70は過ぎたけどよゥ、まだまだ走ってんだぜ」
 昨年の岡山国際での、ヴィッツ・クラブマンレースの西日本シリーズ第1戦でいきなりエントリーして2位に。この人らしい話題には事欠かない。
 
 この同窓会の開催が具体的になってから、ミラージュCUPレースに参戦した1986年からの「わが闘走」のセピア色の記憶をまさぐりながら当BLOGで綴り、加えてFacebookでは「ミラージュCUP銘々伝」というコラムを「近況」の欄にもうけて、わたしなりに広報役を買って出て、この日を迎えたわけだった。

 受付で待っていてくれたらしい長身の紳士が、満面の笑顔で近寄ってくる。フレッシュマンの初戦からエキスパートクラスへのステップアップするまで、同じ道を歩んできた辻村寿和君だった。あの頃の彼は20歳になったばかり。あの妖艶な女性像で高名な人形作家・辻村ジュサブローの御曹司である。Facebook で、名指しで参加を呼び掛けたところ、是非、と応えてくれ、その再会を楽しみにしていた一人である。

会場に入るとすぐに、指名していたもうひとり、フレッシュマン第1戦から、いつも隣り近辺を走行してくれた照沼毅さんが、適当に年齢を重ねてきた穏やかな風貌で、近づいてくれる。



山形からは川崎俊英君が賑やかに駆けつけてきた。沖縄から尾崎(旧姓・清水)沙織さん。もちろんベスモ出身の大井、田部の両君もいる。ミラージュ戦士を支えてくれたメーカー各社からの懐かしい顔もみえる。三菱広報の中村邦広、TEST&サービスにいた宇賀神和夫の両氏にも久しぶりの挨拶できた。

会場を一つにしたのは、スクリーンに再現されたミラージュCUPの実戦バトル。選ばれたのはやはり富士スピードウェイで繰り広げられた『ミラージュCUPで勝負でござる』のシーンであった。大井と田部、両君のベスモ相続を賭けた絡みに、中谷明彦君が割って入るパロディに会場の笑いが弾ける。そして車載カメラが小幡栄、横島久、吉富章のトップ三台のデッドヒートを捉えるシーンに、結果はわかっていても、息をのむ。






こうした模様を、どうやら『ベストカー』誌が紹介してくれるらしい。出席者の間を縫って、奥山文彦君が小宮カメラマン(小宮延雄さんの弟御)と一緒に取材してくれている。彼の狙いはすぐにわかった。「ミラージュの元女豹5頭」をドーンと一まとめにして撮影しようというのだ。佐藤久実、松本和子、田辺(旧姓・戎)南子、山崎優雅子、そして先に紹介した尾崎沙織の、かつての「サーキットの華」たち。それを嬉しそうにカメラ付きの携帯電話を手にした男たちが取り囲む。俄か追っかけ軍団の出現で、会場、大笑い。



 午後 6時、宴は終わった。サーキットから生まれた珍しい「同窓会」。これが会を重ねて、どのように発展していくのか。単なる一時的な感傷でこれだけの人たちが集まるわけはない。『ミラージュCUP四十七士』のこれからの同窓会ドラマに期待できるのだろうか。

もう一つ、わたしには新しい試みの「同窓会ドラマ」が、同時進行で待ち受けている。「ガンさんと語り合おう」というテーマで呼びかけた『ベストモータリング同窓会』の結成と、4月8日に開催する「山陽スポーツランド・中山サーキット」を舞台とするイベントである。

3 月28日現在、『ベストモータリング同窓会』に登録、入会した仲間は55を数える。さらに踏み込んで中山サーキットまで遠征しようというのが、20名限定で現在12名となっている。これから、その準備に入らなければならない。早速、その一つとして、こんなポスターまがいの刷り物を用意してみた。



  萩の波田昌之さんを中心とした自動車教習所の教官有志が、九州から、岡崎からと馳せ参じるという知らせも入った。さて、こちらは、これからだ。

 ガンさんの新刊本の見本刷も出来上がった。そして新しい試みとして取り組んだ電子書籍専門サイト「ConTenDo」とのコラボ販売も、3月30日から始まる。ゆっくりと桜の花見を楽しむ余裕はなくなってきた……。
2013年03月22日 イイね!

「みんカラ」のグループに「ベストモータリング同窓会」を登録!

「みんカラ」のグループに「ベストモータリング同窓会」を登録!お待たせしました。「みんカラ」の「グループ」に、正式に登録 しましたので、心あるかたがたの登録をお待ちしています。こちらからどうぞ!

https://minkara.carview.co.jp/group/bestmotoring/

その第1回はさきにお伝えしたように、ベストモータリング「ドラテク特訓道場」ゆかりの「山陽スポーツランド・中山サーキット」からスタートします。参加希望(予定でも結構)のかたは、ひとまず登録をお願いします。

2013年03月21日 イイね!

『ベストモータリング同窓会』立ち上げ宣言! ~第1回は中山サーキットで!~

『ベストモータリング同窓会』立ち上げ宣言! ~第1回は中山サーキットで!~ 第1回は「ドラテク特訓道場」ゆかりの中山サーキットで、黒沢元治さんをお招きしてミーティングを! 題して『ガンさんと語り合おう!』
日時 4月8日 午前10時から12時まで さらに希望者は午後1時から、近くの「閑谷学校」訪問。当日のサーキット入場料・昼食代は各自負担。参加費は特になし。
サプライズを何か、用意します。



★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★
映像マガジン『ベストモ-タリング』が消えてから2年が経ってしまいました。その見納めとなるラスト・ロケを、編集企画部長だった田部靖彦君に誘われて、FSWまで赴いて見物できたのはいいが、その内容にいささかの感想があって、ちょうどその頃、カメラマンの北畠主税さんを通して「みんカラ」のSPECIAL‐BLOGへの参加を誘われていたのを弾みにして『つれづれなるままにクルマ一代』の連載を始めてみました。

その連載期間中、『ベストモータリング』というメディアが、どれほどの「クルマ野郎」に支えられてきたのか、あるいはどんな影響をもたらせていたのか、深いところで知ることができました。驚いたのは「平成生まれのベスモ育ち」という新種族の「カーガイ」の存在です。

また幸いにして、ベスモ遺伝子を継承する『HOT=VERSION』が大健闘。ここらでそれらのモロモロの想いとか、交流とかをどうすれば具体的な形にできるのだろうか。





折からガンさんがスーパーGTのLEONチームの監督になって、これから全国各地のサーキットを訪ねる機会が増えること、新しく『新ドライビング・メカニズム』を発刊するといううれしい動きもあって、いっそ『ベストモータリング同窓会』を発足させ、交流する機会をもうけたい、と心に決めるに至りました。 

これから、みんカラに正式の「グループ」として立ち上げますので、出来上がったら、ぜひどうぞ、そちらにご登録ください。お待ちしています。
とりあえず、第1回の担当を、元編集部から田部靖彦君、読者代表として、萩のカリスマ自動車教習所教官、波田昌之さんに引き受けていただきます。

ベスモDNAを愛する人々よ、改めて、心を通わせよう! いや、直接にお会いしようではないか!
  
初代編集長 正岡貞雄
2013年03月20日 イイね!

『幻の11台抜き』と再びの『予選落ち』

『幻の11台抜き』と再びの『予選落ち』~セピア色の記憶⑧~

「プロとフレッシュマンの差はこれだ!」


■ミラージュCUPフレッシュマンシリーズ第2戦(筑波/1987年5月23~24日)&エキスパートシリーズ第3戦(富士スピードウェイ/6月6~7日)

 西日本サーキットから戻ると、2週間後には筑波での「新人の部」が待っていた。さらに2週間後には、富士で「名人の部・第3戦」に出場した。そんなことでよく仕事が進捗したものだと、いまさらながら首をひねる。それでも、月2回刊の「ベストカー」に『ドン亀奮迅録』などと嘯きながら、毎号、きっちり参戦記を掲載していた。(左のショットは、名人の部で52番土屋圭市と競り合う55田部)

 さて、筑波のレース。ここは予選順位がすべて、と百も承知していながら、なぜか今回も、周囲の期待どおりに失敗してしまった。そのへんのダメさを詳細に考察して「明日の糧」にしていくところに、わたしのレポートがサーキットヒーローたちにうけている(と、自負していたのだから、相当な脳天気ぶり)はずだが、今回は残念ながら1ページしか貰えないので、その部分は、泣き泣き割愛している。


*前年の筑波マーチレース王者⑯藤川と並んで第1コーナーへ突入!

 決勝のスタートは22位から。前戦で1分10秒台をマークしたのだから、今回は1分9秒台を夢みても不思議はなかった。にもかかわらず、予選時の路面がハーフウエットだったことも災いして1分11秒92に終わった。なんと、11秒台が11名もいる混線状況である。ま、スタートさえ失敗しなければ、1周目に少なくとも、17~18位に食い込めるはず、と読んだ。

 クラッチミートはバッチリいった。前列にいた2台、⑱照沼毅、84蒲原芽里ちゃんの間にスパッと割り込み、さらにその前列グループにいた、若葉マークドライバーの㊳金石勝智も、第1コーナーへ突入する前に捉えていた。こんな会心のスタートが、これまでにあったろうか、と自分でもビックリしたほどだが、それからが大変。イン側から第1コーナーにアプローチしようと、ややアクセルをゆるめた瞬間、前方の7~10位集団で大混乱が起こっているのを発見した。

 開幕戦の勝者②山本泰吉のマシンが横をむき、㉘金子繁夫がそれにからむ。それに黒いマシンが減速しきれずに激突する。あとで判明したのだが、⑧後藤政規であった。お気の毒に。
 そんな大混乱のルツボの中から、無傷のままで脱出できたのは、ぼくだけじゃなかったろうか。ともかく第1ヘアピンを10位あたりのポジションで、駆け抜けたのだから、「なんと11台抜きの大快挙!」だったわけである。

有頂天になるのは早急すぎたようだ。ダンロップブリッジ手前のポストから黒旗が振られているのを発見した。すなわち、レース中断なのである。咄嗟に、右腕を、開けたままの窓から、天にむかって突き上げ、後続車にスローダウンを指示した。わたしと同じように、大混乱から抜け出した㉚松本和子が、素早く反応して、右手を出してくれる。追突の不祥事を見事にはねのけた彼女の敏感さ。このところ、めっきり腕をあげている理由が飲みこめた一瞬だった。

 レースは短縮されることなく、15周をはじめからやり直すと決まった。傷ついたマシンは、それぞれに応急修理が認められ、戦列に復帰してきた。


*団子となってダンロップコーナーへ、㉚が松本和子


*優勝した④田部と2位の⑨福井守生

 レースが再開された。柳の下にドジョウが2匹いるはずもなく、今回は、19位で第1ヘアピンを通過。それからは84蒲原芽里を、⑯藤川基生(前年の筑波マーチシリーズのチャンプ)と束になって追い上げる展開となった。走りながら、第1コーナーと最終コーナーが、これまでと異なった景色となって、わたしの視野に入ってくるのに気づいた。なにも、コースが改修されたわけではない。こちらの走りが、どうやら一皮剥けたためらしい。要するに、高速から精一杯減速してからコーナーに飛び込む瞬間が、楽しくなったということだろう。それまで難攻不落だったコーナーが、飴のように溶けてくれ、その中へ、おのれを同化させる新しい感覚。なにかが、理解できはじめたらしい。



 結果は15位。よし、この次こそ、シングル入りを! 次戦に夢を託そうとする己れが、可愛いなと思った。
「平日はエディター、週末は活字を忘れて、サーキット通い」
機嫌よく、筑波から家路を急ぐ、1987年5月の週末であった。

その2週間後の6月6~7日は、ミラージュCUP のエキスパートシリーズの第3戦 が催される富士スピードウェイへ赴いた。
同じミラージュカップでも上のクラス、つまりエキスパート軍団が高いレベルで、技とスピードを競い合うこのシリーズに臨むときは、当然、こちらの心構えも違ってくる。第1戦の富士は予選落ち。第2戦の西日本で19位。もうちょっと何とかならないのか――メカをやってくれるTEST&サービスの面々がぼやくているのは、知っていた。

だからこそ――木曜、金曜の2日間、それぞれ45分間のスポーツ走行をこなして、予選に臨む。エンジン快調、タイヤもBSから61Sがワンセット届けられた。
「言い訳なしよ」と宇賀神大明神が、ポンと肩を叩く。心が逸る。が、練習時からタイムがいっこうに伸びない。
 ドライバーズサロンで、憂鬱そうにコーヒーをすすっていたからだろう。このところ親しく言葉を交わすようになった㉒見崎清志さんが傍にやってきた。
「どうしたのよ?」 
率直に悩みを訴えた。何周かひと塊まりになって走行しているから、こちらの状態を見崎さんは知っていた。まず高速からのブレーキングが不安定だと指摘された。FF車だからいいものの、FR車だったら確実にスピンしてしまう、とのこと。次にステアリングの舵角の当て方が大きすぎるから、コーナーの奥でモタモタしている、と。
「コーナーの進入スピードは高くなっても、出口では遅くなっている。第1コーナーは何速で回っているの?」
 5速から1速省略して3速に落とし、次に2速に。
「87年モデルは3速のままで充分です。ただし、ブレーキを解くのをグッと我慢し、やわらかくアクセルを開けてやるように。で、100Rは?」
 4速からブレーキングし、それから3速に入れておいて……。
「あれっ、あそこは4速のままでいいはずだけどね!」
「あれっ!」はこっちの台詞だった。ヘアピンも、ニューコーナーも全部違っていた。これまでのスタイルに固執して、何の疑いももたず漫然とコーナーを攻めていたのか!  

6月6日、午後0時20分、予選開始。つい先頃までは、GCマシンの第1回目の予選タイムアタックが行われていた。その余韻だろうか、路面温度は60度を超えていた。こんな時は、タイヤのポテンシャルは、早めに落ちてしまうから、5周目までが勝負。55田部靖彦のお尻にくっついてコースイン。3周目、ニューコーナーの入り口で③横島久に割り込まれたのがマズかった。あっという間に離され、いつの間にか単独走行。


*予選で一瞬の隙をついて30位の滑り込んだ⑪鈴木政作

 残り時間もない。それ行け! 第1コーナーを⑪鈴木政作と並んで、快適に進入した。3速のまま、ノーズをインに向けた。と、先行していたはずの⑩中村誠がスピンして、こちらを待っていた。慌てるな、と心に言い聞かせ、⑩中村を回避したのはいいが、⑪鈴木の先行を許した分だけ、タイムが落ちた。
 実は、それが運命の岐かれ目だった。その周に⑪鈴木は54秒80を出し、25位にポンと入り、こちらは55秒49で31位にとどまった。決勝進出は30台と決められている――ということは……。
6月7日の決勝は第1コーナーに陣取って、また孤独な観戦レポーターになってしまった。






*オイルに乗って第1コーナーではドカン、ポカンの合奏

常勝の㉜中谷は予選16位からのスタート。 PPは③横島。注目のフレッシュマン軍団から最上位についたのは55田部。㉒見崎に次いで9位に位置していた。
スタート前から嫌な予感がしていた。ミラージュカップの直前に行われたJSS戦で、コース上は大量のオイルが流れ、それに石灰をかぶせただけの応急処置が気になったからだ。
 スタートはPPの③横島がスムーズに発進していった。それを①伊藤、⑥小幡栄が追う。第1コーナーへ。③横島がベストラインに撒かれた石灰の真上を走った。白煙がパッとあがった。もう、後続車には、前が見えない状態だ。


*第1コーナーを抜ける55番田部は土屋と競り合うラッキーチャンスを得た。⑰は辻村寿和

 そんな中で、⑮村松康生がスルスルと前へ出て、2位にあがっていた。①伊藤が身をよじらせるようにし半スピン状態で、第1コーナーを曲がった。52土屋圭市はインから突入して、やや走路を乱した。そこへダッシュよく突入してきた㉒見崎が、完全に横をむく。⑦奥山道子が行く手を阻まれドカンと見崎の横腹へ。そこへ、中団から抜け出した中谷がさらにドカン。あとはもう、ドカン、ポコンの合奏で、大混乱の渦。それでも、潮がひくように戦列に復帰する各車。残されたのは走行不能の奥山と、中谷だった。

 55田部は、見崎を避けていったんアウトのダートに飛び出し、大迂回をして、コースに戻ったときには13位あたりをウロウロしていたが、とくに第1コーナーを厳しく攻め、周回ごとに順位をあげ、一時は6位まできた。が、終盤で52土屋に競り負け、7位でフィニッシュした。


*このレースからゼッケン番号は④から55になった田部靖彦。就職先も決まって……。

「観ていてくれたんですか。自分でも驚くくらい気合いが入っていました。これまでレースをするため勤め先をやめ、風来坊だったのが、今回は心置きなくレースのできる就職先がきまったので、心が充実していたんです」



 心の充実――レースにもっとも重要なものはこれだった。その時、田部靖彦、26歳。このレースから鈴木亜久里と同じ55のゼッケンを背負うことになった。そういえば、ひところプロダクションレースのパルサーで、同じ55を背負って走っていた「新人」がいたのを思い出す。

 1987年の初夏、レース活動の合間を縫って(?)富士・筑波と東京を往復しながら、「ベストモータリング」創刊にそなえて、連日、ゼロ号(つまりテスト版)制作やら、企画の練りこみで燃えていた。そのスタッフの一人に、新しく田部靖彦が加わっていた……。
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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