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正岡貞雄のブログ一覧

2013年06月28日 イイね!

親父が一番光っていた時代

親父が一番光っていた時代回想の中山サーキット 第3章の《序章》

「何シテル?」の欄を使って、J-SportsのTV桟敷からの短いレポートをやりながら、時折、中継カメラがTOYOTA#7を駆る中嶋一貴選手を捉えると、やっぱり胸が高鳴る。
 あれはレースの中盤だっただろうか、激しい雨の中、グランドスタンド前を通過した#7が、最初のフォード・シケインを抜けようとした。おッ、速すぎるゾ、と思った瞬間、#7は曲がる気配もなく、まっすぐ飛んでしまう。危ない! すぐ前方をGTクラスのポルシェ911が走っていた。



 幸い、宙に浮いた#7は前車の脇をすり抜け、スピンしながら停止できた。フ~ウ。ため息がでてしまう。ゆっくりと再スタートして行く中嶋一貴。その後ろ姿を見ながら、彼の父親である中嶋悟のことを思い浮かべてしまったのはなぜだろう。

「ベストカー」が月2回刊となって疾走しはじめたころ、ゴルフに夢中になりたての星野一義、中島悟、それに黒澤ガンさんを誘って、箱根・仙石原のコースを一緒にラウンドしたことがあった。中嶋悟がF1をめざしてヨーロッパへ渡る前のことで、ヨチヨチ歩きのカズキ(一貴のこと)がこのごろ自動車に興味を持ちはじめてね、と雑談のなかで嬉しそうに星野に語りかける。すると星野が即座に反応した。


*お互い、若かったあのころ。日産レーシングスクールの師弟関係。

「うちのカズキ(こちらは一樹)はもう小学生だけど、やっぱりクルマが好きでレーサーになりたがって困ってるんだ。絶対に許さないけどね」
 ガンさんはそばでニヤニヤ。
 あれから4半世紀。結果は御存じのとおり。父親の背中を見て育った息子たちは結局、全員がいまのモータースポーツ界を支えるレーシングドライバーに育っている。
「父親の背中か。つまり、親父(おやじ)が一番光っていた時代だな」

 わたしにも懐かしく蘇ってくる記憶があった。古いアルバムで眠ったままの2枚の写真がそれだった。父・徳一が黒の競技服をキリッとまとい、愛用の競技用自転車と一緒に、こちらを見つめている。その眼差しの純真さと、見事に発達した手足の筋肉。とくに脹脛(ふくらはぎ)から足首にかけての見事な発達は、かなりのポテンシャルを予測させる……。よく見ると、胸には「TM」のイニシャルマークを付け、右手に表彰旗、左側には花飾り。これは何かの競技会で入賞、もしくは優勝でもしたのだろうか。





 もう1枚の方は、三歳年下の弟(都留一)の後押しをしている父。その背中には「正岡君」の白文字が晴れがましく縫い込まれている。どうやら、スポンサーまでいたようだ。

 1904(明治37年)生まれだから、この写真は18歳前後のもので、恐らく大正9~10年ころ、ヨーロッパで勃発した第1次世界大戦による石炭特需で、九州・筑豊炭田が沸騰していた時代に撮影されたものと考えられる。客馬車経営で失敗した父の一家が四国・松山地区北条から遠賀川沿いの町・直方に移住して10年、菓子製造も軌道に乗って、一家あげて自転車競技に熱中していたころのものと思われる。

 当時、わが国にはオートバイはなかった。そして、自転車は高級輸入品に限られており、そのため、貴族や財閥などがスポンサーとなって競技選手を育成し、選手は商社や新聞社の宣伝用ジャージを着て走り、かなりの報酬を得ることができたという。ひょっとしたら、わがオヤジ殿も、その世界に、秘かに野心を燃やしていたのかもしれない。そう、気づいただけでも、こちらの心が浮き立ってきた。

 すこし長くなるが、この件に関連して、希少な史料を探し出したので、この際、少しばかりお付き合いいただこうか。
 父の両親がある時期、両養子として籍をおいていた愛媛県上浮穴郡久万町西明神の旧家のことを調べているときに入手していた『愛媛県上浮穴郡案内』(明治43=1910年発行)で、その地方から出た注目人物として自転車競技選手が華々しく大きく扱われているのに驚いた。その高原の町の小田地区出身の富田百衛という選手で、全国大会のいくつかを制覇し、明治40=1907年6月の「清国(今の中国をそう呼んでいた)上海」で行われた万国連合自転車競走会に遠征、数多の外国選手を抑えて1着となり、賞金1千円(当時にしてはたいへんな額だった)を獲得して、有名となった。そしてこんなエピソードまでつけ加えていた。当時の四国にあった陸軍師団の招魂祭の余興として、山桜という師団きっての「名馬」と競走、圧勝したというのだ。


*『愛媛県上浮穴郡案内』に掲載されていた輸入自転車の広告。「ラーヂ自転車」ってご存知か。

 そんな郷土の英雄に、少年だった父が憧れたのは自然な流れだろう。九州に渡ってからも、あちこちの競走会に参戦したらしいが、わたしの知っている親父の懐かしい背中は「陸王」というオートバイにまたがって、時には私を背中に縛り付けて、夜釣りに飛び出して行った時代のものである。どんな時代にあっても、いつも「乗り物」に熱中している男。なるほど、その「DNA」は、間違いなく、わたしの中で生き続けている。
 昭和51=1976年の正月、父は脳梗塞で逝ってしまう。その2年後にはわたしが「クルマ関係のメディア」を立ち上げるのを見ないまま……。

 この章、本来なら、予告通りなら、中山サーキットを造りあげていく棚田史朗の「闘う男」ぶりを紹介するつもりだったが、ちょっと回り道をしてしまった。が、それも決して無関係ではない。その「闘う男」の背中を見て育った長男の博史少年が、いまや「中山サーキット」を守っていてくれたからこそ、第1回「べスモ同窓会」の舞台に、とお願いできたのだから。
2013年06月15日 イイね!

『ファース トラン』からの旅立ち

『ファース トラン』からの旅立ち わが「みんカラBLOG」2回目の誕生記念日に誓う

 6月15日か。おや、今日は当「みんカラBLOG」をスタートさせた日じゃなかろうか。こんな時、「Special Blog」の執筆者は便利だ。「管理」欄の「PVレポート」を開いて、さらに「デイリー」と「トータル」に分かれているところで「トータル」を選んでやる。するとBLOGがスタートしてから、どの「タイトル」にどれくらい「アクセス」があったか、一目で判る仕組みになっている。

 トップは、最近になって、圧倒的に、2011年8月4日掲載の「汚れた英雄・ガンさん」がのし上がってきて、8068をカウントしている。続いて「奇跡の生還/北野元と漆原徳光」が5648、「秘められた中継録画!」が5146、「黒澤・北野『筑波バトル』共演秘話」に5053のコンタクトが記録されている。一連の「富士スピードウェイ多重炎上アクシデント」にかかわる記述に、大きな関心をいただいているわけだが、ひところは『ファースト ラン』が独走していた。それが現在は5位におさまっているものの、5015という、遜色のない数字で追従している。


*この坊やの生まれ育った北九州・八幡の街は1945年8月8日の空襲で、灰燼に帰している。それでも奇跡的に焼け残った記念写真。それから70年後、この坊やは……。

 この『ファストラン』が当BLOGの第1号で、登録日は「2011/06/15 13:13:42」となっている。つまり、誕生した瞬間がその時刻ということだ。
 それから2年の間に、なんと187回の更新をかさねている。およそ。4日に1回の割合で、平均して1ヶ月で3万を超えるアクセス数が記録されている。つまり平均して1日に1000回をこえる「みんカラ」フレンズの訪問がある、という信じられない収穫に、身が震えてならない。みなさん、ありがとう。

さて、改めて『ファースト ラン』をクリックしてみる。

「いきなり、古すぎる写真をひっぱりだして来て恐縮ですが、このクルマに乗った坊やの語りかけて来る声が、聴こえてきませんか」

 という語り出しで、昭和14年(1939)ごろ、なにかの記念に、街の写真スタジオで撮影されたと思われる、ブガッティもどきの「ブリキ製自動車」にのった坊やの紹介からはじまる一節。それが、それから70年の歳月を経て、その「くるま坊や」が、富士スピードウェイのパドックで、レクサスLFAの走行ロケに立ち会っている……という設定で、映像マガジン「ベストモータリング」の最後のロケ現場にからませていく。題して「ラスト ラン」と。


*2011年3月29日の「ベストモータリング」最後のロケ。最新のレクサスLFAを引っ張り出しての「ファイナル・バトル」。このときから、わたしの「みんカラBLOG」ははじまった。

 短い文章だが、それをどのように、次の回に語り継いでいったのだろう、と自分で書いて置きながら、つい、先へ進もうとしてしまう。
「『青春』のメッカ FISCO」は2日後にUPされ、最後のロケの舞台となる富士スピードウェイとの様々な因縁が、蘇ってくる仕組みだった。
 
 で、次はどうなっていたのかな。『ファイナル・バトル』か、なるほど。目の前で繰り広げられる撮影風景を見ながら、かつて、おのれの指揮した「筑波バトル」の楽屋裏を回想していく。

 こんなふうに、止めどもなく次の記述へ、書いた本人を引っ張っていく力は何だろう。
 第一、『ファースト ラン』の短い1回分の中で、すでに『ベストモータリング同窓会』結成へと動き出していく端緒の部分を、足跡として残している。たとえば、こんな風に……。


*『べスモータリング同窓会――ガンさんと語ろう』の開催も実現。挨拶できる至福に瞬間。中山サーキット講習室にて。


*田部靖彦君のサポートを受けて、『全国ドラテク行脚』の聖地・中山サーキットで同窓会出席者と走行会も。ガンさんジュニアの二人も出席。

――2月の終わりごろ、2&4モータリング社メディア企画部の田部靖彦部長から連絡が入った。
 レクサスLFAをバトルに引っ張り出せるようになったので、一緒に行かないか、というのです。前日に空路で岡山入りし、その足で、閑谷学校から、中山サーキット、備前焼の窯元をまわりましょうよ、と。このコース取り、実は24年前の創刊時の企画で、舘内端、中谷明彦の両氏を誘って「マツダMX−04にめぐり逢う旅」を愉しんでおり、それを田部君が再現しようというのです。彼らしい、思いやりに満ちたプランです。


*そして念願の「閑谷学校」での記念撮影も。出席者も、なぜここを訪ねたかの意味を知って、喜んでくれた。

 2年後の「今」と、真っ直ぐ、一本道でにつながっていく不思議な縁。
 
 やっぱり、これは肚を決めて、これまでの187回分を一つにして単行本にまとめておかなくては、と。もちろん、カテゴリーの取捨選択もしなくてはならないが、書きかけたものをふくめて、これを機に、「みんカラ」から単行本を生み出す、という試みを実現させなくては、と本気になっている。

 思い込んだら、なんとか、実現させようとする厄介な「性=さが」がわたしの中に、根強く棲み着いている。さて、困ったもんだ。
 
 ぜひ、「みんカラ」の友よ。この新しいわが旅立ちに、ご意見をお寄せいただきたい。
2013年06月13日 イイね!

『魔王決戦』を至近距離で満喫せよ!

『魔王決戦』を至近距離で満喫せよ!「NOB谷口」の目線でHot-Version 新着版を視る②

 いまや「峠の魔王」の代名詞となったJ’s Racing S2000の梅本社長は、「まだ伸びシロがあるはず」と、決して満足していない。2年ぶりに復帰した前々号(Vol.120)で、ワイドボディを生かしきれていないのに気づいて、リアタイヤに305の「クムホV700」を採用し、フジタエンジニアリングFD3Sとの死闘を制した。が、その後、「クムホタイヤだから勝てた」という意見も出たことに対して、今回のJ’sはあえて、285のディレッツァ(ダンロップ)をチョイス、本物のポテンシャルを問うことにしたという。



 まるで村正の妖刀のような、ひとを惹きつける魔力。それはステアリンを握るドライバーを、まず虜にしてしまう。土屋御大の鬼気迫るドライビングと、セットアップ過程。それは映像からもヒシヒシと伝わってくる。
 
 なんと、タイヤの温まりきらない1本目から、レコードに近いタイムを叩き出す。
「いいクルマだよ、これ!」を連発しながら、生き生きとコーナーを征服していく……。
 一方、織戸先輩はこの仕様になって、初めての走行ということもあってか、「オ、オ〜」と短く奇声を発するだけだった。


 
 いよいよNOBの番がきた。先輩ふたりの走行で、ウォームUPとマシンの微調整は完璧。NOBが魔王を踏み切る! レコードタイムを早速、コンマ1、更新!
 梅本社長がすぐに駆け寄る。
「いくつ?」NOBが問う。
「5秒4です」梅本社長が答える。
「お、凄い! でも、今、これでも1コーナーの下のところでは、ちょいオーバーと、2コーナーを回わりこんでいて、最後、ちょっと曲げたいところで少し抜くだけでも、ギュッと入るから、とってもいい感じにラインが選べる」
 そのNOBの報告をきいたところで、梅本社長はさらにリアのロール量を減らす。



 再び攻めるNOB。J’sは魔王号を進化させていた。NOBのコメントに合わせて初投入したスタビを調整、これではNOBも乗せられて、「まじアタックモード」に突入してしまうではないか! 無言で白雪に縁取られた各コーナーを抜けるNOB。凄まじいタイムが出た! 25秒312。グンサイのパドックにどよめきが!


 
そしていよいよ、ニュルからの刺客、R35 GT-Rの紹介。――デビュー以来、年次改良を実施、その成果をテストステージであるニュルブルクリンクのラップタイムで発表してきた。7分38秒5を記録した07年モデルから6年、その性能は7分18秒6にまで向上、とHot-Version編集部の解説も、かつてのベスモ全盛期を彷彿とさせる、本格的な雰囲気に導いてくれる。

 ついに2013年モデルが、峠最強伝説の舞台に上がった。2012年モデルからの改良点はエンジンとサスペンション。エンジンはインジェクターと排気系の精度を高めた上で、ECUのセッティングを変更して、素早いブースとの立ち上がりを実現している。
 サスペンションは2012年の左右非対称セッティングをさらに進化させるために、リンク類を変更、よりフラットで、地を這うような走りを手に入れたという。持ち込まれた車両はサーキット向けのオプションである「For Track Pack」(307.02万円)が装着されている――と、まぁ、聴いているだけでもドキドキしてしまうナレーション。

 定番通り、土屋、織戸の順で35Rをグンサイに馴染ませていく。やっと、07モデルのオーナーでもあるNOBの順番が来た。
「凄いなぁ、GT-R。アクセルを入れていて、舵を切っている状態で駆動がかかっているのに、グイグイ曲がっていく……」
 
 それでも、いくつか、注文を出したくなる。
「やっぱり、低速コーナーのちょっとしたターンインで、最初の重たいところを曲げるまでが弱点かなぁ」
 J’sに乗った後だけに、その重さが気になる。ベストは更新できなかった。



 いよいよ、剣を交える時が来た。土屋とNOB。魔王、J’s2000とニュルからの本命・刺客のR35。誰もが息をのんで見守る。観戦に回った梅本社長が、織戸先輩とこんなやりとりをしていた。
「初GT-R(とのガチンコ勝負)です。緊張です」
「確実に、コーナーはJ’sが速いんだけど、何気に直線があるからね。楽しみだね」
 珍しく、梅本社長が不安そうに「はァ」と頷いて下を向く。

 第1ヒート。GT-Rが先行する。なんと午後の収録となったこのバトル、1コーナーの外側の雪が融け出し、部分的にウェット状態になった。これは、ひょっとしたら、コーナリングが命のJ’sに足枷(かせ)となるかもしれない。

 長い右コーナーで土屋J’sがもうプッシュ。しかしNOBのGT-Rもひけをとらない。「恐るべし! 2013モデル」とナレーション氏も絶叫してみせる。と、土屋親分がシフトミス。GT-Rが逃げる。が、最終コーナーで魔王J’sが咆哮しながら、猛チャージする。結果は、ドローだった。



 第2ヒート。今度はJ’sが先行する番だ。結果は、残念ながら、見えていた。
 最初のコーナー。「加速は余裕です。でも、ここで離される」と、NOBの車載カメラが率直にレポートしてくれる。濡れた路面が待っていた。進入がままならないJ’s。そこでのロスが次の右回りコーナーへのスピードの乗りにも影響してくる!

「お、思ったより離されない」と、NOBが安心しかけたところでJ’sの稼ぎどころのヘアピンと左90度コーナーが待っていた。土屋がとっておきの秘策を見せる。左90度を3速進入でスピードに乗せた!

 NOBのGT-Rはフルパワーで追撃するが、J’sを射程距離に入れることができなかった。が、戦い終わってマシンから降り立った土屋親分とNOBが口を揃えて賞賛したのは、敗れたGT-Rのポテンシャルの進化であった。その考究は、まことに奥の深い内容に発展していったが、そこからは是非、本編から読み取ってもらいたいものだ。



 さて、この号のほかの柱企画も、見所満載。少しは次の号にとっておいたら、と本田編集長に提言したくなるほどの賑わいで、特にその主役はターボ・チューンした86。それに様々なアングレの光を当てた特集もぜひ、楽しんで欲しい。自己満足の世界から飛び出して、闘う、楽しむ。NOBは自信を持ってお薦めできる。足もとのカメラを全車に奢っての筑波バトル。そのバトルメンバーにも注目だ。



 そして、最後に報告しよう。160馬力のわが愛車86クンに、どこかの「局長」にちなんだわけではないが、新しい心臓手術を施した。HKSのスーパーチャージャーを搭載して250馬力に。
そろそろ、あの白い緑色のボンネットのあいつと勝負して、ぶっちぎってやろうと思っています、あ、は、は。   (この項、終わる)
Posted at 2013/06/13 14:31:12 | コメント(5) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2013年06月11日 イイね!

ニュルブルクリンクからの刺客

ニュルブルクリンクからの刺客「NOB谷口」の目線で新着Hot-Version Vol.122を視る①

 新調したi-Macにも少しは馴染んできた。外付けのDVD再生機である「USB SuperDrive」を本体とつなぎ、恐る恐るDVDのディスクを挿入すると、気持ちよく吸い込んでくれる。と、21.5インチのスクリーン画面いっぱいに、鮮やかな映像が再現される。この瞬間を待っていたんだよ。

 その「SuperDrive」の初仕事は、新着のHot-Versionではない。萩の波田教官から送られてきた手造りの『2013 谷口信輝ドライビングスクール with RIO』で、サブタイトル替わりに、波田さんからのメッセージがさりげなく、添えてあった。《局長、ガンさんのDNA受け継いでやっていますよ〜》と。



 いきなり、画面の中の谷口君がこちらに向かってお辞儀をしながら、語りかけてくれる。え!? それもわたしに呼びかけているのだ!

「正岡さん、こんにちは。谷口信輝です。先日は中山サーキットでのイベント(4月8日の『ベストモータリング同窓会』)に行けなくて、どうも、すみませんでした」
 そのあと、わたしの体調を気遣ってくれ、退院したと聞いて安心したこと、そして次の機会には、ぜひ呼んで欲しい、とまでメッセージしてくれている。
 なんという心憎いイントロだ。そして嬉しいったらありゃしない。ありがとう、谷口君。そして波田さん、あなたも憎いお人ですよ。



 画面が切り替わって、『NOBUドライビングスクール』が、全く気取らない、日常のやりとりのような雰囲気で始まる。
 北広島のスキー場「ユートピア サイオト」の駐車場を使って、谷口君がレーシングドラーバーとしてデビューする前から世話になっているショップのお客さんが、家族連れで参加する(だから、画面には少年や少女たちの熱い眼差しが溢れている)ジムカーナー・イベントの一端だった。

「みんな、クルマをビャーと流して、カウンターを当てて、なんて夢見てるんだろうけど、とにかく自分の支配下にクルマを置いて、コントロールすることをマスターして欲しいね。それはタイヤの力を100とすると、それを4つのタイヤにどう配分していくか、なんだよ。曲げたいと思ったら、まず少し前に荷重をかけて、少し、後ろを浮かせて……」

 いやいや、この内容は素晴らしい。ついつい詳述したくなるが、この項は、届いたばかりの「Hot-Version Vol.122」の見所を紹介するんだった。そこで今回は、この号の中で、キャスター谷口信輝がどう見ているのか、つまり「NOBの目線」でトレースしたらどうなるのか。そんな試みを思いついてしまった。いかがなものか。ともかく、やってみましょうか。



 まず、パッケージを拝見。

「峠最強伝説」は『ニュルvs.グンサイ』やでェ。「全長28km、コーナー数174、標高差300m。世界一タフなテストコースとして世界の高級スポーツカーメーカーがラップタイム合戦を繰り広げるニュルブルクリンク。そこで鍛え上げられた最新最強モデルをグンサイに持ち込み、我らがTOUGEマシンと競う!」

 さすがプロやないか。短く、要領よく、うまいこと紹介するもんや。
 持ち込まれたのは、ニュルFF最速ラップ、8分7秒を記録したルノーメガーヌRSと、昨年のグンサイ区間レコードを脅かしたGT-Rが2013モデルに進化してやってきた。
 


 迎え撃つのは、FFの魔王、シーカーFD2 CIVICと雌伏2年、峠の魔王に返り咲いたJ’s S2000の2台。これはちょっと、見逃すわけにはいかんで。
 ま、この辺の講釈は織戸学先輩が、うまいことしてくれてるわ。
 
《ステージ1》が始まった。土屋さんがシーカーCIVICで飛び出した。気温は15度で、コースはドライ。二日前の季節外れの雪が一部融けだし、道を湿らす状態。9000回転まで噴けるKtecエンジンは絶好調。フロントに履いた285タイヤでグイグイ曲げていく。
「割といい感じだよ、クルマ的には」と土屋さんの感想。TOUGE区間タイムは26秒611。この数字、しっかり覚えててよ。
 2度目のアタック。今度は長い右コーナーを攻める時のギアの選択を変えたようだ。タイムはコンマ3秒強のアップ。やりますねぇ。




 織戸先輩にバトンタッチされる。リアのタイヤも温まり、挙動も穏やかになった。そのインプレッション。
「パンチのあるエンジンだねぇ。頑張れ、頑張れ」
 で、タイムは26秒231。
 次がNOBの出番。タイムは26秒230。3者のタイムがほとんど差のないこの結果。やっぱり凄いで。
「フロントの回頭性はかなりいいですねぇ。ただ油断すると、ケツが出ます」
  これがNOBのインプレッションだった。

 ここでニュルブルクリンクからの「刺客」について、解説の欲しいところやが、しっかり、ナレーター氏が聴かせてくれとるわ。



 ――フォーミュラー・ワンのエンジンサプライヤーであり、楽しいFFホットハッチを提供してくれるルノーは、まさに一昔前のHONDAのような自動車メーカーだ。RSというグレードは、F1からワンメイク車両まで、すべてのレーシング開発の専門チーム「ルノースポール」が仕上げてくれたホットモデル、まさにタイプRなのだ。このメガーヌRSは36.7キロを誇るターボトルクを、FFレイアウトで使い切るため、強靭なボディとともに、トルクステアーや外乱に強いというダブルアクスルストラットをフロントサスペンションに採用、ニュルブルクリンクの厳しい路面で徹、底的に鍛え上げられた。

 そしてルノースポールはこの4月、世界でクルマを鍛えるプロジェクトを鈴鹿から開始した。で、ルノージャポンのマーケティング首脳のいうことが憎いねぇ。それも達者な日本語で。

「385万円から、265馬力、360ニュートン・メーターのルノーメガーヌRSをニュルで一番速いクルマを手に届くところにもってきた。それもただタイムをたたき出すだけのクルマをつくっている訳ではないんです。それは、ある一部分のものにしか過ぎなくて、開発の段階のいいところでタイムアタックして、それを出した。それをコミュニケーションをするんですけれども、それはほんの開発のプロセスの中での、わずかな一部分でしかない。そこがすごく重要なポイントだと思いますね」

 そこまでいうなら試してやろうじゃないか。ま、ノーマルだから、ここからどこをチューニングすれば楽しく走れるかな、その辺を見てみたい、と前置きして土屋御大がコースに飛び出した。
「ブレーキが甘いなぁ。強く踏まないと、ちょっとこわいな」
 乗り出してすぐに意外なコメントが飛び出した。ま、装着タイヤが、シーカーCIVICのそれと違ってダルな仕様。やむを得ないか。タイムは27秒824。
「タイヤがショボい。アンダーが出るのが早い。もうちょっとパワーが欲しい。クルマはしっかりしてるんだけれどなぁ」

 バトンタッチされた織戸先輩。攻めずにじっくりチェックする。
「うん、アクセルをオフした時のフロントの入り方はすごくいいねぇ。それにステアリングにFF独特のキックバックが全くないねぇ」

 そしてNOBの番がきた。コーナーの立ち上がりで、パワーが出るところだと、フロントのトルクに負けて、トルクアンダーが出る。LSDが欲しいね。それがNOBの率直な感想だった。
 区間タイム、27秒779。峠のFF魔王、シーカーCIVICの1秒半落ちである。



 その辺を、まず土屋御大がこう斬り捨てる。

「世界のニュルに対してグンサイで仕上げられたクルマは素晴らしいね。タイプRから出て、何年もかけて熟成してきて今のこの速さがある」
 それに待ったをかけるのが織戸先輩の役回り。
「この2台をここで比較するのはちょっとね。ルノーさんはノーマルですから。で、ぼくは思ったんですけど、これをベースにしていろいろ、たとえばブーストUPすればパワーも出るし、サスペンションを換える、タイヤも換えると、それだけでも相当、速くなる――そんなフトコロの深さを感じる」

 そこでNOBからひと言。
「ぜひどこかが、このルノーをチューニングして持ってきて欲しい。素材としては相当いいとおもう。今は万人向けのセッティングだけど、これをグンサイに合わせたものに仕上げたら、かなり強敵になる」



 とここまでが「ニュル対グンサイ」の前菜コース。メインディッシュは次の「J’s Racing 魔王 S2000」と「NISSAN GTR 2013」とのガチンコ対決だろう。はっきり言って、この2台の仕上がりは、どんな言葉を費やしても表現しきれないほど、素晴らしかった。第1ヒートはドロー。そして第2ヒートは……。

 次回に詳しくレポートすることを約束しよう。いやぁ、想い出すだけでも、ゾクゾクしてきたで。



Posted at 2013/06/11 01:06:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2013年06月08日 イイね!

『卑弥呼の国へ…』と『闘う男』 

『卑弥呼の国へ…』と『闘う男』 回想の中山サーキット 第2章

第22回東京モーターショー開幕(昭和52年=1977)に焦点をあてて創刊した『ベストカーガイド』(当時の呼称)は順調に成長して、8年目の1985年7月号から月2回刊にシフトチェンジした。編集長は勝股優君(現在は三推社から社名変更した講談社BCの会長)でクルマのニュース、スクープものは彼に任せて、総編集長のわたしは、カーマガジンという専門誌を、いかにして一般誌並みの質感のあるものに高めていくか、に腐心していた。


*創刊8年目に月2回刊にシフトチェンジ。それを記念して連載開始。その面白さに唖然!

 まず五木寛之さんに連載小説をお願いした。カーアクションロマン『疾れ! 逆ハンぐれん隊』が、7月26日号の誌面を、挿絵・村上豊画伯とのコンビで飾ったあの時の晴れやかな高揚感を、いまでも忘れることができないでいる。
 徳大寺有恒、黒澤元治コンビは脂がのって、絶好調。そこへ東大宇宙航空研出身でレーシングカーの設計者である舘内端さんを「風の仲間」として加えた。彼には未来を見つめる特別な役割をお願いした。それが紀行ドキュメント『卑弥呼の国へクルマでようこそ!』であった。 


*カラーページ付きの特別待遇ではじまった新企画 

その連載第1回のターゲットにモノづくりの原点として「備前焼の窯元」を選んだ。旅の道連れは、当時出たばかりのHONDAクイント・インテグラと、そのエクステリアを担当した在間浩主任研究員で、『炎の祭典』と呼ばれる備前焼の窯だしシーンに立ち会いながら、クルマと備前焼に共通する不思議な符合を語り合う。そしてその備前焼の瓦を美しく、屋根いっぱいに広げてみせる、300年前に備前藩主が庶民教育のために建てられた「閑谷学校」へと、足を伸ばし、さらに山ひとつ向こうにある「中山サーキット」へと続くクルマの旅がはじまる。「閑谷学校」については「ベスモ同窓会」の後半のステージに選んだ理由などを含めて、このあと、詳しく触れるつもりだ。




*真ん中が日産レーシングスクールの「同期の桜」次男の昭さん。

*この旅に同行した私服姿の吉川とみこ選手

 旅の同行者は、わたし以外に、もう一人いた。女性ドライバーとしてF3にまでステップアップしてきた当時のレース界の花、吉川とみ子さんであった。山ふところに抱かれるようにして現れた中山サーキットに着くと、喜び勇んでインテグラでコースへ出る。
1.6リッター、16バルブを唸らせて、グランドスタンドに陣取ったわたしたちの前を疾駆していく。

舘内「サーキットにインテグラは似合うね」
在間「走っているときに美しい、これがデザインの大切なところなんです」

 なるほど、閑谷学校の静と中山サーキットの動の中で、インテグラは二つの顔を見せている。閑谷学校の伝統の重さの中ではインテグラは少し恥ずかしそうに小さくなっていたが、ここでは生き生きしている。
 そんなことを語り合っているわたしたちのもとへ、体格のしっかりした青年が挨拶にやってきた。ここのオーナーの次男坊である棚田昭さんであった。実はわたしたちが中山サーキットへやってきたきっかけは、彼にあったのだ。

 この取材紀行の3年前、やむなく編集長を兼任した余波として、星野一義や長谷見昌弘らを講師陣に持つ日産レーシングスクールを受講する破目となり、いつしかモータースポーツの世界と親しくなってしまうのだが、そのときのスクール受講生でTSサニー乗りの実力NO.1が、ここに登場した棚田青年で、つまり「同期の桜」という仲であった。
 その彼から、中山サーキットの存在を知らされていて、いつしかわたしの中で、炎の祭りである備前焼、教育の道場であり人間の営みの永遠性を問いかける閑谷学校、そしてクルマとドライバーの修練の場であり、レースという現代の祭りの広場である中山サーキットがひとつとなって、いつか企画として仕上げたいと考えていたテーマに育っていたのである。

『卑弥呼の国へ…』はこのあと、奈良の明日香の里、日向の高千穂の里、そして騎馬民族発祥の地・韓国などを1年間にわたって訪ね、それなりに注目される連載企画に育っていく。舘内さんは、その後、この連載に手を加えて『2001年 クルマ社会は崩壊する』(講談社・三推社 1987年刊)という、自動車が21世紀に生き延びる知恵を求めて旅をする単行本にまとめ上げている。


*近く「ConTenDo」から電子書籍として復活予定

 いまやEV車研究の第1人者となった舘内さんの本質を知る、絶好の本なのだが、すでに絶版となってしまった。そこでかねてより、この本を「電子書籍」として復刻させる準備をすすめてきたが、近く上梓できる。ぜひ、ご一読あれ。

 さて、本題にもどると、2回刊化して3号目から、三本目の柱企画を登場させた。題して『闘う男』。その第1回は、日産レーシングスクールで親交を深めた星野一義に焦点を合わせた。第2回は当時のマツダでリクルート戦線を取り仕切っていた「元・広報課長」、そして第3回目に、いよいよ「中山サーキット」を自力で築き上げた男・棚田史朗さんに、ご登場願うことにした。舘内さんの『卑弥呼の国へ…』で登場してからわずか3号後のことであった。

 題して『草レース家族の強烈ど根性を知れ!』。さらに、こんなサブタイトルまで用意した。『備前岡山の山里深い中山に、男の意地で拓いた手造りサーキット物語』。ここはじっくり、導入部からお読みいただこうか。 


*中央が棚田史朗さん。左が長男の博史、右が次男の昭と自慢の息子たち。(1985年当時)

★          ★         ★
 男は――新幹線京都駅で買い求めた萩の家の弁当を膝に、赤穂線の固い椅子に揺られながら、めし粒とともに「鈍行」の旅を噛みしめていた。
 相生(あいおい)と岡山を結ぶ瀬戸内海沿いの赤穂線は山陽の陽光の下をゆっくり、ゆっくり進んでいく。この地方の陶工たちが丹念に土をこねるように、その走りは実に丁寧で、ゆがみがない。

 だが、目的地の中山サーキットに着くためには、まだまだ、ゆっくりの旅をかみしめなければならなかった。むかし、黄銅石をはこんでいた片上線に乗り換えなければならないこと、そして、その片上線が備前片上駅からでているのか、西片上駅に接続しているのか、新幹線相生駅の国鉄(当時の呼称)職員さえ知らなかった。

 男は西片上駅に狙いを定めて下車した。折よく発車する小さなディーゼル車(車両はもちろん1両)に飛び乗ったものの、名も知らぬ瘤のような山々の間を、まるで人目を避けるようにトコトコと……。おいおい、大丈夫か。それも20分ほどの不安で終わった。

 帽子がまだキマッていない若い車掌サンが「中山」であることを告げに来てくれた。
――そこはだれもいない無人駅であった。15メートルほどのホームと1坪ほどの駅舎、野草が生い茂り、周辺は4、5軒の民家が点在するのみ。


*残念ながら、平成3(1991)年に片上鉄道は廃線となり、中山駅もいまはもう、ない。


  遠ざかるディーゼル車、尾を引くように山並みにむかって伸びる単線レール、灼熱の太陽……ああ。

  実りを待つ青いイネがあたりの田んぼを鮮やかに染め上げている。そこはまぎれもない山里であった。

 とりあえず、と男は思った。山側へ向かえばよかろう……田んぼに沿って、くねるような道を進むと、不思議なものだ、サーキットの匂いがする。鈴鹿やFISCOの強烈なそれとはちがう。もっと、ほのかな、ミルクのようなヤツ。

 東京を発ってすでに6時間が経過しようとしている。この地、中山に日本ではじめての個人サーキットを拓いた棚田史朗の「闘い」のストーリーが、やっと、ここからはじまる。                  




   (以下、次回更新へ)


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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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