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正岡貞雄のブログ一覧

2013年08月28日 イイね!

続・ひとつの決断 ~『ベスモ 懐かしの名シーン上映会』をやります!~

続・ひとつの決断  ~『ベスモ 懐かしの名シーン上映会』をやります!~ 今度は迷わずに、決断した。
 7月の末に、当方の体調が思っていたようには回復していないとわかったため、やむなく、10月19日、20日に予定していた『ベスモ同窓会』を断念してしまった。

 その際、このまま休戦旗を掲げるのは悔しいから、《せめて東京でガンさんや、あのころのキャスターたちを招いて「ベストモータリング」を鑑賞しながら、語り合う時間を持とうよ――それくらいのライトなイベントなら、大丈夫だろう。それで許してもらえるかな》と、書いておいたところ、「局長、それでいいじゃないか。それ、やろうよ」という声が、多く寄せられていた。うん、それならいけるかも、と返事しながらも、酷暑の影響もあって、それに向かって走り出す元気が湧いてこなかった。



 が、「10年の空白をとり返そう!」という新しいテーマを設定したこともあって、「ベスモ同窓会」に関して、「ベスモ懐かしの名シーン」を、みんなで鑑賞する会ならやれるんじゃないかな、と本気で考え始めたのである。

 そうなれば、話は早い。まず、スーパーGTのテストでオートポリス入りしている黒澤さんに連絡を入れる。ガンさん、快諾。そうなるだろうから、前に約束していたスケジュールはそのままにしておきましたよ、と。まいりました。心当たりの開催場所を相談したところ、それもいいですね。と。決まった。あとは、他のキャスター、つまり、中谷明彦、大井貴之の両君には、なには置いても、駆けつけてもらわなくては。司会役は、第1回の中山サーキット同様、田部靖彦君にお願いしなくては。そして新戦力として、Hot-Version編集長の本田俊也君にも加わってもらうつもり。



 参加資格は「ベスモ同窓会」のメンバーに限らせていただく。ともかく参加者にできるだけ負担をかけないイベントにしたい。昼食を一緒にいただきながら、たっぷり「懐かしの名シーン」を鑑賞しながら、ガンさんたちとおしゃべりできる――それができそうな場所は、心当たり、あり。さっそく交渉に行かなくては。

 ベスモ同窓会in東京。スタート! 10月19日か20日(こちらが有力)に。
 詳細については、近く、お知らせしたい。少し、お時間を。
2013年08月26日 イイね!

『ドグミッション』って何だい!?

『ドグミッション』って何だい!? 〜「痛恨!10年の空白」と「回想のBMWたち」〜

「創り手の心を素直に感じることからはじめよう」と、こちらが腰構えを決めてからは、新着の「Hot-Version Vol.123」の画面に、何の抵抗もなく入ることができ始めた。

「憧れのスーパースポーツバトル」にエントリーしたクルマたちを、土屋と織戸という「ドライビングの名手」が、精魂こめて、わたしを含めた視聴者に替わって、テスト走行してくれている――その気分になれた時、画面の発信する情報が、にわかに生き生きとしてきたから不思議だ。



 舞台は1周1035mの「日光サーキット」。15Rから45Rの小さなコーナーが12、それに138mのメインストレートと、250mのバックストレートを組み合わせた平坦なコースで、わたしにとって「はじめてのサーキット」であった。幅員は10〜15m。瑞浪サーキットか、鈴鹿の南コースを小振りにしたものをイメージすればいいのだろうか。ミニサーキットとしては老舗らしいが、86やドリフト・マシンを走らすのに格好のステージと見た。



 E46 M3(2002年式 中古車相場250万円)が土屋圭市のドライブで、舌なめずりでもするように、コースへ出てゆく。1コーナーと2コーナーをゆったりと抜ける。足元の車載カメラが土屋の気持ちを真直ぐ、伝えてくれる。いよいよ、アクセルON。
「ドグミッションだよ、ドグミッション! しっかりしてるね、クルマが」
 声が弾んでいる。ナレーションも弾んでくる。気持ちよくカムが回っている。BMWミュージックというやつだ。

――う~ん、ドリドリも手ごたえがありそうな感じだぞ。ドグミッションは、スタート以外はクラッチを使わなくてもOK。ドリドリも走行中に使ったり、使わなかったり……。いろいろ、お試し中です。

「いいなぁ、ギアがスポンスポン、入るよね」
 ほめ過ぎじゃない?――そういいたくなるほど、ドリドリの褒め言葉がつづく。このE46 M3はフルピロ加工をしたことで飽きのこないクルマにしあがったというのだ。扱いやすい。回頭性がいい。ボディがしっかりしているから凄く安心感がある。その上、古さを感じない。
 走り終わってクルマから降り立ったドリドリの満足そうな表情から、BMWチューナーのASSISTから提供されたマシンの出来の良さはわかった。が、実はその時、わたしはDVD再生機に「一時停止」のチェックを入れてしまっていた。
 耳慣れない専門用語が多すぎて、気持ちが前に進まなくなっていたのだ。


*2006年の鈴鹿F1を一緒に観戦

 すぐに本田編集長を携帯電話で呼び出した。
「いま、HVを観ているところだけど、あのE46に積んだ《ドグミッション》という秘密兵器、いくら土屋クンがいいねっていってくれたって、なぜ《ドグミッション》に積み替えているのかわからないぞ」
「ああ、あれですか。《ドグミッション》そのものは昔からあって、近年はWRCマシンとか、ハードな走りを要求されるドリフト専用マシンなんかに《Iパターン》のほうがシーケンシャルみたいで使いやすいと、人気なんですよ。そして、ここが重要なんですが、M3はミッションの交換について、そっくりアッセンブリーでないとNOです。だから、安くてレーシーなHパターンの《ドグミッション》を採用したASSISTの森さん。正解ですよ」
「なるほど。その解説を本編でやってくれよ。フルピロ加工の方は、バラした部品をみせてくれているから、わかりやすいけど」
「そうですね。フリップだけでは説明不足でした。しかし、どうでした? 今回のようにBMW漬けになると、昔の愛車だったBMWたちを思い出しませんでしたか?」
「そういえば、ぼくが323iからセルシオに乗り換えたとき、あのシルバーのBMWを引き取ってくれたのはキミだったね?」
「そうですよ。ぼくは局長の633csiの時代から知っていますから……」
 
 説明不足と叱りつけるつもりだったのが、本田編集長に上手にはぐらかされて、真夏のアイスキャンディーのように、あっさりと溶けて崩れ落ちてしまった。それが、何とも平和で、心を満たしてくれる……。



 さて、土屋からバトンを渡された織戸学の《E46 M3 インプレッション》はもっと手放しに近い賛辞の連続であった。外絵は白いM3がまるで「白鳥の湖」を踊るバレリーナさながらに美しくコーナーを抜けていく。それを操るドラーバーのコメントを車載カメラが伝える。
「音はたしかにちょっとドグミッションの雰囲気はありますけど、乗り易いな。ああ、サスペンションのヨレがなく、フルピロの効果が凄く出ていて、このステアリングとボディの一体感、メチャクチャ楽しいね〜!! 新しい発見をした感じがありますね」





 企画はこのあと「お試しチェック」として現行のM3であるE92が持ち込まれ、ドライバーふたりの「M3礼賛」はさらにヒートUPしていく。そして「スーパースポーツバトル」で競う予定の対比マシンとして、レクサスIS F、NSXの初期型02R仕様、それにRSディノからF355が持ち込まれ、それぞれがチューニングUPによってどんな仕上がりになっているかを検証し、バトルシーンへと進むのだが、その辺の詳細は、ぜひ本編でお楽しみ願いたい。特にバトルでは今回の主役、E46ドライバーとして大井貴之クンが起用されており、彼らしいコメントと走りをお楽しみいただく趣向が用意されている、とだけお伝えしておこう。
 
 本田編集長のおかげで、わたしのなかで眠っていたBMW遍歴の記憶が目を覚ましてしまった。詳しくは、別の機会をつくって、1台、1台にまつわるエピソードをまとめたいのだが、今回はわたしのアルバムの中から3台を紹介しよう。


*1980年に私のもとにやってきた320のストレート6。まわりの3シリーズはみんな2灯式のヘッドランプだったが、この320は4灯式、それに電動サンルーフが装備されていた。

 3台とも、目黒通りで輸入外車ものの最先端ショップとして君臨していた『Auto Roman』に関わるBMWだった。最初の320は、そのころ「ベストカー」への広告出稿のうち合わせで、徳大寺有恒さんと訪れた際、2台だけ入荷されたばっかりのものを、三上彰一社長がわざわざ見せてくれた。黒のレカロシートが眩しかった。ボンネットを跳ね上げた瞬間、徳さんが奇声をあげた。

「あれ!? これは直列6気筒じゃないか。ヨーロッパで発表されたばかりの珍品だぞ。凄いよ!」
 そのころ、正規輸入物は4気筒のみ。早速、ベストカーでの試乗レポート企画がまとまったのは当然だとしても、テストランでのシルキーなタッチで盛り上がっていくBMWの2リッター6気筒に触れた途端、この「白い天使」の購入を宣言してしまった。


*FISCOのヘアピンに飛び込む633csi。五木さんから譲られたもので、一緒に暮らした3年間、どこにいくにも快適にクルージングしてくれた。

 2台目の633csiは作家の五木寛之氏がメルセデス500の乗り換える際、仲介したのが『Aoto Rman』とあって、わたしが譲り受けることにして、3年間、乗り親しんだ。

 そして3台目が『Auto Roman』が輸入した「M1」である。谷田部でフルテストできるまでに話をまとめた記念として、我がもの顔で1枚、本職カメラマンに撮ってもらったものだが、このM1の悲しい末路と『Auto Roman』の盛衰は、書きかけたままの「環八水滸伝」で触れる予定にしているが、いつまとめられるかわからない。そこでひとまず、今回の「回想のBMWたち」のなかで写真だけは紹介しておくことにした。


*1978年秋にパリオートサロンでお披露目されたM1は、デザインがジウジアーロ、シャシ製作をダッダーラが担当。BMWのモータースポーツ戦略プロジェクトの先頭に立つはずが、石油危機で挫折。477台が生産されただけで、1981年には生産が中止された悲劇のスーパーカー。E26のコードネームを持つ。M-88型、3530cc,直列 6気筒、DOHCエンジン。5速MT,MR。当時のお値段、2450万円。

 ともかく、この号と向き合ったことで、わたしの中で大きな化学変化が起こってしまった。それは1990年代が終息するころから、ベストモータリング20周年記念に対応して、当時の「BM公式Web」に《ベスモ疾風録》という連載を20回にわたって執筆するまでの10年間を、わたしなりの考えがあって「クルマメディア」と関わることを遠慮して来た。
 となると「クルマの流行」にも疎くなる。その例のひとつが《ドグミッション》の採用にピンと来なかったり、E46やE92、レクサスIS Fが新車デビューしたときですら、乗ることも触ることもしていなかったことを思い知らされたのである。

『痛恨! 10年の空白を取り返したい!』とは、そのあたりの心境を、前回、タイトルに仮託しようとしたのだが、尻切れ蜻蛉となってしまった。

 実はこの5月、国内外の自動車に関わるジャーナリストと研究者で立ち上げているNPO法人『RJC』 のメンバーに加えさせていただいた。改めてクルマ社会をみつめていく上で、新しい機会作りとなってくれるとありがたい。このところ、積極的にNew carに試乗し始めたのも、その一環であった。
 
 そんなわけで、もう一度、できる限り、クルマたちと真っ正面からつきあってみようか。いまさらM3をプログレと取り替えるほどの勇気はないが、手始めとして、ひとつの冒険がスタートする。

 9月7日に筑波サーキットで開催される「第24回 メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」の応援に、NISSAN GT-Rで駆けつけたいという「野望」を抱いてしまった。そして、その前後の1週間を『GT-Rと暮らす』というテーマでレポートしてみよう、という不逞な想いは許されるのだろうか。

 それこそが「空白の10年間」を取り返す一歩となることを願って……幸い、日産の広報部からOKの知らせが届いた。

Posted at 2013/08/26 15:53:35 | コメント(8) | トラックバック(1) | ホットバージョン | 日記
2013年08月19日 イイね!

痛恨!「10年の空白」を取り返したい!!(序章)

痛恨!「10年の空白」を取り返したい!!(序章) HOT-VERSIONの最新号が、いつもより早く、8月の4日には届いていた。

 こちらもいつものように、封を切ってから、最初から終わりまでを流すようにして鑑賞し、この号の「肝」を決める作業に入ったところで、動きがパタリと止まってしまった。

 お決まりの『峠 最強伝説』はTOYOTA86の合同テスト。その合間に敢行している土屋圭市の「まめ号」こと、AE86の「さすが、ドリキン!」と拍手したくなる「グンサイTOUGEアタック」には鬼気迫るものがあったし、一部のチューニング・ファンから熱狂的な支持を受けている「4様!!!」のポテンシャルUP された86 3リッター仕様が兵庫県の加古川から持ち込まれて合同テストに加わるなど、いつもながら、細かい仕掛けが工夫されているのに、合格点をつけた。




*加古川から持ち込まれた「4様!!!」のポテンシャルUP された86 3リッター仕様。筑波で初お目見えした時はリミッターのかかった糞づまり状態だったのが、今回はPORCHEのように8500回転まで回っていた!

 定番の『The Drift Muscle』のオフィシャルリポートも、いまではなくてはならないコーナーで、熱気ムンムンだった。が、肝心の柱企画『憧れのSUPER SPORTS BATTLE』は、これまでとはいささか趣きがちがって、待ってました、という掛け声が素直に出てこない。サブタイトルに、「底値でGET&チューニング! 楽しむなら、イマでしょ!」と持ってきたのがなんとも軽すぎて、モチベーションがカクンと、下がってしまったことは間違いなかった。これではこちらの腰も決まらないではないか。

 こんな時は、しばらく時間を空けてから、改めて取り組むようにするのが、わたしのひとつの方法論である。それでも、本田編集長には、取り上げるコーナーの掲載写真の提供だけは、電話でお願いしておいた。

 しばらくすると、本田俊也編集長から、彼らしい控えめなメールが入ってきた。

 ――お疲れさまです。体調のほうはいかがでしょうか? 昼間はロケをやっていたため、電話に出ることできずすみませんでした。
 VOL.123の画像を添付いたしました。よろしくお願いいたします。
 今号はすこし変化球で攻めてみました。いかがでしょうか?

 早速、返信する。

 ――画像、ありがとう。この土、日でブログは仕上げるつもりです。
「憧れのスーパースポーツバトル」はハートをギュッとつかまれる、このところのHV得意の「肝」の煮詰めが足りないのでは?
 ぼくらがF40をはじめて霧の中で見た時の、あの震えるような感動が、今回のスーパースポーツにないからだろうね。



 そこのところの距離感をどう詰められるか、が勝負です。それに土屋、織戸の『いいな』『イイネ!』のやりとりのなかに、少し辛口で割って入るような演出がないと、あの二人が生きてこない。その辺、きみも悩ましいところだろう。
講釈はさておく。もう1回、はじめから通して観てみるよ。きみの変化球の「切れ」具合を楽しみにして……。

 不思議な、懐かしい感覚が甦ってきた。本田編集長は、1987年、ベストモータリングの創刊準備に入った時に採用した、いわば子飼いの編集者の一人である。が、これまで「企画」の練り方や現場の取り仕切りについて、大井貴之、田部靖彦、山本亨といった手練れの編集者が揃っていたものだから、わたしの矛先はもっぱら彼らに向けられ、本田君と直接にむきあい、やりとりした機会は少なかったように記憶している。

 それが今になって復活している。彼から提出された企画書に、編集長に戻って手を加えるような気分で、改めて新着のVol.123を、やっと慣れてきたi Macの再生機に挿入することにした。とにかく、創り手の心を素直に感じることからはじめよう、と。

 オープニングは、このところ、織戸学クンが独り占めしている。爽やかで、嫌みがなく、言葉も聞き取りやすい。それに最も肝心なレーシングドラーバーとしての実績も文句なし。見栄えもよくなっている。

「今回の企画は、一時代を築いたスーパーカー、昔、高かった新車も今では(手が届くくらいに)やすくなって、そういうクルマでサーキットを走るのもありじゃないか、というのが狙いです。メリットとして、もともとスーパーカー(スーパースポーツというべきだろう)というくらいの高性能マシンなので、あまりチューニングしなくてもいいんじゃないか、と」





 なるほどネ、とメインキャスターの土屋圭市が受け止める。
「日本車だと、300馬力、400馬力ぐらい出すのに、結構なお金がかかって、500馬力も出すと、壊れるじゃない」ということで、まずはちょっと前に憧れたマシンの「今」をチェックすることから始まった。その走りは、今でも通用するのか、それが今回の「憧れのスーパースポーツバトル」であった。そして Entry.1として、紹介されるのがE46 BMW M3。その白くキュートな肢体に憧れた男たちを代表して、ドリドリが解説を買って出た。

「このM3、出た当初は凄いクルマが出たって、世界基準で。騒がれたね。これをベースに世界中のメーカーがFR車をつくってきた。え!? いま、これが相場250万円で買えるの? じゃあ、TOYOTA86(GT Limitedだと297万円)を買うか、M3を買うか、凄いことになったね!」





 そして、ノーマルのM3に100万円程度をかけて、足回りとマフラー、それにボディ剛性を高めるための「フルピロ&リジット加工」のライトチューニングを施したマシンに乗りこみ、今回の舞台となった日光サーキットで、土屋と織戸が走りを確かめる……。

 なるほど、テーマがだんだん浮き彫りにされてきた。――というところまで書き上げたが、残念ながら外出する時間になってしまった。まだ、本題である「10年の空白」に届いていない。そこで今回は、その《序章》ということにして、ひとまず「この項、つづく」と付記しよう。


Posted at 2013/08/19 22:54:37 | コメント(6) | トラックバック(0) | ホットバージョン | 日記
2013年08月08日 イイね!

『魔界・菅生バトル』はやっぱりイイネ!

『魔界・菅生バトル』はやっぱりイイネ! ~立川祐路、本山哲、脇坂寿一の大熱演に驚く~

 7月28日のスーパーGT第4戦、菅生ラウンドをハードディスクに録画しておいたのは大正解だった。秩父の「甘酒まつり」から帰ると、とるものもとりあえず、再生機で予選10位スタートのガンさんチームのLEON SLSはどうだったか、とチェックをいれはじめた。

 中継のカメラはGT500クラスのトップグループに張り付いている。序盤の主役は1号車、関口雄飛のREITO MOLA GT-Rで、後続のトヨタ勢が入れ代わり立ち代わり仕掛けるのを耐え抜いて、40周目にピットイン、エースの本山哲にバトンを渡す。と、同時にピットに入った39号車に乗り込んだ脇坂寿一が、鼻の差で一瞬早く、コースに復帰し、前に出た。追う本山。が、間に挟んだGT300クラスの排除に手間取って、その差が開いてしまう。そして、いつの間にか、本山の背後に38号車の立川祐路がはりついていた。


*7月28日の決勝スタート(81周)。天候は晴れの好コンディション。(以下、TOYOTA車関係の写真は『TOYOTA MOTORSPORTS』より)



「魔物の棲む菅生! 何が起こってもおかしくない!」
 アナウンサー氏もさかんにけしかけるし、そんなテロップも用意されていて、一触一発の危うい雰囲気がいまにも弾けそうだ。

 最終コーナーから10%の勾配をのぼり切り、トップを独走する脇坂を追って、ストレートを併走する本山と立川。早めにインを抑えた立川がわずかに前に出る。が、譲らない本山。2台が一つになって、2コーナーから下りのヘアピンへ。その形は崩れないまま、のぼりのS字、危ないハイポイントからレインボーコーナーへ。それも2台はぴったりと横に張り付いて、今度はバックストレッチを下る。
 馬の背コーナー。ここのブレーキングで立川がするりと前へ。



  2度目の第1コーナー攻防戦。アウトの立川、インの本山。お互いのタイヤとホイールがくっついて離れない。2台が押し合うようにして2コーナーのアウト側へ。辛うじて立川はコースに留まるが、本山はダートへ飛び出す。そのとき、背後でファストラップを叩き出して追走していたHONDA勢の18号車のマコーヴィッキが2位に浮上してしまう。そんなドラマまで、このTV中継は丁寧に捉えてくれている。この後、タイヤをバーストさせていた本山は早々とトップグループから脱落してしまう。が、魔界・菅生のドラマは、それだけでは終わらないことになっていた。

 55周目あたりだろうか、コースの一部に雨が落ち、路面が濡れはじめる。と、恐ろしく速さを見せ出したのが立川だった。前を行く18号車のマコーヴィッキの襟首をつかんで軽々とパスをすると、その勢いのまま、トップを独走していたはずの同じレクサス陣営の脇坂まで、捉えてしまった。しばらくは、その3台の編隊ランを楽しく鑑賞する。






*べスモ1997年8月号でキャスター・オーディションを受けた時の立川。左、高橋ツヨシ、右、山本勝巳の両君。

 観賞しながら、わたしは古い記憶の中の立川祐路を思い起こしていた。あれは1997年だったろうか、ベスモの「編集長」を後進に託すに際して、若い専属キャスターのオーディションを行ったのだが、そのなかに、フォーミュラー・ルノーで修行して帰国し、F3に参戦していた立川祐路もいた。その時の評価は、「まだお子様ランチだね」だった。その彼もすでに38歳、ドライバーとして、もっとも脂ののった時期にさしかかったのか。きっと、近いうちに、車載カメラの映像からのバトルシーンを駆使した「編集もの」が放映されるだろうから、それは見逃せないぞ、とこころに刻み込んでおく。

レースは残り10周ちょっと、となったあたりで、異変がやってきた。脇坂と立川が入れ代わりに首位に立つ展開も、GT300クラスが間に入るたびにテンポが変わってしまった。
70周目のレインボーコーナー。インに入った脇坂の真横に2号車のマクラーレンがいて、それにヒットしてしまう。と、3ワイド状態で右ターンしようとした立川を、マクラーレンがプッシュ。たまらずスピンしながらコースアウトする立川。グラベルトラップにはまってしまって動けなくなった。



 その直後だ。脇坂の39号車をバックストレッチで捉え、両脇からパスしようとしたHONDA勢の2台が絡み合って、右側のガードレールへ激突してしまう……。そして、生き残ったはずの脇坂も、73周目に、右リアタイヤが突然バーストして、コース上でスピン。なんとか、ピットにたどり着いて、タイヤを交換してレースに復帰できたものの、結果は4位に。魔界・菅生の舞台で大熱演を演じてくれた男たちには、勝利の女神からのプレゼントはなかったが、「スーパーGT」から、ますます目が離せなくなったのは、わたしだけではないだろう。いやあ、血圧が上がりっぱなしの4時間録画であった。

 さて、夏の菅生はこうして終幕したが、肝心の黒澤治樹、翼兄弟のLEON SLSはどうしたのか。一時、TV中継画面のテロップでクラス5位にあがり、終盤、6位で走行したのが、ゴールしてみると7位に。どうやら、土壇場のS字コーナーでGT500のマシンと絡んで、6位入賞をフイにした模様だ。幸い、8月11日に放映されるテレビ東京系の「スーパーGTプラス」は300クラスを中心にした編集内容だという。ここで、ガンさんチームの模様がチェックできるはずである。


*第2スティントを走った黒沢翼選手。後半のラップタイムは急上昇。次戦に期待。

 これでスーパーGTも前半を消化した。8月17、18日の鈴鹿からの残り5戦。嬉しいニュースがお届けできるといいが。おお、その前に、HOT-VERSIONの最新号が届いていた。
早速、封を切って、急ぎ、鑑賞しなければ。『憧れのSUPER SPORTS BATTLE』が柱企画。さて、さて、これまでとはいささか趣きがちがうようだが……。

Posted at 2013/08/08 02:59:04 | コメント(8) | トラックバック(0) | 黄金の日々 | 日記
2013年08月01日 イイね!

『甘酒ぶっかけ』&『菅生スーパーGT』両バトル

『甘酒ぶっかけ』&『菅生スーパーGT』両バトル ~7月最後の日曜日〜

 2013年7月28日。前夜の禍々しい驟雨が嘘のような静かな朝が来た。本来なら、灼熱のセパンでチーム力アップを確信させたガンさんチームの応援に菅生へ赴いているはずだった。そしてその帰りに福島の「リンクサーキット」に立ち寄って、第2回「ベスモ同窓会」の会場交渉をするつもりでいた。

 それが『ひとつの決断』で報告したような事情から、片道100km以上の遠出は自粛しなければならなくなった。やむなくケーブルTVの「J−Sportsの決勝中継」をハードディスクに録画する準備だけはしておいて、この日を逃したら、来年まで待たなければお目にかかれない「秩父の甘酒まつり」が催される、三峯神社の登山口にある荒川村猪鼻という集落まで、わがプログレを走らせる方を選ばざるを得なかった。


*荒川西岸の長尾根道から秩父市街とシンボル武甲山をのぞむ

 午前7時45分、オドメーターはゼロにした。大泉ICから入った関越自動車道は、上限108km/hのオートクルーズにセットして、ゆったりと走行車線を流す。先行車との間合いが詰まると、自然に減速してくれる。鶴ヶ島、東松山、嵐山を過ぎ、家を出てから40分ほどで、花園ICに着く。ここまでで丁度、60km。あとは下の道に降りて、彩甲斐街道と呼ばれる国道140号で秩父盆地を目指して上ってゆくのだが、40kmで奥秩父にある目的地の猪鼻へ着くことができるのだろうか。

 寄居の町を抜けるところで、皆野・小鹿野方面に直結する有料道路が待っていた。410円はすこし高い通行料の設定となっているが、140号の難所の一つ、波久礼から長瀞までの急カーブの連続はパスできる。ミカンの北限地・風布を抜け、美の山トンネルをくぐるとあっという間に皆野の町へ。そこからは秩父の市街地を荒川越しに左に見ながら、「長尾根みち」と呼ばれる江戸時代の巡礼古道の残っている丘陵地帯と併走しているうちに、再び影ノ森で彩甲斐街道に合流する。


*彩甲斐街道沿いの道の駅「あらかわ」にある案内板。右端に「熊野神社の甘酒まつり」が表示されている。

 久那と呼ばれる、秩父きってのものなりのよい田園地帯を抜ける。ひとまず、「道の駅あらかわ」でトイレタイム。ついでに案内板で、このあたりのロケーションを確認しておく。
 左手の川沿いに、いつの間にか秩父鉄道の線路がチラチラと顔をのぞかせるようになった。終点の三峰口を目指しているらしい。ということは、そろそろ猪鼻に着くらしい。おっ! オドメーターは丁度、100を指しているではないか。と、街道の右手に高々と幟が立っている。「甘酒まつり」の舞台、熊野神社の入り口であった。


*日本ゆうちょ荒川局のすぐ手前に「甘酒祭り』の舞台・熊野神社がある。


*地元では甘酒まつりを「甘酒こぼし」と呼んで、保存会が活躍している。石段の勾配は半端ではない。


 なぜ、わたしが奥秩父の夏祭りにこだわって、100キロの道を走って来たか。説明すると長くなるので、ここは2012年の11月18日から6回に分けて当ブログに連載した『「乳撫=ちちぶ」の誘惑シリーズ』を是非、再読願いたい。とくに「甘酒まつり」については下記のURLから『秩父夜祭ロマンと甘酒ぶっかけ祭り』の章にお入り願いたい。真ん中あたりに「甘酒こぼし(荒川村猪ノ鼻耕地)」の見出しがあるので、この際、参考にしていただければ幸いである。

https://minkara.carview.co.jp/userid/1135053/blog/28447217/

 午前10時、わがプログレを街道脇の高台にある然るべきスペースに駐車した瞬間、「ドーン」と足もとから昼花火があがった。祭りの開始を告げる狼煙であった。慌てて、入り口から、それにつづく急な石段を駆け上がる。神主の奏上する祝詞がきこえてくる。やっと、県の無形文化財指定を受けている「甘酒祭」のいまの姿を、この目で見ることができるのだ。


*バス停脇に「然るべきスペース」を見つけて、問題なくパーキングできた猪鼻集落の風景


*シニア男衆の勇姿。少年のころから欠かすことなく祭りの戦士として活躍し続けたという。


*神主の祝詞。天狗姿が「厄払い」をする猿田彦役か。

 この祭りは、遠く神話の時代に、東征してきた日本武尊(やまとたけるのみこと)が大猪(山賊)を退治してくれたお礼に村人たちが甘酒(濁酒か)を尊に献上した故事に由来する。いまでは「甘酒こぼし保存会」が取り仕切って、辛うじて差配しているものの、氏子の高齢化は防ぎようがないという。かつては大滝、三峰の物資輸送の基地として問屋や茶屋が並び、馬方、三峰詣での人たちで賑わったのが、いまでは40世帯足らずしか残っていない、と保存会の責任者はこぼす。それでも、なんとか守り抜きたいという不思議なエネルギーが感じられたのはなぜだろうか。
 
 型どおりの式典が終わると、氏子たちは社務所に上がって、まずは景気づけの御神酒をいただき、腹ごしらえをはじめた。午後1時からの甘酒ぶっかけ合いの戦闘に備えるのだ、という情報。それをぼんやり、見ているテはない。見物、撮影にやってきた人たちに混じって、近くの「そば処、竹家」へ。二八そばとマイタケの天ぷらを注文した。


*猪鼻に最も近い駅は秩父鉄道の「三峰口」。そこから昇りの山道を15分、リュックを背負って壮健な男の集団がやってきた。そしてパッとはだかになった。ぶっかけバトル戦士だ。地元の氏子だけではこれほどの熱気はまかなえない。外からの応援も、支えの一つなのだ。


*開始前の「一瞬のくつろぎ」。山の斜面にあるのに、この境内の広さはたいしたもの。


*甘酒は大麦と米でつくる。蒸した麦が冷えてから麹箱に入れてから稲わらをかける。3日前後、日陰で寝かしておくと黄色い麹華が咲く。祭りの前日、大釜でつくったゆるい米の粥を大たるに移し、麹をまぜると甘酒になる。(「飯野頼治著『地図で歩く秩父路』)

 バトル開始予定時間の15分前に、再び53段の急な石段を登って、境内へ。忌竹注連縄(いみたけしめなわ)をめぐらした斎庭(いつきにわ)の真ん中に、ふんどし一丁に頭に鉢巻き、わらじ履きのバトル戦士が甘酒の入った大樽を担ぎ込んでいた。
 さあ、いよいよ、はじまるぞ。その前に、ちょっと主役の甘酒の味見だけはしておきたかった。茶碗で一口、いただいた。クンと麹の蒸れた匂いが鼻をつく。ゴクリ、とやる勇気は消えた。まさに、一口だけ口に含む。甘みはなくもないが、わたしたちの知る甘酒のそれとはほど遠かった。







 筋肉隆々の壮年、若者に混じって、小学生がふたり、鉢巻きを巻き、祝い袢纏をまとって、戦士の仲間入りをしている。「何年生?」と声をかけると、「1年生」と恥ずかしそうに答えてくれる。つい、その子にとって、この祭りがどんな「記憶の刷り込み」になるのだろうか、と思ってしまう。と、そんな感傷を吹き飛ばすように、いきなり甘酒かけがはじまり、その飛沫が、こちらのカメラに向かって、不意に襲いかかってきた。

それからの20分間、弾けるように池の水で薄められた甘酒のぶっかけあいが続く。底抜けに明るい裸の男衆のエネルギーが、鬱陶しい厄や空気を吹き飛ばす。う〜ん。次の機会には、わたしもその渦のなかに飛び込むのを志願しようか。そんな衝動が突き上げてきた。元気だったら、そうしたい。

 午後7時。無事、練馬の自宅に帰り着き、取るものも取りあえず、ハードディスクからの録画再生に取りかかる。が、4時間ものを一気に見るわけには行かない。一息いれてからに、改めてモニターに向かい合うことになるのだが、まさか、#38立川祐路を中心に本山、脇坂の絡む過激なバトルシーンが待っているとは知らないで、#62 LEON SLSの動静をチェックしはじめた。
 

*この3台のバトル、必見だ!(TOYOTA MOTOR SPORTSより)

 その件は次回まで、お待ち願いたい。大井貴之クンも「面白すぎる」とFBなどでコメントしているようだが、あのシーンの車載は、このあとの編集もので見ることができるのだろうか。田部靖彦クンに問い合わせなければならないくらいの強烈なバトルの連続であった。
 
Posted at 2013/08/01 13:38:24 | コメント(4) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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