〜「痛恨!10年の空白」と「回想のBMWたち」〜
「創り手の心を素直に感じることからはじめよう」と、こちらが腰構えを決めてからは、新着の「Hot-Version Vol.123」の画面に、何の抵抗もなく入ることができ始めた。
「憧れのスーパースポーツバトル」にエントリーしたクルマたちを、土屋と織戸という「ドライビングの名手」が、精魂こめて、わたしを含めた視聴者に替わって、テスト走行してくれている――その気分になれた時、画面の発信する情報が、にわかに生き生きとしてきたから不思議だ。
舞台は1周1035mの「日光サーキット」。15Rから45Rの小さなコーナーが12、それに138mのメインストレートと、250mのバックストレートを組み合わせた平坦なコースで、わたしにとって「はじめてのサーキット」であった。幅員は10〜15m。瑞浪サーキットか、鈴鹿の南コースを小振りにしたものをイメージすればいいのだろうか。ミニサーキットとしては老舗らしいが、86やドリフト・マシンを走らすのに格好のステージと見た。
E46 M3(2002年式 中古車相場250万円)が土屋圭市のドライブで、舌なめずりでもするように、コースへ出てゆく。1コーナーと2コーナーをゆったりと抜ける。足元の車載カメラが土屋の気持ちを真直ぐ、伝えてくれる。いよいよ、アクセルON。
「ドグミッションだよ、ドグミッション! しっかりしてるね、クルマが」
声が弾んでいる。ナレーションも弾んでくる。気持ちよくカムが回っている。BMWミュージックというやつだ。
――う~ん、ドリドリも手ごたえがありそうな感じだぞ。ドグミッションは、スタート以外はクラッチを使わなくてもOK。ドリドリも走行中に使ったり、使わなかったり……。いろいろ、お試し中です。
「いいなぁ、ギアがスポンスポン、入るよね」
ほめ過ぎじゃない?――そういいたくなるほど、ドリドリの褒め言葉がつづく。このE46 M3はフルピロ加工をしたことで飽きのこないクルマにしあがったというのだ。扱いやすい。回頭性がいい。ボディがしっかりしているから凄く安心感がある。その上、古さを感じない。
走り終わってクルマから降り立ったドリドリの満足そうな表情から、BMWチューナーのASSISTから提供されたマシンの出来の良さはわかった。が、実はその時、わたしはDVD再生機に「一時停止」のチェックを入れてしまっていた。
耳慣れない専門用語が多すぎて、気持ちが前に進まなくなっていたのだ。
*2006年の鈴鹿F1を一緒に観戦
すぐに本田編集長を携帯電話で呼び出した。
「いま、HVを観ているところだけど、あのE46に積んだ《ドグミッション》という秘密兵器、いくら土屋クンがいいねっていってくれたって、なぜ《ドグミッション》に積み替えているのかわからないぞ」
「ああ、あれですか。《ドグミッション》そのものは昔からあって、近年はWRCマシンとか、ハードな走りを要求されるドリフト専用マシンなんかに《Iパターン》のほうがシーケンシャルみたいで使いやすいと、人気なんですよ。そして、ここが重要なんですが、M3はミッションの交換について、そっくりアッセンブリーでないとNOです。だから、安くてレーシーなHパターンの《ドグミッション》を採用したASSISTの森さん。正解ですよ」
「なるほど。その解説を本編でやってくれよ。フルピロ加工の方は、バラした部品をみせてくれているから、わかりやすいけど」
「そうですね。フリップだけでは説明不足でした。しかし、どうでした? 今回のようにBMW漬けになると、昔の愛車だったBMWたちを思い出しませんでしたか?」
「そういえば、ぼくが323iからセルシオに乗り換えたとき、あのシルバーのBMWを引き取ってくれたのはキミだったね?」
「そうですよ。ぼくは局長の633csiの時代から知っていますから……」
説明不足と叱りつけるつもりだったのが、本田編集長に上手にはぐらかされて、真夏のアイスキャンディーのように、あっさりと溶けて崩れ落ちてしまった。それが、何とも平和で、心を満たしてくれる……。
さて、土屋からバトンを渡された織戸学の《E46 M3 インプレッション》はもっと手放しに近い賛辞の連続であった。外絵は白いM3がまるで「白鳥の湖」を踊るバレリーナさながらに美しくコーナーを抜けていく。それを操るドラーバーのコメントを車載カメラが伝える。
「音はたしかにちょっとドグミッションの雰囲気はありますけど、乗り易いな。ああ、サスペンションのヨレがなく、フルピロの効果が凄く出ていて、このステアリングとボディの一体感、メチャクチャ楽しいね〜!! 新しい発見をした感じがありますね」
企画はこのあと「お試しチェック」として現行のM3であるE92が持ち込まれ、ドライバーふたりの「M3礼賛」はさらにヒートUPしていく。そして「スーパースポーツバトル」で競う予定の対比マシンとして、レクサスIS F、NSXの初期型02R仕様、それにRSディノからF355が持ち込まれ、それぞれがチューニングUPによってどんな仕上がりになっているかを検証し、バトルシーンへと進むのだが、その辺の詳細は、ぜひ本編でお楽しみ願いたい。特にバトルでは今回の主役、E46ドライバーとして大井貴之クンが起用されており、彼らしいコメントと走りをお楽しみいただく趣向が用意されている、とだけお伝えしておこう。
本田編集長のおかげで、わたしのなかで眠っていたBMW遍歴の記憶が目を覚ましてしまった。詳しくは、別の機会をつくって、1台、1台にまつわるエピソードをまとめたいのだが、今回はわたしのアルバムの中から3台を紹介しよう。
*1980年に私のもとにやってきた320のストレート6。まわりの3シリーズはみんな2灯式のヘッドランプだったが、この320は4灯式、それに電動サンルーフが装備されていた。
3台とも、目黒通りで輸入外車ものの最先端ショップとして君臨していた『Auto Roman』に関わるBMWだった。最初の320は、そのころ「ベストカー」への広告出稿のうち合わせで、徳大寺有恒さんと訪れた際、2台だけ入荷されたばっかりのものを、三上彰一社長がわざわざ見せてくれた。黒のレカロシートが眩しかった。ボンネットを跳ね上げた瞬間、徳さんが奇声をあげた。
「あれ!? これは直列6気筒じゃないか。ヨーロッパで発表されたばかりの珍品だぞ。凄いよ!」
そのころ、正規輸入物は4気筒のみ。早速、ベストカーでの試乗レポート企画がまとまったのは当然だとしても、テストランでのシルキーなタッチで盛り上がっていくBMWの2リッター6気筒に触れた途端、この「白い天使」の購入を宣言してしまった。
*FISCOのヘアピンに飛び込む633csi。五木さんから譲られたもので、一緒に暮らした3年間、どこにいくにも快適にクルージングしてくれた。
2台目の633csiは作家の五木寛之氏がメルセデス500の乗り換える際、仲介したのが『Aoto Rman』とあって、わたしが譲り受けることにして、3年間、乗り親しんだ。
そして3台目が『Auto Roman』が輸入した「M1」である。谷田部でフルテストできるまでに話をまとめた記念として、我がもの顔で1枚、本職カメラマンに撮ってもらったものだが、このM1の悲しい末路と『Auto Roman』の盛衰は、書きかけたままの「環八水滸伝」で触れる予定にしているが、いつまとめられるかわからない。そこでひとまず、今回の「回想のBMWたち」のなかで写真だけは紹介しておくことにした。
*1978年秋にパリオートサロンでお披露目されたM1は、デザインがジウジアーロ、シャシ製作をダッダーラが担当。BMWのモータースポーツ戦略プロジェクトの先頭に立つはずが、石油危機で挫折。477台が生産されただけで、1981年には生産が中止された悲劇のスーパーカー。E26のコードネームを持つ。M-88型、3530cc,直列 6気筒、DOHCエンジン。5速MT,MR。当時のお値段、2450万円。
ともかく、この号と向き合ったことで、わたしの中で大きな化学変化が起こってしまった。それは1990年代が終息するころから、ベストモータリング20周年記念に対応して、当時の「BM公式Web」に《ベスモ疾風録》という連載を20回にわたって執筆するまでの10年間を、わたしなりの考えがあって「クルマメディア」と関わることを遠慮して来た。
となると「クルマの流行」にも疎くなる。その例のひとつが《ドグミッション》の採用にピンと来なかったり、E46やE92、レクサスIS Fが新車デビューしたときですら、乗ることも触ることもしていなかったことを思い知らされたのである。
『痛恨! 10年の空白を取り返したい!』とは、そのあたりの心境を、前回、タイトルに仮託しようとしたのだが、尻切れ蜻蛉となってしまった。
実はこの5月、国内外の自動車に関わるジャーナリストと研究者で立ち上げているNPO法人『RJC』 のメンバーに加えさせていただいた。改めてクルマ社会をみつめていく上で、新しい機会作りとなってくれるとありがたい。このところ、積極的にNew carに試乗し始めたのも、その一環であった。
そんなわけで、もう一度、できる限り、クルマたちと真っ正面からつきあってみようか。いまさらM3をプログレと取り替えるほどの勇気はないが、手始めとして、ひとつの冒険がスタートする。
9月7日に筑波サーキットで開催される「第24回 メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」の応援に、NISSAN GT-Rで駆けつけたいという「野望」を抱いてしまった。そして、その前後の1週間を『GT-Rと暮らす』というテーマでレポートしてみよう、という不逞な想いは許されるのだろうか。
それこそが「空白の10年間」を取り返す一歩となることを願って……幸い、日産の広報部からOKの知らせが届いた。