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正岡貞雄のブログ一覧

2013年09月30日 イイね!

GT-Rと別れる日

GT-Rと別れる日 ~恥ずかしながら、77歳は挑戦する①~

 ホッと一息をついた日曜日の午後。夏の終わりの8日間を、懐かしむように暮らしたR35 GT-Rとの「同棲生活」に、想いをめぐらせている……。

GT-Rを返却するために、馴染みのガソリンスタンドで満タンにし、お気に入りのチェックポイントである、練馬中央陸橋の側道から、荻窪方向に通じている地下トンネルに潜りこむのに備えて、オートマティック・トランスミッションをMモードに切り替えた。ついでにライトONにしておいた。時間が止まる。



 クルマの流れを見計らって、アクセルを踏み込む。パドル・シフトの右手プラス側をチョンと手前に引いてやる。「M2」の文字が白く浮かび出て、背中がシートに押し付けられる。間髪を入れずにもう1回、チョンと右手でこちらの気持ちを伝える。「M3」の掲示。一瞬、GT-Rも納得したように滑らかな動きで返事を寄越したが、すぐに「M4」へのシフトアップを要求してきた。  

「これ以上はダメだよ」
 駄々っ子の頭を撫でるようにして、アクセルを緩める。すぐに笹目大橋や谷原交差点方向からの、旧環八通りが合流してくる地点にさしかかった。先行車が1台、前をふさぐ……。やむを得ない。ここから再び、ATモードを「D」にもどす。と、GT-Rはジェントルマンに変身する。勝手にすいすいとシフトアップし、足元も、シートからの情報を感知していたお尻のあたりも、ソフト方向への「町走り」モードに切り替わる、自在ぶり。なるほど、己(おのれ)をGT-Rに預ける感じだ。これも「水野マジック」か。



 環八内回りを南下しながら、迷っていた。返却先の横浜・日産本社までのルートをどちらにするか。東名高速か、第三京浜にするか。わたしの頭の中では、第三京浜から三ツ沢公園を抜け、みなとみらい横浜へと下っていくのは、大賛成なのだが、もうひとつ、物足りなさがあった。

 それならば、用賀から一旦、東名高速に入り、川崎ICで降りて、南下しながら第三京浜に乗ればいいじゃないか、それとも、東名をもうちょっと楽しみたいなら、横浜町田ICまで足をのばし、そこから国道16号線を南下して狩場に出て、第三京浜まで戻るルートも悪くない。が、CARラジオの交通情報から狩場ジャンクションあたりの渋滞を伝えてくる。

 ここはやっぱり、東名高速をチョイ走りして、東名川崎から、第三京浜のICを探して、横浜をめざそう。肚が決まった。東名の用賀入口はもう目と鼻の先だった。



★             ★             ★               
 ここで時計の針を、登録日が2012年11月15日、「R35 050010」のエンジンナンバーをもつGT-Rが、走行距離15911kmでわたしに預けられた、9月6日の15時30分に巻き戻したい。

 操作に関するモロモロのチェックポイント、特に車幅が広い(1895mm)のでご注意を、などと車両管理の担当者から聞き取ったところで、恐る恐る(いや、本当は、昂ぶる走り心を抑えて、とカッコよく書きたいところだが、残念ながら、恐る恐る、が正しい)発進させた。その模様を地下ガレージで隣り合わせに待機していたリーフNISMOパフォーマンスパッケージが、目撃していた。そして「行ってらっしゃい。気を付けてね。あなたの次の試乗は、わたしに指名してね」と、ウインクしてきたのである。



 上り勾配のアプローチから、光の溢れる「みなとみらい横浜」の街へ、ソロソロと繰り出した、と思いたまえ。それでも、そのまま「東神奈川IC」から東京へ向かうのは味気ないじゃないか。なんとなく、ウォーキングでもする感じで、大通りを海の方向へGT-Rを走らせた。

 このあたりは、かつての赤レンガ倉庫街や工場敷地が、新しい都市開発の舞台となって、横浜の新しい顔として売出し中とのことだが、なにがなんだか、さっぱりわからない。観覧車の回る臨港パーク、外資系の大型ホテル、国際会議場やら、キョロキョロしたくなる「未来型」を意識したスポットが目白押しなのはわかるが、そのまま素通りして、やっとGT-Rを停めたのは、なじみの深い大桟橋の入口だった。





 かつては桟橋の先端まで行けたのに、ターミナルの建物が行く手をふさいでいた。停泊中の白い船をバックに記念撮影したところで、すごすごとUターン。第一京浜を東上して、「東神奈川」から、横羽線に乗ることにした。ETCカードはセット済みである。さて……。やっと、ほんもののGT-Rと「会話」できるステージがやってきた。トントンと道路の継ぎ目からの「つきあげ」が始まった。これが「横羽線」だよ。

 アクセルを少しだけ、踏み込んでやる。途端に「トン、トン」とハミングして路面からのメッセージが、「ゴン、ゴン」に豹変した。おお、戦闘モードなのか。77歳の「枯葉マーク」ドライバーは、あわててスピードメーターを探した。メーターが右と左に振りわけられている意図と、コクピットのレイアウトを、ドライビングに入る前に、確認しておかなかったわたしのミスを、この時、恥じていた。

 ともかく、次のPAでGT-Rを停めなければ……。      (この項、つづく)


Posted at 2013/09/30 11:54:53 | コメント(7) | トラックバック(0) | 77歳の挑戦 | 日記
2013年09月28日 イイね!

中谷明彦君との新しい「約束」

中谷明彦君との新しい「約束」~『中谷塾講義テキスト』と『ポルシェ911ドライビングバイブル』~

 北京から帰国したばかりの中谷明彦君と、いつもの『ランチ密談』の舞台、東京プリンスホテル1Fの和食処「清水」で待ち合わせた。黒澤元治さんにはじまって、中部博、浅岡重輝、林ミノルさんといった、特にモータスポーツにかかわりのある各氏との「密会」は、多くの収穫を運んできてくれた縁起のいい場所である。

 約束の時間、午前11時45分ぴったりに、いつもの涼やかな顔で、彼はやってきた。ゆっくり時間をとって逢うのは、2011年3月末の、「ベスモ最後のロケ」の帰路、誘われて東名高速青葉ICそばのファミレスで、コーヒーを飲みながら話し込んで以来であった。



 テーマはもちろん、10月20日の「ベスモ同窓会in東京」の打ち合わせ。彼の当日のテーマは即座に決まった。参加メンバーからの「イチオシ」企画で上位にランクされているのが1996年新年号の『真剣勝負!筑波無差別級バトルロイヤル』。最終コーナーでポルシェを操るガンさんがギア抜けトラブルから、危うく後続の中谷GT-Rと、あわや激突の危機。
 この時の「緊急回避」の解析と、それを生かしたドライビングテクニックを特訓する同年5月号の連環企画。この二つを、みんなで語り合おうじゃないか、というのである。





「賛成です。それにしても……」
 ここで中谷君が珍しく声を弾ませた。
「ベスモが消えて2年半も経つのに、北京に行っても、あちらの人たちまで、ドラテク勉強でYouTubeなんかがあるせいでしょうね、ベスモを熱心に見てるんですよ。その《緊急回避テクニック》を含めて、びっくりするくらい、よく知っているんですよ」
 
 そして、こうもいう。
「ガンさんまで出席して、ベスモを鑑賞しながら語り合えるミーテイングがあるなんて、羨ましすぎる、贅沢すぎるって、口を揃えていました。こうなると、大阪とか、九州とか、各地でもやりたいですね」

 ありがとう、うれしい話です。そう礼を言ったところで、誘い水を向けることにした。
「イチオシとなると、やはり1991年6月号から始まった《スーパーバトル》ものが来るんだけど、キミならどの年のものを推薦する?」





 フェラーリとポルシェが競い合うようにして、伸び伸びと毎年、新型を投入。それを迎え撃つ日本のスポーツカーが、R32 GT-RやNS-Xを投入しながら、280馬力規制で頭を押さえられて、口惜しさに歯ぎしりしていた時代だった。
「そうですね。最初はF40の凄さに圧倒されて、見た目の面白さはあっても、踏み込みが今一歩のところがありましたが、年1回であっても、年を重ねるごとに創り方も映像表現も、どんどん充実していきましたからね」

 しばらく「スーパーバトル」論議が弾んだ。結論は10月20日に、みんなで語り合って、そこで出したいですね、と中谷君。
「ぜひ、そうしよう。しかし、1996年7月号の《スーパーバトル》 が頂点だったように思う。世界最強マシン決定戦とサブタイトルをつけたやつ」
「ああ、ぼくが服部(尚貴)君と一緒にメカニズム・チェックをした号ですね.谷田部のテストもしっかりやりました」

 中谷君も、しっかり覚えていた。その締めくくりも中谷君がやってのけていた。ヨーロッパ車と国産スポーツの優劣を論じるより、ポルシェやフェラーリを生んできた土壌を、自分の目で確かめたいという、新しい決意であった。





 考えてみれば、1996年度の各号は、いろいろと盛り沢山。「実戦インカ―バトル・ミラージュCUPで勝負でござる」、「100号記念 チャンピオンズバトル、ロードスター大運動会バトル」などと目白押しだったが、翌年の1997年1月号で、わたしは編集長の椅子を後進に託した。それからもう、18年近くが経ったということなのだ。中谷君にしてからが、もう55歳だという。
「そこでひとつ、やりたいことがあるんです」
 中谷君から、嬉しい提案があった。
「10年近くやっている中谷塾の講義テキストを1冊の本にしたいのと、もう絶版となっている《ポルシェ911ドライビングバイブル》を、生き返らせたいと思っています。電子書籍化したいんですよ」



 この二つの命題は、わたしにはとても魅力のあるはなしだった。よし、10月20日の同窓会当日には、その具体的なモノに練り上げて、なんらかの発表ができるところまで、持ち上げたいものだ。

 またひとつ、新しい目標ができてしまったようだ。別れ際、中谷君のポルシェをiPadの「写真」でパシャッとワンショットいただいた。すっかり、彼のポルシェの本に新しい命を吹きこむつもりでいるらしい。



Posted at 2013/09/28 02:46:39 | コメント(9) | トラックバック(0) | 77歳の挑戦 | 日記
2013年09月22日 イイね!

『セナ足の怪』と『ベスモ疾風録』

『セナ足の怪』と『ベスモ疾風録』~忘れじの《お宝映像》をめぐる《べスモ遺伝子》網に幸あれ~

 あれはまだ『ベストモータリング』が健在で、その創刊20周年を迎えるにあたって、企画部長の田部靖彦君から、「創刊編集長として、これまでの《ベスモの軌跡》をエピソード中心に、月1回、公式ホームページで連載しませんか、という嬉しすぎる誘いがあった。もちろん否も応もない。ただし、ひとつだけ条件を出した。

「映像メディアなんだから、文章だけでは当たり前過ぎないか。最近のヒットしているTV連続ドラマなどは、あらすじ紹介と一緒に、いい場面を動画つきて盛り上げているではないか。それに倣って、3分間くらいのダイジェスト動画はつけられないのかい?」

 それはイケますね。田部君の反応は疾かった。で、20周年記念だから、連載も20回に分けて、スタートすることにした。みんなが同じ目標をめざして、未知の分野に奔(はし)り出した時代だ。タイトルはすぐに『ベスモ疾風録』と決まった。その書き出しは、ご記憶の向きもあるだろうが、再現してみると、こうだった。



■創刊号とその前夜
 創刊号のオープニングシーンから始めようか。いきなり、銀色のスポーツカーのドアミラーが大写しされる。取り付け部が二股に分かれてRを描く。まるでフェラーリ・テスタロッサかと見紛う新奇なデザイン。ミラーにつづくサイド・ウインドーには、もう1台の白いマシンが映り込んでいる。と、カメラは足元をねらう。リヤタイヤとサイドスカート部にえぐられた空洞。強烈なブレーキ熱を冷やしてくれる仕掛けだ、と一目でわかる。
 アップがつづく。ライトを内蔵したフロント・マスク。カメラはリア・ビューをとらえる。エンジン部。2本のカムシャフトと左右にふりわけられたインタークーラー。ゆっくりと、テロップが流れる……。
2960cc/V6/DOHC.330ps/6200rpm 39.0kgm/3200rpm
そのころとしては目をむくパワフルなエンジン諸元だった。
乗り手の心のたかぶりを、メッシュのドライビング・グローブが表現する。ウィーン、ウィーン。レーシング音が吠える。タコメーターの針が、下から上へ跳ね上がる。3000から45000あたりへ、一瞬のうちに……。そして、シフト・ギアが1速に吸いこまれた。





「NISSAN MID4-Ⅱ」のプレートが誇らしげにズームアップされる。ミッドシップ・レイアウトとわかるリアエンドからのアングル。と、つぎの瞬間、はじき出されるように、ダッシュするMID4。新時代を切り裂くように疾駆するイメージと、いま誕生した創刊号とをオーバーラップさせようとする願いが、このオープニングのシーンに託されていたのだ。

ステージは、これまで決してメディアのカメラの入ることが許されなかった日産追浜工場内(神奈川県横浜市金沢区)のシークレットゾーンだった。東京湾に面したテストコースの直線を、そしてS字コーナーを、まるで鎖から解き放たれた猟犬のように、MID4が駆け抜ける。白いガードレールが流れる。工場の建て屋の向こうで、鈍く光る海がチラッとのぞく。島影は八景島か、それとも野島だろうか。
 
 と、まぁ、こんな具合に、情緒中心に始まった文章を蹴散らすように、動画をクリックすると、あの懐かしのオープニングシーンがダイジェスト編集されて、勢いよく飛び出してきたのである。間違いなくアクセスしてくれた読者に強烈なインパクトを与えることができたようだ。だからこちらも、動画に負けないように、楽屋裏の秘話なども、それなりに織り込んでいく……。

 第2回目のテーマは、今回の『ベスモ同窓会』に特に駆けつけてくることになった中谷君をなぜ起用したか、の舞台裏を明かしていた。題して『君よ、明日の《ライジング・サン》たれ!』であった。

 ライジング・サン=昇る太陽。なんとも響きのいい言葉ではないか。夜明けの海。東の空がバラ色に染まり、やがて水平線からムクムクと光の珠が盛り上がっていく……。



――創刊したビデオマガジン「ベストモータリング」に望んだのは、まさに、そのイメージだった。そして、それにぴったりの専属キャスターとして白羽の矢を立てたのが、中谷明彦だった。自動車雑誌「カートップ」の編集部員から、レーシングドライバーとして独立したばかりの29歳(当時)で、マシンを駆らせると、やたら、疾かった。創刊前年(1986)、難所の連続する市街地レースとして名高いマカオGPで、F3とミラージュレースに出場し、際だった疾さとテクニックを披露したあと、ヘルメットを脱いだときの涼しさが匂い立つ若武者の笑顔が、編集者としてのぼくの心を捉えていた。



 たいへんな惚れこみようではないか。そして中谷君のそれからは、まさに「ライジング・サン」そのものだった。翌年の全日本F3シリーズでチャンピオンの座を獲得すると、F3000にステップアップ。チーム・ノバのマシンはなんと、あのアイルトン・セナと同じマルボロ・カラーだった。
1991年、オートポリスで念願のF3000優勝。そして1992年のシーズンには、ブラバムからF1ドライバーとしてデビューするはずだった。が、FIA(国際自動車連盟)からのスーパーライセンスが発給されなかったため、断念せざるを得なかった。「ベストモータリングからF1ドライバーが生まれた!」このコピーもはかなく陽の目を見ることなく、消えていったのである。中谷明彦の成長と闘争をトレースしつづけることによって、読者(あえて、そう呼ばせていただいた)に「ライジング・サン」を共有体験してもらいたかったのである。

 そして連載の第3回目に、忘れられない珠玉の宝映像たちを特集する。それがこのあとの『セナ足の怪』という、ちょっとした騒動につながる発端となる――。

 水しぶきを跳ね上げながら、鈴鹿の裏のストレートから130Rに飛び込むA・セナのマクラーレンHONDA。それが一転してプロトタイプのミッドシップスポーツNS-Xに替わる。気持ちよさそうに第1コーナーから第2コーナーへ、そしてS字を駆け上がるセナのドライビングを、カメラが丹念に捉えているのだ。掲載は1989年5月号だから、88年度ワールドチャンピオンになったセナが、新しいシーズンに臨むに当たってのマシンテストでやってきたときの、2日間にわたる独占取材の模様が、「疾風録」の付録動画に収められていた。





 実はこのとき、NS-Xに車載カメラを据えて、革靴でドライブするセナのアクセルワークのすべてが収録できていた。いわゆる「セナ足」と呼ばれる、必見の「お宝映像」であった。が、この部分は、残念ながらベスモ本体には掲載できなかった。セナ側との版権交渉がまとまらず、そのまま編集部で封印されていたが、イモラで逝ったセナを追悼する特集ビデオがセナ側でまとめられた際に「セナ財団」に提供して、やっと陽の目を見たという悔しいいきさつがある。

そこまで明記していながら、なぜか、関係者のほとんどが「セナ足」を「ベストモータリング」で鑑賞したつもりでいた。もちろん、わたしも資料映像として、何度も、何度もテープが擦り切れるほどに見ていながら、いつの間にか「見た」という事実だけが記憶の底にあって、どこで見たモノなのかは、曖昧になっていた。そこへ萩の波田教官が「やむなく欠席する『ファミリー』の無念」を代弁する形で、こう発言したのを、前回のBLOGでわたしが紹介した。

「私の一押しは、いまイチ記憶が曖昧なのですがセナがN1シビックを鈴鹿で走らせた映像があるように思えるのですがどうも探し出せません (セナ足はここからでは……)」
つまり、今度の同窓会では、ぜひ「セナ足」を上映して欲しいのだが、それはどの号に掲載されたのだろう、という波田さんからの問いかけだった。



 それに対して、まず「龍剛」さんが「セナのビデオありますよ。確かにアクセルを小刻みに踏んでいました。革靴か何かじゃなかったかなあ」と声を上げた。

 つづいて「FRマニア」君から、コメントが寄せられた。
「確か本当は1993年2月号の中嶋悟さんのNSX-Rの疾走の際にセナの映像が使われる予定だったらしいです。しかし、セナの著作権側の問題から当時公開出来ずベスモでは2004年10月号まで御蔵入りされたと耳にしております」

 見事にしめ括ってくれたのは「イワタカズマ」君だった。
「波田教官のお話、また皆さんのお話を統合するに、FRマニアさんの仰る92年1月号のベルガーがEG型N1シビックをドライブしているのと、93年2月号でのNSX-Rでの中嶋・セナのドライブの号が混同してしまっているのでは?と考察致しました。

 2004年8月号から3か月間に渡り、200号記念として過去の映像を振り返るベスモ名・珍場面特集なる企画があり、その最終となる2004年10月号にて、92年1月号でのN1シビックを操るベルガーと93年2月号で幻となったセナのNSX-Rドライブ映像(革靴でセナ足)が初解禁で、同じこの号に収録されています。セナの場合は西コースでしたが、ともに鈴鹿でのドライブでした。

恐らくセナがシビックをドライブしていた映像は歴代ベスモではなかったはず…蛇足ですが、89年1月号(2号目)で、ネルソン・ピケが豪雨の鈴鹿でEF型のN1シビックをドライブする模様があった記憶はあります」

 早速、9月20日の朝、波田教官から「セナ足の怪」とタイトルのついたメッセージが届く。
――セナ足の映像について、たくさんの「みんカラ仲間」のおかげでやっと解決しました。
中でもイワタカズマさんのコメントがビンゴでしたね。

 92年1月号の革靴を履いたベルガー運転のN1シビック、93年2月号の中島選手のNSX-Rドライブ、そして同じく革靴で運転したはずのセナの映像。
  記憶の中のパズルが少しずつずれて、はっきり覚えているのはF1日本グランプリの翌日の映像であることからその当時のビデオを探せど、出で来ない。
 そして局長から伺ったセナ映像禁止の裏事情を聞き、俺は違う映像観たのかなと疑心暗鬼になっていましたが、イワタガスマさんの完璧な記憶力のおかげで2004年10月号の200号記念として過去の映像を振り返るベスモ名・珍場面特集にあったとは……。参りました。

 かくして、一件落着。2004年10月号を「忘れじのお宝映像」として参加者全員で鑑賞する「リスト」に、第1号として組み入れることに決定しよう。残念ながら、その該当号はいまは手元にない。が、近く届けられるので、確認できるはずだ。
 そしてもう一つ、ベストモータリング消滅によって、一緒に消えて行った「ベスモ疾風録」を、やっぱり単行本にして、蘇えらせておくべきだろう、と想いを定めた。それも「バックナンバーリスト」を付け加えて……。これから、べスモファミリーの力をお借りして、同窓会当日までに、仕上げられるだろうか。
2013年09月19日 イイね!

『ベスモ四十七士』への夢

『ベスモ四十七士』への夢 ~やむなく欠席する『ファミリー』の無念を受け止めて~

「赤穂義士」とも「赤穂浪士」とも呼ばれる武士集団が、主君の刃傷事件から取り潰しになったお家を再興する夢も断たれたのちも、雌伏2年、大石内蔵助というリーダーの指揮のもと、怨敵の高官の首級を挙げる江戸時代の物語をご存知だろう。歌舞伎や映画で『忠臣蔵』というタイトルで親しまれてきた元禄14年(1701)1月から15年12月にかけての事件を題材としたドラマであった。



 その討ち入りに名を連ねたもの、47人。それをわたしたちの世代までは「四十七士」と呼び親しんできたが、今回の『ベスモ同窓会in東京』の参加者一覧のカウンターが、一人、また一人と上がってくれる度に、不謹慎にも、あ、47人になってくれれば、「ベスモ四十七士」の勢揃いができるぞ、なんてはしゃいでしまった。

 締め切り日を、準備をする都合もあって1ヶ月前に設定したため、あと2日ほどで、申し込み期限は終了となる。で、現在(10月18日午後11時)は、30人のメンバーが登録してくれている。それに、ガンさん、中谷君、コボちゃん、北畠主税カメラマン、田部君、本田俊也編集長に、こちら側のスタッフを加えると10名は埋まってしまう。すると、現在、40名ということになる。お、これは、控えめに勘定しても「四十七士」も夢じゃない、と想いがたどり着いたところで、ハッと気づいたことがある。

 赤穂浪士たちが、お互いに手を携えて主君の怨みをはらすことを誓い合って、極秘の連判状にその名を記したものは、当初、70名と伝えられた。それが様々な事情で一人消え、二人欠けして、二年後の討ち入りで、実際に力を発揮できたのは47名だったという。後年の作家は、どちらかというと、晴れやかに怨敵・吉良上野介の首級を挙げて、列を組んで亡君の墓前まで、デモ隊よろしく、市中を行進して行った四十七士より、事情があって当日の襲撃隊から脱けざるをえなかった男の無念や、ちょっとした歯車の狂いから、仲間を裏切って脱落して行った男の不憫さに、創作の意欲を、そそられたようだ。


*「Hawk Yama」さんの「べスモ」専用の本棚。最初に買った1989年9月号から終刊まで欠かさず揃えているという。


*べスモ同窓会の「Sマーク」。走行会の時は何は措いても駆けつけてくれる約束だ

 今回の『同窓会』を、福島での「走行会」から「懐かしの名シーン上映会」に切り替えてでも、この10月に挙行しようと、わたしに決意させたきっかけは、現在、アメリカ南部のサン・アンジェロで、GYタイヤの「官能評価テスト」のチーフとして活躍をつづけている「Hawk Yama」さんから、7月の終わりごろに、こんなメッセージがはいったからだった。ちなみに、彼には「同窓会」でのスタッフ印である「Sマーク」を預けている。

――10月の同窓会はどうなりましたか、帰国のスケジュールを抑えたいので、早めに連絡をお願いできますか。

「Hawk Yama」さんについては、すでに当BLOGの「黄金の日々」という「みんカラ」友達との交流を題材にしたカテゴリーで登場済み。したがって、すでにそのプロフィールをご存じの向きもあるだろうから、詳しくはこちらをご覧いただきたい。
 
ともかく、「Hawk Yama」さんのアメリカからの催促に慌てた。そうだ、10月に何かを催すんだったら、少なくとも3か月前には、スケジュールをはっきりさせておかなくては。同じ「Sマーク」の萩の波田教官にしても、早めに日程を知らせなくては。

 その頃、心臓を支える冠動脈の「大補修」のあとの反動から、ひどく体調が悪く、片道100㎞以上の移動は差し控えなくてはならなくなった。そこでガンさんとも相談の上、福島での「走行会」つきのイベントは中止し、今回のスタイルに切り替える決断をしたわけである。その結果、「Hawk Yama」さんも無理に仕事を調整してまで帰国することは断念し、代わりに彼なりの想いをこめた「イチオシメッセージ」を送ってきた。

――私の一票は89年10月号の「F3000、F3、ミラージュ、ゴルフ・・SUGOの熱い1日」です。局長を含む殆どのBMメンバーがレースに出ており、ガンさんもVWポカールレースでいぶし銀の走りを見せてくれています。そして中谷さんのF3000での熱い追い上げ。まだキャスターで無い頃のコボちゃんもでてきますし同窓会にもふさわしいのでは、と。







走行ビデオで言えばやはりガンさんの964ターボでのニュル走行が一番好きです。初代NSX-R、S2000プロトも好きですが、進入でオーバーの強い964ターボをうまく荷重コントロールしているガンさんの走行には惚れ惚れします。

 この「イチオシ」コメントの内容は、意外だった。それというのも彼は1989年9月号のロードスター特集に惹かれて、ベスモと出会い、1991年4月号の「清水和夫の実戦ドラテクノロジー 松竹梅のレベル分け」の企画に参加出場、竹の下の烙印を押される。それがきっかけで彼自身の人生が大きく変わり、ついには渡米してGYタイヤでテストドライバーに転身したのだから、「イチオシ」はてっきり……。

 出席できないから、せめて自分の「イチオシ」の声を届けたい。それも出席者が揃って観賞するのにピッタリな号を指名しておこう……「Hawk Yama」さんの無念の想いを押し殺した声が、わたしには聴こえる。

 9月17日の「何シテル?」で紹介した「タテツネGT」さんのベスモと関わってきた「クルマの青春」は、何度読んでも新しい共感を引き出してくれるものだった。出席できない彼もまた、すでに「ベスモ四十七士」のひとりであった。

 そしてこの項を書き上げる直前に、第1回「同窓会in岡山」の読者代表としてサポートしてくれた波田教官から「イチオシのメッセージ」が届いた。波田教官もまた、10月20日が、彼の関わる県の検定試験の日と重なってきたため、今回は上京できない。その無念を押し殺してのメッセージであった。


*左がもう一人の「Sマーク」のカリスマ教官。右は「FRマニア」君。教官のレッスンを2度受講。

――10月20日の「同窓会」は締め切りが近づくにつれ徐々に増えてきましたね。
我々世代は早め早めに行動する癖がありますが、最近の教習生を見てもぎりぎりまで待つのが最近の傾向であるように思います。
だから私もぎりぎりの駆け込み参加があると信じています。
私の一押しは、いまいち記憶が曖昧なのですがセナがN1シビックを鈴鹿で走らせた映像があるように思えるのですがどうも探し出せません。(セナ足はここからでは……)あればこれもベスモだから出来たベスモならではの企画だと思っています。
実は当時、大井(貴之)さんが私にと、その時にセナに直に書いてもらったサイン入り昭和シェルのジャンパーを頂きました。
それからすぐにセナが他界。大事にしなければとクリーニングに出したところ……サインが消えてしまいました……。(涙マーク)と言う切ない思い出もこの時だったと思います。

あれから久々に89年セナビデオとNSXタイプSがデビューしたビデオスペシャルを、当時を思い出しながら、あえて子供部屋にまだあったブラウン管TVで観ました。
スイスに持ち込んだNSXタイプSとスイスの景色、ガンさんのインプレッションも熱が入っていて名インプレだったと感じました。

「ベスモ四十七士」への夢、きっと叶うはず。期して待つ2日間が楽しみである。
2013年09月14日 イイね!

10月20日の『べスモ同窓会in東京』は燃えているか

 ~あなたの「イチオシの号」を教えてほしい~


 思いつきにこだわって、あれこれと、いろんなことに手を染め過ぎてはいないか――。このところ、反省すること、しきりである。この夏の炎暑と闘いながら、それでも、なんとか、ひとつ、ひとつに目途をつけてきた。

『10年間の空白』をとり戻す手がかりとして、水野和敏さんが心血を注いで創りあげたGT-Rと、1週間を暮らしてみたらどうなるのか。それは、9月13日に無事、完走した旨を『何シテル?』の欄で報告済みだし、あとはBLOGに仕上げるだけだから問題はないとしても、もう一つ、10月20日に開催する、大事なイベントを大急ぎで整備し、楽しく充実したものになるよう、仕上げなければならない。


*「サンライフ練馬」の正面。近くに大きな駐車場が2か所あり。1時間300円なり。

8月の末、 体調がついてこないのなら、福島の「リンクサーキット」で予定していた走行会つきの『ベストモータリング同窓会』を、「懐かしの名シーンを鑑賞しながら、黒澤元治、中谷明彦の両キャスターと語り合う」という内容に変更して、東京で開いたらいいじゃないか、と方向転換して、9月2日には、「みんカラ」のグル-プ・カテゴリーの欄を利用して、参加できるのは、「ベストモータリング同窓会」のメンバーに限定で呼びかける。同時に会員専用の『掲示板』に、こう書きこんだ。

――『ベスモ同窓会in東京』をやりましょう!4月8日の『ベスモ同窓会in岡山』で見せていただいたみなさんの笑顔が忘れられません。今度は関東編を! 《ベストモータリング 懐かしの名場面》をどうピックアップするか。こりゃ、アンケートをとる必要あり、ですね。 近く、詳細をお伝えします。


*西武池袋線中村橋下車。徒歩1分で、ここへ。手前が練馬区立美術館。

早速、心当たりの会場に予約が可能か、どうか、交渉を開始した。できるだけ参加者の負担を軽くしたいので、勝手知ったる地元の公的機関が運営する『サンライフ練馬』に狙いを定めたわけである。

 すぐに使用資格審査を受ける手続きをし、4日後には「公共施設 予約システム登録カード」を取得して、改めて、正式に会場の予約を済ませることができた。が、残念ながら、仕切りをとれば、80名が1か所に集まることのできる「研修室」は、半分がすでに予約済みで、ほかの「講習室」と併用すれば、65名まではOKとわかった。


*講習室。イチオシ作品を分かれてみるときには、ここを使用。


*研修室。今回は半分を先約があるため、スライディングドアで仕切って、半分を使用。残念。


*クラブ室。今回はキャスターの控室として確保。ここでおしゃべりも悪くない。
 

*2Fの『月の風』は、窓側の席からの眺めが結構いける。大人数でなければ、ここでもよかったのだが……。

 2階にあって、外光をタップリ取り入れて、リニューアルしたばかりの「レストラン月の風」のポテンシャルのチェックもする。昼食をみんなで食べながら歓談するのも、たのしみの一つだから、これは別途、『サボテン』と『ちよだ鮨』から調達したほうが、賢明だと判断した。そこで参加費は、昼食代を含めて、2,000円を徴収させていただく旨も明記して、イベント概要と詳細をオープンにした。

題して『ベストモータリング同窓会in東京 with黒澤元治&中谷明彦&桂伸一』

 改めてこちらに掲載しているので、ぜひどうぞ。

 反応は早かった。1週間で、20名の方が『参加登録』を済ませてくれた。が、申し込みは、そこでパタリと止まった。スケジュールの調整などで、申し込みするにはもう少し時間が欲しい、という連絡が多いのと、その後の続報を、こちらがなおざりにしていたせいだろう。

 参加要項として、上限60名、募集期限は9月20日 18時としてあるので、どちらもまだ、大いに余裕あり、というわけだ。要は、それまで映像で親しんできた「ベスモ」のキャスター、スタッフと一堂に会して、それぞれが「イチオシ」と推薦した該当号、ないしは「懐かしい場面」を鑑賞しながら、約5時間を共有できる――恐らく、そんな機会は滅多にあるものではないだろうから、万障繰り合わせて、ぜひ逢いに来てほしい。そうメッセージを発することにしよう。

 そしてもう一つ、この際、参加する、しないは別にして、いまもなお「ベスモ」を心の友としている仲間から、「わたしのイチオシはこれだ!」という声が聴きたい。できればちょっとしたコメントをそえて「メッセージ欄」に書きこんでいただけないだろうか。たとえば、こんな風に。
 これはこの春、念願の自動車関係に就職できら「I/K」君からのメッセージ。

イチオシ号:
93年1月号:インプレッサ初登場、大爆笑バトル。

96年2月号 最強のクルマ選び96
本編バトルに本田さんが出る、貴重な号です。

96年5月号 緊急回避テクニック第1回
中谷さんの回避号の検証は、是非96年1月号と合わせてみたいです。

イチオシと言いながら、3本も上げてしまいました^^;
よろしくお願いいたします。






 

  もうひとり、1990年生まれの「MR2乗り」さんからのものも紹介。

――イチオシの号は、1989年2月号でしょうか。あのドリキン土屋圭市さんが初登場し、ガンさんのFRドラテク道場に参加するといった企画の号です。この号には他にもレーサーのプライベートとして、若手だったタクちゃん、ハッちゃんが登場するというなかなかレアな号だったと思います。と、いうのも私、この号を見たことがありませんで、見てみたいなあという思いも入っていたりします。

 イチオシはまだまだ他をあげればキリがないですが、これをイチオシとさせていただきたいと思います。

 10月20日の当日、なにを用意しておけばよいのか、だんだんと煮詰まりつつある。懐かしいシーンと思われるショットをいくつか、ここに並べてみるので、きっと、ああ、あの号の、あのシーンか、と思い出していただきたい。そして一人でも多くの方に、練馬の会場まで、足を運んでいただきたい。ただし、決められた手続きだけは、済ませていただきたい。もし、わかりにくいことがあれば、遠慮なく、わが「メッセージ欄」へコンタクトいただきたい。

 ともかく「一人はうまからず」をモットーに、このあとも、わが命、燃やし続けたい。











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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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