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正岡貞雄のブログ一覧

2013年12月24日 イイね!

『枯露柿』異聞Ⅱ 

『枯露柿』異聞Ⅱ  ~『実況・秩父こころ旅』の序章として〜

【左の写真・註】将門伝説の絵馬。門平の大山神社の神殿に奉納されている。

 12月22日の秩父行きもまた、雲一つない朝空の下、関越自動車道を快適に北上していく。気がかりなのは、いつもより間近に見える秩父の山並みが、うっすらと雪化粧しているように見えることだった。

 いつものように、嵐山PAで熱いコーヒー(200円)を購い、体とこころを温める。花園ICまでの短い道のり。左側の丘陵の切れたあたりに白い建屋の塊りがチラチラとのぞきだした。前回の秩父行きで触れたHONDAの最新工場である。つい先だってお披露目されたばかりの「VEZEL」も、ここの「FIT」の車台を共用して、組み立てられ、送り出されている。つまり、いまのHONDAの生命線を握る、最重要拠点ということになる。


*「秩父鉄道」の波久礼駅


*荒川が淀む箇所。難所ぶりがうかがえる

 R140に降り立ち、寄居でR254との合流点を左へ、秩父・長瀞方向を目指した。今回は「寄居・皆野有料道路」は使わないで、そのまま「彩甲斐街道」でまず「波久礼(はぐれ)」を抜ける。左下を荒川が玉淀渓谷という名前をつけられて眼下を流れて行く。
 右側から岩壁の迫る窮屈なルートとなった。そこをいまやSL機関車が走ることで有名になった「秩父鉄道」がはしり、それに沿って国道140号線が上下しているのだから、その難所ぶりは、容易に想像いただけるはず。

 この道はひところ「秩父新道」と呼ばれ、開削事業は明治16年(1983)2月からはじまったのだが、その労役や負担金をめぐって外秩父の人々に不満が鬱積し、いわゆる「秩父事件」の引き金になったともいわれている。因みに全長40キロ強の新道開通は明治19年4月、総工費、7万2000円余が投じられ、秩父郡だけでも3万6000名以上の寄付人夫が拠出されたと記録されている。

「野上」を抜ける。対岸の山稜はミカンの北限、「風布(ふっぷ)」で、その奥深い山里には風布4耕地と呼ばれる「秘境」が散在していて、気になる存在だった。何が気になるのか、はいずれ明かして行くことになるだろう。

「長瀞」の町に入った。右側に「宝登山神社」の大きな鳥居が見える。と、その時、iPhoneが着信を知らせる。中谷明彦君からだった。お! 北京から帰って来たのだ。大急ぎで、プログレを左の路肩に寄せた。


*電話をくれた中谷明彦君。23日の「お昼のランチ」の後、恒例の記念ショット。この日はBMWのニューX5ディーゼルを試乗中

「お早うございます。いま、ガンさんの餅つき大会に行くため、箱根に向かっていますが、いらっしゃるんでしょ?」
「おお、ご免、どうしても外せない取材ができて、いま、秩父へ向かっているところ。で、いつ北京から?」
「一昨日です。じゃ、明日の11時半、東京プリンスで、いいですね」
「いつもの『清水』で待っています。じゃあ、ガンさんによろしく」

 中谷君との出版の打ち合わせを23日に約束していて、その確認でもあったのだ。威勢のいいかけ声の飛び交う、賑やかな餅つきの様子が浮かんで来た。それを振り切るように、再びプログレをスタートさせた。


*「金崎」の交差点を右折する



「金崎」の交差点でR140と分かれて県道44号線で「国神」を目指した。しばらく、道が狭くなり、カーブもきつくなった。対向車が気になるルートである。次は「国神」を右折して、札所34番の「水潜寺」か「満願の湯」への案内標識をたよりに走ればいいはずだった。

「国神」の交差点。ここを真っ直ぐ突き抜ければ「吉田」の町に入り、先日訪れた「道の駅・龍勢会館」から、小鹿野の先の「飯田八幡社」へとつづく。が、この日は右折して、平将門伝説に彩られた城峰山南斜面の中腹にある「門平耕地」を目指した。

「根古屋橋」を渡るとすぐにT字路が待っていた。右折すれば「出牛」という古い宿場町から児玉・鬼石へ。が、ここは左折。234号線である。いつの間にか、両側から山がせまっていて、このあたりは格好の山歩きコースに選ばれているのも納得できた。道も狭くなった。左側を日野沢川がかなりの水量で、瀬音を立てながら、右から左へと走っている。


*満願の湯


*廃校になった日野沢小学校 2年前に撮影。いまは荒廃が加速している

 左回りの100Rくらいのコーナーを回り込むと、賑やかの幟がはためいて、『秩父温泉・満願の湯』がそこにあることをアピールしてきた、そのネーミングの由来はやがてわかる。小さな橋をまたぐと、当然、日野沢川が、今度は右サイドに変った。

 そのタイミングを待っていたように、右手に木造二階建ての校舎がひっそりとした姿で現れた。ガラス窓にはベタベタと紙が貼られ、校門には無惨な鎖が巻き付けられている。廃校になった「日野沢小学校」であった。この地域での就学児童の激減を正直に告白する痛ましい姿と受け取っても、けっして間違いではあるまい。2年前に見たときに比べて、荒廃が進んでいた。

 約束の午前10時が近づいた。「門平耕地」まで、あと何分かかるのだろう?
心の中で計ってみた。ギリギリかな。が、丁寧に行こう。陽が高くなって、霜解けの路面が光り始めたじゃないか。


*秩父観音巡礼の満願の寺





 左手に石門が現れた。秩父を訪れた巡礼が第1番から、観音札所巡りを始め、最後に訪れて結願
(けちがん)するのが34番札所、水潜寺であった。そしてまた、日本百観音結願の寺でもあった。結願=満願。ここで巡礼を果たし終えた歓びをかみしめながら、それまで携えてきた笈櫂、金剛杖を納め、満願の疲れを温泉で癒す。なるほど、満願の湯とは、そこから来ているわけか。

 水潜寺を過ぎると、日野沢川が渓流の様相をしてきた。234号線は舗装こそされてものの紛れもなく山道であった。町営のバスがやっと、喘ぎ喘ぎに登攀する感じでのぼっていく。後続するこちらのプログレを気遣って、避難スペースに寄ってくれる。


*「木守り」は野鳥のために一つだけ残しておく、とも言われるが、来年も、と自然に感謝する想いから出た風習

*「門平耕地」の中心にある「高札場」にこの村の歴史がうかがえる

 10分近くもかかって、やっと「門平」についた。プログレを道路脇の空き地に駐めておいて、これから訪問するお宅の前にたった。10月に伺ったときには、あれだけたわわに実っていた柿の実は、たった一つだけを残して、見事に冬空に向かって腕を拡げていた。
 来年もまた、たくさんの実がつきますように、という祈りと、自然への感謝の想いをこめた「木守り」と呼ばれる風習。
 この家の人たちの心根が透けて見えて快い。これからの「取材」がうまくいく予感がした。
 その取材の説明は、長くなるので、つぎの更新まで。 
          (この項、さらにつづく)

Posted at 2013/12/24 02:47:43 | コメント(6) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2013年12月22日 イイね!

『枯露柿』異聞 

『枯露柿』異聞 ~恒例のガンさん邸「餅つき大会」の当日は……~

 ガンさんから、12月22日の日曜日には恒例の「餅つき大会をやるので、今年こそぜひ箱根へ」と、前もって誘ってもらっていた。もちろん、出席するつもりであった。ガンさんのレーシングチームの関係者はもとより、各自動車メーカーの有志、メディアの編集者、NSXオーナーズなどが集まる、豪快なミーティング。



とくに2013年は、ガンさんとは久しぶりに時間を共有する嬉しい機会がフンダンにあった。『新・ドライビングメカニズム』の刊行、スーパーGTの応援観戦、4月と10月の『ベスモ同窓会』と、こんな盛り沢山な1年があっていいのだろうか、と頬をつねりたくなるくらいだった。

 が、そこへ「ある問題」が持ち上がって、さてどうしようか、と考え込んでいるところへ、ガンさんから年末の挨拶がとどけられた。飾り気のない化粧箱に『枯露柿』の三文字だけが金箔捺しされているのが、なんともシックだ。



 さっそく、蓋を開けると飴色の干し柿が16個、粒をそろえて綺麗に並べられている。『枯露柿』か。福島・伊達町の特産『あんぽ柿』とならんで、評判の高い干し柿である。寒風にさらされながら、それでもたっぷりと太陽の日差しをすいこんで仕上げられたこの肉厚の「みのり」は、おそらく、甲州物か、富山産のものだろう。
 
 この飴色の実りを目にした瞬間、あっと閃くものがあった。10月の14日に秩父の「獅子舞」取材で訪れた耕地の旧家の庭先に、たわわに実っていた柿の実の光景である。22日はやっぱり、秩父へ往け、という啓示に違いない。



 iPhoneを起動してから「黒澤元治」の文字をプッシュすると、すぐに耳元でガンさんの、あのなんとも温かい声が応えてくれる。

「いつも季節のものを、ありがとうございます」と礼をいったあとで、「ところで、あの『枯露柿』の産地は?」と問うと、山梨の塩山・松里で奥方の知り合いが手塩にかけて作っているものだから、ことしはそれを届けさせましたが、味はどうでしたか?と逆に問われてしまった。

「いや、本場の『枯露柿』ですから、正月にゆっくり味あわせていただきます。それよりも、実は……」

 その「実は……」については後日に説明するとして、残念ながら22日の「餅つき大会」は失礼して、その日はどうしても「秩父の取材」に行かなければならなくなったので、悪しからず、という妙な連絡となってしまったのである。


*日野沢・門平耕地の獅子舞(毎年10月14日に催行)


*門平耕地の景観

 そうなのだ。12月22日は、またまた秩父へ、なのである。行き先は平将門伝説ゆかりの城峯山南斜面中腹にはりついている「門平耕地」の旧家。その当主がその日の午前中なら時間をとってもいい、という連絡をいただいたからである。
 
 ともかく、22日の午前8時、プログレで、またまた秩父を目指すことにした。(この項もつづく)
Posted at 2013/12/22 02:09:42 | コメント(4) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2013年12月20日 イイね!

秩父『飯田の鉄砲祭』と『草の乱』

秩父『飯田の鉄砲祭』と『草の乱』 120年前の日本に凄いやつらがいた!

 12月2日に「実録・ベスモオフ会」をアップしたまま、半月以上が過ぎてしまった。「新聞小説でも書くつもりで」と前置きしながら、これでは月2回刊の「ベストカー」と同じテンポになってしまう。
 といって、等閑(なおざり)にしていたわけではない。「何シテル?」の140字日記に足跡だけはしるしているように、秩父には2度にわたって、足を運んでいた。こんな風に……。

12/02 20:25
いよいよ明日は「秩父夜祭」が最高潮を迎える日。もちろん、行きます。クルマは入場制限があり、駐車もままならない。やむなく池袋7時30分発のレッドアロー号の特急指定券をなんとか入手した。今回は、かなりいい場所からレポートできそう。レースで特別の記者席と称して、自分がステアリングを握ったように。


*12月3日の例大祭の朝、早々と境内入りした「下郷笠鉾」。「動く陽明門」と謳われる絢爛豪華な創りは、秩父屋台の最高傑作といわれている。

12/04 05:04
逆光のなか、祭の主役、笠鉾屋台が練り出して行きます。秩父神社の境内に六台が結集して、「神幸行列」が始まり、そのあと、祭はピークへと向かうのですが、残念ながらご一緒した方の体調が悪くなり、すぐに引き上げることになりました。したがって、楽しみにしていた「フィナーレ」の実況は来年に!

12/08 00:22
秩父の祭事を締めくくる「飯田の鉄砲祭」はやっぱり欠かせない。幸い「ベスモ同窓会」の「KU-TA!DESU」君が同行してくれる。笠鉾、歌舞伎舞台にプラスして、御神馬が神殿への石段を駆け上がるのを、鉄砲20梃が迎え撃つという奇祭である。小鹿野町から観音院へ向かう途中の飯田八幡社で。

 この「飯田の鉄砲祭」は、その往復の道中をふくめて、すこぶる順調に味わうことができた。
午前9時30分。約束の時間ぴったりに、同行してくれる「Ku-ta!desu」君こと渡辺健二さんが迎えに来てくれる。ちなみに彼のハンドルネームは愛猫「クータ」に由来するという。

 早速、関越自動車道に入る。ステアリングは、ご挨拶替わりに、先の「秩父オフ会」での集合予定地だった「嵐山PA」までをわたしが握る。


*嵐山PAkから西南方向にある東秩父の連峰を臨む。

*視線を西北方面に移して行くと、丘陵の右端から白い建屋が覗く。HONDAの新しい生産拠点「寄居工場」である。

*嵐山PAと、我が10年来の伴侶が今回もお供に。

 順調すぎるクルマの流れ。今回もまた、秩父地方は快晴らしい。30分で「嵐山PA」に着く。西南にむかって視界が広がっている。東秩父の山塊が黄ばんだ田園地帯をやさしく受け止めていて、つづけて視線を右に移して行くと、山並みが切れる右端に、チラリと白い建屋がのぞく。それが過日、当BLOGで紹介した三代目FITの生産拠点・寄居工場であった。

 嵐山PAからは現在、M3オーナーの渡辺君に運転を委ねた。彼もまた、ある時期を富士フレッシュマンレースに青春の日々を燃焼させ、MR2レースのシリーズチャンピオンになった、という勲章をもつ。それだけに彼が「プログレ」に対してどんな印象を持つのか、興味があった。
 
「あ、ステアリングと足元のつながりが凄く自然ですね。ストラットの剛性感が奢られていませんか?」

 こちらが催促したわけでもないのに、すでに齢(よわい)10歳を越えてもなお、いまだに健脚さを失っていない、この小ぶりな3リッターFR車の素性を見抜いてくれていた。

 花園ICを降りて140号線へ。寄居の町を過ぎるとき、荒川越えにチラリと鉢形城址を包む豊かな樹立ちの盛り上がりを確認して、皆野町へ通じる有料自動車道に滑り込んだ。みかんの北限、風布の山里の下を貫くトンネルをくぐり抜けると、すぐに皆野から、吉田、小鹿野といった秩父の西側を固める、かつては繭(まゆ)の取引で古くから栄えた町へのルートが待っていた。

 考えてみれば、この国が江戸幕府の末期から、近代化に突入して行くのに際して、その輸出品目は当初、絹と茶であった。その2本柱のひとつである絹の生産は、この吉田の町の背後に控えていた当時山深い秩父の農民たちが手塩にかけて養蚕したもので、その結晶である「繭」はやがて「生糸」となり「絹」となって横浜に送られたときく。貿易で国に資する。とすれば、秩父の「絹」こそ、今でいえば「自動車」にたとえることができるではないか。つまり、秩父はかつての「自動車」の城下町だった、といえるではないか。

 そんな連想が、フイと浮かんでくるのも、寄居の「FIT工場」を垣間みたせいだろうか。

*吉田の町にはいる道しるべか? セリカLBの廃車がなんとも痛ましい。

 秩父では、山里の分かれ道にさしかかると、決まって待っているのはひっそりと佇む石仏であり、庚申様とよばれる石像であったりする。が、今の時代はいささか趣を異とする。冬支度を急ぐ野菜畑からこちらをみつめていたのは、かつての若者に圧倒的な支持を得たTOYOTAセリカLBの、朽ち果てた姿であった。思わず、プログレに停車を命じて、カメラに収める。

 吉田の町から小鹿野へ向かっては、バイパスができていて、三方を甲州・信州・武州の山並みを臨む快適なドライブコースとなる。その中ほどに「道の駅・龍勢会館」があった。

 いつもなら、あっさり通過してしまうところを、この日はなぜか、一休みしようという気になった。龍勢会館と隣り合わせにある、黒塗りの木造建屋に惹かれたのである。


*10月に催されて吉田の「龍勢まつり」の打ち上げ順番表と映画「草の乱」にキャッチフレーズ。

*移築された「ロケのセット」は『ピザレストラン」も兼業中。

*「草の乱」の主人公、井上伝蔵邸が復元されて「秩父事件資料館」に。江戸城の御用商人だった大店の若旦那が意を決して「争乱」の主人公になって行ったのか。その舞台の再現である。

「120年前の日本に凄いやつらがいた!」
 大ぶりな映画のポスターのコピーらしいが、なんだろう!? すばらしく刺激的な「啖呵」が切られているじゃないか。
 
 すぐにわかった。そこは明治17年10月31日から11月9日までの10日間だけ、秩父の男たちたちが「畏れながら天朝様に敵対するから加勢しろ」と仲間に呼びかけながら武装蜂起して「燃え尽きて行った凄いやつら」を素材に映画化された『草の乱』のオープンセットの一部が、移築保存されたものだった。

 が、わたしが吸い寄せられたのは、その隣に、同じように映画のために復元されていた井上伝蔵邸で、往時の生糸仲買商店の様子がそっくり再現されていた。井上伝蔵は秩父事件の中心人物ながら、ただひとり北海道に逃走していき延びた、いわば「生き証人」だという。そんな彼の時代に翻弄された足取りを物語る関係資料が展示されているという。入館料200円。これは必見だった。







 奥まった居室で、以前からぜひ観てみたいと願っていた映画「草の乱」の20分ダイジェスト版も視聴できた。帰り際、売店でDVDを4400円で購入。うちに帰ってからじっくりと鑑賞させてもらうためのものだった。

 さて、次はこの日の目的地、小鹿野町から札所31番「観音院」へ向かう途中の飯田まで、急ぎたいところだったが、秩父の蕎麦で腹ごしらえもしておきたい。時計の針は12時半か。確か、吉田の椋神社を過ぎたあたりの右手、山裾に評判の店があるはずだが。



 「飯田の鉄砲祭」のメインイベント「御立ち」は午後の4時からだから、2時過ぎに着けばいいだろう。そう思っていると、右手に「手打そば」の幟がはためいている。「美食倶楽部たちばな」。そうだ、ハーレー・ダビットソンのオーナーがやっている割烹風の「そば処」。一息、入れるとするか。
                      (この項、つづく)
Posted at 2013/12/20 02:10:50 | コメント(3) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
2013年12月02日 イイね!

「関越」大渋滞遅れの贈りもの

「関越」大渋滞遅れの贈りもの実録・みんカラ『ベスモ同窓会』第2回
~3代目HONDA FITの「様変わり」生産基地を往く~

 日々連載する新聞小説の1回分は、400字詰め原稿用紙で3枚半、つまり1400字が適量だと聞かされたことがある。そのスペースでちゃんとした「起承転結」を用意して、読者を飽きないように毎日、書き上げるんだよ、と。そう新聞小説の秘訣を教えてくれた作家の先生は、どなただったかな。

 遠い記憶の向こう側から、ふっと軽井沢の別荘の光景が浮かび上がってきた。あ、柴田錬三郎さんだ。長髪、黒ぶち眼鏡、着流し姿。むっと「への字」に結んだ口元。若い世代はご存じないだろうが、『眠狂四郎無頼控』を「週刊新潮」に連載して剣豪小説ブームを招いた作家である。夏の間は軽井沢に在住し、お気に入りの編集者を招いてくれては、四方山話に花を咲かせたものだ。時には、軽井沢ゴルフクラブでのラウンドをご一緒したり……。


*柴田錬三郎さんと愛車ベンツ(文春写真館より)

「秩父の紅葉に染まるオフ会」の顛末をまとめようと思い立った時、同じ取り組むなら毎日、短くてもいいから、新聞小説風に書いて行ったらどうだろう、と何となく思い立ったのも、柴錬さん(ぼくらはそう愛称で呼び慣わしていた)のことを思い出していたからだ。
 スカGを駆って、軽井沢に向かった古い記憶が引き金になったのは確かである。

 川越ICでやっと「途中下車」。関越自動車道の大混雑から解放されたわたしは、川越街道の延長である「姫街道」とも呼ばれる国道254線を、心を急がせながら、ひたすら集合地・寄居に向かって北上していた。東松山から小川を抜けるルートだった。

 かつての宿場町の佇まいとアップダウンの少ない優しい田園風景が懐かしかった。昭和50年(1975)ころは、いまのように高速道路で軽井沢へ行くことはできなくて、この日と同じようにR254をクルマで向かうしかなかった。

 軽井沢への途中、荒川とぶつかる大きな宿場町が、寄居だった。R254は右に折れ、本庄、藤岡から下仁田へとむかう。
 反対に左へ折れて山岳地帯に登って行くのはR140(今の彩甲斐街道)で、長瀞渓谷を抜けて秩父を目指すのを、そのころに知ったわけである。

 時計はすでに午前10時半を指していた。
 結局、「訳あり2人組」は圏央道から関越に入り、もうすぐ花園ICを降ります、との報告。「MDi」一家は「KIKU1」さんと合流し、歴史資料館駐車場に隣接する四阿(あずまや)で休憩して、わたしの到着を待っているという。


*3代目FIT。国内新車販売のトップを往く(2013年11月期)




*国内最後の新設工場といわれるHONDA寄居工場を俯瞰する

 小川バイパスを抜けようとして、左右の小高い丘に新しい工場ができ上がっているのに気づいた。これが3年ほど前から稼働をはじめたHONDAの小川工場にちがいない。HONDAの新時代を支えるハイブリッドエンジンがここで生み出されているはずだ。

 それにしても、と首を傾げてしまう。たまたまこの日が「勤労感謝の日」にあたっているのはわかっているにしても、自動車工場が稼働しているのなら、もっと人や、トラックの出入りする熱気や喧噪があってもいいのではないか、と。その無機質過ぎる不思議な空気を気にしながら、2キロほどを走った。

 陸橋の下をくぐり、大きな右カーブを一つ抜ける。と、再び、先ほど見たのと同じような白い建屋の塊りが見える。こちらがこの9月にデビューしたHONDAの新しい旗手、三代目FITを組み立てる最先進基地・寄居工場だった。

正門とおぼしきあたりを通過した。先を急いでなければ、クルマを停めて、じっくり観察したいゾーンに、いつのまにか誘い込まれていた。2006年、リーマンショックに直撃されて、この国の産業が大混乱し、方向を見失ったとき、当時建設半ばだった「寄居工場」が、計画の白紙撤回の旗を掲げたことを思い出していた。それから7年、落城寸前だった「現代のHONDA城下町」が、たくましく生き延びていたのだ、と気づかされた一瞬だった。



 戦国時代の終盤に、徳川勢に攻めたてられて落城していった北条勢の最大拠点が、わたしがいま駆けつけようと焦っている鉢形城の遺構である、という符号の一致。これも「関越」大渋滞の予期しない贈り物だと思ったとき、急に心が軽くなった。

 待ち合わせの鉢形城の入口にあたる目印、「露梨子(つゆなし)」の標識が、やっと見えてきた。               (この項、つづく)

*「鉢形城」への最後のコーナー「露梨子」の交差点。地名の由来は不明。標識はみえますか?
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「岡田監督が”凄いことが起こるなあ”と呆れた1イニング4失策で、8回、5点のリードを持ちながら、ヤクルトにあっさり逆転されてしまった。舞台は本拠地甲子園。ショートの小幡が悪送球とトンネル、前川右京と森下が落球。これがいい薬になるかどうか、本番期待。収穫は青柳の開幕投手の確定濃厚や。」
何シテル?   03/09 10:58
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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