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正岡貞雄のブログ一覧

2014年01月29日 イイね!

『チョイ悪爺ィ』をそそのかす極上プランの正体!

『チョイ悪爺ィ』をそそのかす極上プランの正体!〜VWゴルフⅦでスタートした「人生最後の一台」選び〜

 現役を退いて自由な時間を得た平成12年、つまり2000年の10月、四国・松山近隣の久万高原、今治、北条とつながる「ルーツ探訪」の旅のお供として、それまでのマジェスタ(4.5ℓのFRセダン)からバトンタッチをしてやってきたTOYOTAプログレNC300 iRバージョン。指折り数えて13年と3ヵ月。ゼロ歳の赤ん坊も中学1年生ではないか。無理もない。走行距離も、あと500キロで100,000のメーターを超えてしまう長い付き合い。



 その愛車プログレの「ヘタリ」が顕著になったのを嗅ぎとったのは、昨年後半から頻繁になった「秩父通い」で、関越自動車道やら山間のワインディングを走る機会がふえたことによる。凹凸を乗り越えるとき、なにかの瞬間に「ガバッ」と異音を発しだした上に、少しハードなブレーキングを試みると、時には「ゴゴッ」と不快な感触がトゥから伝わることもあって、なんとも落ち着かなくなっていた。

 そんな時、12月8日の『秩父飯田の鉄砲祭』の往復ドライバーを務めてくれた「ベスモ同窓会」の「Ku-ta! desu」君が左フロントのホィール・バランスが気になると指摘してくれた。「Ku-ta! desu」君はかつて富士フレッシュマンでMR2のシリーズ・チャンピオンになったほどで、ドライビングスキルはその日の往復で確認できた。そこで早速、懇意にしているGSでブレーキ類をチェックしてみる。パッドはまだ充分、余裕を残しているし、ローターにも異変は感じられない。むしろ、問題はタイヤのほうだ。

 初期のうちはずっとREGNOを通してきたが、2年前に思うところがあって廉価版の「スニーカー」を選んでみた。いいタイヤに騙されたくない。グレードを落として足元からの情報にどう対応できるかを試してみたかったのだ。





 確かにプログレは不機嫌になっていた。よくがんばった「スニーカー」は綺麗に摩耗していたものの、あちこちにひび割れらしき兆候が露われている。即座に1本2万円のREGNOのGR-XTをチョイスした、と12月24日付けのわたしの「何シテル?」日記が記している。まぁ、プログレさんへのクリスマス・プレゼントのつもりだった。

 年が明けて、1月8日はサンアンジェロから帰国中のHawk Yama氏と、外秩父の山襞で息を潜めて、「秩父事件」という130年ほど昔の農民たちの武装蜂起騒動の史資料を守ってきた石間(いさま)耕地へ遠征する約束だった。

 Hawk Yama氏については当BLOGで何度も紹介しているので、ご存知の向きも多いだろうが、何しろ現在はアメリカに在住してGYタイヤの官能評価テストのチーフを務めている。ドライビングスキルは「ニュルアタック」の動画でも確認済み。こちらはイソイソとナビシートにおさまった。わがプログレはHawk Yama氏とは初対面ではない。帰国する度に何度もステアリングを委ねてあるから、その「ヘタリ具合」もすぐに検知してもらえるはずだと、秘かに期待して、秩父へ向かった。

「明日なら、ゴルフⅦの1.4ℓバージョンで行けたんだけどね。それで、どう? わがプログレ君は?」
「局長、本当はゴルフのホットバージョンあたりに乗り換えたいんでしょ?」
「バレたか!?」

 笑っているうちに、プログレはグイグイと秩父の山襞を縫うワインディング路を駆け抜ける。REGNOがしなやかに踏ん張る。
「悪くないねえ」
「いいですよ。狙ったラインを狂いなく舐めていますね。プログレ、OKじゃないですか」
 
 この日の取材もご機嫌に進捗した。何よりの収穫は、「120年前の日本に凄いやつらがいた!」と唸らせた連中の本拠地で、その「副総理」となって戦闘を取り仕切った加藤織平の四代目夫妻とめぐり会えたことだった。









 帰りの関越自動車道は適当な空きようで、Hawk Yama氏のドライビングから、ある種の熱気が伝わりはじめた。あれは東松山ICの手前の大きなRを持つ上り勾配だったろうか、一発、Hawk Yama氏がハードなブレーキングを、プログレに与えた。と、グ、グ、グッと足元から不快な振動が湧き上がった。ナビ・シートにいるからこそ感じとれた異変だった。

「あ、これですね!」Hawk Yama氏も首肯いている。ショックアブソーバーの劣化が主原因ではないか。それがふたりの一致した診断だった。
 翌日の1月9日、わたしは1月12日にアップした『永遠の《物差し》は永遠なりや!?』の書き出しのように、京浜急行「北品川駅」から、第1京浜国道を横切って、御殿山への坂道を、いささか喘ぎながら上って行き、右手の緑の森の向こうに聳えたつ、御殿山トラストタワーの18階にあるVWジャパンのビューローを訪ねたのである。

地下のパーキングガレージに案内されて受け取った1.4ℓのHighlineを、それからの3日間、ひたすら凝視した。そして返却に赴く際に、ある種の結論を出そうとしていた。

「恐らく、わが年齢からいっても、そうそう新しいクルマに乗り替えるチャンスはないだろう。かつてプログレを選んだ時、プリウスにしようかと迷ったとき、勇気をもって、『キツめの詰め襟学生服』だの『クラウンコンフォートを両側から押しつぶし、さらに前後を引き伸ばしたような冴えない外観』と嗤われていたデザインなんて、時が経てば、逆に個性的な主張を持つことになるだろう。それよりもあのオーソドックスなクルマ創りこそ、大事にしたい、と心を決めた。もう一回、同じ想いを感じはじめた。それが今度の7代目ゴルフだと思いはじめたんだ」



 このわが想いに、ふた回りほど若いクルマ仲間のジャーナリストが待ったをかける。
「わかるけど、結論を出すのは早すぎないか」と。この際、同じCセグメントのクルマに、もっと乗ってからでいいのではないか、というのだ。このあと、1.2ℓのコンフォートバージョンも来る。だったらメルセデスのAクラス、それもAMGのホットハッチだってあるし、TOYOTAのオーリスだって、徹底的にGOLFを研究して生まれたクルマですよ。乗りましたか?」



 なるほど、少なくともジャーナリストと自認するなら、その道もある。こうして、『チョイ悪爺ィ』をそそのかす「極上プラン」ができ上がって行ったのである。と同時に、もう一つの手として、プログレの足回りをもう一度、洗い直すことにした。すでに絶版車となって部品の供給は望めない。さてどこから手をつけようか。
Posted at 2014/01/29 00:38:39 | コメント(8) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2014年01月21日 イイね!

もう一度、徳さんと一緒に仕事がしたくなった!

もう一度、徳さんと一緒に仕事がしたくなった!7代目ゴルフを改めて『永遠の物差し』で測ろうとしたが……。

  ひとの心をポオッと温かくしてくれる、あの天使の微笑みのような冬の陽だまりのなかで、久しぶりにこの35年来の「戦友」と、土曜の午後のひとときを共有していた。
まるでパリ郊外の庭園をしのばせる、その美術館に隣接したレストラン『ジャルダン』のガラス戸を押しやって、わが戦友が、杖をつきながら、ゆったりとこちらへやってくる。

 足取りが明らかに力強くなった。近年、糖尿病による障害から歩行もままならない様子に、古くからの仕事仲間として、心を痛めていたが、この日の戦友の姿をカメラのファインダーから見つめながら、闘いに耐え抜き、見事に生還してくれたのを確認でき、こころの底からの拍手を送っていた……。



 1月18日の「昼のランチ」を、いつもの東京プリンス「清水」ではなく、東名高速用賀インター脇の砧公園の中にある、フランス料理のレストランにしたのも、この界隈の日当たり抜群の南斜面が気に入って、30年来住んでいる「戦友」にとって、すこぶる至便な待ち合わせ場所であったからだ。

 徳大寺有恒。本名、杉江博愛(ひろよし)。ご存じのモータージャーナリストであり、1977年の『ベストカー』創刊以来の戦友、いや盟友であり、クルマと心を通わせることを指南してくれた三つ歳下の、大事な「お師匠さん」でもある。

 本来なら、この回の「みんカラ」BLOGで、この1週間近くを費やして、それなりに吟味し、高速道からちょっとしたオフロードまでを走りこんできた7代目VWの1.2ℓ、1.4ℓの両車について、率直なレポートを書き上げるつもりで、準備していた。



 ところが、徳大寺さんの近著、『2014年版 間違いだらけのクルマ選び』のなかの「ゴルフ評」を一読、そこにある著者の、ゴルフがこの世に送り出されてからの39年間、世界の小型車のベンチマーク(物差し)として先頭を走り続けたことへの敬意は別にして、あれほど情熱をもって披露してくれた「ゴルフ讃歌」が、すっかり影をひそめているじゃないか。徳さん、今度のゴルフは、せいぜい、お買いになっても後悔することはないだろう、という程度なのでしょうか――こう問いかけたくなった。で、さっそく「お会いしたし」と電話連絡を入れた次第であった。このところ、インタビュー取材と撮影が入っているので、土曜日なら時間が取れるという。

「それにしましょう。じゃあ、いつもの《ジャルダン》がやっと改装オープンしたそうですから、そこにしましょうか。で、ひとつだけ、伺っておきたい。ゴルフがCOTYのイヤーカーを受賞しての感想は?」
「いや、特別に……」
「えっ! だってわれわれにFF、エンジン横置きの2BOXカーのコンセプトを推奨し、その普及の宣教師となったあなたにしては、ずいぶんと冷静ですね」
「そうかもしれない。しかしもう世界のスタンダードなんだから、日本のCOTYに選ばれたからって」
「そうですか。じゃあその話の続きはこんどお会いした時に」

 こうして、約束の日がきて、柔らかく煮込まれた肉料理に舌鼓をたたき、食後のコーヒーとデザートのケーキをいただいたところで電話のやりとりの続きがはじまった。

「正直言って、ゴルフはもう日本のメーカー、TOYOTAやHONDAにクルマのつくり方をしゃぶりつくされてしまって、いろんなシステムや装備でモデルチェンジを重ねざるをえなくなっている。そう思えてならない。だから、あのお値段にしては他の追従を許さない出来で、素晴らしいクルマです、としかいえなくなった」

 火を吐くような強い言葉。久しぶりに聴く徳大寺節。
「それを、徳さん、みんなに生の声で聴かせてやってよ」
「うん、そうだ、近く代官山の蔦屋書店で、夜の8時からだけど、トークショーをやるんだ。よかったら、どうぞいらっしゃいませんか」
「それはぜひ! あのクルマ関係の本や雑誌にえらく力を入れてくれている店長のいるお店ですね。そうだ、ポルシェ関係の本なんかが、ずらっと揃っていましたよ」

【正岡註:予約制で40名に限られているそうなので、希望者は至急に問い合わせられたし】
http://tsite.jp/daikanyama/event/003099.html





 ふたりの久しぶりのおしゃべりは、3年半前、TOYOTAが北米で大規模なバッシングを浴びたころにおよぶ。『指さして言う TOYOTAへ』(有峰書店新社刊)とタイトルし、いまこそTOYOTAは、本来のクルマづくりに回帰すべきではないか、と強い声でアピールしたものだ。で、その時からの宿題、『指さして言う HONDAへ』にそろそろ取り組みませんか、と。いまのHONDAをもう一度、凝視してみませんか、とも。







 あっという間の2時間だった。帰り際、こんな会話を交わしたが、その時の徳大寺有恒のクルマに取り組む本気度を、そっと紹介しようか。
「もちろん7代目GOLFは買いました。1.4ℓの方です。思うところあって、1000kmまで、レギュラーガソリンで走ってみましたが、なんの問題もなかった。これからもずっとレギュラーで行きますよ」
 この言葉の持つ意味合いは、やっぱりご本人の口からききたいものだ。
 
 どうやら、わたしの中で長年培われてきた『永遠の物差し』としてのGOLFマジックは見事に融解しはじめた、と理解すべきだろうな。 (この項、さらにつづけたい)   
Posted at 2014/01/21 07:34:42 | コメント(12) | トラックバック(0) | 追憶「徳大寺有恒」 | 日記
2014年01月18日 イイね!

カリスマ教官のお惚気インプレに乾杯!

カリスマ教官のお惚気インプレに乾杯!~装備満載の7代目ゴルフに『余計なお世話じゃい!』と~ 
 
「77歳の挑戦」という通しのカテゴリータイトルを、1月15日をもって「78歳の……」と書き換えなくてはならなくなった。お蔭さまで、この1年の「現役復帰」活動もあって、なんだか1歳若返っていく気分である。

 さて、『永遠の物差しは永遠なりや!?』を続けよう。表通りへ左折しようとして、まず、Aピラーの先端にしつらえられた小窓の存在に「なるほど!」と唸ったところから、だったかな。

 品川・御殿山のトラストタワーを出てから、GOLF Ⅶ(1.4ℓのハイライン)の操作におのれをなじませつつ、さて、東京西郊の自宅までどのルートを選ぶか。いったん、大学箱根駅伝の復路と同じルートで都心に出て、東京タワーの手前から麻布十番方向へ左折して、一気に青山一丁目方向をめざそうか。それとも素直に環状6号線で目白通りまでクルージングしようか。結構、楽しい選択ゲームである。

 ひとまず、八つ山通りと呼ばれるR317を左折して、五反田駅方向へと下って行く……。
 右手に、いまでは歴史資料館になった旧SONY本社を見ながら、複雑に小路が絡み合っている駅前商店街をくぐり抜けて、JR山手線のガードもくぐり抜けて、やっと環状6号となる山手通りに合流する。






*2代目ゴルフはポカールレースに投入され、そのコーナリング中に見せた「3輪走行」で一躍有名に。その粘り足の伝統を継承しているかどうか、を大橋ジャンクションの名物ループで確認したかったが……。

 目黒・恵比寿を横目で見ながら、なんとか首都高速の大橋ジャンクション(高低差70メートル)を目指した。山手トンネルで西池袋へ通じる、例のグルグル周りの名物ループの洗礼を、このGOLF Ⅶで受けられることができないものか、と企んでみた。サスペンションを味見するのに、絶好の場所と目星をつけていた。が、結局、うまく流入口にたどりつけなくて、そのまま、放射線状に郊外へのびて行く甲州街道、青梅街道を串刺しに横切って、目白通りまでの一気走りとなってしまった。

 たかだか20キロほどの市街地走行だった。それなのに、自宅のパーキングで、エンジンをオフにしたときのあの安堵感と疲労感、そして新しく湧き上がってきた高揚感はなんだろう。ちょうど、はじめてi PadやiPhoneを手にして格闘してしまった、あの時の体験に似ている。走るための装置に、振り回されている78歳か。

 考えてみれば、7代目ゴルフがデビューして、すでに半年も経っている。メディアに登場する機会は、どの輸入外国車より、際立って多かった。You-Tubeを覗いてみても、松任谷・田辺組の「カーグラTV」をはじめ、国沢光宏、河口まなぶの若手組が、それぞれの舞台で要領よくポイントを伝えてくれる試乗映像もみることができた。

 もう一人、特別の情報提供者がいた。ベスモ同窓会の代表幹事である山口・萩の波田カリスマ教官のもとへ新しいGOLF Ⅶの1.4ℓモデルが、やっと届けられ、早速のインプレ・レポートが届けられていた。一読。心では大満足なのに、新しい伴侶への注文を忘れていないところが、なんとも微笑ましかった。なんだか、やっと想いのかなった新妻へのお惚気をきかされるようなものだが、以下、ご本人の了解を得て、その一部を紹介しよう。
 *            *             *
———昨日、納車となり、今朝から毎回お世話になっている萩市内の春日神社でお祓いをすませ、一日で300キロ走って来ました。感想ですか? 一言で言うなれば「頑張れ国産車!」です。市内・ワインディング・高速道路と走りましたが、まずは車体剛性のしっかり感はさすがです。身体で表現するならば頭・肩・肘・手・腰・膝・足全てが直結している一体感。決して肘や膝が変なクッションになっている訳ではなく、頭・指先・足の裏という身体の先端部分は微妙な感覚を残しているそんなイメージでした。



 今回、DCCと言う電子制御のサス使用を選択しました。コンフォート・ノーマル・スポーツと選択できますが、やっぱり、ノーマルが一番合っているというか、バランスが取れていて、つくり手の基本はこういう味付けなんだな、と感じとれるからです。

 電子制御の素晴らしさは、市内でのこぼこ道が一番分かり易く、こりゃ参ったな~でした。

 ワインディングでは姿勢変化の少なさは市内と一緒でしたが気になる点が2つ。
 まず一つは気筒休止かエコモードが影響しているかエンジンブレーキの効きが弱く加重移動が作りづらく感じました。これはこれからハンドル・サス・エンジン制御まで個別に個人のオリジナルに設定が出来るようでこれからの課題としたいと思っています。

 もう一つはタイヤ ! これはいだだけない。銘柄はピレリーP7。出来ればせめてコンチネンタルと思っていたのですが、こればかりは無理でした。ワインディングを走っていても、ゴムが撓んで、路面を捉えるインフォメーションが伝わってこない。硬い感じのままで、グッとタイヤが路面を蹴るあの感覚が、最後まで伝わってこなかったことです。

 高速道路では、コンフォート・ノーマル・スポーツと変えて見たのですがそこで分かったのが、適度のハンドのだるさは疲れないと言うことです。この辺りは欧州車の真骨頂だと思えますし、歴史の違いを感じました。スポーツのきびきび感は高速では疲れとなり、ただのサスの柔らかさは不安感を助長します。ここでもノーマルのバランスの良さが際立った次第です。

 こうして僅か300キロのインプレでしたが、ゴルフⅦ全てが良いとは言えません。
 プリクラッシュブレーキシステム、アクティブクルーズコントロール、レーンキープアシスト、EPS、マルチコリジョンブレーキシステム、プロアクティブオキュバンドプロテクション、ドライバー疲労感知システム……etc。
 


 この価格で、これだけ、さまざまな安全装置が付いているのは素晴らしい。その企業努力は並みたいてのものではないでしょう。ただ、これだけの装置やシステムを、どれだけの人がきちん使いこなせるのでしょうか。

 今日もレーンキープアシストでびっくりさせられたところです。ワインディングを走っていて、轍を通過する時に、カクンとハンドルに修正が入ってきたのです。さらに、高速で何気なくふっと力を抜いたらドライバー疲労感知システムが作動し、ビーと警告音。これらの意味が分かったところで、こちらから一言……「大きなお世話じゃい !」と。
 *       *       *
 このあとも「波田レポート」はつづくのだが、次のコメントで締めくくらせていただく
「運転とは車と自分の対話の場。わたしはこんな素晴らしい車だからこそ、音楽も聞かずナビも見ず、ただ単にどうしたら上手く操ることが出来るのかを追い求める。基本が出来ている(クルマだ)からこそもっとシンプルに、それが可能な車こそ安全なんだと声を大にして言いたい」

 TOYOTAプリウスの買える値段で日本市場に投入された7代目GOLF、恐るべし、であった。その辺を、それからの三日間、1.2ℓバージョンを含めて、わたしなりにじっくり試乗しながら、さらにレポートを続けるつもりだが、ここで正直に告白しておこう。この10年余、あれだけわたしに尽くしてくれたプログレに別れ話を持ち出しそうなおのれを、抑えられなくなってしまったのも、このゴルフⅦに出会ってからである、と。
Posted at 2014/01/18 00:59:53 | コメント(8) | トラックバック(0) | 78歳の挑戦 | 日記
2014年01月12日 イイね!

永遠の《物差し》は永遠なりや!?

永遠の《物差し》は永遠なりや!?〜イヤーカー『VWゴルフⅦ』2台に乗る・その1〜

【左の写真註:ツインリンクもてぎで催されたRJCカーオブザイヤー最終選考試乗会でGOLF7Ⅶに乗る】

 1月7日の午前11時、VWグループJAPAN広報部から2通のEメールが送られてきた。試乗を申し込んでいたGOLFの1.2ℓモデルと1.4ℓモデル2台の予約OKの連絡であった。
① 1月9日11時〜1月10日17時 Golf TSI Highline カラー タングステンシルバーメタリック
② 1月10日 18時〜1月14日12時 Golf TSI Comfortline パシフィックブルーメタリック

 さあ、2014年がはじまったぞ――そんな弾んだ気分で、指定された1月9日の午前11時ちょっと前、京浜急行「北品川駅」から、第1京浜国道を横切って、御殿山への坂道を、いささか喘ぎながら上って行くと、足元を東海道線の走る橋にさしかかる。右手の緑の森の向こうに、御殿山トラストタワーが聳えたつ。VWジャパンのビューローはその18階にある。



 2013〜2014日本カーオブザイヤーで初めて輸入車が、そのグランプリである『イヤーCar』 に選ばれたときから、これはゴルフⅦにじっくり乗らなくては、という使命感のようなものが、わたしの背中を押しつづけて、どうにも落ち着かない。というのも、わたしがクルマメディアと関わってきた35年間、クルマを見る目の基準のひとつとして、ずっと「VWゴルフ」に心を預けてきたからである。そのあたりの想いを、『永遠の物差し』と題して、そのころのわたしは、こう綴っていた。



永遠の《物差し》
 時代の波の動きを、いち早く感知して、それに対応できるような構えを創る。この点について、もっとも敏感でなければならない職種のなかに、自動車メーカーの開発者と編集者がある。体験的に、そう言い切ってしまうぼく。

 たとえば、近年、フラットローのボディデザインにDOHC/4バルブエンジンを、きまってFF車に与えて、つぎつぎとヒット商品を生んでいる日本のあるメーカーの最新作の開発コンセプトは、こんなコピーだ。

「このクルマは、データや性能ではない、人間の感性を軸にした“性能としての爽快感”を目指し、当社独自の発想と先進の技術力を駆使して、今までにない高いレベルでひとの感性に心地よくフィットする、人間と技術の融合<ヒューマン・フィッティング・テクノロジー>のもとに開発した」

 そんな<感じ>で自分の雑誌を創れればいいのだが、それはあくまでも<感じ>の領域に過ぎない。必要なのは時代の波の高さ、押し寄せるスピードが測れる<物差し>ではないだろうか。


*そうだ、徳大寺さんにもGOLFが「イヤーCar」に選ばれた感想を伺わなくっちゃ!

 確かな<物差し>をもつ。このことの重要性を教えてくれたのは、10年ほど前に『間違いだらけのクルマ選び』という、当時としては画期的なクルマの思想書であった。執筆者は黄色ゴルフを徹底的に乗った。乗りながら「大衆車とはこうなくっちゃ」とたしかな<物差し>を贈られた。その<物差し>で、そのころの国産車を計ると、とてもじゃないが、彼の乗れるクルマではなかった。だから爽快に国産車が斬れた。クルマ業界は動転した。ペンネームだった執筆者の正体探しまではじまった。

 今の時点でこの<事件>を顧みる。と、そこにあるのはゴルフを基調とした2BOX大衆車の氾濫であり、クルマ好き世代の書棚を彼の著作群がでんと占めてしまう現実だ。<物差し>にも生命がある。幸い、ゴルフという名の<物差し>は大衆の動きを、つねに的確に察知しながらも、その誇り高い<感性>を技術力で裏付ける営みをやめようとしない。その限りにおいて、つねに至高の<物差し>として機能してくれるはずだし、いつもぼくがゴルフをみつめている理由である。 (1987 GOLF・Something-Extra)

 なにしろ、25年ほど前の想いである。どこか、カビ臭い表現もあるが、言っていることは今でも通用するのではないだろうか。むしろ気になるのは、現行のGOLFがいまもなお、時代の波の動きを測る物差しとしてどうなのか、という点であった。

 その朝のニュースで、2013年の新車販売の動向が伝えられ、その中で、小型輸入車の日本での販売が過去最高を記録したこと、その筆頭がVWゴルフであることなどを耳にするにつけ、25年も経った『物差し』のアップグレードを試みるのも悪くない、と確信した次第であった。

 公園の脇を抜け、目的の高層ビルを見上げる。IDカードをさげたビジネマンやオフィースレディの出入りが活発だ。エレベーターで18Fのボタンを捺した。



 オフィースの入り口の呼び出しフォーンで「広報部」をコールしてしばらく待機する間、誇らしげに掲示されたポスターに目をやる。控え目なメッセージに、VWのもつ背骨の確かさが篭められているように感じられる。

「輸入車として初めて、Golfが歴史になお刻みました」

 担当のIさんに案内されて地下のパーキングガレージへ。1.4ℓのHighlineが待っていた。そこでいくつかの操作上の注意点をレクチャーされる。例えば、サイドブレーキに該当するものがないこと。そのかわりに、パーキングスイッチと上り坂での滑り止めボタンの使い方など、国産車などでは体験できないいくつかの装置について、説明を受ける。

 エンジンキーをひねって、アクセルを入れる。このところ、いくつかのパドルシフトのクルマに触れてきたので、DSGと呼ばれるツインクラッチのトランスミッションの扱いにまごつかないですむ。ひとまずオートマティックドライブに保ったまま、発進した。上品な滑り出しに、なぜかホッとする。すぐに2速にシフトアップ。地下のガレージから上り勾配のアプロチを抜けて、いよいよ明るいオープンロードへ。五反田方向へ向けて左折する。その瞬間、Aピラーの根元に設けられて小窓に気づいた。視界は良くなった。それが最初の発見であった。



 いよいよ、マニュアルシフトを選ぶとするか。年の暮れに中谷明彦君にあった際に、彼の指摘していたリヤ・サスへの不満とは何なのか。
 もう一つ、1月の5日の「お昼のランチ」をともにした波田カリスマ教官が、じっくりと検討した末に購入したGolfⅦの「購入&走行レポート」も手元にあって、この際、ぜひ紹介したものだ、などと想いをめぐらせながら、これから『ゴルフⅦ』2台と暮らす1週間をレポートできる歓びを噛みしめていた。  
(この項、つづく)
Posted at 2014/01/12 06:06:13 | コメント(8) | トラックバック(0) | 追憶「徳大寺有恒」 | 日記
2014年01月06日 イイね!

山里を翔ける少年の紡いだ『運命の糸』

山里を翔ける少年の紡いだ『運命の糸』  ~『枯露柿』異聞・そのⅢ〜
【写真註:45年前の門平「水祝儀」から。儀式を終えて一人前になった3人の少年。酒瓶を手にしているのが成島少年】

 2014年元旦の朝もそうだったが、正月二日目の朝も、雲一つない晴れやかな空が広がっていた。
 こんなに平和過ぎると、かえって不安になってくる。安穏なんていつまでも続くものではない。逆にどんな災厄がやってくるのか、警戒心の方が強くなってしまうのは、昭和ヒトケタ世代の尻尾にくっついてきて、どんでん返しの怖さを何度も味わってきた体験から、そう感じとってしまうのだろう。
 ま、お蔭さまで、何がやってこようが、簡単にはやられないよ、くらいの抵抗力だけは培われているつもり。むしろ、そんな状況を楽しんでいようと肚を据えている。



 午前8時、恒例の大学箱根駅伝にTVチャンネルを合わせる。
 丁度スタートしたところで、エンジにWの白いマークのユニホーム姿が、先頭に立って集団を引っ張っている。学生長距離界のエース大迫選手である。勝負所は多摩川を渡る六郷橋の上りだろう、とTV解説の瀬古DeNA監督が予言しているのを聴いてから、用意しておいた「土佐鶴」の封を切った。

 正月用のおせち料理もテーブル一杯に拡げられ、久しぶりに揃った大人数の朝食がはじまる。下戸のわたしでも、「土佐鶴」の美味さはわかる。朱塗りの杯で、一杯だけ口に含む。春の陽射しのような、抵抗のない、甘みを帯びた清水がのど元を通って行く。やがて、胃のあたりが、ぽっと温かくなった。ああ、いい気持ちだ。

 広島、山口の仲間から送られてきたマグロ、ブリの刺身、車エビの天ぷらまで添えられた「おせち料理」をいただきながら、しばらくゲストたちと談笑。ひょいとTV画面をみると、あれだけ颯爽と翔けていた大迫選手がズルズルと後退し、2区の同僚に5位でタスキを渡すところだった。やっぱりレースに絶対はない。何が起こるかわからない。これだから「箱根駅伝」は目が離せない。とくに「花の2区」と呼ばれる次のステージは。

 案の定、中団でタスキを受け取ったケニアからの快速留学生があっという間に5人をごぼう抜きしたのはいいが、すぐに右足を抱え込んで走りを中断してしまう。これで山梨学院大学は失格となり、次年度は予選会から勝ち上がらなければならなくなった。

 結局、ことしの「箱根駅伝」の大きな波乱はここまでで、エンジにWの大学は往路3位、復路は10区で日体大に競り負け、総合4位に終わってしまった。

 こうなると、もうひとつのお正月スポーツ風物詩である「高校サッカー」にチャンネルを合わせるしかないのだが、ご贔屓の「東福岡高校」(インテル長友佑都選手の出身校)がV候補と謳われながら、同じ九州の宮崎代表・日章学園にPK戦で屈してしまい、楽しみもここまで。さて「みんカラ」BLOGにとりかかるか……。とまあ、長い前置きとなってしまったが、実はこの「駅伝」と「サッカー」が、これからの「枯露柿異聞」の取材展開に、おおいに関わる伏線だったのである。

 2013年の12月22日、箱根のガンさん邸での「餅つき大会」をキャンセルしてまで、秩父の山里へ駆けつけたくだりは、『枯露柿異聞・その1』に詳しいが、その背景についてはまだ、触れていなかった。

 昨年の9月、わたしは『秩父 祭と民間信仰』という1冊の本の復刻、新装版の水先案内人として、 書店用に出版社が用意する『チラシ』のヘッドコピーに、ためらいなく、こう書きこんだ。

――秩父という「影の国」探勝の必携バイブルとして親しまれてきた幻の名著、著者没後50年目に発見された秘蔵写真を補強しての復活!
 そして、こう「解説欄」に書き継いだ。





———2012年10月、鮮やかな花笠をつけた下郷笠鉾と中近笠鉾が、2基そろって秩父市内を引き回された姿は、秩父の伝統文化を、改めて世に問うた画期的な行事でした。
国の重要有形民俗文化財「秩父祭屋台」指定50周年記念として施行されたものですが、その制定に情熱を燃やし、原動力となったのが、当時の秩父図書館長だった浅見清一郎氏でした。

その浅見さんが同じ時期にまとめ上げた本書は、当時を知り、今を確かめる「秩父のこころ探勝」の必携バイブルとして親しまれてきました。加えて、近年、当時の浅見氏がコツコツと調べ、記録していた段ボールいっぱいのネガフィルムが発見されました。
その中から、消えてしまった祭の模様、習俗、そのころの人々の素顔など、民俗的価値の高いものを選び出し、改めて「新装版」刊行に際して差し替え、追加いたしました。そこには見栄えのいい祭だけではなく、秩父の山里に息づいてきた「獅子舞」「天狗祭」「虫送り」といった民間信仰の原像を知ることができるのです。
 *       *      *      *
 こうして送り出された本書は、注文に応じて短期間で印刷・製本できるオンデマンド印刷を採用して、販売価格もこの手の分野のものとしては、半額近くに設定でき、原著と同じ四六判なのに印象はコンパクト、2段組み、総ページ352の体裁でお目見えすることになった。
 
 手にとると、懐かしい感覚が蘇る。なぜだろう。表紙の手触りが柔らかい。そしてパラパラとページをめくってしまう感覚。そうか、それは一時代を風靡した「総合月刊誌」に向き合った時のものに、よく似ているではないか。これなら、ちょっとお硬いテーマでも、雑誌感覚となって、いくらかは受け付け易いのではないだろうか。

 50年前の秩父と、いまの秩父とを結びつけるのに、格好の贈り物を手にして、じっとしているわけにはいかなかった。「なぜ、いま、秩父なのか?」と前置きして、あえてその水先案内役を買って出る。そして、30ページに及ぶ「『乳撫=ちちぶ』の誘惑」と題したルポルタージュをまとめて、浅見さんの本論への導入部としたが、出来あがってみると、満足するにはほど遠いものがあった。



 改めて、『新装版』を開いてみる。はじめに、地元の写真家・清水武甲氏の心に沁みる「序文」があって、目次をはさんで、浅見さんがその「第1章」として、まず「門平の水祝儀」という耳慣れない風習を紹介する。そこで一つのアイディアが浮かんできた。原著では、この「水祝儀」がどんなものだったのか、その理解を深めてもらうための説明写真は、何一つ、使われていなかった。
ところがなんと、浅見さんはこの年初めの儀式を、克明にカメラに収めていたのである。これは希少な民俗行事の画像ではなかろうか。撮影日は昭和44年(1969)1月1日と記されていた。

 そこで、原文に浅見さん撮影のショットを3カット、試みに添えてみることにした。と、どうだろう、15歳となって、おとなの仲間入りを許された3人の緊張した息遣いが聴こえてくるではないか。



その三人の少年のひとり、成島善市さんを探し当て、これから「改めて」お逢いするところまで漕ぎつけたのが12月22日だった。「改めて」と断ったのは、その2か月前の『門平獅子舞』の取材で一度、お目にかかっており、「水祝儀」の少年の一人であるとご本人の口から聞いていた。が、なかなか、時間を割いて……というところまでたどり着けなかった。心の内をそう簡単に明かす御仁ではなかったのである。



 玄関でインターホーンを捺すと、すぐに成島さんが迎えてくれて、居間に通された。挨拶が終わったところで、こう切り出す。
「この耕地の小学校はどこにあるんでしょうか?」
「ああ、分校がこの先の立沢との境にあったけど、わたしが3年生の時に閉校になり、この下の日野沢小学校まで通ったものです」
「え!? あの34番水潜寺の先の、いまは廃校になっているあの小学校まで?」
「そう、毎日、山を駆け下って20分から25分、帰りは1時間以上……」
「じゃあ、足が強くなりますね?」
「それが取柄で、中学校に上がってサッカーの選手に……そこから高校進学の時、サッカーをやっていればいいというので、全国から見込みのある中学生をあつめた養成組織の日産講習所に入って……それが横浜マリノスの前身だった」

 ポツリポツリと語り始めた「水祝儀」少年の青春。もの凄いスピードで山里を翔ける少年の姿が浮かび上がってくる。
 その少年の紡いだ「運命の糸」は、この山里を舞台にした明治17年の『秩父事件』のエピソードなどと合流して、この後、とんでもない方向へと発展してゆく……。
                                 (この項、さらにつづく)
Posted at 2014/01/06 06:08:10 | コメント(4) | トラックバック(0) | 秩父こころ旅 | 日記
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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