~近づく『ベスモ同窓会』と芽生える『新しい冒険心』〜
4月3日。満開のサクラも雨にたたられ、気の毒なくらい身を縮めていた。そんな中、クルマを走らせ、地下鉄に乗り、一日中を時間に追いかけられっぱなしだった。
実は、昨年の6月27日から、そのころ、心臓の冠動脈施術をお願いした担当医師の依頼(命令?)で、TERUMOの万歩計を常時携帯し、1日に何歩あるいたか、朝晩の血圧も測りはじめた。それを根気よく『活動量記録ノート』に書き込んで来たが、結構、自分の健康をチェックする上で、貴重な資料になりつつある。
そこで思いついたのが『チョイ悪爺イ』の万歩計・4月3日編、とでもタイトルをつけて、時間に追いかけられた一日を書き綴ってみてはどうか、というのである。ところが、取り組んだ途端に、鼻がムズムズとし、くしゃみが突然襲ってきた。それでも、なんとか我慢して、ともかく、やってみようか。
*4月に入って3日間を親しんだメルセデスベンツA180。骨格のしっかりした造りに好印象
*Sクラスのミニチュア
六本木の高台にあるメルセデスJAPANに、4月1日から借り出していた広報車(A180)を返却しなければならない。午前11時半、練馬の自宅から環状6号線の地下を走る首都高速の椎名町入口から渋谷方向へ。運がよければ、新大橋ジャンクションのループを楽しめるかもしれない。が、残念ながら富ヶ谷の手前で大渋滞にはまってしまう。
午後1時、A180をやっと返却。その際、7日の「ベスモ同窓会」への協賛プレゼントを頂戴することになっていたが、すでにしっかりと手提げ袋が用意されており、中身は「S-Klasse」のミニチュアと、ボールペン&メモ帳の組み合わせ。さて誰の手元に渡るのだろうか、などと想いをめぐらせながら、傘をさして、徒歩で地下鉄・大江戸線の六本木入口へ。
約10分。これより、わがプログレを預けてある「光が丘」の駐車場へ向かうのだが、4時半には、銀座の「主婦と生活社」へ、黒澤元治著『新・ドライビング・メカニズム』10冊を受け取りに伺う約束をしている。それなのに、今度は車で都心に入らなければならない。果たして間に合うのだろうか。
光が丘からは再び都心へ向かう。久しぶりのプログレとの対話。1.5リッターターボのAクラスの「グイッ」と蹴り出す「野性味」に比べると、お前はなんとしなやかなんだろう。まったりした挙措で素直にわたしに身をまかせてくれる。どちらがいいとか、気に入らないというのではない。しかし、この日のような雨のステージでは、電子制御システムで「SNOW」モードを選べるお前さんに随分と分があるじゃないか。
今度は素直なルートで、銀座1丁目に行くつもりで、目白通りを音羽方向へノーズを向けた。山手線・目白駅を右に見て学習院の傍を向け、椿山荘から音羽通りへぶつかる下り坂を、 ATミッションのDから②にシフトダウンして、回転をあげ、一気に駆け下りた。悪くない。が、そこにどんな進歩、高揚があるのだろうか。これが A180なら、パンパンとパドルシフトを駆使して、うん、うまくいったネとか、なんだ下手糞、とか、いわゆる「クルマと対話」しながら、走れるじゃないか、と気づいてしまった。
そうか――ここはいわゆる『音羽ニュル』とわたしたちが呼んでいた「クルマチェック」コースの最終コーナーに当たる坂である。なにかが、そのとき、目を覚ましてしまったらしい。
その夜、帰宅してから、最初に手をつけたのは、トランクルームの片隅で10年以上も眠り続けている、黒のレーシングバッグをたたき起すことであった。手に取ると、ズシリと重い。中身の細かいことは、もうすっかり忘れてしまっているおのれが情けなかった。この7日に迫った「べスモ同窓会」に、なにかいいプレゼント品がないものか。ヘルメットでも。喜んでもらえるかもしれない、と。
チャックを開くと、さまざまなものがゾロゾロと出てきた。ヘルメット。それもフルフェイスとジェット型。今回はフルフェイスの方なら、プレゼントしてもいいな。いやいや、オークションをやって、べスモ同窓会の運営資金に回そうか。おお、グローブ、耐火マスクにレーシングスーツ!
三着のレーシングスーツは、クリーニングされて、大事に保管されていた。
スパルコのそれは、当時F1にたどりついた中嶋悟が、この国では輸入元から第1号を提供され、その次がわたし、3番目が岩城滉一だったと記憶している。富士フレッシュマンからEXAからミラージュCup時代の「汗と涙」の染みついたやつである。
二着目は練習用のオートルック製。そしてもう一着。やっぱり、手元に残っていたのだ。思わず、声にならない「万歳」を、心の中で叫んでしまった。肩口から胸にむかって走る青と赤の縦の線。これぞ、ガンさんが第3回JAFグランプリで、スカイラインGTRを駆って優勝したころに着用したものではないか! わたしが初めて富士フレッシュマンに参戦した際にプレゼントされ、デビュー戦で着用させていただいた、あの時のレーシングスーツだった。
結論から言うと、このレーシングスーツは、ガンさんの了承を得て、ガンさんのサイン入りで「べスモ同窓会」でオークションにかけることにした。条件は「ヒト声」でセリ落としてもらう。参加メンバーだけがその権利を有している。このことは、いま決めたばかりである。心して参加者は臨んでほしい。そう願っている。
なにかが、わたしの中で芽生えてしまった。その一つがこのブログのタイトルとしてあえて設定した「そうだ! 『中山』では疾ってやるぜ!」であった。
その新しく芽生えた新しい冒険心。実はこのブログを書き上げた4月5日。6速マニュアルミッションを搭載したディーゼルターボのMAZDAアテンザで早朝5時、東京を発ち、東名・名神・山陽の各高速道路を乗り継ぎ、午後1時過ぎに和気ICを降り立った時、ここから岡山国際までの道は、ぜひわたしに疾(はし)らせて欲しい、と宣言してしまったのだ。アテンザでの岡山遠征メンバー、山岡賢尚、飯嶋洋治君のアングリ顔。途中、ミスコースはしたが、さしたる障害もなく、中央ゲートへ到着。
*岡山国際へ向かう最後の休憩。山陽道三木SAにて。左、Hawk Yama、右、飯嶋洋治の両氏
『チョイ悪爺ィの万歩計』の第1回、かくして無事、ブログアップ。心はすでに、7日の中山サーキットで、レーシングスーツを着て、ヘルメットを被り、みんなと一緒に走りだすつもりになってしまっている。
Posted at 2014/04/06 01:39:57 | |
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ベストモータリング同窓会 | 日記