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正岡貞雄のブログ一覧

2014年04月12日 イイね!

あれから1年後の『べスモ同窓会』と必勝祈願

あれから1年後の『べスモ同窓会』と必勝祈願~スーパーGT開幕戦の朝を迎えて・写真速報その2~

 アテンザをとめてあるCパドックに通じるオーバーブリッジで、高橋国光さんとバッタリ遭遇、記念撮影をお願いした後、#65の予選9位を確かめたところで、早めに岡山国際サーキットを辞して、その日の宿泊先である西大寺の街を目指した。ドライバーは、当然、Hawk Yama さん。なんとも滑らかに山道を下って行く。

 その日に限ってサーキットまでの抜け道をミスってしまったのは日笠川に沿った分岐点で右折すべきところを直進したからだろうが、明日のためには、それを検証し、補正しておく必要があった。


*AM8.00西大寺グランドホテルを出発。萩の波田教官から緊急のメール。「サーキットへの道」でネズミ取りに注意!」と。本当だった。山陽ICへむかう一般道の対向車線でやっていました

 この岡山国際サーキットを取り囲む和氣、英田(あいだ)地方は、この国の古代から物なりのいいことで知られている。同じ高さの山並みが穏やかに起伏し、どの方角からも同じ顔に見える不思議な地域。そのため、一つでも曲がり角を間違えると、とんでもない回り道を強いられてしまう。迷路のようにはりめぐらされた道。それがこの国の外からの侵略者から身を守る防御線であるらしい。わたしたちも恐らく、それに幻惑されてしまったに違いない。

 そんなハプニングはあったにしろ、こうやって、平和なおしゃべりができるようになった今回の『ベスモ同窓会』。それが嬉しかった。

 昨年4月、ガンさんの『新・ドライビングメカニズム』が主婦と生活社から出版されることになった。それと歩調を合わるようにして、ガンさんはLEONレーシングチームを本格的に率いることになった。それならば、決勝レースの終わった翌日、中山サーキットで、かねてから開催を願っていた「ドライビング・アカデミー」をやらないか、と持ちかけた。

「あ、いいですよ。その日は治樹と翼、それのもう一人のドライバーも連れて行ってもいいですか?」

 即座に結論がでた。早速、田部君と萩の波田さんにサポート依頼の電話を入れる。中山サーキットの棚田専務も即座に受け入れ OKのサインを。プロジェクトは直ちに発進し、「みんカラ」BLOGのグループ専用欄で『ベストモータリング同窓会 第1回 ガンさんと語り合おう』と呼びかけることにした。Webデザイナーの原茂雄さんから、黒のカーボン・ハニカムをあしらった「ロゴマーク」も届いた。


*去年のスーパーGT開幕戦のあとの同窓会で。波田教官は救急介護の資格持ち。もしものときのAED操作も覚悟していたという。小生も、ニトロを携帯していましたぞ。

 そんな嬉しい進展具合とはウラハラに、わたしの身体に変調が起こっていた。検査の結果は『労作性狭心症』。心臓に連結する3本の冠動脈にプラークという塊りができ、むかって左側の1本は100%、右側の1本は90%、最後の1本が75%も詰まっていながら、辛うじて機能を果たしていた。よく生きていましたね、即座に手術しましょう、という診断だった。




*左がステントを2本挿入し、それを広げることで、100%詰まったままだった冠動脈をよみがえらせようというのだが、これは術後のまだ未開通状態。右が開通後。たくましく血液が流動しているのがわかる。

 そのあたりのいきさつは、すでに年初に『名もなき〈いのち坂〉を今日も往く』に触れているので、参照いただくとして、今回は話をわかりやすくするために、医師の了解も得ていることだし、画像を公開することにした。左側が閉塞したときのもので、右はカテーテルによるステント設置後の血液の流れである(現在はこの状態)。

 先を急ごう。岡山空港に愛息から取り上げたストリームで出迎えてくれた時の、波田教官の心配そうな顔は、今でも鮮やかに心に残っている。次の便で着く田部君をピックアップして、真直ぐ岡山国際へ向かったときの、なんとも穏やかな運転ブリは、逆に波田さんの気遣いを感じさせるものだった。それは翌日の決勝レース観戦の往復、さらに月曜日の本番『ベスモ同窓会』と『閑谷学校散策』を終えて、岡山空港まで送っていただくまでの3日間、ずっと続いてしまう……。

 それから1年、今回の波田教官はスケールアップした『第3回ベスモ同窓会』のコントロールタワーとして、運営の中心としてあちこちへの目配りに専念してもらえるのが嬉しいじゃないか。今回は、GYタイヤの官能テストのリーダーとしてテキサスに在住しているHawk Yamaさんと元モータスポーツ専門誌の編集長の飯嶋洋治さんとの3人旅。それも交互にハンドルを握るのだ。くわえて、わたしは同窓会当日のフリー走行時には、ヘルメットをかぶり、コースに飛び出すつもりでいた。なんという変りようか。

 スーパーGT開幕戦決勝レースの朝。重苦しく立ち込めた雲が、いつ泣き出すかわからないような不安定な空模様だった。

 さてここからは、翌日の『ベスモ同窓会』当日のレポートに、できるだけ早く取り組めるように、スピードアップをはかりたい。幸い、今回の岡山への旅には、Nikonのデジタル一眼レフ D5200に300ミリの望遠レンズを装着したやつを持参しているので、少しはマシなレースシーンをお届けできるかもしれない。
 
 西大寺のホテルから真直ぐ北上し、山陽道の山陽ICから和氣ICをめざした。
 降り立った和氣ICから岡山国際までの道は前日、確認済み。が、サーキットに着く前にやっておきたいことがあった。この和氣地方のシンボル、和氣清麻呂を祀る「和氣神社」に立ち寄って、LEONチームの必勝祈願をしたかったのである。


AM8;30 山陽道和気ICから374号線へ。次に山陽本線・和気駅の手前で金剛川を横切って46号線で山間部を目指す、と、そこに「和気神社」と「和気氏政庁跡」の案内板が。






*必勝祈願の神札を手にしてHawk Yama氏と1枚パチリ。去年は同じアングルで波田教官、小松父子と記念撮影をしていた。


AM9:30 サーキット着後、早速ガンさんに神札を届ける。








*PM2:00 決勝レースが始まった。ウイリアムスコーナーに消える各車の後ろ姿がこんなにバッチリと撮れているとは!


*最初の難関であるリボルバーコーナー、その1周目、トップを追走する#36(ジェームス・ロシターのドライブ)がいきなりスピンしてコースアウト!


*そのあおりを食って、#23がコース上で横向きでストップ。後続集団が押し寄せる!


*GT300クラスで優勝する#4の初音ミクZ4は難なくすり抜けた!


*しかし後続集団の先頭は#65のLEON SLS。ドライバーは治樹。このピンチを……。






*天候の急変がレースの展開を左右する。これは「とにとに」さんの到着を祝って(?)突然、雹(ひょう)が襲ってきた様子である。


*難を避けてガンさんテントに飛び込むとモニター脇に「必勝祈願」の神札が鎮座!


*レースの終了を確かめてから中山サーキットへ急行。翌日のイベント開催の挨拶を。そのあと、最終コーナーを検分しながら、記念撮影・右側が初登場の「とにとに」さん。


*中山といえばこの最終コーナーのコンクリート壁。知る人ぞ知る激突ドラマの舞台。



*PM5:30 仕上げは「同窓会」終了後の2次会会場に予定した伊部町の会場チェック。サーキットから10分足らずを確認して、この日の予定を消化。ホテルに帰ると、波田教官、そして大井貴之、「デカトー」の3人が合流してきて、賑やかな夜が始まる。その模様から、次回ははじめよう。
2014年04月09日 イイね!

『スーパーGT開幕戦』と『ベスモ同窓会』

『スーパーGT開幕戦』と『ベスモ同窓会』~公約を果たした「中山詣で」の4日間をひとまず速報版写真日記で!~
【左の写真は開幕戦の決勝、オープニングラップ。#65 治樹のLEON SLS,前を塞がれてピンチ!撮影:Masaoka】

 4月8日、午後9時ちょうど、飯嶋洋治さん運転で、無事、練馬の自宅に帰り着いた。スタートが4月5日の午前5時。それから88時間後の帰還であった。長いような、短いような、ともかく、間違いなく初めから終わりまで、生き生きしっぱなし。帯同したソウルレッドのMAZDAアテンザXD(消費税抜きの車両本体価格:3078500円)のオドメーターは1663.9をカウントしていた。

 さて、速報版と銘打ったからには、まず4月7日(月)に、岡山県和気郡の中山サーキットで、去年に続いて開催した「第3回ベストモータリング同窓会」の参加者全員(あ、主役のひとり、ガンさんは鈴鹿サーキットでの会合の都合で、午後1時30分に新しい伴侶(品川ナンバーだから試乗テスト中かな)、MBのSクラスのハイブリット版で東へ移動しなければならなかったため。残念ながら、記念撮影からは抜けてしまった)の、嬉しさに弾けている集合写真から、紹介しよう。



総勢、スタッフやキャスターを含めて35名。 前回のメンバ―参加が20名。ガンさんとLeonのドライバー3名をふくめて記念撮影には25名が映っていた。

 ところが1年たった第3回目、走行会を実施することを考慮して、参加者を最初、マキシマムの30名に絞ったところ、締め切り前から、今年は何としても駆けつけたい、と熱い想いをぶつけてくきた2名の情熱にほだされて、32名と枠を広げてしまった。

 キャスター(講師)は黒澤元治と中谷明彦の『緊急回避』コンビを予定していた。ところが3月になって、中谷君のスケジュールが取れないことが判明。急遽、東京で開催した第2回、ニュルブルクリンクからの『DVレター』で次回を約束してくれた大井貴之君に中谷君の代役を要請、ここにガンさん御老公と、大井助さんの『全国特訓行脚』コンビが、図らずも「復活」する というハプニングが生じたわけである。それに加えて、われらが「まほろば・中山サーキット」のご厚意で、当日は貸し切り状態。好きなように走ってもいいですよ、という願ってもないステージが出来上がったのだ。「おれも疾るで!」はここに伏線があったのかもしれない。





 4月5日の午後2時30分、9時間半もかかって、やっと岡山国際の正面ゲートに着いたとき、スパーGTに予選はほとんど終わりかかっていた。

 実は前回のBLOGですでに告白したように、「そうだ!《 『中山』では疾ってやるぜ》と宣言したばっかりに、6速マニュアルミッションを搭載したディーゼルターボのMAZDAアテンザで早朝5時、東京を発ち、東名・名神・山陽の各高速道路を乗り継ぎ、午1時過ぎに和気ICを降り立った時、ここから岡山国際までの道は、ぜひわたしに疾(はし)らせて欲しい、と宣言してしまったのだ。










 確かに、足慣らしのドライビングにこれといったミスはなかったものの、日笠の村落を超えたあたりの分かれ道でミスコースし、大きくタイムロスをしでかしていた。ま、この日の主な目的が、ガンさんの用意してくれているゲストパスと駐車パスを、正面ゲートの受け取ればいいのだが、やっぱりLEONチームの走りを確認しておきたかった。




*#65 LEON SLSの新しい顔・峰尾恭輔選手 40歳と年季のはいった、ドライバー。


*サポートレースのポルシェCUP

 ガンさんチームは300クラスの予選9位。相棒として新加入の峰尾選手と治樹選手のタイム差はどうなんだろう? その公式結果がるまでサポートレースの「ポルシェCUP]でも観戦しようか、とガンさんのいる「LEONテント」を辞し、とCパドックへのオーバーブリッジを渡りはじめたとき、むこうからやってくる初老の「紳士」と遭遇した。

「おお!」
  お互いが見知った顔だった。
「お元気でしたか」



 同じ言葉で挨拶しながら、握手。そして記念撮影。近々、ぜひ東京でお会いしましょう、と約束して別れる。あの高橋国光さんである。今回の「べスモ同窓会」で、日産レーシングチーム初期にガンさんが着用したレーシングスーツを、オークションに提供するつもりで、往時の写真と見比べたが、そのとき、ガンさんのと並んで素敵な笑顔をこちらに向けている、あの人である。



 もう一つ、踏みこんでいえば、あの『1974年6月2日』の出来事の、主要競演ドライバーの一人。ただし、国光さんはこれまで、この件について、触れることはない。わたしが何とか、その胸を叩いて、その秘めつづけている想いを聴かせていただきたい、そう願っていた。

 その時期が、やってきた、という啓示だろうか。   (この項、次回更新へつづく)    




2014年04月06日 イイね!

そうだ! 『中山』では疾ってやるぜ!

そうだ! 『中山』では疾ってやるぜ!~近づく『ベスモ同窓会』と芽生える『新しい冒険心』〜

 4月3日。満開のサクラも雨にたたられ、気の毒なくらい身を縮めていた。そんな中、クルマを走らせ、地下鉄に乗り、一日中を時間に追いかけられっぱなしだった。

実は、昨年の6月27日から、そのころ、心臓の冠動脈施術をお願いした担当医師の依頼(命令?)で、TERUMOの万歩計を常時携帯し、1日に何歩あるいたか、朝晩の血圧も測りはじめた。それを根気よく『活動量記録ノート』に書き込んで来たが、結構、自分の健康をチェックする上で、貴重な資料になりつつある。

 そこで思いついたのが『チョイ悪爺イ』の万歩計・4月3日編、とでもタイトルをつけて、時間に追いかけられた一日を書き綴ってみてはどうか、というのである。ところが、取り組んだ途端に、鼻がムズムズとし、くしゃみが突然襲ってきた。それでも、なんとか我慢して、ともかく、やってみようか。


*4月に入って3日間を親しんだメルセデスベンツA180。骨格のしっかりした造りに好印象


*Sクラスのミニチュア

 六本木の高台にあるメルセデスJAPANに、4月1日から借り出していた広報車(A180)を返却しなければならない。午前11時半、練馬の自宅から環状6号線の地下を走る首都高速の椎名町入口から渋谷方向へ。運がよければ、新大橋ジャンクションのループを楽しめるかもしれない。が、残念ながら富ヶ谷の手前で大渋滞にはまってしまう。

 午後1時、A180をやっと返却。その際、7日の「ベスモ同窓会」への協賛プレゼントを頂戴することになっていたが、すでにしっかりと手提げ袋が用意されており、中身は「S-Klasse」のミニチュアと、ボールペン&メモ帳の組み合わせ。さて誰の手元に渡るのだろうか、などと想いをめぐらせながら、傘をさして、徒歩で地下鉄・大江戸線の六本木入口へ。
 
 約10分。これより、わがプログレを預けてある「光が丘」の駐車場へ向かうのだが、4時半には、銀座の「主婦と生活社」へ、黒澤元治著『新・ドライビング・メカニズム』10冊を受け取りに伺う約束をしている。それなのに、今度は車で都心に入らなければならない。果たして間に合うのだろうか。

  光が丘からは再び都心へ向かう。久しぶりのプログレとの対話。1.5リッターターボのAクラスの「グイッ」と蹴り出す「野性味」に比べると、お前はなんとしなやかなんだろう。まったりした挙措で素直にわたしに身をまかせてくれる。どちらがいいとか、気に入らないというのではない。しかし、この日のような雨のステージでは、電子制御システムで「SNOW」モードを選べるお前さんに随分と分があるじゃないか。

 今度は素直なルートで、銀座1丁目に行くつもりで、目白通りを音羽方向へノーズを向けた。山手線・目白駅を右に見て学習院の傍を向け、椿山荘から音羽通りへぶつかる下り坂を、 ATミッションのDから②にシフトダウンして、回転をあげ、一気に駆け下りた。悪くない。が、そこにどんな進歩、高揚があるのだろうか。これが A180なら、パンパンとパドルシフトを駆使して、うん、うまくいったネとか、なんだ下手糞、とか、いわゆる「クルマと対話」しながら、走れるじゃないか、と気づいてしまった。

 そうか――ここはいわゆる『音羽ニュル』とわたしたちが呼んでいた「クルマチェック」コースの最終コーナーに当たる坂である。なにかが、そのとき、目を覚ましてしまったらしい。

 その夜、帰宅してから、最初に手をつけたのは、トランクルームの片隅で10年以上も眠り続けている、黒のレーシングバッグをたたき起すことであった。手に取ると、ズシリと重い。中身の細かいことは、もうすっかり忘れてしまっているおのれが情けなかった。この7日に迫った「べスモ同窓会」に、なにかいいプレゼント品がないものか。ヘルメットでも。喜んでもらえるかもしれない、と。





 チャックを開くと、さまざまなものがゾロゾロと出てきた。ヘルメット。それもフルフェイスとジェット型。今回はフルフェイスの方なら、プレゼントしてもいいな。いやいや、オークションをやって、べスモ同窓会の運営資金に回そうか。おお、グローブ、耐火マスクにレーシングスーツ!

 三着のレーシングスーツは、クリーニングされて、大事に保管されていた。



 スパルコのそれは、当時F1にたどりついた中嶋悟が、この国では輸入元から第1号を提供され、その次がわたし、3番目が岩城滉一だったと記憶している。富士フレッシュマンからEXAからミラージュCup時代の「汗と涙」の染みついたやつである。
  二着目は練習用のオートルック製。そしてもう一着。やっぱり、手元に残っていたのだ。思わず、声にならない「万歳」を、心の中で叫んでしまった。肩口から胸にむかって走る青と赤の縦の線。これぞ、ガンさんが第3回JAFグランプリで、スカイラインGTRを駆って優勝したころに着用したものではないか! わたしが初めて富士フレッシュマンに参戦した際にプレゼントされ、デビュー戦で着用させていただいた、あの時のレーシングスーツだった。





 結論から言うと、このレーシングスーツは、ガンさんの了承を得て、ガンさんのサイン入りで「べスモ同窓会」でオークションにかけることにした。条件は「ヒト声」でセリ落としてもらう。参加メンバーだけがその権利を有している。このことは、いま決めたばかりである。心して参加者は臨んでほしい。そう願っている。

 なにかが、わたしの中で芽生えてしまった。その一つがこのブログのタイトルとしてあえて設定した「そうだ! 『中山』では疾ってやるぜ!」であった。






  その新しく芽生えた新しい冒険心。実はこのブログを書き上げた4月5日。6速マニュアルミッションを搭載したディーゼルターボのMAZDAアテンザで早朝5時、東京を発ち、東名・名神・山陽の各高速道路を乗り継ぎ、午後1時過ぎに和気ICを降り立った時、ここから岡山国際までの道は、ぜひわたしに疾(はし)らせて欲しい、と宣言してしまったのだ。アテンザでの岡山遠征メンバー、山岡賢尚、飯嶋洋治君のアングリ顔。途中、ミスコースはしたが、さしたる障害もなく、中央ゲートへ到着。


*岡山国際へ向かう最後の休憩。山陽道三木SAにて。左、Hawk Yama、右、飯嶋洋治の両氏

 『チョイ悪爺ィの万歩計』の第1回、かくして無事、ブログアップ。心はすでに、7日の中山サーキットで、レーシングスーツを着て、ヘルメットを被り、みんなと一緒に走りだすつもりになってしまっている。
2014年04月01日 イイね!

最後の夢かな? 9月『シンガポールF1観戦』への道

最後の夢かな? 9月『シンガポールF1観戦』への道〜ちょっと気儘な『ぶらり、さんぽ旅』③〜

 野郎(おとこ)って奴は、いくつになっても「サーキット」に足を踏み入れると、すぐに頭に血をのぼらせ、熱くなってしまう……そんな、まことにお目出度い存在であるらしい。

 眼下に広がるF1グランプリの舞台が、たとえ、突然の雨で目隠しされようと、こころはすでにシンガポール市街地サーキットを走りはじめていた。が、実際のレースは真夏の夜間、1600の灯光器に照らし出されて開かれる。それに、現在は取り払われている観客席やコースの両脇をかためるガードフェンスも、イメージする必要があったが、なぜだか、初めて見ているはずなのに、既視感がある。


*スタート直後のターン1とターン2のS字シケインで始まるこのレイアウトは、アデレードと全く同じ仕掛けである。



 シンガポールの中心地にある海沿いのプロムナード公園と、市街地を組み合わせた1周5キロ強のこのコースは、かつてオーストラリアGPの舞台となったアデレード市街地サーキットと同じ設計者の作品だという。

 なるほど、と頷けるコース・レイアウトだった。グランドスタンド前のスターティング・グリット。最初に試されるのはS字シケインへの飛び込み。そこを抜けてからすぐに市街地ストリートを利用したストレート加速。そして待ち受ける直角コーナーの連続。



 ここは反時計回り。アデレードとはマシンの荷重のかかり方のリズムは逆になるが、路面はフラットだし、MACAOやMONACOのような山側セクションもないので、概ね、よく似ている。

 こんな風に、走ったこともない市街地特設サーキットを、さもわかったように、講釈できるのも、45歳で年甲斐もなく富士フレッシュマンレースに挑戦したことからはじまった「ハーベスト(収穫)」ではなかろうか。つまり、アデレードも、マカオも、実際にレースの競技者として、わたしが参加してきたからこそできる、このイメージの営みを、いまは誇らしく受け止めている。

 特別に、わたしのなにかが優れていたわけではない。クルマメディアに関わって生きて行くからには、ある程度のドライビング・スキルを理解したい。単純にそれだけの動機ではじまったことなのだが、幸いにも、その「野郎のわがまま」を貫いて行ける環境を、いろんな人々にサポートしていただけたにすぎないのだが。





  たとえば……1985年11月1日~3日の3日間、オーストラリア・アデレードで開催された「F1グランプリ」の前座レースに招待された夢のような記憶。なんでも三菱が冠スポンサーとなって、当時、オーストラリアを中心に製造・販売されていた「コルディア」のワンメークレースをやるから、ぜひエントリーしてほしいという要請があった。元プロのレーシング・ドライバーとアマチュア現役の有名人が二人一組となって、ジャック・ブラバムやバーン・シュパンといった世界的な名ドライバーと、新設された市街地コースで競うというのだ。
 
 その時の日本人チームのプロ代表として招待されたのが、元いすゞのワークスでいまはモータージャーナリストで活躍中の「S・Asaoka」(註;浅岡重輝さん)と、富士フレッシュマンレースで奮闘中のクルマ雑誌の編集局長である「S・Masaoka」。「M」を削れば全く同じ名前じゃないか。

 これでは現地TV実況アナウンサーが混線してしまうのも無理ない。帰国して見せられた中継録画で、いいポジションで、コーナーを綺麗に抜けていく日本人ドライバーを絶賛している。
「ジャパンから来たジャーナリストのエス・マサオカがファンタスティックなドライビングをしているぞ!これは速い!」と。

 実はこのエピソード、「みんカラ」(2012年02月28日付けの『浅岡重輝さん、衝撃の証言』)で一度、紹介済みである。このときの詳細な記憶を、一度は纏めておきたい。なにしろ、予選9位(出走17台)からのスタートで、結構冷静にスターターの合図を待っていた。と、赤ランプが点灯した。慌ててエンジン・スイッチを切った瞬間、赤ランプが青に変わって、周りのマシンが一斉にスタート。え!?である。そのころの筑波や富士は競技長の振り下ろす旗を合図にスタートした(と、記憶しているが、実際はどうだったかな?)。迂闊にも、つい、その錯覚にはまったわけだが、よく後続車にお釜を掘られなかったものだ。それでも7位でフィニッシュしたのだから、お粗末なスタートのミスさえなければ、なんて強がった記憶がある。 



 MACAOは1987年、ミラージュで出走。その模様は「ベストモータリング」創刊第2号に収録されているが、どちらもサーキットを走りながらの「特設記者席」と解釈すれば、それなりの得心はいただけようか。
 雨があがるのと歩調を合わせて、ゴンドラも1周を終えて、静かに停止した。

 それからのわたしは、たちまち「カメラ小僧」に変身してしまう。ゴンドラに乗っている間にインプットしておいた、注目ポイントを目指して、真っ直ぐ駆け出す。この市街地F1サーキットの公道部分は別にして、ピットやパドックに用意されているゾーンには、いつでもウォーキングしながら、近づけるとわかったからだった。

 さてそこからは、実際に撮ったショットで、スッピンの市街地サーキットをご紹介した方が、いいだろう。なにしろ、5月に入ると、シンガポールは9月の「F1グランプリ」にむけて、早々とお化粧の準備に入ってしまい、素顔を見ることができるのは「いま」だけだという。それでは、ご覧あれ。 


















*これが最終コーナーにアプローチするターン22.まっすぐ行けば、海が待っている。 

 ああ、今年の9月は、何は置いても、この目で「ホンモノ」を確かめたい。ひょっとして、それが「野郎の夢」の最後かもしれない。どうかな?









Posted at 2014/04/01 01:04:19 | コメント(6) | トラックバック(0) | 78歳の挑戦 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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