~読み始めたら止まらない『自動車評論30年史』~
ベストカー編集部がとても危ない本を創ってしまった。
なにが「危ない」のかって!?。それは、サブタイトルに書いているように、読み始めたら止まらなくなって、危うく、大事な約束を一つ、すっぽかすところだった。
さて、この2月9日に都内のホテルで午後6時からいとなまれる「故 徳大寺有恒さん お別れの会」に足を運ばれる「ご友人たち」にお持ち帰りいただく本ができあがり、発起人の一人であるわたしのもとにも、その新刊が前もって届けられたのである。

*俺と疾れ!!(講談社ビーシー・講談社刊 1700円=税別)
まずモノトーンの白を基調とした表紙の出来がすばらしい。スバルSV4に右手を添えるいつものポーズ。キャッチコピーの《この一筆が日本のクルマを変えた! 34年間、「ベストカー」に綴った遺稿を厳選収録》も悪くない。
次に、「前書きに代えて」と見出しをつけた『ベストカー編集部』からのメッセージを読む。おお、徳大寺有恒という物書きの見事な人物評になっているではないか。誰が執筆したのかな。その一部を拾いあげると・・・・・・。
――愛称「徳さん」、1976年、それまでのマニアを中心に読まれていた自動車評論を一挙に身近なものにした。よく知られているように「間違いだらけのクルマ選び」(草思社刊)により、クルマの善し悪しの評価をまさに忌憚なくわかりやすく解説したからに他ならない。当時はクルマを悪く書くことに躊躇があったし、たとえ書くにしても遠回しの表現を使い、わかりづらかったということもあったろう。そこに正直に切り込んだのが徳さんだった。それだけではない。徳さんの文章は平明でわかりやすく、しかも面白い。
かねてから親交のあった五木寛之先生が連載している「週刊新潮」に追悼の言葉として、「昭和の文章家が、また一人いなくなった」と書かれている。クルマの持つ楽しさやワクワクドキドキする情景をわかりやすく表現したのが徳さんの評論だったのだろう。
その通りだった。かつて五木さんは「ベストカー」への寄稿のなかで、徳さんの文章をこうも評していたのが滅茶苦茶、楽しかったので、ちょっと詳しく紹介したくなった。
「いまや美文の時代だ。美文なんていうと時代遅れの二枚目スターみたいなイメージだが、最近ばかに面白い文章は、みな新しい美文じゃないか。
美文といえば三島由紀夫。
だが、本当の美文は、キレイ感覚より、血沸き肉躍る浪漫劇画の精神だ。イキイキして、ウットリさせて、そして読者をじっとしていられない気分に駆りたてる。そのためには手垢のついた表現も、大時代がかった形容詞も、月並みきわまりない比喩の連射も、あえて恐れずあなどらず、4500から6000回転あたりのツインカムターボを思わせる過激な立ち上がりで原稿用紙にフレーズを叩き出す。
いうなれば十年前の競馬新聞の一面トップ記事感覚。それが現代の美文じゃないか。
ぼくが近ごろ注目している書き手、〈悪夢のオルゴール〉の松井邦雄氏にも、スコラのカー特集号をライターのディクタツール(独裁)化してしまった徳大寺伸、おっと徳大寺有恒氏の文章にも、その新しい美文だい好き感覚がギュンギュン唸っているのを感じる。(後略)
つぎに、目次のページを開くと、1984年にはじまり、1999年までがあっさり並べてあるだけ。あ、そうか。「激動の20世紀 編」と断っているのは、その辺の仕掛けであったのか。各章の扉ページに掲載年を大きく見せて、そこへその年の【主な出来事】を執筆の背景を添える。ありがたい仕掛けだ。
当書の「源泉」となった連載企画『俺と疾れ!!』は、『ベストカーガイド』が創刊してから6年目の1984年にはじまっている。当初は読者の疑問、質問に徳さんが答える形式だったのが、翌85年に現在と同じ月2回刊となり、誌名も『ベストカー』に短縮されたのを機に、企画の最初に徳さんがその時に感じたことをエッセイとしてまとめるようになる。それが連載最終回となる2014年、12月26日号まで続く。その一つ一つが連環しながら、徳さんの生き様を浮かび上がらせようという仕組みらしい。
1984年6月号「なんにでも答えたい」
―――クルマいちずに44年間、学校の勉強もろくにやらず、ただ、クルマ好き、好きで人生を送ってきた。
よくしたもので、それなりに人生を送れるものであると、私自身が証明になっている。貧乏のときもあり、少々豊かなときもあった。
しかし、私は一貫してクルマが好き、それもできることなら目的に純粋なクルマを好ましく思ってきた。
このページはクルマのことはもちろん、その他のことを44年のあまりたいしたことない人生をかけてお答えしようと思っている。
この自然体の宣言で、その連載はスタートした。すぐ次の項は「クルマが大好きだが、それ以上に友人は大切だ」と歯切れよく宣言する。
―――最上のメシが食いたければ、最高の友と食事をともにすることだと思う。
それと同じく、最も幸せなカーマニアになりたければ、クルマ好きのいい友だちに恵まれる必要がある。
私はクルマが大好きだが、それ以上に友人は大切だと思う。そして、その友人たちが多いことを私は本当に誇りに思っている。
我がBCG(ベストカーガイド)の最良のテスターはいうまでもなくガンさんである。まだ、つきあってから日は浅いが、素晴らしい男である。
御年43歳(たしか?)だが、まだ走り続けている。
彼は自分の前を走るクルマ、人を許さないのだ。クルマを速く走らせることが彼の人生であり闘いなのだ。
私はガンさんの走りから哲学を感じる。速く走ることは美しいことだと思えてくる。
これは友人の一例だ。そして彼ら友だちが私にものを書くエネルギーを与えてくれるのだと思っている。
テーマはひらひらとあっち行き、こっち行きで、まことに楽しい。
*キミがポルシェを一生持てないなんて、そんなこと誰がわかっているんだ!
*F1GPは速くて、そして悲しいレース
*万人にとって最高のクルマなんてありゃしない(’85年7月26日号)
*カー・オブ・ザ・イヤー授賞式に思う(’86年3月10日号)
*新春特別エッセイ フェラーリの誘惑(’88年1月26日号)
ああ、まるで徳さんが耳元で囁いているような「懐かしい時間」が蘇ってくる。もう少しだけ、どんなことを語りかけてくるのか、ピックアップしておこう。
*この大バカ野郎(’93年4月26日号)
*アイルトン・セナの死とモータースポーツのリスク(’94年6月26日号)
この時の徳さんの筆鋒は、まるで何かに向かって怒りをたたきつけるような、凄みと熱さがこもっていた。
―――現代のF1ドライバーは自動車という機械を征服する人間の代表だ。それは宇宙飛行士にも似たもので、ロックシンガーやTVスターとはまったく違うものだと思う。
セナの事故はそのことをはからずも教えてくれることとなってしまった。
私の知るかぎりでも、多くの素晴らしいドライバーが亡くなっていった。セナと同じ年にデビューしたドイツのステファン・ペロフもそのひとりだが、ジム・クラーク、ヨッヘン・リントなどワールドチャンピオンもサーキット事故で亡くなっている。
けっしてモータースポーツの事故がいいとも思っていないし、そいつを見たいとも思ってもいない。でも、リスクのないモータースポーツは存在しない。それは角のない牛と戦う闘牛士と同じなのだ。そのリスクが、彼らを特別な人間にしているのだ。
1995年の3月10日号、徳さんらしいいい斬り方で、スカイラインGT-Rを断罪する。「スカイラインGT-Rは”つまらん”」と。結構、たっぷりスペースを費やして、書き込んでいた。デビューしたばかりのR33のスカイラインGT-Rを、「私は不要だと思っている。GT-RはもはやGTでもなく、むろんスポーツカーでもない」と。徳さんは怒ってはいなかった。哀しかったのだ、とわたしは読み取った。
ここから先は、どうぞ実際に本書を手にして、それぞれが自由に読みとっていただきたい。
ちなみに、この続編「変革の21世紀編」は3月下旬に発売予定だという。
(この項、終わり)