〜提案・ドキュメント『ベスモ同窓会』をみんなで書き上げないか〜
【左のカレラSのナンバープレートは、「えむしい34」君特製の「懐かしのベスモ」プレートが装着されている】
ただ独り、新妻(もちろん日本人女性)の待つ「テキサス州サンアンジェロ」(アメリカ大陸西南部の街)へむかって、家路を急ぐ旅人がいた。4月8日(水)の午後、成田から空路デトロイトへ、そこから国内便を乗り継いで、オースティンに降り立った。ここでやっと愛車ミヤータをピックアップし、さらに3時間あまりをかけてハイウェイを西に250マイル(約400km)、走らせなければならなかった。
4月6日の午後4時すぎに中山サーキットで散会した「4th ベスモ同窓会」のメンバーそれぞれが帰路についてから、すでに丸々、70時間が経っていた。
※4月7日、無事にカレラSを返却したあと、CX-3で、この日の宿泊先のホテルまで移動、隣接のファミレスでガンさんドライブの「355」の外付け車載映像をチェック。これはいいものが創れそうだぞ。
4月9日の正午(日本時間)、もうソロソロかな、と流れを読んで「帰り着きましたか?」とiPadから「メッセージ」をいれると、待っていたように「今、オースティン空港に着陸したところです」というレスポンスから、みんカラネーム「Hawk Yama」氏の現状が把握できた。旅人とは、キャスター3氏を補助して参加者のサーキット走行をサポートした、あの「山ちゃん」のことである。
やがて、正確にいうと、4月9日17時28分、「何シテル?」にコメントが刻まれる。
※山ちゃんの居住するサンアンジェロ。西部劇の世界がそこにあって、ロッキー山脈に近いという。
ただ今現着しました!(^O^)/途中鹿がたくさん飯食っていたり、小動物が道を横断していたりと、何度かヒヤッとしましたが(笑)取り敢えずご報告(o^-')b」まで(o^-')b
サンアンジェロとの時差は14時間。つまり現地は午前3時28分ということだ。片道1万4000kmを超える旅が24時間以上を費やして完了し、これでやっと「ベスモ46士」全員が、安らかな日常の暮らしに無事、復帰できたということだろう。
2015年になってからすぐに「第4回ベスモ同窓会」を今年もやりましょう!と、いつもより早めに宣言した。新年の挨拶で、今年もやってもらえるか、と数多くのメンバーからと催促されたのが嬉しくって、ガンさんや中谷君、それに大井・田部両君の都合も訊いた上で、「イベント詳細」にこう、晴れ晴れしく書き込んだ。
−−−−発足して3年目。4月のスーパーGT開幕戦。それの翌日は、やっぱり「中山サーキット」に集まりましょう!
ある時代、バイクと4輪を問わず、7月の最後の週末には鈴鹿の8時間耐久レースに合わせて、鈴鹿に集まったあの夏。連帯感が素晴らしかった。
今の時代、そうした自然発生的な1年に1回の「わたしたちのお祭り」が喪われました。残念ですね。せめて「ベスモのDNA」をもつメンバーだけでも、われらが祭りを継承していきたい。クルマと暮らす至福を、お互いが「鈴鹿の夏」と同じように確かめ合い、磨き合おうではないか。
その上で、こうも書き足した。
−−−−今回は特に、レース終了後の4月5日の夕方から、和気町の温泉ホテルに集まって「前夜祭」も予定します。翌日の「サーキット走行」を考えると、特に遠来のメンバーには、かなりの「いい話」ではないでしょか。
「ベスモ同窓会」メンバーの反応は、素晴らしく速かった。参加枠を40名と拡げておいたにもかかわらず、あっという間に満杯に。
かねてから、この「ベスモ同窓会」を、参加するメンバーたちのそれぞれのベスモへの想いとクルマとの関わりを重ね合わせ、時系列でドキュメントとして記録したい、と構想している。はたしてまとめ上げられるかどうかは別として、テーマの選別は進んでいるし、材料もふんだんにある。
なにしろ、この「みんカラ」というメディアは、そうした意味で、それぞれが自分の記録や想いを、丹念にレポートしたり、画像を添えたり、ご丁寧に動画まで挿入している。それらを俯瞰していると「ベスモ同窓会」という舞台で、なにやら新しいものが生まれつつある……それが「ネオ・ベストモータリング」あるいは「ベスモ・ネオ」に発展してくれないかな。
そんなことに想いを巡らせていると、「Hawk Yama」こと「山ちゃん」が海のむこうから、私の想いを見抜いたように、彼の圧縮された想い、弾けるような息遣いの聴こえるブログをアップし始めたのである。詳しくは
山ちゃんブログ「ベスモから始まったドラテク研鑽の日々」を参照いただきたい。
そこにはもう1台の愛車、黄色のケーマンポルシェを前にした山ちゃんのプロフィールが丹念に記されていて、彼の人生が「べスモ」とは切っても切れない親密以上の関係であることがわかる。
さらにもう一歩踏み込んで、彼自身がこの国の自動車メーカーの実験部に勤務しながら、今ではアメリカに渡り、《グッドイヤー》であらゆるジャンルのタイヤの性能テストに携わるスペシャリストとしての人生を選んでいったかの「なぜ」は、わたしのBLOG2012年1月4~5日に収めている
《続・「みんカラ」友達との『黄金の日々』を、あらためてご一読いただくと、その辺の「濃い事情」が素直に伝わるはずである。
改めて、山ちゃんが第4回目の「べスモ同窓会」に臨むにあたっての「第3回」のメモワールをまとめてくれいる。第1回と第2回は距離的な関係もあって、何の手伝いもできなかったが、奮起一番、参加した「第3回ベスモ同窓会」が、またもや彼の人生を、大袈裟にいえば激変させたことを、率直に、さりげなく告白しているのに、正直、驚いた。
山ちゃんの並べた項目は以下の通り。
① 前の職場への思いがけない訪問
② マツダアテンザを駆って局長、飯嶋さんとの東京−岡山ドライブ
③ 雪も降る中での初のスーパーGT観戦
④ 大井さん・デカトーさんとの秘密会議
⑤ 波田さんとの23年ぶりの再会
⑥ 同窓会での思いがけない同乗走行担当
⑦ ガンさんのありがたいご講話
⑧ 波田さんからのサプライズプレゼント
⑨ 同窓会後の打ち上げ及び夜の宴(^O^;
⑩ 次の日、「一人はうまからず」の言葉を残された直木賞作家・藤原審爾氏の墓参りのお供や備前焼の藤原啓記念館訪問
⑪ 帰京中の高速でMDiさん一家との偶然の再会
更にイベント後には
⑫ 人生の伴侶と巡り会う
⑬ 何故かベンツE350ワゴンの試乗
とまぁ超盛りだくさんの旅になったのでした(笑)しかし、その出会いのせいで超多忙になってしまい去年(第3回のこと)のリポートを書く暇がありませんでした。
一読、⑫の項目で膝を叩いてしまった。東京にたどり着くなり、そそくさと白河(福島県・かつてはみちのく地方との関所が設けられた町)へ行くといって消えた理由が、初めて読めたのである。そうか求愛の旅が待っていたのだ。
たとえマイレージの特典旅行であろうと、日本に着いてからのホテル代など、その出費は半端ではないはず。それに1週間近くの休暇も会社に申請しなくてはならない。が、この「第3回ベスモ同窓会」への出席は、出費に見合う、とんでもないサプライズを彼にもたらせてくれたのだ。
となると、この第4回目が気になる。果たしてHawk Yama氏に、今回の旅が何をもたらすことができたのだろうか、と。サプライズは用意したつもりだった。今回のイベントのハイライトは「前夜祭」「ガンさんのフェラーリ355」「中谷明彦のポルシェカレラS」などが、即座に挙げられよう。
そう、その中の一つ、カレラSはポルシェJAPAN広報部の厚意で調達できたのはいいが、「確認事項」のなかに「車両使用中に関する保険は申込み者の任意で加入」することが謳われていた。もちろん、こちらもそのつもりでいた。が、車両価格がオプションを含めると17,246,000円とあって、受けてくれる保険会社を簡単に手配できるものではなかった。
やっと昔の誼(よしみ)で「バトル」ものでさんざん世話になった代理店と話はついたものの、サーキットでは中谷・黒沢・大井限定、公道はプラス「Hawk Yama」と私を登録することで約定できたのである。金額は納得できる範囲で収まった。
サーキット走行を含んで往復1500km強。結局そのほとんどを山ちゃんにお任せした。それが今回のサプライズだと思うが、その辺の公道走行インプレッションレポートも、山ちゃんにお任せするとしようか。
それにしても、参加メンバーが仕上げてくれつつある「同窓会レポート」は、それぞれの個性がうかがえて、ともかく楽しいし、内容も濃い。「イワタカズマ」「タテツネ」「MDi」「えむしい@34狂い」「2315」の常連に、平成生まれのベスモ育ちの「FRマニア」や新顔の「・かっち・」といった面々。充分にドキュメントの資料として、活用できるはず。かつて立花隆さんが「田中角栄金脈研究」に取りかかった時も、そうした作業が発酵して、ついには時代を震撼させるレポートとなったのを、なぜか思い出してしまった。