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正岡貞雄のブログ一覧

2015年04月27日 イイね!

『Neo Best MOTORing』創刊号のテスト版かな?

『Neo Best MOTORing』創刊号のテスト版かな? 〜第4回ベスモ同窓会からの「贈り物」〜
 


 2015年4月6日の午前8時45分、この日の主役、PORSCHE911カレラSのステアリングを中谷明彦君に委ねて、ベスモ同窓会の会場である山陽スポーツランド・中山サーキットのゲートをくぐった。すっぽりと朝靄があたり一帯に張り付いていた。雨足こそ激しくはないが、コースのあちこちで、小さな川が流れ始めていた。



 主催する側がもっとも嫌がる、厄介なコンディション。前の2回は、この日に限っては、計ったように晴天を用意してくれていたのに。そういえば、今回は強烈な「雨風男」がレーシング・スーツからヘルメットまでを新調して、わざわざ「しまなみ海道」を経由して参加してくるのに、思い当たる。

 が、心配ご無用! 受付9時30分とつたえてあったにもかからず、すでにパドックは熱気満々、波田カリスマ教官を中心に、出走車両の準備、コースのチェックが、「粛々と」進められていた。参加者総勢46士。順次、食堂上の講習室に上がっていき、それぞれが席に着いている。

「じゃあ、こんなことは珍しい。みんながそろったみたいだから、定刻より早いけど、始めようか。じゃあ、ガンさんからご挨拶、いただきましょうか」

 それを受けて、LEONチームに協賛するAMGの黒いブルゾンを羽織ったガンさんが、開口一番、
「おはようございます。こんな天気ですが、雨は雨で、ドライビングにとってはいろいろと……」勉強になるでしょうから、と辛口の挨拶。
 
 つづいて中谷、大井両キャスターが持ち味の軽いおしゃべりをしたところで、とにかく、コースに出ようか、ということで、中谷君がカレラSでコースイン。5周ばかりのチェック走行を済ませて、コントロール・タワー前で悪戯っぽくスピンさせながら、停止する。ここで全員の集合記念写真を撮影を前もって済ませておこう、というのだった。

 

−—−とまあ、こんな感じで、勿体ぶってレポートするよりも、今回は動画のダイジェスト版と、シナリオにはなかったガンさんの F355のドライビングを、今までにないアングルで捉えた映像が編集できた。それをいちはやく「立ち読み」的ではあるが、当みんカラBLOGで、単刀直入に公開することにした。

 担当は、東京から岡山までMAZDAの最新デビューカー、CX−3とPORSCHEカレラSをトランスポートし、同時に手持ちの撮影カメラ類(何しろ車載カメラを搭載し、BMキャスターのドラテクを盗んじゃえ、と意気込んでいた)を総動員、雨用のポンチョまで買い込んできた3人組……MDi、HawkYama、2315の俄か編集員たちである。



 その3人が撮り、編集し、動画に落とした「作品」。まず「みんカラ」でオープンし、そのあとじっくり本格的にロングバージョンに創り上げ、別途、「ぽらりす」Webで表現してみよう、と企んでいる。彼らの「ベスモへの想い」の濃さ、エネルギー、スキルの高さ。なんだか誇らしくなるわたしがいる。

 まさに、気分は、かつて心を注いだあの「ベストモータリング」を、自分たちの力で再現させてみようとする「テスト版」つくりである。

 そして出来上がった、ふたつの「作品」。それをいまや193人までに膨れ上がった「ベスモ同窓会」メンバーへのプレゼントとしよう。
 当初は、まず参加したメンバーにメールアドレスを届け出てもらって、動画ファイルを送信しよう、と。ところが、これが大変にハードな「仕事」。時間帯によっては、まったくダウンロードしてくれない。受け付けてくれないURLがあったりで、こちらはただただ耐えるしかなくなった。

 で、方針変更、「局長の仕事」の一環として、公開にふみきるたことにした。いろんな壁や不都合にぶつかっても、なんとか調整して、克服していく……実は、それこそが「ベストモータリング」のスピリットであった、と思い起こしている。
 どうぞこのふたつのプレゼント、楽しみに受け取っていただきたい。ひょとしたら、新しいメディアつくりへの端緒かもしれない。

Present.1





Present.2

2015年04月20日 イイね!

『風の仲間』の盟主・五木寛之さんが週刊誌の表紙に!

『風の仲間』の盟主・五木寛之さんが週刊誌の表紙に!〜「何シテル?」拡大版・こんな1日があってもいいじゃないか〜



 4月に入ってから16日までに、4回も「みんカラ」BLOGをアップしている。4日に1回とは、なかなかのペースだ。

 その原動力はもちろん、4月6日の「第4回ベスモ同窓会in中山サーキット」にあるのだが、その前後の日々は、いわば『ポルシェ漬け』と呼んでみたいほど、レーシングイエローのPORSCHEカレラSの調達から返却、そして、いくつかのアングルで収録した中谷明彦君のドライブした車載映像をまとめる打ち合わせなどがからみあって、結構、現役並みのハードな、いや幸せな時間が続いている。



 そうはいっても、「旅日記」の中のPORSCHEカレラSは、まだ新東名高速道を西へ下っていくところまでしか走っていない。そろそろ、わたしがステアリングを握った山陽自動車道・白鳥PAから中山サーキットまでのクルージングで何を感じ、何を思い出したかをまとめておきたい。タイトルだけは決まっていた。『想い出ボロボロ』ポルシェ漬けの6日間、と。

 さて、それに見合った写真はどれにしようか。ポルシェ911 に親しんだショットがいくつかあったが、どこに保存してあったけ? 難儀な作業が待っていた。

 そこで、ちょっと一服。日曜の朝の散歩をかねて、近くのファミリーマートまで足を運ぶことにした。

 日経新聞とファミマカフェでお気に入りのカフェラテ。これがわたしの定番だった。ついでに週刊誌を並べてあるスタンドに目をやると、しばらくお逢いしてない作家が腕組みして、こちらへ笑顔を送ってくるではないか。



 え⁉︎ 五木さんだ。いったい、なにがあったのか。それにしても80歳を二つほどオーバーランしておきながら、この老いを感じさせない雰囲気はなんなのだ。そうか「還暦プラス22歳」と勘定すれば、なんの違和感もない。

「サンデー毎日 4月26日号」を手にとる。表紙にも目次にも「特別対談 五木寛之+高村薫 人生100年時代を豊かに生きる」と謳ってある。
 
 これまで、何度か『風の仲間』という、クルマに首ったけ野郎が徒党を組んで、クルマメディアを騒がした時代のあったことを紹介している。その盟主が五木さんで、徳大寺有恒、黒澤元治、舘内端にわたしが加わって、鈴鹿サーキットやマカオGP を舞台に、賑やかに遠征したものだった。
 
 早速、購入して帰宅。日経新聞は後回しにして、カフェラテを飲みながら、7ページものの対談を拝読した。対談相手の高村さんは大阪在住の女流作家、五木さんが「親鸞」、高村さんは「空海」を取り上げてきた共通点から、この対談はスタートしていた。



 五木さんが高村さんの『冷血』という作品の凄い迫力について、まず触れる。以下、その対談の一部を紹介したい。

五木 「冷血」の車の描写など車好きの僕なども、正直、兜(かぶと)を脱ぐ思いで読みました。何よりディテールがしっかりしている。ところで、高村さんは今、直木賞の選考委員をなさっていますよね?
高村 はい。
五木 最近、いかがですか? 新しい書き手は活気がありますか?
高村 小説への向かい方というのが、私などの世代とは変わってきているのかな、という気がしますね。
五木 ほう。それはどういうことなんだろう。
高村 とりあえず書いてみたら書けてしまった。そういう感じなんでしょうか。小説に向き合うハードルが、とても低くなっているという気はいたします。
五木 なるほど。表現する人がいて、片方に従順な受け手がいるという、主従関係ではないけれど、
 お二人の対談はどんどん濃く、じっくり読み込まなければならない気にさせてくれる。そういえば、五木さんは好んで、徳さん、ガンさん、そしてたまにはわたしまでもが、対談相手に指名されたものかつてのそういう関係が崩れてきたこともあるかもしれませんね。
高村 そうですね。誰もが発信者。
だ。そのいくつかは、いまもなお、再読したくなる「宝石」のようなものがある。





 あ、ガンさんとの「それからの《メルセデスの伝説》」を蘇らせる作業が、そのままになっている。いいことを思い出させていただいた。
「ぽらりす名作図書館」にはぜひ収容しなければ……。

 ともかく「サンデー毎日」の潟永秀一郎編集長の五木さんへのラブコールは尋常ではなかった。こちらが焼餅を妬きたくなるほどの内容を「編集長・後記」に記していた。

——巻末のグラビア新連載「ボケない名言」の打ち合わせやら今号の対談などで、五木寛之さんにお目にかかる。音楽界では70年代からヒット曲を出し続けるシンガー・ソングライターは数人といわれるが、五木さんは60年代からベストセラー作家の座にある、まさにレジェンド。しかも同じ場所にとどまらず、音楽に例えればロックから演歌までヒットを連ねる。その生き様にあやかろうと、小誌の指南役をお願いし、表紙にもご登場ねがった。

 なるほど、だから五木さんが表紙になって、他の週刊誌と姸を競って(?)いる理由がわかった。潟永編集長は書き継ぐ。

——対談で五木さんは「豊かなる下山」を語られた。それは、心穏やかに余裕を持って熟成への道を下るというプラス思考である、と。道標(みちしるべ)としての新連載に、どうぞご期待ください。

「サンデー毎日」の創刊は1922年、93年の歴史をもつ老舗中の老舗。それが発行元を「毎日新聞出版局」から「毎日新聞出版株式会社」として独立することになり、そのリニューアルに取り組んでの新しい船出。
 誌面を拝見しても、間違いなく、その気概のほどが窺えた。どんな小さな記事にも筆者・記者のクレジットを明記しているし、テーマの選択にも、3倍近くの発行部数をもつ現代・ポスト、文春・新潮の2大潮流とは一線を画そうとする姿勢が見える。

 週刊誌、月刊綜合誌に通算して18年間、編集者として籍をおいたものとして、「サンデー毎日」が目指しているものは痛いほど理解できる。これからは、毎週、かならず朝の散歩のあと、購入することを約束しよう。それも「風の仲間」の盟主への、改めての忠誠、いや、こちらからのラブコールではなかろうか。

 さあ、一服はここまで。「想い出ボロボロ」にとりかかるとするか。  

Posted at 2015/04/20 02:01:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | 局長の仕事 | 日記
2015年04月16日 イイね!

あのカレラSにもっとも長く乗れた男

あのカレラSにもっとも長く乗れた男〜提案・ドキュメント『ベスモ同窓会』をみんなで書き上げないか〜

【左のカレラSのナンバープレートは、「えむしい34」君特製の「懐かしのベスモ」プレートが装着されている】

 ただ独り、新妻(もちろん日本人女性)の待つ「テキサス州サンアンジェロ」(アメリカ大陸西南部の街)へむかって、家路を急ぐ旅人がいた。4月8日(水)の午後、成田から空路デトロイトへ、そこから国内便を乗り継いで、オースティンに降り立った。ここでやっと愛車ミヤータをピックアップし、さらに3時間あまりをかけてハイウェイを西に250マイル(約400km)、走らせなければならなかった。
 4月6日の午後4時すぎに中山サーキットで散会した「4th ベスモ同窓会」のメンバーそれぞれが帰路についてから、すでに丸々、70時間が経っていた。


※4月7日、無事にカレラSを返却したあと、CX-3で、この日の宿泊先のホテルまで移動、隣接のファミレスでガンさんドライブの「355」の外付け車載映像をチェック。これはいいものが創れそうだぞ。


 4月9日の正午(日本時間)、もうソロソロかな、と流れを読んで「帰り着きましたか?」とiPadから「メッセージ」をいれると、待っていたように「今、オースティン空港に着陸したところです」というレスポンスから、みんカラネーム「Hawk Yama」氏の現状が把握できた。旅人とは、キャスター3氏を補助して参加者のサーキット走行をサポートした、あの「山ちゃん」のことである。
 やがて、正確にいうと、4月9日17時28分、「何シテル?」にコメントが刻まれる。

※山ちゃんの居住するサンアンジェロ。西部劇の世界がそこにあって、ロッキー山脈に近いという。




 ただ今現着しました!(^O^)/途中鹿がたくさん飯食っていたり、小動物が道を横断していたりと、何度かヒヤッとしましたが(笑)取り敢えずご報告(o^-')b」まで(o^-')b

 サンアンジェロとの時差は14時間。つまり現地は午前3時28分ということだ。片道1万4000kmを超える旅が24時間以上を費やして完了し、これでやっと「ベスモ46士」全員が、安らかな日常の暮らしに無事、復帰できたということだろう。

 2015年になってからすぐに「第4回ベスモ同窓会」を今年もやりましょう!と、いつもより早めに宣言した。新年の挨拶で、今年もやってもらえるか、と数多くのメンバーからと催促されたのが嬉しくって、ガンさんや中谷君、それに大井・田部両君の都合も訊いた上で、「イベント詳細」にこう、晴れ晴れしく書き込んだ。

−−−−発足して3年目。4月のスーパーGT開幕戦。それの翌日は、やっぱり「中山サーキット」に集まりましょう!
 ある時代、バイクと4輪を問わず、7月の最後の週末には鈴鹿の8時間耐久レースに合わせて、鈴鹿に集まったあの夏。連帯感が素晴らしかった。
 今の時代、そうした自然発生的な1年に1回の「わたしたちのお祭り」が喪われました。残念ですね。せめて「ベスモのDNA」をもつメンバーだけでも、われらが祭りを継承していきたい。クルマと暮らす至福を、お互いが「鈴鹿の夏」と同じように確かめ合い、磨き合おうではないか。

 その上で、こうも書き足した。

−−−−今回は特に、レース終了後の4月5日の夕方から、和気町の温泉ホテルに集まって「前夜祭」も予定します。翌日の「サーキット走行」を考えると、特に遠来のメンバーには、かなりの「いい話」ではないでしょか。






「ベスモ同窓会」メンバーの反応は、素晴らしく速かった。参加枠を40名と拡げておいたにもかかわらず、あっという間に満杯に。

 かねてから、この「ベスモ同窓会」を、参加するメンバーたちのそれぞれのベスモへの想いとクルマとの関わりを重ね合わせ、時系列でドキュメントとして記録したい、と構想している。はたしてまとめ上げられるかどうかは別として、テーマの選別は進んでいるし、材料もふんだんにある。

 なにしろ、この「みんカラ」というメディアは、そうした意味で、それぞれが自分の記録や想いを、丹念にレポートしたり、画像を添えたり、ご丁寧に動画まで挿入している。それらを俯瞰していると「ベスモ同窓会」という舞台で、なにやら新しいものが生まれつつある……それが「ネオ・ベストモータリング」あるいは「ベスモ・ネオ」に発展してくれないかな。

 そんなことに想いを巡らせていると、「Hawk Yama」こと「山ちゃん」が海のむこうから、私の想いを見抜いたように、彼の圧縮された想い、弾けるような息遣いの聴こえるブログをアップし始めたのである。詳しくは山ちゃんブログ「ベスモから始まったドラテク研鑽の日々」を参照いただきたい。

そこにはもう1台の愛車、黄色のケーマンポルシェを前にした山ちゃんのプロフィールが丹念に記されていて、彼の人生が「べスモ」とは切っても切れない親密以上の関係であることがわかる。

 さらにもう一歩踏み込んで、彼自身がこの国の自動車メーカーの実験部に勤務しながら、今ではアメリカに渡り、《グッドイヤー》であらゆるジャンルのタイヤの性能テストに携わるスペシャリストとしての人生を選んでいったかの「なぜ」は、わたしのBLOG2012年1月4~5日に収めている《続・「みんカラ」友達との『黄金の日々』を、あらためてご一読いただくと、その辺の「濃い事情」が素直に伝わるはずである。
  
 改めて、山ちゃんが第4回目の「べスモ同窓会」に臨むにあたっての「第3回」のメモワールをまとめてくれいる。第1回と第2回は距離的な関係もあって、何の手伝いもできなかったが、奮起一番、参加した「第3回ベスモ同窓会」が、またもや彼の人生を、大袈裟にいえば激変させたことを、率直に、さりげなく告白しているのに、正直、驚いた。

 山ちゃんの並べた項目は以下の通り。

① 前の職場への思いがけない訪問
② マツダアテンザを駆って局長、飯嶋さんとの東京−岡山ドライブ
③ 雪も降る中での初のスーパーGT観戦
④ 大井さん・デカトーさんとの秘密会議
⑤ 波田さんとの23年ぶりの再会
⑥ 同窓会での思いがけない同乗走行担当
⑦ ガンさんのありがたいご講話
⑧ 波田さんからのサプライズプレゼント
⑨ 同窓会後の打ち上げ及び夜の宴(^O^;
⑩ 次の日、「一人はうまからず」の言葉を残された直木賞作家・藤原審爾氏の墓参りのお供や備前焼の藤原啓記念館訪問
⑪ 帰京中の高速でMDiさん一家との偶然の再会

更にイベント後には
⑫ 人生の伴侶と巡り会う
⑬ 何故かベンツE350ワゴンの試乗

 とまぁ超盛りだくさんの旅になったのでした(笑)しかし、その出会いのせいで超多忙になってしまい去年(第3回のこと)のリポートを書く暇がありませんでした。

 一読、⑫の項目で膝を叩いてしまった。東京にたどり着くなり、そそくさと白河(福島県・かつてはみちのく地方との関所が設けられた町)へ行くといって消えた理由が、初めて読めたのである。そうか求愛の旅が待っていたのだ。

 たとえマイレージの特典旅行であろうと、日本に着いてからのホテル代など、その出費は半端ではないはず。それに1週間近くの休暇も会社に申請しなくてはならない。が、この「第3回ベスモ同窓会」への出席は、出費に見合う、とんでもないサプライズを彼にもたらせてくれたのだ。



 となると、この第4回目が気になる。果たしてHawk Yama氏に、今回の旅が何をもたらすことができたのだろうか、と。サプライズは用意したつもりだった。今回のイベントのハイライトは「前夜祭」「ガンさんのフェラーリ355」「中谷明彦のポルシェカレラS」などが、即座に挙げられよう。

 そう、その中の一つ、カレラSはポルシェJAPAN広報部の厚意で調達できたのはいいが、「確認事項」のなかに「車両使用中に関する保険は申込み者の任意で加入」することが謳われていた。もちろん、こちらもそのつもりでいた。が、車両価格がオプションを含めると17,246,000円とあって、受けてくれる保険会社を簡単に手配できるものではなかった。



 やっと昔の誼(よしみ)で「バトル」ものでさんざん世話になった代理店と話はついたものの、サーキットでは中谷・黒沢・大井限定、公道はプラス「Hawk Yama」と私を登録することで約定できたのである。金額は納得できる範囲で収まった。

 サーキット走行を含んで往復1500km強。結局そのほとんどを山ちゃんにお任せした。それが今回のサプライズだと思うが、その辺の公道走行インプレッションレポートも、山ちゃんにお任せするとしようか。

 それにしても、参加メンバーが仕上げてくれつつある「同窓会レポート」は、それぞれの個性がうかがえて、ともかく楽しいし、内容も濃い。「イワタカズマ」「タテツネ」「MDi」「えむしい@34狂い」「2315」の常連に、平成生まれのベスモ育ちの「FRマニア」や新顔の「・かっち・」といった面々。充分にドキュメントの資料として、活用できるはず。かつて立花隆さんが「田中角栄金脈研究」に取りかかった時も、そうした作業が発酵して、ついには時代を震撼させるレポートとなったのを、なぜか思い出してしまった。

2015年04月08日 イイね!

べスモ四十六士、中山サ-キットに結集す!

べスモ四十六士、中山サ-キットに結集す!~フェラーリ355が吼え、ポルシェカレラSが翔けた!


 【左のカットが幻の「スーパーバトル」ドラマの開幕した瞬間ではなかろうか】

 いきなり、4月6日の「中山サーキット」からはじめるのには、わけがある。

 赤穂浪士の「四十七士」には一人欠けるが、この「べスモ四十六士」がすっぽりワンカットに収まった画像を、メンバー各氏に、一刻も早くお届けしたいからである。



 撮影係を指名した「2315」君がわたしのNIKON D5200を三脚にセットし、器用にセルフタイマーをスタートさせて、自分も早走りで戻ってくる。

 カチリ――みんなの笑顔はいかがかな。それぞれが、それぞれの想いをあたためながら、この日を迎えた。それをギュッとひとまとめにしてくれたこの瞬間。中谷明彦君が、ウォームアップを兼ねて、カレラSをコースに持ち込み、5周。そして、コース上にカレラSを停める。ワッとそれを取り込んでの集合記念写真。


*最終コーナーをお尻を滑らせながら駆けあがっていくガンさんドライブのF355


 この後、ガンさんがF355のコックピットに収まり、松本から初参加の「zcha-schumi」さんをナビシート押し込む。やがてあのフェラーリサウンドが、山々に囲まれた中山サーキットで[「クオーン、クオーン」と吼えはじめる。その咆哮がコーナー、コーナーを渡っていく……演出した張本人のわたしですら予測しなかった「陶酔」の時間。

 よし、ついでに4月5日夜の「前夜祭」のワンカットを添えておこう。このあとじっくりと「PHOTOを中心にした旅日記」を書き継ぐこととする。



2015年04月05日 イイね!

PORSCHEカレラS『べスモ同窓会』旅日記

PORSCHEカレラS『べスモ同窓会』旅日記~PHOTOを中心にして速報開始!~


 4月4日の午前6時のチョイ前。
 約束の5時30分に15分近く遅れて「2315」君の待つ飯田橋着。

 なにしろ、今回の旅のお供は、レーシングイエローのポルシェ・カレラS。大事に、丁寧に、岡山・中山サーキットを往復しなければならない。それに久々の「ポルシェ。ドライブ」。アクセルを踏むと、背後で湧き上がるドラマチックなあのポルシェサウンド。Mモードに設定して、パドルシフトの+、-の操作にまだ不慣れ、とあっては、どんなに遅刻しようとも、信号では確実に停止して、まず安全、確実を心がける。

 目印の「モスバーガー」の手前を左折すると、「2315」君が、手を振っている。なにしろ「2315」君はマニュアルシフトの2015年式のボクスターを入手したほどだから「ポルシェ」の扱いには通暁している。





 特に今回の旅の同伴者に指名したのも、ご本人の知的な資質もあるが、その辺の事情にもよる。

 6時に東名・港北パ^キングで合流しようと約束済みの、CX-3の「Hawk Yama&MDi」も、さぞかし気を揉んでいるだろうが、まあ、そんなわけだ。遅刻は許されよ。

 さて、飯田橋からなら、首都高速には「代官町」からはいるのが、近道だ。九段下を抜け、皇居のお堀端にぶつかる竹橋交差点で右斜めに。左手に「和気清麻呂銅像」と、見事な「花の饗宴」。で、一旦、カレラSを止めて「記念撮影」を。「2315」君もシャッターを切る。通りかかったパトカーがこちらを見ながら、通り過ぎる。

 さあ、いよいよ、料金所から首都高へ。用賀を過ぎ、多摩川を渡るあたりで、雲行きが怪しくなった。どうやら今回の旅は、天候との大バトルになりそうだ。

 その通りになった、港北SAに着くと、雨脚が激しくなった、先着の二人がこちらへ手を振っている。
「じゃあ、ここを出たら御殿場の先で新東名に入って、最初のサービスエリアで待ち合わせましょう」





 そう伝えて、「Hawk Yama」組にポルシェのKEYを渡した。こちらはCX-3を受け取り、運転は「2315」君に任せてカメラが係に徹することにした。つまり、写真速報を、と思いついたのも、こうした旅の流れから生まれる。お楽しみに。



  
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「岡田監督が”凄いことが起こるなあ”と呆れた1イニング4失策で、8回、5点のリードを持ちながら、ヤクルトにあっさり逆転されてしまった。舞台は本拠地甲子園。ショートの小幡が悪送球とトンネル、前川右京と森下が落球。これがいい薬になるかどうか、本番期待。収穫は青柳の開幕投手の確定濃厚や。」
何シテル?   03/09 10:58
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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