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正岡貞雄のブログ一覧

2015年10月22日 イイね!

『イヤーカー選び』と『140字日記』

『イヤーカー選び』と『140字日記』〜悩み多き季節が、またやって来ました!〜

 10月に入った途端、身辺が何かと慌ただしい。所属して3年目になる『RJC(日本自動車研究者・ジャーナリスト会議)』から、恒例の「2016年次カーオブザイヤー選考」に関する書類が届いたからだ。

 最終選考会(テストデイ)は11月10日(火)、「ツインリンクもてぎ」がその舞台。第1次投票の締め切りは10月31日。投票用紙を見ると、国産車部門にエントリーしているのは22車種、インポートカー部門は16車種、テクノロジー部門は14の「技術」がエントリーしている。それらを自分なりに吟味してリストの中から優秀と思われる6車(技術)に○印をつけ、最終選考会にノミネートする「6ベスト」として選出する仕組み。

 この最初の○印つけが、かなり悩ましい。が、そのためのチェック作業は己れのこの1年を検証することにもなり、結構、有効である。幸い、当みんカラBLOGの「何シテル?」コーナーは、折々の出来事や、メッセージしたいニュースを添えて140字以内にまとめて、収納して置けるのがありがたい……ということで、その「宝石箱」の蓋を開けてみた。適宜、付け加えたかった写真なども補充しながら……。



●2015 01/26 22:28
フルモデルチェンジするアルファードとヴェルファイアの発表会、これは見逃せない。中谷明彦君も同じらしく、極寒の北京から帰ったばかりなのに、会場のMEGAWEBまでやってきた。従来にはない「高級車」を創った、と主査が胸を張る。確かにいろんな要素がてんこ盛り。近く、中谷君と解剖しよう。
*チェック:結局、中谷君とは「ポルシェ」ものに追われて、その機会がつくれなかった。

●02/12 20:57
[満を持して]というべきか「やっと漕ぎつけた」なのか。HONDAが「セダン並みの低高で美しいフォルムの中に、ミニバンクラスの居住性とユーティリティーを実現し、パワフルで上質な走りを備えた6人乗りの新型乗用車「JADE(ジェイド)」の発表会へ。JADEとは翡翠のことと初めて知った。
*チェック:もし、6ベストに選ばれたなら、「もてぎ」で吟味。 


●03/20 23:19
霧の中からライトをギラつかせてこちらを睨む小生意気な奴、何者かお判りか。芦ノ湖スカイラインで試乗。命の水の湧き出るあたり。いまこの国でムキになって「走るクルマ」に熱中しているのはMAZDAとここ。改良ターボエンジンにパドルシフトの装着。足元もしっかり固めてあるぜ。
*チェック:さて、「ソリオ」と比べてどうだろう? こちらが上かな。

●03/30 22:20
予告通り3月30日は新車発表会のハシゴとなった。まず10時半、青山のHONDA.。S660は待望のオープンスポーツとあって報道陣が押すな押すなの盛況。白の作業服姿で壇上に立った開発責任者は初々しく、熱っぽく語りかけてきた。この模様は近くまとめよう。実車に触っているところをパチリ!



●03/31 12:15
S660の発表会② 黄色の「小さな主人公」を検分していると、人垣をかき分けて挨拶してきたのが仁礼義裕君。憶えていらっしゃる向きも多いはず。「御老公シリーズ」でうっかり八兵衛を演じたあの元べスモ編集部員。そこでカメラを渡してわたしをパチリ。お返しにこちらもパチリ。いい顔になったね。
*チェック 10月20日になって、やっと実写に試乗。巷ではこの黄色い「やんちゃ坊主」とMAZDAのROADSTARを有力候補としているが、異論あり! HONDAにはもっと本格的に取り組んでもらいたいものがある。



●04/08 11:51
これよりお世話になったCX-3を横浜R&D研究所までお返しに。そしてわがプログレを引き取る。あの日は桜がすでに盛りを超えていたものの、それでも降りかかる花びらに余韻があった。1500kmも付き合ってくれたこのおNEWのSUV。ディーゼルエンジンをここまで仕上げた技術と熱情に脱帽。

●04/08 16:41
走行距離:1742km、平均燃費:18.1km/ℓ。これが4月2日から今日(4/8)まで、ぴったりと付き添って、走り回ってくれたNEW CX-3のデータ。伴走した相棒がカレラSとあってすっかり人気のほうはそちらに吸い取られてしまったが、岡山の山道を誠実に軽快に駆け巡ってくれた。
●04/14 17:41
湾岸副都心のHOTELをベースにしたCX-3の公道試乗会。午前9時受付とあって一策を講じた。このところ、何かとお世話になっている山手通りの地下を走る首都高速。大井JCからお台場はすぐのはず、と狙いをつけたのが大成功。時間に間に合って6速MT車をGET。これで中山を走りたかったな。
* チェック:「ロードスター」との比較で割りを食うかもしれないが、クリーンディーゼルSUVとして、本来はMAZDAの本命じゃないのかな。

●05/12 22:28
連休明けを待っていたか。右肩上がりに販売アップのAudiがQ3とA1、二つの新車を投入。発表会は神宮前のAudi Forum Tokyoで。Q3はSUVブームの火付け役、自信を持って国産車からの乗り換え層を狙って投入。A1は1ℓ直噴3気筒ターボエンジンを新開発。直ぐに試乗したい!
* えっ! AudiはTTだけに絞ってエントリーだよ。

●05/20 21:35
4月にオープンしたばかりの大型イベントホール『ベルサール東京日本橋』を選んで発表会を催したマツダロードスター。初代から25年。志を継ぎ、最新の技術で進化させたと胸を張る。報道陣をかき分けてHot-Versionの本田編集長がやって来る。このNewカーの別冊を創ります、と報告あり。



●06/17 21:56
夜に入って雨脚が強くなった。明日(18日)はNewロードスターの特別試乗会が、湾岸副都心で。心配になって天気予報をチェック。午前中は曇り、夕方からは傘マーク。何しろ、オープンエアーが売りのMAZDAの自信作。そりゃあ、幌ナシで行きたい!ついでに若洲方面の撮影ポイントの下調べも。

●06/18 20:51
なんとも嬉しそうなこの顔。心配していた天候。晴れてはいないが、オープンエアリングに支障はない。湾岸副都心はトラックの往来は怖いくらいだが、新しく開通した東京ゲイトブリッジは路面もよく、かえってこの車の足回りの出来の良さが掴めない。ボディカラーはジェットブラックマイカが新鮮なんだ。
●/09 14:53
エグイ面構え。すっかり馴染まされてしまったTOYOTAデザイン。このごろは、これでなくっちゃ物足りなくなった。今週末を一緒に暮らすことになったこのSUV。.ハイブリッド。その名もLEXUS NX300h。国産グループの代表として選んだ。明日はガンさんの待つ御殿場までひとっ走りだ!

●07/10 10:10
やっと晴れ間の到来。これから御殿場へ。まずAudiのQ3&A1の試乗会に。輸入車のSUV攻勢の牽引役であるQ3の本陣へ、国産勢のホープLEXUSのNX300hで乗り付ける。ちょっとした現役気分。A1もダウンサイジングされた1ℓ3気筒ターボエンジンに注目。終了後、ガンさんを訪問。
●07/10 23:27
乙女峠を右折して懐かしいワインディングを楽しみながら長尾峠へ。ターンが忙しいがAudiQ3 2.0TFSI quattro(180 PS)はしなやかに追従してくれる。次は箱根スカイラインだ。霧が流れている。ここは20年ぶりかな。パドルシフトでパンパーンと。俺、うまくなったのかな。
●07/14 09:09
いつものように週末を一緒に暮らした《相棒》LEXUS NXを洗車・給油して、百日紅の脇でお別れの記念撮影。次に芝浦運河脇の返却先へ。快適な市街地クルージングはそこまで。炎熱下を喘ぎながら地下鉄三田駅へ向かう。途中のスタンドで買った【午後の紅茶】のなんという旨さ。生きているぞ。
●/24 23:07
炎暑にうだる23日午後、品川までプログレで急行。VOLVOが新世代パワートレーンとして投入した「2.0ℓ4気筒クリーンディーゼル」の発表会。MAZDAのディーゼル攻勢大ヒットに黙っていられるか、と欧州勢が反撃に出たわけだ。実車試乗は29日に。デミオ、CX-3と比べてどうか?



●07/29 18:29
VOLVOの試乗会。有明の埠頭で一休み。ぽっかり口をあけたオーシャンフェリーの船尾。19:30に出帆したら明日の14:20に徳島、3日目の5:40に北九州着。こんな旅もいいなあ。いいなあ、といえばこのV60−D4のディーゼルエンジンもいい。早速ランク上のXC試乗を申し込む。


●09/04 22:26
SUZUKIが精魂込めて送り出した《ソリオ バンディット》の試乗会で舞浜へ。ハイブリッドシステムに一石を投じたという評判。走りもヤンチャで面白かった。記念撮影をディズニーリゾートの脇で。その帰り道、西の方から黒い雲が湧きあがり、いきなりシャワーのような雨が襲いかかって来ようとは!

●/01 18:54
今度のCROWN、安全運転のための先進技術を種々と採用しているが、説明が難しい。それより注目したのはアスリートのオプションとして選べる《ジャパンカラーセレクション》。12色あってそれぞれに、日本の伝統的な言葉や詩をもとにした名称を採用(画像参照)。熟練工の吹き付け塗装とか。注目。

●/03 13:08
早速に新型クラウン試乗OKの返事。希望はまずアスリート。TOYOTA独自の直噴過給技術を施した2ℓ4気筒ターボエンジンも楽しみだが、今回はボディ剛性の強化が半端じゃない。だから脚の仕上がりに注目。どの色?と訊かれたので「群青」を、と。試乗は11月6日から、と。もてぎテスト往復に!

●10/08 16:37
2015年度の《イヤーCar選び》にスイッチが入った。まず日産のX-TRAILハイブリッド。5月に3代目として登場以来、売れ行き好調とか。いまやSUVならお任せ。評価のための引き出しも充分。楽しみに神宮外苑の明治記念館へ。お値段が300万。その値幅で考えるとそれなりの魅力ありか。



●10/14 23:48
いけない! 明日は午前9時からジャガーXEの試乗会。竹芝桟橋そばの洒落たレストランが基地。さあ、ちょっと早いけれどもう寝なくては! おやすみ



●10/15 20:42
本日のMy shot。

*チェックが長くなったので、ここで一休み。一つだけ報告。
未試乗の「MIRAI」と明日、やっと対話できる。それを終えたら、まず国産車部門の「6ベスト」を選び、次のステップへ。次回はそのレポートからかな。



Posted at 2015/10/22 16:27:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+19歳の青春 | 日記
2015年10月12日 イイね!

クルマはなぜ『眠った記憶』を叩き起こすのだろう?

クルマはなぜ『眠った記憶』を叩き起こすのだろう?〜スカイラインスポーツ、MiD4-Ⅱ、そしてR382まで〜


 1965年に操業を開始した日産自動車座間工場。輝いていた。賑わっていた。華があった。サニー、シルビア、VWブランドのサンタナ、セフィーロなどを送り出し、累計生産台数は1000万台を超えていた。それが’95年のカルロス・ゴーン体制によるリストラの一環として閉鎖。跡地はカレスト座間という商業施設に転身するなど、日産苦悩の象徴の一つに数えられていた。

 それがいま、特に電気自動車関連の生産技術拠点として再生しつつある。それまで裏手の旧工場建屋でひっそりと収蔵・保管されていた「遺産」にも復活のときが訪れつつあった。一般公開への動きも、煮詰まりつつあった。



『日産ヘリテージコレクション』を訪れた当日に、話を戻そう。日産最古のルーツモデルのフェートン12型、たま電気自動車、オースチン・グループに触れ、「PRINCE」コーナーで、あのチャイニーズアイの「スカラインスポーツ」と顔を合わせた瞬間、わたしの脳裡にふたりの「昭和ヒトけた生まれ」の作家の顔が浮かび上がってきたことから、始めよう。目の前に、突然現れた「スカイラインスポーツ」が、すっかり眠っていた古い記憶を叩き起こしてくれたのである。

 五木寛之(1932=昭和7年生まれ)、佐野洋(1928=昭和3年生まれ)のおふたりである。五木さんはわたしがクルマメディアを手がけるようになったきっかけを与えてくれた存在だから、これまで当BLOGにいろんな形で、たびたびご登場いただいている。
 
 今回の舞台は『ベストカー・ガイド』の創刊号。《スカGの設計者》桜井真一郎さんと『日本人とクルマ』を語り合う企画を用意した時にさかのぼる。



 日本の風土には日本のクルマがよく似合う。ヨーロッパにはヨーロッパのクルマが……。まったく違う分野で鬼才といわれる二人の出会いは、クルマから音楽から日本人論へと弾む……。

 そんな紋切り型のリードに、軽く情況を添える−−−対談の場所は東京・芝公園「クレッセント」3階。窓の向こうに東京タワーのイルミネーションがきらめく、と。

五木 桜井さんにお目にかかるのは今夜がはじめてですが、あれは昭和三十五、六年でしたか、ぼくが小さな交通業界紙の編集長をやっていた頃「スカイラインスポーツ」の記者会見がありましてね……。
桜井 ほう、それは随分と懐かしい話です。
五木 スカイラインの記事を書かせていただきました。当時はいろんな仕事をしていました、トヨタのCMに関わることもやりましたよ。
桜井 じゃあドライバーとしてもキャリアが随分おありなんでしょう。
五木 免許を取って7年です。
桜井 いまはどんなクルマにお乗りになってます?
五木 さっそく車歴調べですか(笑)。スカGといいたいところですがポルシェ911Sの73年タイプです。最初のクルマがシムカ1000、つぎがボルボ122S、つぎにBMW2000CS、同2・7、ベンツ6・3、BMW2002、911E、と来て今の……。すべて中古車です。
桜井 それは残念(笑)。



 と言った具合に軽いジャブの応酬で始まったこのクルマ談義、創刊1号と2号に分けて、合計10ページにおよんだが、今になって読み返してみても、含蓄のある、興味深い読み物となっている。その対談に立ち会って、五木さんがいきなり「スカイラインスポーツ」の記者発表会に、スピグラ・カメラを抱えて駆けつけた話を、初対面の桜井さんにぶっつけたテクニックに、「流石だ」と感心したあの時間が、不意に蘇ってきた不思議さ。クルマにはそんな特別な「効用」があるようだ。

 佐野洋さんとは「週刊現代」(1959=昭和34年創刊)の編集者時代に、「5週間シリーズ」という新しい連載小説の執筆依頼で、大森の自宅に訪問したのがお付き合いの始まり。ちょうどオーダーしていた新車が届けられたところだった。目のつり上がった4灯のヘッドライトランプ。すぐにスカイラインスポーツとわかった。その年、1972年の4月に発売されたばかりだった。





 新聞記者出身。テンポの速い、都会派ミステリー小説の旗手として、注目されていて、ライバルの「週刊文春」の連載小説がちょうど完結したところで、自分へのお祝いに、思い切って購入したという。こちらの依頼にも「やりがいのある企画です。お引き受けします」と快活に答えてくれた。そしてこちらの気持ちを見透かしたように、「どうです、これからその辺を走ってみたいのですが、ご一緒しませんか」と。

 そのころで200万円近い国産のスポーツクーペ。たとえ助手席であろうと、滅多にある機会ではない。否応があるはずもなかった。しかしあまりにも遠い記憶。ボディカラーもシートの乗り心地も、まったく思い出せない。ただ、大森から池上本門寺の側を抜け、第2京浜国道に出て多摩川を越えるあたりまで、スマートに走ってくれたのを覚えている。

 それから2ヶ月後の「週刊現代10 月29日号」の表紙に「週刊誌小説の先端を行く《5週間シリーズ》佐野洋 婦人科選手」の文字が謳ってあった。ストーリーは在京人気球団の主軸打者が、銀座のクラブホステスに溺れていく心の闇を描きながら、実は別の黒い霧事件へ発展していく……確か、その後、講談社文庫に同名のタイトルで収録されているはずだから、いまでも閲覧可能だ。

 佐野さんとは、その連載小説が完結した直後に、わたしが「日本」という月刊誌に転籍となり、すぐに新しい企画を持ち込んで、大阪まで現地取材にお付き合い願うなど、関わりは続いた。







『プロ野球に巣食う!賭け屋の正体!』と題したルポルタージュで、これは偶然だろか、いまプロ野球界を震撼させている巨人軍投手の「野球賭博」事件の原点を抉ったもの、といっていい。半世紀以上も前に、巨人から関西の弱小球団に移籍していった選手に「野球賭博の疑いがある」という噂が流れ、それでは、「賭け屋」と呼ばれる存在を確かめるべく、関西の球場に足をのばすことにしたものだが、いずれこの時代の「わたしの仕事」は資料を整理して、なんらかの形で、まとめておきたい。
 佐野洋さんは2年前、81歳で他界されてしまった。


*手元にのこっていた佐野洋さんとご一緒の写真。月刊「現代」編集長時代に「日本の冤罪」について座談会を、銀座のレストランで開催したときのもの。

「こちらのエンブレムをご覧ください」 
 説明案内役の清水さんが、2台並んでいた「スカイラインスポーツ」のスカイブルー色の方の、フロント・エンブレムを指差していた。
「こちらはイタリアのトリノ五輪に因んで、トリノショーに出品されたもの。このエンブレムはTで、お隣の方はプリンスのPです。そして室内のフロントミラーの内側にはオリンピックのマークが刻まれてあります。どうぞご覧ください」





 さて、ここからは日産にとって、栄光の系譜に名を連ねるクルマたちが次々と登場してきて、やたらと懐かしい気分が噴き上げてきた。

 スカイライン2000GT 1965年:S54B-2
スカイライン 2000GT-R 1065 1969年:PCG10
 スカイライン ハードトップ 2000GT-X 1972年:KCG10 





 が、その時代のわたしはスカG一辺倒。45年と47年のGC10から49年のGC110とそれぞれ中古車で乗り継いだものだが、残念ながら、その「昔の伴侶」たちにめぐり会うことは叶わなかった。そのかわり、向かい合った列には、あの素晴らしいプロポーションを誇ったフェアレディ軍団のお出迎え。思わず走り寄ってしまった。

 このあと、トヨタと真正面から激突していったサニー、ブルーバードのグループ、そしてチェリーX1、シルビアなどの挨拶を受け、次いでパルサーの前に立った。パルサー、EXAか。40歳代半ばで「日産レーシングスクール」に入校、大森NISMOのバックアップを受けて富士フレッシュマンレースに打ち込んだ日々。「お世話になりました」と素直に、心の中で頭を下げていた。













 足が止まった。見慣れたカラーリングのレースマシンが前をふさいでいるではないか。エンジンフードにゼッケン「19」と「近藤真彦」のサイン。マーチのスーパーシルエットであった。と、その先に、さらに畳みかけるように、銀色のスポーツカーが、蹲(うずくま)ったまま、こちらを見つめているではないか。「ヘリテージコレクション」に行けば逢えるかもしれない、と聴かされていた「MiD4」が、28年前に神奈川県追浜のテストコース出会った時と全く同じ姿で、待っていたのである。





 あれは日産からの「ベストモータリング」創刊へのご祝儀だった。その時のいきさつは『e-Bookぽらりす クルマ仲間名作図書館』の「新・ベスモ疾風録」で動画付きでご覧いただけるので、ぜひそちらにも、お立ち寄り願えれば、幸いである。その動画で、2台のMiD4がランデブーランを楽しんでいるが、その白い方のドライバーがわたしである。もう一度、MiD4に逢ええないものか、うずうずしていたわけの一端はそこにあったが、何度も市販化が噂されながら、結局は陽の目を見なかった……その真相を、一度、掘り下げてみたい。

 たしかに、MiD4には次世代の技術開発のためのテスト車両、という使命はあった。説明板にも「その技術の多くは、1989年(平成元年)に発表された4代目フェアレディZ(Z32型)や、3代目スカイラインGT=R(R32型)などに応用されています」と断り書きが付されているが、幻のスーパーマシンはそれでは納得できないだろう。





 それにしても、と改めて思い知らされたのは、「クルマはなぜ『眠った記憶』を叩き起こすのだろう」という命題である。なにしろ、この日産ヘリテージコレクション」は、MiD4-Ⅱの置かれている奥からは、あの歴戦のレーシングマシンたちがズラリ、カテゴリー毎に腑分けされ、丁寧に磨かれ、静かな休息の日々を送っているのだ。その中に、1969年の日本グランプリに、日産が新開発した6ℓ・V12・DOHCエンジン(600PS)を搭載して。1、2位を独占したR382も展示されていて、その説明板には、トップで走りきったドライバーの見慣れたサインが、貼りつけてあった。なんという血の通った、嬉しい演出だろう。







 最後に、もう一人、説明役を務めてくれた志賀聰さん(エンジン設計部・企画室・技術開発室を歴任)から、こんな肉声の要望を伺っているので紹介しよう。
「ともかく、一度、ここへ足を運んでみてほしい。見学希望は日産のホームページから簡単にできます。1日50名くらいが限度かな」と。 
 日産ヘリテージコレクションはこちらからどうぞ。



 午後2時45分、見学終了。参加者全員で記念撮影。おや!? 説明役の清水さんがいない! そうだ、カメラのシャッターを押してもらったのが、その清水さんであったのか。         
 (この項。終わる)

Posted at 2015/10/12 02:09:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ自伝 | 日記
2015年10月04日 イイね!

あのMiD4-Ⅱに逢えるだろうか

あのMiD4-Ⅱに逢えるだろうか〜『日産ヘリテージコレクション』という「宝石箱」その①〜 

 8月の半ばに、RJC(日本自動車研究者・ジャーナリスト会議)の研究会の担当理事から、日産自動車の座間事業所敷地内に、350台を超える歴代の日産車を集めたコレクションがあるので、見学を申し込みたいがどうだ? と声をかけられていた。

 もちろん、参加したい、と返事を出しておいたが、その「日産ヘリテージコレクション」見学会の日が1ヶ月以上も経ってやっと、訪れてきた。

 東名高速を、横浜・町田ICで降りたら、北西へ20分ほどで座間の事業所に着くという。「プログレで行くので一緒に行かない?」と、ことしからRJC会員になった飯嶋洋治君(「モータリゼーションと自動車雑誌の研究」グランプリ出版刊の著者)に声をかけ、さらにご近所の住人で、富士フレッシュマン時代からのお仲間である飯塚昭三さん(実はRJC会長)とも合流することになった。

 9月26日、土曜日。こんなに晴れやかな天気の週末はいつ以来だろう。なにか、いいことが待っていそうな予感。好みの7分袖のポロシャツに濃紺の薄手セーターを肩にかけ、NIKONカメラを携えて、駐車場に向かおうとした瞬間、i Phone 6が着信を知らせる。飯嶋さんから「もうプログレのそばに立っています」という報告だった。約束の午前10時25分、ぴったりだった。


*すでに9月26日付の《何シテル?》欄でマッチのマーチ(スーパーシルエット)に出逢ったことは報告済み

 ステアリングは飯嶋さんに任せた。5分後には飯塚さんとも合流。目白通りに出てすぐの練馬中央陸橋から、環八通りへ。流れもまずまず。
 飯塚さんとのおしゃべりは、どうしても、いま世界の自動車業界を震撼させている「VWのディーゼル排ガス不正問題」に及んでしまう。これから始まる「イヤーカー選び」では避けて通れない問題になるだろうし、むしろ、「テクノロジー・オブザイヤー」という技術部門の表彰機能もある。エントリーしているディーゼル搭載車も多く登場する。だからこそ真正面から、われわれなりにディーゼルと取り組んで行かなきゃ、ということに話が落ち着いた。
 1時間後、東名の横浜ICを降り立つ。集合時間は午後0時30分。それにヘリテージコレクションは事業所内の展示なので、喫茶・食堂などの設備はないから、各自が弁当や飲み物を持ち込むか、事前に昼食を済ませておくように、という担当理事からの指示がある。

 プログレを走らせながら、目で適当なファミレスを探す。が、そんな時に限って、座間への道筋に、それらしきレストランを見つけることができなかった。かなり目的地に近くなったあたりで、やっとアメリカンスタイルのシーフードレストランを発見、ドリアにグリル野菜のついたランチにありついた。

 座間事業所の正門で受付を済ませる。プログレのナンバーと、われわれの名前も登録済みだから、スムースに「記念車庫」と呼ばれるコレクションを収容した建屋の前まで、そのまま移動できた。建屋の正面が緑に囲まれた駐車エリア。ただし戸外のカメラ撮影はNGで、内部でのコレクション車両の撮影は存分に、というお達しがあった。

 旧第2塗装・車体・組立工場がすっぽりコレクションホールになっていて、なんと400台を超える、あらゆるカテゴリーの日産車が、一堂に集められていた。そのうち70%がすぐにでも走行可能な状態で、保存されているという。NISSAN DNAの玉手箱をあける、至高の時間が待っていた。

 まず、ゲストホールに集合。案内役は日産アーカイブを積極的にサポートされているお二人のOB。20人ちょっとの参加者が二手に分かれ、すぐに「記念車庫」内部へ導かれた。このお二人、ともかく経験も見識も抜群、車両開発から販売まで関わってこられキャリアの持ち主だから、それからの2時間、その説明には耳をそば立たせるものがあった。

スチール製の重々しい扉をくぐると、そこは仕切りのない巨大な空間で、フロアーいっぱいに、それでいて整然と、「日産の遺産」たちが集結していた。おもわず、「おおっ」と声が出てしまう。


*日産自動車のルーツ、ダットサン12型。現存する最古のものだが、745ccという排気量から12ps/3000rpmの出力で、いまでも立派には走る。
 
 最初に出迎えてくれたのは、ベージュとチョコレート色のコーディネートがおしゃれなボディカラーのダットサン12型フェートン。剥(む)きたてのゆで卵さながらの初々しさ。ちなみに「フェートン」とは折りたたみ式の幌を備えた4人乗りオープンカーに対する名称。説明板には、日産車自動車が創業した1933(昭和8)年12月当時に製造されていた最古のモデルだと明記されてあった。ヘリテージ=遺産。なるほど、大変な聖域に、わたしたちは招かれたれたわけか。





 さて、お次は? そこで改めて、目を剥く。5台ほどが集結していた「フェートン」たちの隣にいる丸っこい、小型バスをさらに小さくしたような存在。噂に聞いていた、この国の電気自動車の第1号「たま」ではないか。

 もともとは戦前の立川飛行機が元になった東京電気自動車が開発したもので、それがプリンス自動車工業を経て、日産自動車と一体になったため、今わたしたちはその実物を、この目で確かめることができるわけだ。1947(昭和22)年に「たま」が誕生した背景を、冷静に、簡略に説明版にまとめられている。参考になる。「たま」に添えて掲載しておこう。電気より石油の方が高価だった時代だ。


*説明役の清水さん。1965年入社、宣伝・販売促進畑を経て、販売会社の代表に。二スモ時代には日産車を北米で売りまくった片山豊さんをマネージメント。それがきっかけでヘリテージ史研究に。

 背後に熱い空気を感じて振り向いてみる。赤いベースボールキャップをかぶった説明役の清水榮一さん(見学終了後にお名前をうかがった)が、NISSANブランドの記念すべき最初のモデルである「70型」(1938年)について、そのエピソードを紹介しているところだった。

 創業者の鮎川義介(旧長州藩士の父、明治の元勲・井上馨の姪を母とし、大正・昭和初期の政・財界に巨きな力を持っていた)が横浜に自動車製造会社を設立するにあたっての内幕を披露しながら、結局、説明板に記載されている「このモデルはアメリカ、グラハム・ページ社の設備を買い取って国産化したもので、ボディサイズは当時のフォードやシボレーとほぼ同じでした。日本の自動車産業を自立させようという意図がこめられていた」ことへ、われわれを導く。端々に結構生臭い裏話をとり混ぜながら……。

 なるほど、と納得した。いくら初期の国産車といいながら、このアメリカンな大味な図体はどうしたことか、という印象はそんなに的外れではなかったのか、と。
 
 この時代を境に、生まれたばかりのこの国の自動車産業が一頓挫した。第2次世界大戦の巨きな波に呑みこまれる。

 次のコーナーへ移るところで、節目としてこんな説明板が用意されていた。

「1950年代
 戦後の焼け跡から、日本経済は徐々に復興を始めました。
 1954年には第1回全日本自動車ショウ(現 東京モーターショー)が開催さ、れ、自動車への関心は高まりますが、自動車は庶民にとってまだまだ高嶺の花でした。
 さらには、当時は欧米メーカーとの実力差は大きく、「国産自動車不要論」さえありました。
 日産は自動車の設計・生産の技術力を早く習得するため、1952年にイギリスのオースチン社と提携し、国産化を成し遂げます。
 ここで得た技術・知識は、後の日産自動車の発展に大きく貢献しました」


*ずらりと並ぶ「AUSTIN]たち

 AUSTIN……懐かしい言葉の響きをもつクルマたちがひと塊りになって寄り添っている。1959(昭和34)年、社会人になった年である。創刊したばかりの週刊誌編集部に配属され、緊急の場合と深夜はタクシーの利用を許されていたが、そんな時は好んでAUSTINを選んで停めたものだ。後部座席シートのふっくらと優しい座り心地が気に入っていた。
(正岡註:黎明期の『週刊現代』編集部での日々を、いつかは記録しておきたい。つい先日、その時代、寝食を共にした僚友の川鍋孝文氏=日刊現代会長=が幽界に旅立たれた。また一つ、いつまでも輝いて欲しかった星が流れ落ちた)

 ブツブツと、眠っていた様々な記憶が一気に、音を立てながら起き上がってきたのは、その隣に陣取った「プリンス・コーナー」へ移った時だ。


*プリンスセダン・デラックス(右)とプリンス・スカイラインの2ショット

 黒塗りのプリンスセダン・デラックス。これは1954(昭和29)年の第1回全日本自動車ショウに出品されたのが当時の皇太子殿下(今の天皇陛下)の目に止まり、ご愛用になった逸話の秘められた記念車そのものだというが、そこには日産自動車とプリンス自動車工業との合併という出来事にも、想いを馳せる材料となってしまう。

 そして、その隣の黒いボディに白のサイドモールの、4ドアセダンは「プリンス・スカイライン」ではないか。さらにその隣に「スカイラインスポーツ」が2台。特に「スカイラインスポーツ」については、この際、ぜひ紹介しておきたいエピソードもあって、それは稿を改めて、じっくり書き込ませていただくとしよう。


*チャイニーズアイと呼ばれたヘッドライトを持つ独特のデザインはミケロッティのものとか。生産台数、わずかに60台。


*6連メーターだったと、今回、はじめて知る。買ったばかりのこのクルマの助手席に乗せてくれた作家のことも、次回に。

 ともかく、「日産ヘリテージコレクション」には、まだほんのちょっぴり、踏み込んだに過ぎなかった。この「宝石箱」のどこかでお目当てのMiD4が待ってくれているはずだが、逢えれば「ベストモータリング」の創刊号取材以来だから、28年ぶりとなる計算だ。ちなみにその時のことは『e-Bookぽらりす クルマ仲間名作図書館』の「新・ベスモ疾風録」で動画付きでご覧いただけるように手だけは尽くしてあるので、お立ち寄り願えれば、幸い。どうぞ次回更新までの一服とされたい。
Posted at 2015/10/04 03:11:08 | コメント(5) | トラックバック(0) | 還暦+19歳の青春 | 日記
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何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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