〜「時が経つにつれて…」もう一度確かめたいものがある〜
70歳台があと数日しかない、という事実にたじろいでいる。「還暦プラス青春の19歳」と自らを励ましてきたが、いろいろとやり残していることが多すぎて、それも気になってならない。
暮れからの正月休み、そして成人の日を含めた三連休。いっさいの遠出するスケジュールを入れないで、サイレントすぎる日々を愉しんでみた。それでも元日は近くの八幡神社に初詣して「大吉」という縁起のいいご褒美を頂戴したり、「ベストカー」から借りたままだったバックナンバーの「スキャン作業」が順調に進んだりと、穏やかな時間を楽しみつつ、いろんな発見にめぐり逢うことができた。
その辺の空気は、折々の140字日記「何シテル?」で触れてあるので、確認のためにちょっとばかり拾ってみようか。
12/27 13:45
歳末恒例の身の回りの整理を、家人からきつく申し渡された。手を付けたのはベストカー〔ガイド〕のバックナンバー入り段ボール。で、必要なところだけPDFにスキャンすることに。手始めに1980年のものから。『五木寛之 理想のクルマを創る』の連載年、例えば、こんなページだ!おお!宝の山だ。
12/28 15:26
1980年代分のベストカーが秘蔵された段ボール箱整理も、あと2箱に漕ぎつけた。それはまさにその時代に生きた仲間と己れを再検証する仕事でもあった。そんな中から特にこのショット。《30cmの幸運》とタイトルしたクラッシュシーン。星野一義という男の強運。今夜はこのテーマでブログUPだ!
12/29 23:09
また一つ、宝物を掘り当てた。ガンさんがニュルでのBSポテンザRE71開発で乗っていた911ターボ・クレマー仕様。開発終了後、その記念としてBS側へ特にお願いして日本に輸送、かなりの期間、乗り回したあの「赤いポルシェ」のネガフィルム。いよいよガンさんのドライブに同乗し、ニュル1周へ。
01/03 00:54
やっとスキャン作業が1988年のもので一段落した。わたしが「編集人」としてクレジットされていたのはそこまで。すでに「べスモ」も1周年目を迎えて、二足の草鞋を返上。その記念号に「べスモ」の広告が。目玉がやっぱり「星野一義」になっている。IMPULがIMPALと誤植なのが残念だが、迫力いっぱいの表情がいい。
01/03 14:12
思いもかけず、あのガンさんがニュルから持ち帰った911ターボの動画をキャッチ! ステージは鈴鹿か。唸った! プラス、いろいろと伝えたい情報満載。これから若い仲間とおしゃべりオフ会あり。で、外出。今夜、紹介ブログをあげることを約束しよう。必見動画なり。素晴らしい贈り物なり。
01/09 16:17
3連休の初日。体調管理のためと資料整理、次の準備で自宅静養、のつもりでいたが好天に誘われて代官山の蔦屋書店へ。PORSCHE専用棚をチェックして、駐車場に戻ろうとして「え!?」。プログレがいつの間にかマカンに替わっている? あ、目の錯覚か。隣に黒いマカンが駐車しただけなのにね。
そして3連休の最終日は、家人に誘われて隣町の光ヶ丘にあるレストランへ。テーブルに案内されると、なんとわたしの「Happy Birthday」をふたりだけど祝おうよ、という仕掛け。赤いキャンドルに灯がともされ、ピアノが奏でるお決まりのメロディに合わせて、お店の人たちが総出でお祝いの歌をプレゼントしてくれる……でも、こうやって祝ってもらえる日があと何回残っているのかな。ちょいと焦る気分もなくはなかった。
ピアニストの女性がやってきて、間近にせまったBirthdayの祝辞がわりに「リクエスト曲はいかが?」と。
「ありがとう。それでは“As Time Goes By”をお願いしようか」
やがて、あの耳に馴染んだ懐かしいメロディがゆったりと立ち上がった。悪くない弾き方だ。
🎵 You must remember this,
a kiss is still a kiss,
a sigh is just a sigh.
The fundamental things apply
As time goes by.
往年の名画「カサブランカ」の挿入歌である。和訳では「どんなに時が流れようとも」あたりが適当だろう。E・バーグマンとH・ボガートが演じるかつて恋人同士だった男と女が、ナチス支配下にあったパリの酒場で再会するシーンが思い出される。確かDVDで保存してあるはずだから、今夜にでも改めて鑑賞するとしようか。アームストロングも顔負けするドーリー・ウイルソンの、あの渋い声も聴いてみたくなった。70年代から90年代にかけて精一杯エネルギーを燃やした世代にとって、心に灯をつけてくれる歌の一つで、それにまつわる記憶も、いくつか、いまだに発酵し続けている。
結局、その夜は「カサブランカ」を観るにいたらなかった。DVD類を入れておいたプラスティックの函をゴソゴソやり始めてすぐに、別の探し求めていた手作りDVDを発見したからである。
「Raceアーカイブ ‘88 ミラージュCUP 第1戦 FISCO」
白いオモテ面に黒のマジックペンで書き込まれた文字が踊っていた。ご丁寧にサブタイトルまで添えてあった。
「BESMOミラージュ 予選17位 決勝17位 ’88.4.16〜17」
これだよ、これだよ。実は1988年いっぱいまでの「ベストカー」のチェックが終わって、スキャニングしたPDFの中で未解決のままのページがあって、さてどこかから手をつけようかと腕をこまねいていた箇所を解明してくれるはずの「宝物」がそれだった。
問題の1ページ。それは6月10日号のモータースポーツの欄で『ミラージュカップ開幕 今年もまだまだ走りますよ 本誌編集局長正岡貞雄』の見出しと顔写真、それにFISCOの第1コーナーから第2コーナーへ団子状態で抜けようとする6台のミラージュのカット写真が添えられている。まあ、そんなに長くない、半ページ程度のレポートだから、そっくり転載してみると……。
4月17日の富士スピードウェイに新しい衝撃が走った。F3000とF3の2つのレースでどちらも20歳台のチャンプが誕生したことだ。
鈴木亜久里と黒澤琢弥。亜久里はポールポジションからのスタートだった。ぽんと飛び出してから、あとは独走、独走のひとり旅。リースが2周目の第1コーナーで黄旗なのに強引に突っ込んでアウト側にはらむ大チョンボ。星野一義は関谷正徳をパスするのに精力を使いはたした感じで、亜久里にとってこんな楽な展開は予想外だったに違いない。ぼくら中年の目には、亜久里のマシンに星野がご丁寧に亜久里のヘルメットをかぶってドライブしているとしか映らなかったのである。
いつの時代にも、新しいヒーロー誕生の向こう側には、ギリギリまで王座を死守してきた男の滅びの美学があるのだが、その節目に直面したらしい。
F3を3戦目で制覇した黒澤琢弥にしてからが、ご存じガンさんのジュニアである。
なにかがすっきり新しくなる予感がする。各チームを華やかに盛り上げているレーシングギャルも大増員だ。随分といろんな企業が力を入れはじめたから、彼女たちには、一つのやってみたいカッコいい、見入りのいい職種になってきている。観客席も当然、若い世代に移りつつある。主催者発表、5万2000人、信じていい数字だ。
そんな舞台のサポートイベントであるミラージュ・インターナショナル・ラリーアートカップに、ことしも第1戦からエントリーしてしまった。モデルチェンジした今年のマシンは、ニュープロプロダクションのリプレのカテゴリーにあるとはいえ、ほとんどがTSに近い。ストレートエンドでは時速230キロに達してしまう。そこからのブレーキングはハンパじゃない。リアをふられることもたびたびだった。予選17位、決勝17位は、スタート直後のシフトミスで27位までドロップしたことを考えれば、まだ成長過程にあることを立証できた上出来のレースだった。52歳の特別プレス席もあと何戦かは、すわらせもらえるみたいだ。今シーズンもよろしく。
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じつはこの「熱走報告」を最後にわたしのレースレポートは『ベトストカー』誌上から消えてしまう。かといってレースをやめたわけではなく、ますますヒートしていったはずなのだが。
その辺の裏事情を雄弁に伝えてくれるDVDを、『As Time Goes By』をリクエストした夜に見つけ出すのだから、話が少しうまく出来すぎてやしないか。ともかく、再生機にディスクを挿入してみた。ブルーとイエロー、鮮やかなパステルカラーがボディに波打つ『ベストモータリング ミラージュ』がいきなり登場し、白と赤の、見慣れた『ベストカーミラージュ』は消えていた。
なるほど、である。しかし、このDVDにいきなり登場する女性がいた。おお、今や大女優の高島礼子さんじゃないか! なぜ? 次号からその辺の「わが闘走・青春の日々」を復活してみたい。やり残し、書き残しを一つずつ、片づけていくためにも。