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正岡貞雄のブログ一覧

2018年03月22日 イイね!

あえて《傷だらけの助走時代》を告白した日

あえて《傷だらけの助走時代》を告白した日『東京駅頭 愛の像よ 永遠なれ』秘話 パートⅱ

「ともかく、2月26日の夕刻に撮影した《東京駅頭 蘇った愛の像》をご覧いただきたい。能書きは、それからだろう」

 前回、こう断ってから、わたしのカメラが捉えた「愛(アガペ)の像」を紹介した。東京駅の駅前にこんなに人々の祈りがこもったブロンズ像があったのか、という驚きの声が「みんカラ・フレンド」からも、多く寄せられた。それでは、と調子に乗って、その「能書き」に入らせていただくとするか。 

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*2017年12月に改修を終えてオープンされた東京駅前広場を「愛の像」のある南口バス停側から。

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*「愛の像」の背後にJPタワーが。

 東京駅の丸の内中央広場の西側に、かつては東京中央郵便局があった。それが平成14年にJPタワーに変身してしまった。

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  その低層棟の商業施設であるKITTEビルの6階に、京都の伝統的な「おばんざい」や旬の素材を活かした炙り焼きなどを出す和食の店『菜な』がある。そこの宴会用個室からは、平成12年10月に、創建当時の赤レンガに復元された東京駅を一望できるので、それ以来、少なくとも年に1回、好んで仲間のミーティングに使っている。

 昭和の23年から26年までの3年間、北九州の小倉・足立山の麓にあった中学校の学び舎で、同じ「未熟な青春時代」を共有した3クラス100名ばかりの男女のうち、社会に出て、いまだに東京で暮らす連中が男女合わせて15名ほどいる。その連中が60歳の還暦を過ぎてからは折に触れ、お互いが元気でいられるのを確認するために、と年に2回ほど「おしゃべり会」をもっていた。回を重ねるごとに、地元の北九州からも何人かが、東京まで遠征して加わるようになった。

  2017年6月。「愛の像は、いま、どうなっているのか?」とJR東日本の東京本社広報室に問い合わせて、「千葉の専門業者に預けてあって、いつ、どこに再生されるかどうかはわからない」という虚しい返答を得た直後、いつものKITTEビル6階にある『菜な』に昔の中学仲間が寄り集った。それぞれが、近況とか今の心境を率直に吐露しあっても大丈夫な、気兼ねが要らない会である。

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*6Fの「菜な」にやってきた70年来の「心を許した」仲間が三々五々……。

 わたしの番が来た。ちょっと芝居がかった仕草だったかもしれない。立ち上がって窓際により、外を指差した。

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*「菜なミーティング」の第1回、2014年に撮影したものである。改修工事がスタートして、愛の像は見事に何処かへ運び去られている。

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*撮影は2017年7月12日。まだ「愛の像」は帰ってきていなかった。

「ここから、東京駅が丸見えだろ? きっとみんなもそれぞれに想いがあるはずだ。ぼくは世の中に出てすぐ、幸か不幸か、当時創刊準備に入った週刊誌の編集部に配属され、その初仕事がこの東京駅前で、ビラを撒く小野田寛郎さんの母親、玉江さんの取材をしてくることだった。ルバング島の密林で抵抗する息子を射殺しないでくれ、と書いた横断幕の前で、懸命にビラを撒く母の姿は、創刊第2号で『ルバング島の秘密指令』とタイトルしたトップ記事に掲載されたものだ……」

【註:週刊現代創刊2号、1959年4月29日号に関しては、すでに当ブログで紹介済み。詳しい状況なら、こちらから『創刊第2号異聞』へどうぞ】

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*東京駅頭でルバング島の密林に潜む、息子・小野田寛郎を射殺しないで、と懇願のビラを手渡す母・玉江さん

「おい、おい。ぼくらが大学を出て、世の中に出たのは昭和33年(1958)だ。まっさん(昔の仲間は、わたしをそう呼ぶ)の話は1年、計算が合わないよ」
 一橋大学を出て務めた海運会社から自立して、今では陸送会社を自前で興し、大きく育て上げた俊才のT君である。82歳になってもボケがないのは流石だ。

「いいところを衝いてくれて、ありがとう。そうなんだよ。その1年のズレと、この東京駅の景観がどう関係しているのかを聴いてくれるか?」
「いいよ、どうぞ。なんだか面白そうだな」
 わざわざ、北九州から孫の顔見たさに、この会合をダシにして上京しているに違いない、元・新聞記者のI君が景気づけをしてくれた。

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 ここから、まっさんの「告白タイム」となった。
「有り体にいえば、一年余計に在籍したわけよ。就職先も決まっていて、卒業試験もあと3科目に漕ぎつけたところで、その安堵感もあって、同部屋の後輩を誘って夜の街へ。うどん屋でまず腹を満たして店のガラス戸を開けて表通りへ出たところで、記憶が途切れた。なんと通り抜ける軽トラックの突き出したミラーで額を割られ……気がついてみたら外科病院の白い病室よ」

そこからは、まとめると、以下のような内容となる。
  
       ☆     ☆            ☆            ☆

 二日後、下宿先に返された時には、すでに卒業試験は終わっていた。痛めた場所が場所だけに、後遺症の恐れも強かった。一瞬にしてお先真っ暗。1958年は就職難の年だった。周りはみんな四苦八苦していたが、幸いというべきか、わたしは剣道部の副将。剣道4段。就職は「剣道部幹部選手」の指定席、その頃、丸ノ内に本社を持つ生命保険相互会社に決まっていた。

 お世話をいただいた剣道部先輩で、その生命保険会社の重役に報告、今後を相談した結果したところ、卒業できなければ入社は取り消しとなるだろう、と。その上、「額の怪我」の様子もマイナス要因だ、と。

 一瞬にして、お先真っ暗な日々がはじまった。
 留年しよう、と肚を決める。卒業に必要な単位も3科目だけじゃないか、と。幸い、先輩重役の計らいで、アルバイトで1年、総務管理課の調査を手伝ったらどうか。その上で改めて次年度の入社試験を受けたら、というのだ。
 一筋の光を頼りに、4月から、丸の内の生命本社に通うサラリーマンそのものの日々が始まる。その上、週2回、夜は家庭教師を1軒、キープ。それで仕送りなしでやれるメドがたった。

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 額の怪我も、順調に回復。しかし、場所が場所だけに後遺症も心配だった。一方、その衝撃で目覚めた部分もあった。こんな目にあったのなら、いっそ、己れが本当に進みたかった道を行くべきじゃないか、と。妙に元気が真っ直ぐに出はじめた。
 
  わたしの「剣道」についてのブログが一つだけある。ご参考までに「こちら」にもお立ち寄りあれ。

 ●『剣道』というキーワードの私的ドラマ



 新しく取り組んだアルバイト先、生命保険会社での仕事のうちに「新聞の管理」があった。そこで毎日、朝日新聞の名物コラム『天声人語』と『社説』を読むようになる。そのうち『社説』を、昼休みになったら書き写すようになった。論理と感性をないまぜにして短くまとめ上げるトレーニングとなり、それがのちに効果を発揮する。講談社の論文試験のテーマに「勤務評定」が登場したのである。なんと一月ほど前の朝日の社説で取り上げられたテーマ、起承転結のある記事を試験用紙にそのまま書き上げることにつながっていく。

 本来なら、お先真っ暗で希望を失った日々を送っていたはずなのに、その時期、どうして毎日を生き生きと入られたのか。多分、新しいターゲットを心に設定できたからだろう。

 秋が来て、「講談社」を受験する。そしてなんと、面接試験に持ち込むことができた。この半年の「特別な日々」がやっと報われる。講談社の面接を受ける。そして追いかけるように講談社から「合格」の通知が電報で届いた。

……こんな「傷だらけの助走時代」があったからこそ『週刊現代』創刊時の「愛の像」にたどり着くわけだが、そのアルバイト通勤で東京駅丸の内広場を抜ける時にいつも見上げていた。台座にはシンプルに「愛」とギリシャ語で「アガペ」を彫り込んだだけで、その頃はまだ真新しく、若々しく両手を差し伸べたブロンズ像に、わたしは何度、祈りを捧げたことか。

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*2006年に撮影しておいた「愛の像」は広場の中央にあったのに。

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*2006年の台座。1955年に出来上がったときの素朴な形。それが今回はハート印に囲まれたデザインに。
ヘッド欄のフォトと比べられたし。

 話し終わった時、70年来の仲間が、口々に「まっさん、頑張ったね」という言葉と一緒に、拍手を送ってくれた。

 その日から半年後、東京駅頭に、あの愛の像が2度目の帰還を果たしたニュース。いそいそとカメラを携えて丸の内中央広場へ。

  さらに書き続けたいことが山ほどある……。

 でも今回は、ここまでとしようか。
Posted at 2018/03/22 14:43:34 | コメント(2) | トラックバック(0) | つれづれ自伝 | 日記
2018年03月16日 イイね!

東京駅頭に蘇った『愛(アガペ)の像』秘話

東京駅頭に蘇った『愛(アガペ)の像』秘話
〜「朝日」が夕刊トップに掲載した「NEWSの奥行き」を掘る〜



 2月28日に、まだまだ活動していますよ、と足跡を慌てて残しておいた 《140字日記:何シテル?》を、ひとまず解凍することから始めたい。ヘッド写真として同載した2月26日付けの朝日新聞夕刊面をクリックしていただくと、「140字」に圧縮された中身が、ここに改めて登場するはず。

*先ずはここをクリックされたし。

 本来なら、この「140字」は、以下のような文章になるはずの内容だった。

————2月26日。16:00になった。さて、これから、本来なら1月22日に設定されていた「銀座の洒落た鮨バーを楽しむ懇親会」が、豪雪襲来で一ヶ月後に延期され、そのやり直し会(18:30集合)に赴く準備を始めた。と、コトンと新聞受けに夕刊の届けられた気配。
「どれ、どれ」
 朝日新聞を取り出す。開いて、第1面のトップ記事に目を剥いた。
『戦犯の祈り 平和問う像』の大見出しの真下に、大空に向かって伸びやかに両手を拡げるブロンズの青年像。その写真に吸い寄せられた。こんなネームが添えられている。昨年末、JR東京駅の丸の内駅前広場に再び設置された「愛の像」=東京都千代田区。

 
 さらに『東京駅前 台座に遺書集』と、この像の創られたきっかけとなった「世紀の遺書」(編集・巣鴨遺書編纂会)の外箱の山並みは画家の東山魁夷が無償で描いた。
 続けて《「愛の像」設置場所》の地図が小さく添えられている。どうやら南口バス乗り場の脇らしい。


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 信じられない。「朝日」を持つ手に、力がはいる。間違いなく「愛=アガペ」とだけ記されたあの銅像が、本当に東京駅頭に帰ってきたのだ。

 実は、昨年(2017)の6月19日にJR東日本の広報室に、こんな問い合わせをしていた。
「昭和30年(1955)11 月、東京駅前丸の内広場に建てられていた愛の像は、何度か広場の工事のたびに撤去、復活を繰り返し、今では今回の再整備のためでしょうか、どこを探しても見当たりませんが、どうなっているのか?」
 即答できる広報員がいないらしく、後ほど調査してから返事をくれるという。
 翌日、広報室から電話が入った。ちゃんと名乗ったところで、現在、あのブロンズ像は千葉県内の専門業者に預けてあり、再生されるかどうかは不明である、と。


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*2016年6月、丸ノ内広場に面したJPタワーからの眺望。もうこの時には「愛の像」は撤収されていた。

 そうか、あの深く、重い意味を秘めた美しい像に、再びお目にかかる日はもうやって来ないのか。がっくり、力が抜けて行った。

 その日から半年後には「愛の像」が、全面改装した駅前スペースに復活していたというニュース。まさに「え⁉︎」である。しばらくは絶句状態であった。

 そんなに「愛の像」にわたしがこだわる理由は何か。このあと、当然、触れなければならないが、ともかくこの目で確かめたい。そして撮影してきた『愛の像』を紹介する方が先だろう。

 幸い、銀座の鮨バー集合は18時。それならば東京駅前広場に立ち寄ってからでも、間に合うじゃないか。ショルダーバッグにNIKON5200を突っ込んで、急ぎ東京駅前に広がる丸の内広場を目指したのである。

 なぜ「愛の像」にわたしがこだわるのか。一つだけ触れておきたい。


 東京駅頭に建つ「愛の像」に初めて逢ったのは昭和34年(1959)秋であった。
 その年度の新入編集部員とし、いきなり創刊間際の『週刊現代』に配属されたわたしが、一人前に自前で企画を立て、取材し、そして5ページものとして書き上げたのが、12月27日号に掲載された『特別読物 “愛の像“に秘める戦犯の祈り』である、と前置きすれば、お解りただけるだろうか。

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『週刊現代』はその年の3月30日に創刊号を送りだした。
その年の最終号に『愛の像』の特別読物が5ページにわたって掲載された。


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 創刊1年目。『週刊現代』1959年12月27日号の目次である。まだ編集方針も確立していない。連載小説だけは豪華メンバー。週刊誌のセールスポイントは、まだそこにあった時代が読み取れよう。


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 『週刊現代』に掲載された5ページのうち、書き出しの2ページ分だけ紹介させていただく。建立に至る流れだけはお伝えできるだろう。しかし、ここまでではこの像を誰が彫り上げたのかも、まだ触れられていない。彫刻家の横江嘉純さんである。この記事を書くにあたって、目黒のお宅に伺った記憶が蘇ってくる……。

 ともかく、2月26日 の夕刻に撮影した「東京駅頭 蘇った愛の像」をご覧いただきたい。能書きは、それからだろう。
    愛の像を撮る!  2018/2/26

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  すっかり日が落ちてしまった。撮影はここまで。この足で、急ぎ銀座2丁目まで駆けつけなくてはならなかった。10分で行けるだろうか。

 次回はもう一歩踏み込んで、わたしの取材した「愛の像」にまつわる深い「人間ドキュメント」を、ぜひお伝えしたい。




Posted at 2018/03/16 02:32:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | つれづれ自伝 | 日記
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何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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