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正岡貞雄のブログ一覧

2019年03月30日 イイね!

手術に踏み切った理由

手術に踏み切った理由
〜その名は『頚椎症性脊髄症』〜

   3月27日の10時、搬送台に乗せられ、地下のオペルームまで送り込まれ、全身麻酔の注射を見舞われところまでは覚えている。

 目が覚めてみると、全てが終わっていて、首の周りを何やら白くて硬いものでガードされていた。

 家人がこちらを覗きこんで語りかける。手術は終わったわよ。どう、気分は?

 そうなのか。うまくいったのかな?

 先生はこれで大丈夫、だって。よかったね。手術にかかった時間は1時間と15分。出血は大匙2杯分。大事なのは術後のリハビリ次第だって。

 気になるのは手足のシビレである。それとなく触ってみる。動きはするが、シビレの度合いに変化はない。少しガッカリしたせいか、そのまま再び、眠りの世界へ。

 次に目を覚ましたのは午後7時過ぎ。やっと周りの状況が分かってきた。今いる部屋は最初に入った3階の個室ではなく、手術直後の患者の様子がすぐに把握できるように用意された2Fのリカバリー室と呼ばれる四人部屋であった。

            ☆             ☆             ☆

 1月29日、年1回の胃カメラ検診を受けた際、そのクリニックが脳神経外科とあって、ついでに相談してみた。

 夏ごろからPCのキーボードを叩いている時に、クシャミや咳をすると、ビビッと電気が走るようになり、それが今では常時、痺れを感じている。ペンや箸を持つ力も急に弱くなってしまって、歩くのに股関節から膝にかけて意のままに動いてくれなくなった、と。

 優しい目をした医師が熱心にチェックする。そして、すぐにメディカルチェックセンターを紹介するから、MRI検査を受けてらっしゃい、と。

 その足でその機器を持つ研究所へ。
 3日後、渡されたCDロムを持ってクリニックへ。そこで告げられた内容は、頚椎の4番、5番がくっついていて神経を圧迫している。若ければ即手術でしょうが、お年を考えれば保存療法で行きましょう。ひとまず首を牽引する器械が2階にあろので、それからはじめましょう、と。

 83歳というわたしの年齢なら、確かにそうかもしれない。が、たとえ残された時間がどんなに短くとも、100%の燃焼をモットーとして来たわたしの生き方に反する。その場はそのまま引き下がったが、これはもっと専門の医師に相談し、断固、手術によって、残された人生を全うして行きたい。そう、心に決めると、俄かに新しい力が湧いて来た。

            ☆          ☆          ☆

 食事を摂り、一段落したところで家人たちは病院をあとにする。あとは看護師に面倒をみてもらうしかなくなった。

 夜が深くなる。いつのまにかまた眠りの世界へ。それに合わせてエキゾーストノートがクオーン近づいて来たかと思うと、カーンと1オクターブほど音程をあげて、まるでFISCOの最終コーナーを駆け上がって行くような勢いで、クルマたちの合唱がはじまるではないか。

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 そうか、ここは首都高5号線が千駄ヶ谷方向から新宿西口ランプに向かって大きなRを持つポイントで、走り屋達の大好きな地点のすぐ脇に立つ4階建ての、脊椎専門の外科病院であったのだ。

 その夜は、思いがけない、音楽のプレゼントに心を同化させているうちに再度、深い眠りの世界に導かれていく幸運に恵まれたのはいいが、その次の日、とんでもない悪夢のような事件に巻き込まれてしまった。その件は、次回更新に譲る。

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Posted at 2019/03/31 02:51:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年03月27日 イイね!

屋上庭園から

第二の改造計画に取り組んでいる。
その最初の朝、とくにお願いして、屋上にある庭園から新宿の景観を観賞させていただいた。






やっぱりエネルギーが結晶している。再生への想いを確かめて、背後を振り向くと、そこは明治神宮の森がゆったりと拡がっている。
朝のニュースで天皇御夫妻が奈良の橿原神社に退位の
ご挨拶のため、参られたお姿が。






平成が終わろうとしている。プログレと別れたのち、手脚の痺れに悩まされ、それと闘っている。それが日を追って、急激に症状がひどくなってきた。

決断の時が来た。頚椎に改革のメスをいれていただくことになった。
その朝、屋上庭園に入ることを許された。

10時には、始まる改造実行。晴々とした報告をさせて欲しい。
平成という時代が閉じようとしている。
新しい時代を少しでも、元気に享受させて欲しい。











Posted at 2019/03/27 07:33:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年03月13日 イイね!

『放置プログレ』と甦った女王の関係

『放置プログレ』と甦った女王の関係『萎びた風船』はもう翔び上がれないのでしょうか? その②

(3月13日・記)
 女子テニスの大坂なおみって、凄すぎないか。

 全豪オープンであんなに、向こうところ敵なしの強さを披露したと思ったら、サーシャ・バインコーチと縁を切って臨んだ年明けのドバイオープンでは、初戦であっさり姿を消してしまった。

 そして2週間後の今度(BNPパリバ・オープン)では、新しいコーチの調教に見事に自分を合わせて、ドバイで敗退したばかりのフランス選手を、つづく3回戦では世界ランク25位のアメリカ選手をストレートで一蹴してしまう。伸び伸びと躍動し、「カモーン」と吠えるアクションも見せてくれるなおみに、浮き浮きと弾んだ拍手を送ってしまう。
 新しいジェンキンス・コーチの存在が大きいというが、それが世界ランク1位となった、なおみチームの用意していた『改造計画』であったのか。

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 結局、ドバイで優勝した、同じ昇り竜のスイスの選手にストレート負けしてベスト8に残れなかったが、5月のメジャーイベント「全仏オープン」が、今から愉しみである。

 さて、2018年いっぱいでプログレを手放してからというもの、日を追って心身ともに下降線を描いている当方。それでも心を励まして、次なる「改造計画」に向かって、やっと歩を進めはじめている。そこでお約束の「プログレとの別れ」の顛末も、明らかにさせていただこう。

               ☆    ☆           ☆

  それは1年前の5月のGW明けに、かねてから予定していた『改造計画』を実行するために1週間ほどの予定で、都内の大学病院で拘束状態に入ったときからはじまっていた。この辺の空気は、すでに2018年7月14 日に更新した《カサブランカ・アゲイン〜サライ7月号・五木寛之さんの『男が人生を降りるとき』〜》に詳しいが、改めて再現しておきたい。

 病室に持ち込んだノートPCはWi-Fiが通じず、全く使い物にならなかった。やむなく、iPhoneのテザリング機能に頼って、iPadから辛うじて「みんカラ」などの様子をチェック出来る程度だったが、退院を一日延ばしにされて、苛々のはじまっていた5月16日のメッセージ欄に、見慣れぬ「みんカラネーム」が届いていた。

「モカ・シャミー」???

 はじめて見る「差出人名」。が「件名」に小学館から発行している「サライ編集部」の編集者名が記されているのだから、心配ない。すぐに開封する。

                             ——————————

   突然の連絡、失礼いたします。
現在、サライ誌にて五木寛之先生の連載「奇想転画異」を担当しています。

6月10日売り7月号の原稿で車の話題に触れられ、かつてマカオGPなどに参加されたことが記述されています。
記事中に入れる写真を探していたところ、正岡さんのブログ(2015年4月20日)に徳大寺さん、黒沢さん、五木さんが写られている写真が掲示されておりました。

その旨、記載したうえで五木先生に候補案の一つとして提案したところ、上記2015年4月20日付けのブログに掲示されている写真を使ってほしいと連絡を受けました。

上記の写真についての掲載のご許可をいただきたく連絡をさせていただきました。
「みんから」には未登録だったため、急ぎ登録する過程でニックネームを求められ、我が家で暮らす猫の名前にしてあります。失礼の段、お許しください。

お忙しいところ恐れ入りますが、ご検討いただきたくお願い申し上げます。

——にして要を得たメッセージに、iPadからすぐに「掲載承諾」の返信をさせていただいた。

             ☆     ☆ ☆    ☆ ☆

 6月の中旬になって、郵便受けBOXに『サライ7月号』が投函されていた。
 早速、開封。

 さて、お目当ての五木さんは? 目次の2ページ目の2段目、『奇想転画異』92ページ、第三十二回、男が人生を降りるとき、とあった。

見開き2ページ。車好きが高じて「五木レーシング」としてレースにも参戦。中央左から徳大寺有恒さん、黒澤元治さん、筆者(昭和61年撮影、正岡貞雄さん提供)。写真の説明ネームがそのまま、リードの役割を担っていた。

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 若い頃は、車の運転が趣味だった。
 趣味というと品よくきこえるが、いわゆるカーキチの類(たぐい)だったと言うべきだろう。
自分の車を持てなかった時期は、写真を集めたり車のカタログを壁に張ったりしていた。

 そんな書き出しで始まるエッセイで、この人の車に溺れた(?)エピソードが次から次へと、万華鏡のように披露されている。

 最初に手に入れたのは、シムカ1000という中古のフランス車だった。月島の中古車ショウでひと目惚れして買い込んだ、というのは嘘で、要するに最も安い外国車だったのである。当時の値段で二十五万円だったと思う。
 シートは布張りだし、エンジンは非力だし、シフトは中々入らないし、スピードも出ない。第三京浜を夜中に走っていると、全てのトラックに追いこされる始末だった。
しかし、私はその小型車を今でも懐かしく思い出すことがしばしばある。なんといっても外車なのだ。

(中略)
 それからはいろんな車に乗った。一時期、サーブ社と契約して、「CG」誌だけの広告に出たことがある。毎年、春になるとその年のサーブの新車が提供されるのが嬉しくて何年かつとめた。

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 レーシング・チームを作って、マカオ・グランプリに参加したこともあった。ホンダのシビックを改造してのワンメイク・レースだったが、名前だけのオーナーが私、総監督が徳大寺有恒さん、ドライバーが黒澤元治さんというチームだった。車体に『青春の門』(正岡註:『四季奈津子』の記憶違い)とか、いろんなステッカーをべたべたはった奇妙な車だった。

 やがて六〇歳を過ぎ、私のカー・ライフにも幕をおろすときがきた。車の運転を止めることは、男を止めることと同じ、いや、それ以上の淋しさだった。

 しかし、私には自分の限界がわかっていた。新幹線の「ひかり」に乗っていて、通過駅の駅名の標識が、流れて確認できないことに気づいたのがきっかけだった。それまでピタリと止まったように見えていたのが、一瞬、流れて注視できなくなったのである。動体視力の衰えは、運転には致命的だ。最後にはスティアリングをにぎったのは、六十五歳のときである。自分の人生が終わったように感じたことを覚えている。

 紹介が長くなった。五木さんの「その時」の心境を正確に見つめて欲しいので、こうなった。わたしの50年に及ぶ編集者生活の後半で、車に深く関わってしまったきっかけをつくったのは、紛れもなく五木寛之という四歳半年上の作家である。その人の言葉は、いつも的確に、生き方に関わってきた。
 かつて、「八十歳になったらポルシェを着たいですね」と唆したのも、五木さん、あなたではなかったでしょうか。わたしも心のどこかで、運転免許を返還する日を、迎えつつあるのを、もやもやと自覚し始めていただけに、ズシンとこたえる「五木さんの覚悟」であった。


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 しかしその時はまだ、プログレを手放すところまで、わたしの想いが深まっていたわけではなかった。ところが‥‥、一挙に加速する出来事が、立て続けに襲ってくる。

 当初、1週間程度と約束したはずの『改造計画』は、結局解放されるのに11日を要した。それも1ヶ月後には、経過観察のためにもう一度、1週間程度の再入院をするという条件付きで。

 久しぶりのわが家。駐車スペースに半月以上も蹲ったままのプログレ。近づくとボデイには、彼(いや彼女というべきか)の不機嫌さを物語るように、うっすらと塵と埃が溜まっている。
 
「ごめんよ。すぐに洗ってあげるからな」

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 プログレに近づきながら、KEYを差し向け、OPENボタンをピッと押してやる。ポコンとうなずき、軽やかにハザートランプでウインクしてくれるプログレ。いつもの儀式がやっぱり嬉しい。よし、今からいつものガソリンスタンドで手洗い洗車をしてあげるからね。

 プログレご自慢のジャガード織りファブリック地のドライバーズシートに収まり、エンジンの始動にとりかかった。KEYをひねる。と、どうだ。クゥーンと小さく1回、鼻を鳴らしただけで、エンジンを始動する気配もない。慌ててアクセルを、2度、3度と踏みつけてから、改めて何回か、イグニッション・キーをひねってエンジンに火を入れようとするのだが、全く反応がない。見事なバッテリー上がりのご挨拶だった。プログレのしっぺ返しか。

 わがマンションの昼下がりの駐車場は、車の出入りが全くない。トランクルームから引っ張り出した赤・黒のジャンピングコードも結局、何の役にも立たない。

  ふと思いついて、加入している自動車保険の「おクルマQQ隊」に携帯からコールしてみた。いつも免許証と同じケースにカードを収容してあるから、ナンバーはすぐにキャッチできた。

 手際のいい応対の後、遅くとも30分以内には駆けつけますのでどうぞご安心を、と。JAFではなく、せっかく保有しているこの特典を一度、予てから試してみたかったのである。バッテリー救急の契約期間中の初回は無料です、とは嬉しいね。

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 長くて30分のインターバルか。その間に、わが手でボデイだけでも綺麗にしてやりたいが、それには時間がなさすぎた。せめてハタキかけとウェスで愛撫する程度で赦してもらおうか。

 きっちり30分後、「おクルマQQ隊」のヴィッツが到着した。
                               (この項、つづく)
Posted at 2019/03/14 00:43:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
2019年03月01日 イイね!

嗚呼、愛しのプログレと別れてからの日々よ!

嗚呼、愛しのプログレと別れてからの日々よ!『萎びた風船』はもう翔び上がれないのでしょうか? その①

   平成12年(2000年)から連れ添ってきたTOYOTAプログレNC300 iRバージョンを、「断腸の想い」という使い古した言葉がぴったりの「心の葛藤」を振り切って、引き取り先の練馬・光ヶ丘にある東京TOYOPET 「U・PARK」まで走らせたのは、2018年も終わりかかった12月27日だった。

 ドライバーズシートから降り立った時、未練がましくODOメーターを覗くと「115900」を指していた。お疲れ様。ポンとボンネットを叩いてやったあの日から、もう2ヶ月が経ってしまったのだ。

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   あれから、わがマンションを出入りするたびに、つい視線がわが愛しのプログレの蹲(うずくま)っていたあたりに吸い寄せられるが、そこには新しく駐車場契約を引き継いだ若い居住者の白いVEZELが……。

 そう、わたしにとって楽しみなテーマであった「人生最後の一台」は、PORSCHE の人気者であるMACANでも、MERCEDESのCクラスでもなく、そのままPROGRESということで、幕引きとなってしまったのだ。なぜか。

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  そのことの報告を、近況と混じえて、じっくりレポートしていく肚であることを表明する証(あかし)に、この項の劈頭を飾るフォトをNew Audi A8とのランデブーシーンを選んだ。正面の山並みの裾に、FSWのメインスタンドの白い屋根が見えるのが、お分かりかな。

   主要なレーススケジュールも消化し終わった11月18日、ガンさんが高橋国光さんや、中谷明彦君らと競うレジェンドレースに出場するというニュースが田部靖彦君から届き、応援をかねて、富士スピードウェイを往復することになった。
 
   同行にベストモータリング同窓会の在京幹事の何人かを誘って、1日を楽しんだわけだが、このロングドライブをもって、愛しのプログレと別れる決意を固める記念すべき日となったのだから、その辺の経緯だけは、何としても詳細にまとめておきたい。で、思いたって初めて『プログレとの別れ話』に触れた項から確かめてみることにしたのだがが、何しろ2011年6月14日の初出から数えて436回に及ぶのだから、この作業、半端じゃない。

   が、ふと思いついた。わたしの「みんから」ページの右側コーナーに、しっかり「ブログカテゴリー」という枠があって、その中の「プログレSTORY」をクリックすると、プログレにまつわる九つ(その後、14に訂正)のエピソードが、一気に入手できる仕組みであった。

 ありました、ありました。それもPV(ページビュー=WEB来訪者)集計ページのかなりの高い位置でわたしの来訪を待っていてくれるじゃないか。436項目で39位=トータル8927だから、こりゃ、かなりの注目度だ。因みにトップ3を紹介すると……。

  ① 汚された英雄 ガンさん 不死鳥伝説PartⅢ 49,568
  ② 5速MT新型スイフト RSを味見しに行かないか? 39,510
  ③ 標的にされた「速すぎる男」 それからのどす黒いドラマ 30,787  

  ○(39)プログレとの別れ話 (どうぞクリックあれ)

  改めて一読して、プログレと暮らした様々な記憶が蘇ってくる。それはプログレに10年目のヘタリが襲い始めた時期で、わたしの心離れを敏感に感じ取って愚図り始めたプログレの様子とそれからの再生計画を、記録したものだった。

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 それなのに、それから6年近くが経過した今回、わたしが改めてプログレとの別れを決めてしまう過程で、当のプログレ君はエンジン絶好調、足回りどんぴしゃり。TOYOTA直6ツインカムFRセダンの魅力をたっぷり振りまき、中谷明彦君に味見してもらうと、「新車みたいですね。大事にしてください」という講評を頂戴する始末。

 それなのになぜ? そこからの葛藤の日々と、やっぱり訣別せざるを得なくなったわたしなりの決断は、もうちょっと時間をかけて書き上げたい。  (以下、次回更新まで)
Posted at 2019/03/01 01:55:18 | コメント(8) | トラックバック(0) | プログレSTORY | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「3連休中日、富士フレッシュマンレースで青春を燃やした中・老年男の同窓会をFBで速報。今を支えるエネルギー源を確認。そのせいか翌24日のみんカラPVレポート欄の第1位は【還ってきた愛しのEXA】。FBレポート末尾でリンクした8年前のみんカラブログに未読の仲間が訪問してくれたわけか。」
何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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