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正岡貞雄のブログ一覧

2019年04月27日 イイね!

『週刊現代〈創刊60周年〉感謝の会』への招待

『週刊現代〈創刊60周年〉感謝の会』への招待〜その日だけは、なんとか出席させてください!〜

「小石川郵便局」が受付けて、消印2月28日、とスタンプされた1通の招待状が届いたのは3月1日であった。
角封筒の裏に《講談社 週刊現代編集部内「創刊六十周年感謝の会」事務局》のシールが貼り付けてあるのを確かめてから、いそいそと封を切る。

 型通りの季節の挨拶に続いて「さて」と前振りをして用件を伝えてくる。
「おかげさまで『週刊現代』が二〇一九年三月三十日をもちまして、創刊六十周年を迎えます。
 この長い歴史を紡いで来られましたのも、ひとえに先輩方の勤勉努力の賜物と深く感謝いたします。
 つきましては、左記のとおり、創刊六〇周年の感謝の会を催したいと存じます。
    
   ☆     ☆            ☆

 おお、なんと心に響く嬉しいお誘いではないか。
 その60年前の創刊号に、入社と同時にできたばかりの編集部へ配属されて3年半を関わり、さらに昭和47(1972)年から49年にかけて、週刊現代が130万部の発行部数を誇った時代に編集次長として、2度目のお勤めをし、それなりの役割を演じたと自負しているわたしにとって、これほど願ってもない特別な催しが他にあるだろうか。加えて、古くて懐かしい仲間たちにも逢えるではないか。

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*創刊1年目の週刊現代編集部

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 そして最後に「ご多用のところ誠に‥‥‥」とことわってから「ご出席を賜りたくご案内申し上げます。敬具」と結んであるが、その日付はいささか間の空いた「平成三十一年一月」となっているところで腑に落ちた。どうやら賞味期限ギリギリに慌ててわたしのもとへ発送されたものに違いなかった。

 なぜなら、発起人である「週刊現代編集長 鈴木崇之」その人に、実はこの招待状を受け取るわずか4日前に、講談社本社ビル6階にある週刊現代の編集室で、面談して来たばかりだからだ。

 それで読めた。すでに発送し終わった招待状のリストの中に、恐らく、わたしの名前はなかったはずである。無理もない。講談社からの特命プロジェクトだったとはいえ、昭和52(1977)年に除籍された形で関連会社を立ち上げ、新しくクルマ雑誌を創刊し、以後は「社友」という立場で遇されてきたのだから、こうしたフォーマルなケースでは、リストから漏れたとしても不思議はなかった。

 そうした催しがあるとは知る由もなく、平成という時代が慌しく幕を閉じようとする空気の中で、週刊現代というメディアの果たしている今の立ち位置と、この平成という時代の幕引きの「引き金」となった天皇、皇后両陛下の御成婚に合わせて創刊された、その頃の出来立てホヤホヤの週刊誌との有様を結ぶ一本の糸を求めて、ある申し出を現場責任者である編集長に伝えたところだった。 

 もちろん、こうした交渉ごとには、それなりのルールがある。いきなり先輩面をして直接に電話を入れたところで、何よ、この人、で反感を買うだけの話だ。一応、考え抜いた末、大昔、わたしが中心となって立ち上げた「ベストカー」」の編集・発行元である「講談社BC」の社長に仲介をお願いしたのである。

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*文京区音羽通りの講談社ビル。背後の27階建ての新ビルに、今は本社機構と各編集部が蝟集する

 すぐにレスポンスがあった。伝えられた電話番号をプッシュした月曜日の午後、若くてキビキビとした現役編集長の声を聴いた。希望されている編集現場の一日体験は無理です、その代わり1時間、わたしが時間を作りますのでどうぞ、それがお応えできるギリギリの線です、という。いいなあ、はっきりしているこの空気。約束のできた2月25日の午後が待ち遠しかった。

 さて当日、わざわざ受付まで出迎えにやってきてくれた鈴木編集長。わたしが「月刊現代」の編集長だった頃と同じ歳まわり。やや小柄だが、まあ中肉中背の部類。背筋がピンと伸びている。

 名刺の交換がすんだところで、6階の編集室へ案内された。60年もの歳月を、週刊誌づくりの荒波と闘い続けてきた聖域。胸を衝くものがあった。

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*1959年「週刊現代」と「週刊少年マガジン」が同居した当時の「週刊誌編集局」

 この「古巣訪問」の後、鈴木編集長の好意で「招待状」が発送されたに違いないが、さて出席できるかどうか、実はとても微妙な状況にあった。

 日々、悪化していく手足の状態。手術を決意して、懇意にしている整形外科医から「神の手」を持つと推薦された参宮橋脊椎外科医院・大堀靖夫院長の診察を受けられるのは3月11日に決まっていた。

 エイ!ままよ。4月12日の週刊現代『創刊60周年』感謝の会への「出席」の返事を投函してしまったのである。

☆     ☆ ☆

 ここでやっと、このところの現況を伝えてきた『屋上庭園から』『手術に踏み切った理由』『復活の狼煙が見えますか!?』との繋がりがはっきりしてきた。

 「参宮橋」でのいくつかの検査、診察の結果を受けて、入院は3月26日、手術は27日、1週間か10日もあれば退院できるでしょう、と大堀ドクター。
「よろしくお願いします。実はお願いがあるのです。一つは4月2日が早稲田大学の入学式で、新入生の孫娘と一緒に大隈重信の銅像の前で晴れ姿をカメラにおさめたいこと。もう一つは4月12日に椿山荘で開かれる大事なパーティ、これには這ってでも出席したいのですが‥‥‥可能でしょうか?」

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*屋上庭園

 この時のわたしの願いを大堀ドクターはしっかりと憶えてくれていたらしい。
頚椎の狭窄を切開し神経の流れを楽にしてやる手術を受けてから3日後、4Fの屋上庭園で朝のリハビリ・ウォークをすませて、3Fの自室に戻ると、大堀院長がほかの医師と看護師を従えて、朝の検診にやってきた。

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*左から2人目が大堀靖夫院長
 首筋の患部をチェックしたと思ったら、ビッとテープを剥がし、「うん、大丈夫です。4月3日には退院できそうです」と、ありがたいコメント。ついでに看護師さんに、まだ腕に装着したままだった点滴の針も、外すように指示してくれた。パッと明るい陽射しが差し込んできた。

 そして翌日。月末の日曜日だというのに、院長がいきなり単身でわたしの部屋にやってきて、ちょっと廊下を歩いてみろ、という。補助用の杖を持たずに、踏み出した。グラつかずに一歩、二歩。股関節から、膝にかけての脱力感がなくなっていた。
「うん、大丈夫。OKですよ。明日、退院しましょう」
「え、ほんとうですか。ありがとうございます。これで念願の‥‥‥」
「そうです。首のプロテクターもしなくて大丈夫。どうぞ入学式へ、行ってらっしゃい。早稲田でしたね。実はわたしの息子も今、早稲田に在学しています」
 そんなやりとりの締めに図々しくも、おねだりをした。
「先生の監修されたご本『脊柱管狭窄症』がお手元にあったら、一冊、お分けいただけますか」

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 30分後、再び大堀院長が来室した。どうぞと手渡されたその本には、ペン書きで「謹呈」と前置きして、わたしの名前が書きこまれているではないか。最後に力強い筆致で著者名が添えられていた‥‥‥。

「頚椎は背骨(脊椎)の一部です。一応退院していただきますが、近い機会に胸椎、腰椎の方もしっかり検査することを薦めます」
 しっかり釘を刺されてしまった。
 もちろん、こちらとしても異論はない。むしろ、渡りに舟ではないか。よろしくお願いします、と叩頭すると、院長先生の方が一枚上手だった。5月の連休中ですが、2日に予約を入れておきました、と。このご厚意に応えて、2年前に出版した『PORSCHE偏愛グラフィティ』を差し上げる約束をした。

「ポルシェですか。わたしはスーパーカー世代ですよ。楽しみにしています」
 スピーディなレスポンスを見せてくれる大堀院長だった。

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*4月1日、退院する日の屋上庭園に朝の日差しが溢れていた

 翌日は4月1日。午前10時、退院。用心のため、首巻きプロテクターは装着した。出迎えに来てくれた娘と孫の車に向かって、一歩を踏み出した。これまでにないしっかりした足取りに、大満足。調子に乗って、家人と娘に‥‥‥。
「明日の入学式に、行ってもいいかな」
「え!? 何言うの。ダメだよ。せっかく良くなりつつあるのに 」
 口を揃えて、跳ね返された。ごもっとも、である。

 正午前に帰宅。この日の『何シテル?』に、こう書き記していた。

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04/01 08:39
2019年4月1日の朝食がこれ!まっことシンプル。お粥にハムに乗っかった目玉焼き、味噌汁に玉ネギの和え物、デザートはヨーグルト。これを完食。晴れやかな朝。いよいよ平成が新しい元号に移行する朝。さあ、このあと、なんと入院7日目にして、わたしは退院できるのです。素晴らしい朝です!

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04/02 14:51
『恋の奴隷』が花言葉。新元号の制定のあったその日の正午、1週間ぶりに帰ったマンションの入り口で出迎えてくれたのが紅色の花びらを纏った『照手桃』には、邪気を祓う神聖な木、という役割もあるとか。ありがとう。適役だね。すぐ傍の桜名所はすでに下り坂、手足の痺れも気のせいか薄らいできたぞ。
                         (以下、次号更新)
Posted at 2019/04/27 22:55:19 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
2019年04月22日 イイね!

『復活の狼煙』が見えますか⁉️

『復活の狼煙』が見えますか⁉️〜これで「退院&現場復帰」のレポートが送れます〜

【左は4月17日のVOLVO新型V60 Cross Countryのプレスカンファレンスの会場にて】

 2019年を迎えてから体調の変異が顕著となった。両手が痺れ、上衣のボタンもうまく嵌められないし、PCのキーボードもまともに叩くこともできなくなる。足も真っ直ぐ伸びてくれなくなった。一歩ごとにグラリと来て、頼りなく迷走する感じだった。原因がなんだったのか、その時はまだ把握できていなかった。

 それでも「ゴーン疑獄」の衝撃が、一旦は延期された「リーフE+(イープラス)」のプレス発表会にどう影響しているかを確かめたくて、渦中の横浜グローバル本社まで足を運んだのが1月9日。EV車として最長、1回の充電でガソリン車に引けを取らない570kmの走行が可能になったという触れ込みだった。


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 当日は西武池袋線から地下を走る副都心線を使って、渋谷経由で一度も乗り換えることなく横浜駅まで行けるルートを、初めて利用してみた。練馬の奥からジャスト1時間。そんな便利な時代になったことを実感した。

 発表会は、いささか熱気にかけていた。これまでならゴーン会長の独壇場であったプレゼンテーションも、EV戦略の責任者であるダニエレ・スキラッチ副社長に委ねられ、後半を執行役員の星野朝子専務が締めに登壇したが、これまでのような鋭い切れ味は影を潜め、疲れを感じさせるものだった。
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*「日産リーフ」は効率的で持続可能なモビリティ社会の実現に向けて‥‥‥
とスピーチするスキラッチ副社長。先頃の株主総会のあと、退任を表明。


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 その試乗会は2月22日に設定されていて、ワンペダル・ドライブを楽しみにしていたが、もうその頃には『頚椎症性脊髄症』という病名まで確定されていて、とても足を運べる状態ではなかった。せっかく2月3日にテスラオーナーの好意で「テスラS」を試乗して、その日に備えていたというのに。

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 ここからは坂道を転がり落ちて行くように状況は悪化し、3月26日に『脊椎管狭窄症』(主婦の友社・刊)の著書を持つ大堀靖夫院長の参宮橋脊椎外科病院に入院し、その翌日には大堀ドクターのメスが首筋に‥‥‥。
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*参宮橋脊椎外科病院


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*「神の手」の持ち主、大堀靖夫院長


 そのあたりの経緯については前々回、前回ブログ『屋上庭園から』『手術に踏み切った理由』にそれぞれ詳しいので、どうぞ併せてご参照あれ。


 全身麻酔から覚めると、そこは地下のオペルームではなく2階のナースステーションから目の届く4人部屋のリカバリールームに移されていた。状態が落ち着くまでの観察や点滴などの関係で、ここに2泊しなければならないらしい。入院当初の3階個室ではないのは「止むを得ない」としても、3人が男性、カーテンで仕切られたわたしの隣には声の大きな、かなり我儘な老女が収容(?)されているのには参った。

 一夜が明けて、朝食、昼食と順にスケジュールが消化されるたびに、顔の見えない隣の老女が怪物化してゆく。食事で「箸が使えない」と喚き出す。駆けつける看護師。床に落とした箸の替わりにグリップの大きい「自助棒」を持って来たらしいが、「こんなもので食事をさせるのか」と食ってかかる。それでも宥(なだ)められて、使ってみると都合がいいらしく「これ、いいわね。おいくら?あたし、買うわ」と豹変する。その挙句、自分の家柄自慢がはじまる。なんでも芝の旧家の出らしいが、それを何度も繰り返す。間違いなく認知症が進行している。

 夕食が終わった。と、老女がいきなり帰る支度を始めたらしい。
「あら、6時を過ぎたのね。主人がゴルフの帰りに迎えに来る約束だから。わたし、帰ります」 
 慌てて看護師が二人、やって来て老女を宥めにかかる。

「ご主人が見えるのは明日でしょ。そこで先生とこれからどうするか相談することになっているでしょ?」
 それでも老女は納得しない。家の方に電話をかけるといってきかない。そんなやりとりが何回か続いた。とうとう根負けした看護師がナースルームから老女の自宅に電話を入れ、ご主人を呼び出した様子で老女が車椅子に移されて部屋を離れる。

 嫌でもご主人を責める老女の声が伝わってくる。点滴交換にやって来た看護師に訊ねてみた。あの老女がなぜこのリカバリー室に収容されているのか、と。

「転倒して腰を痛めたとかで、その検査があるまで、ここに入院したようです」

 やがて午後10時の消灯時間が来た。少しは静かな気配に安心してウトウトしていると、いきなり老女の訴える声。蒲団が落ちたから、引き上げて、と。もう勘弁ならなくなった。と言って、認知症の老女に抗議しても始まらない。実はこちらもその時を待っていた。連絡ブザーをそっと押して、看護師さんに来てもらった。

「とてもじゃないが、こっちがおかしくなる。わかるでしょ? もし許されるなら3階の自分の部屋の方に帰りたいんだけど‥‥‥」と。

「点滴も終わっているからいいでしょ」

 チーフ役らしい看護師さんが柔らかい笑顔でOKの返事。薄暗がりの中、移動用の車椅子に乗せられ、エレベーターを使って、やっと3階の個室への深夜の脱出に成功したのである。しかし、しばらく部屋を使ってないため、室温のコントロールがしてなかった。寒い!が、まだ点滴などのチューブがつけられたままで、自力でベッドを離れることのできる状況ではない。ぐっと我慢して浅い眠りのまま、朝を待つこととなった。

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 手術から3日目。
 ソフトプロテクターはつけたままで、杖をつきながら歩行動作をチェックしたり、手の握力が回復しているかの検査が始まった。

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 右手、23。左手、25。これは手術前には13〜14に落ちていたのに比べると、拍手ものの回復だった。点滴も外した。身体中に間違いなくネルギーが復帰してくる実感に、急に「明日が見え始めた!」とノートにMEMOするほど、燥(はしゃ)いでしまった。

 
 そして病院に持ち込んだiPadを使って、短い内容で近況を伝えられる「何シテル?」欄に、書き込みを始めた。例えばこんな風に。それはわたしからの、精一杯に打ち上げた《復活の狼煙》だったが、果たしてどのくらいのお仲間にみてもらえただろうか。

●03/30 16:28
脊椎管と呼ばれる背骨の中のトンネルが狭くなり、脊髄が圧迫されることによって上下肢機能障害、痺れ、膀胱直腸障害などの様々な症状が出現。これをどう排除していけるのか。1時間15分の手術から三日目。見事に成功。近く嬉しいご報告ができそうです。

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●04/01 08:36
2019年4月1日の朝食がこれ!まっことシンプル。お粥にハムに乗っかった目玉焼き、味噌汁に玉ネギの和え物、デザートはヨーグルト。これを完食。晴れやかな朝。いよいよ平成が新しい元号に移行する朝。さあ、このあと、なんと入院7日目にして、わたしは退院できるのです。素晴らしい朝です!

●04/02 14:51

『恋の奴隷』が花言葉。新元号の制定のあったその日の午後、1週間ぶりに帰ったマンションの入り口で出迎えてくれたのが紅色の花びらを纏った『照手桃』には、邪気を祓う神聖な木、という役割もあるとか。ありがとう。適役だね。すぐ傍の桜名所はすでに下り坂、手足の痺れも気のせいか薄らいできたぞ。

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 そんなわけで、今回はここで一服。
 何しろ明日の午前7時前にはわがマンションを出て、この項の書き出し部分と同じコースで横浜へ向かい、新型デイズの試乗会に駆けつけなくてはならない。つまり、それほど復調して、いそいそと活動を開始したということかな。(この項、さらに続けたい)
Posted at 2019/04/22 02:12:13 | コメント(5) | トラックバック(0) | 還暦+白秋期の23歳 | 日記
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何シテル?   02/25 09:59
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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