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正岡貞雄のブログ一覧

2020年02月16日 イイね!

ノムさん、84歳。『同時代の花』の死に心騒ぐものあり

ノムさん、84歳。『同時代の花』の死に心騒ぐものあり〜「デイリースポーツ紙」の喪に服したページ創りに寄せて〜


 84歳(1935年6月生まれ)。虚血性心不全で、独りひっそりと、彼岸へ旅立っていった野村克也さん。同時代を生き抜いた巨人・長嶋が太陽を燦々と浴びた「ひまわり」なら、わしは所詮、月を仰ぐ「月見草」よ、とぼやいてみせたノムさん。その突然の死を悼んで、T V各局はもとより、スポーツ紙全紙が競って工夫を凝らした特集を組んでいた。

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 その中で、長嶋茂雄さんやノムさんと同じ時代の空気を吸いながら生きてきたわたしが、吸い寄せられてしまったのは「デイリースポーツ」。まるで喪に服したような異色の紙面づくり。現役時代の野村捕手(以下、ノムさんと呼ばせていただく)が二塁へ向かってスローイングしているモノクロ姿を大写した第1面だった。追悼の想いがたっぷり込められていた。そのノムさんに添えた追悼のコピーの黄色の文字も似合っていた。

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*デイリースポーツ第1面(2020年2月12日)

「ノムさん ありがとう  天国でサッチーとおしどり夫婦」
そして赤い文字が短冊のように添えられる。
「戦後初三冠王」「本塁打王9度」「史上最強捕手」「I D野球で日本一3度」
「ヤクルト、阪神で《野村再生工場》」「ボヤキや名言も数多く残し」……


「生涯一捕手」として野球を愛した男、ノムさんの経歴も丁寧になぞってあった。
 1954年、テスト生で南海(福岡ソフトバンクの前身)に入団、契約金0円の無名選手は人一倍の努力と洞察力で打撃を開花させ、65年に戦後初の三冠王を獲得、70年に選手兼任監督に就任。その後、ロッテ、西武に移籍し、80年に現役引退するまで、首位打者1度、本塁打王9度、打点王に7度輝いた。
 90年にヤクルト監督に就任。データ重視の「I D野球」で就任3年目の92年にリーグ優勝を飾ると、翌93年に球団史上初の連覇をかざると同時に15年ぶりの日本一に輝くなど、9年間で4度のリーグ優勝、三度の日本一と黄金時代を作り上げた。

 問題はここからだった。わたしがデイリースポーツの紙面づくりに吸い寄せられた本当の理由も「ここからの出来事」にあった。後年、ノムさんも「その時代」を痛く悔いていたものだ。
 
三顧の礼で迎えられ、99年に阪神監督に就任。「野村T O P野球」を掲げ、長く低迷するチームの立て直しを期待された。
「野村再生工場」では遠山を巨人・松井キラーとして再生させ、遠山−葛西−遠山−葛西の投手リレーや、新庄を投手との二刀流に挑戦させるなど話題を呼んだが、3年連続最下位に沈み、沙知代夫人が脱税容疑で逮捕されたこともあり、01年オフに辞任した。

その時の阪神ファンの野村批判の声を真っ直ぐに反映させたのが、御用達メディアの「デイリースポーツ」であった。ノムさんが采配した3年間の虎軍団は、シーズンの前半こそ生き生きと闘うが、夏場からはがくんとモチベーションを喪うのが通例だった。その辺の悪しき症状にノムさんも対処するエネルギーを失って行った‥‥‥。

 これで「野村株」は急落し、それから5年後に楽天の監督に起用されるまでは、ノンプロチーム「シダックス」の監督を引き受けるなど、雌伏の苦々しい日々を送ることになる。

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*楽天時代の野村監督(TBSテレビ特番より)

 阪神での3年間を、ノムさんも「失敗だった」と認めたというが、その時の「デイリー」がどんな攻撃の矢を射ていたのか、近く国会図書館に行って調べてやろうか、などと思いつつ、2月12日発売の同紙をめくっていくと、あるわ、あるわ「ノムさん追悼」のページが9ページも割かれていた。

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 その中で、特にわたしが注目したのは、『野村監督歴代担当記者の思い出』集で、中でも1999年の阪神キャップだった中村正直記者の寄稿を、ぜひご一読願いたい。そこにはノムさん番ならではの交流が窺われ、◎印を付けさせていただいた一文であった。

■猛虎時代の到来を感じさせた『愚公移山』
青天の霹靂(へきれき)で阪神監督に就任した野村克也氏に、正月紙面の登場をどうお願いするか、かなり考えた。いまから22年前の1998年12月、阪神吉田義男監督の後任問題で“へま”をし、マンマと他紙に野村新監督を抜かれてしまった。せめて正月紙面ぐらい他紙にないものを企画しよう!と考えたのが、中国の故事から採った四字熟語『愚公移山』の1面、終面連版だった。
 歴史好き、書物好きの“ノムさん”をうならせる故事を探し出すのは苦労した。しかし『列子』という書物を読むうちに、当時の阪神にそっくりな逸話を見つけ出した。それが『愚公、山を移す』だった。
 これをノムさんに説明すると「ワシは知らんわ」と言いつつ、ニヤッと笑って快諾。後日、毛筆でこの『愚公移山』をしたためてくれた。
 1999年元旦、その文字がデイリーの1、終麺を飾り、野村監督による猛虎新時代の到来を感じさせた。しかし、時はまだ熟していなかったのだろう。さまざまな革新的な挑戦には感服したが、まだ劇的に当時の“ダメ虎”を変えるまでには至らなかった。ノムさんの“常識”に、当時の阪神がついていけなかった—というのが私の実感ではある。
 野村のおっさん……。デイリーは、いや、俺はイヤミな敵、だったかもしれない。しかし、ホント、本当に尊敬していた。山を動かそうとしていたおっさんこそ『愚公』かもしれない。冥福をただただ祈りたい。

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*デイリースポーツ編集部に貼ってある野村克也氏の『愚公移山』の書

 さて、本稿の本題はここから始まる。実は同世代のプロ野球選手で、これはと思われる光り輝いたプレーヤーとは「雑誌編集者」という仕事を通して、ほとんどインタビューしたり、対談をお膳立てしたり、あるいは連載ページをお願いしたりとナマでお逢いして来た。

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 「週刊現代」の創刊3号(1959年4月26日号)で、当時東映フライヤーズの新人選手の張本勲選手をグラビアページでクローズアップ(「創刊3号」と《駆け出し時代》の痛い記憶をクリック)するため、夜の東京駅プラットホームで撮影したのを皮切りに、国鉄スワローズの金田正一投手の特集グラビアで張り付き取材をしたのも自慢話の一つ。さらにいえば、長嶋茂雄、村山実、江夏豊といったレジェンドとも貴重な単独取材の時間があったりしたのに、なぜかノムさんだけはノータッチであった。
 なぜか。その心残りが今も悔やまれてならないが、次回はそのあたりから、始めようか。
Posted at 2020/02/16 01:47:03 | コメント(4) | トラックバック(0) | つれづれ自伝 | 日記
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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