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正岡貞雄のブログ一覧

2020年06月02日 イイね!

幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』in FISCO

幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』in FISCO〜「巣ごもり断捨離」もまた楽しからずや、の精神で①〜

 1989年7月の富士スピードウェイで発売直前のユーノス・ロードスター(欧米ではミアータの名前で、既に発売)がレース用にロールバーを装備し、自動車メディアの走り屋さんによるスプリントレースを挙行したのが大受けだった。それが先頃、30周年目を迎えた『メディア対抗ロードスター4時間耐久レース』(筑波サーキット)に発展したことを知る人が、どれほどいるのだろうか?


   ☆   ☆   ☆

Face Bookを舞台にした『秩父困民党事件』の資料整理も目処が立ったところで、引き続き「巣ごもり断捨離」の手を、かねてから家人に要請されていた「出窓」の下の空きスペースにシフトチェンジした。入れっぱなしだった段ボール箱がゴロゴロと、出るわ、出るわ。

「おお、ここに入れておいたのか」と驚かされるビデオテープやCD類の中から、かねてからその行方を気にしていた1986〜90年の「自動車レース関係V T R」が3箱も出て来た。わたしが活字媒体の「ベストカー」から、そのエネルギーをビデオマガジン「ベストモータリング」にシフトチェンジした時代と関わりの深い「資料」たちであろうか。



 数えてみると全部で36本もあった。「富士フレッシュマン」のE X Aと、そこからステップアップした「ミラージュCUPフレッシュマン戦」とその上のクラス「エキスパート戦」を、わたしのスキルアップのために8ミリカメラで収録したものが主だっていたが、その中で3本ばかり、異色のものが‥‥‥。

① P R E S S  E U N O S ロードスターレース
② 西仙台ドリームC U P
③ J A F 鈴鹿グランプリCIVICレース

①の「89年ユーノスロードスターレース」なら4時間耐久の第1回ということになる。それならば生涯でたった一度の、お立ち台真ん中でのシャンペンファイトをする自分の姿を、もう一度この目で確かめたいものだ。



 手にしたV H Sテープは何ともお粗末で、怪しげな造りだ。録画した映像が消去できないように、一度は「爪」を折られている側面の四角い空間に、セロテープが貼られている。しかも15分しか録画できない短尺物だ。警戒心が先に立つ。

 ともかく、これもテープと同じように辛うじて生き残っているV H Sカセットテープの再生器に、久しぶりのお仕事をお願いした。おお、なんと無事に、テープが吸い込まれて行くではないか‥‥‥。

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 いきなりモニターに映し出されたのは、水玉模様の真っ赤なロードスターのボディ。車番⑥。間違いなくわたしが搭乗した「あいつ」だ。

 富士スピードウェイをFISCOと呼んでいたあの時代、ビッグレースはもとより、年間8〜9戦が組まれるフレッシュマンレースの1戦1戦を丁寧に撮り続けてくれたことから、「サーキットの鉄人カメラマン」の称号で呼ぶ安川肇さん。その彼が何かの折に、2枚のモノクロ写真をプレゼントしてくださった。独特の風合いで焼き上げたもので、写真というよりは墨絵と呼びたくなる作品だった。

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 その安川作品のモデルであったはずのEUNOS ROADSTARが、なぜここに?
 
 疑いはすぐに解消する。てっきり筑波を舞台にした「第1回メディア耐久」が出てくるものと思い込んでいた。そこへ意に反して、富士スピードウェイのパドックで出番を待っているシーンが登場してきたからだ。

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 腕組みしたわたしが、雨傘を手にした当時の『ルボラン』誌編集長・清水猛彦さんと話し込んでいるシーン。パドック独特の喧騒の中、何を会話しているのか、V H Sテープから聞き取ることはできなかった。そうだ、この様子を画像にして清水猛彦さんに届けてみよう。どんな展開になるか、やりとりにスピード感のあるFace Bookに舞台を選んで、試みることにした。その上で後刻、本舞台の当Special Blogに再録してみたい。

●幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』序章
(Face Book=2020/5/29/14:59発信)

 親愛なるF B仲間、清水猛彦、鈴木直也、前田保さまに報告します。
去る5月25日のことでした。「巣篭もり」で鬱屈しているご様子の清水さまに「激励のエール」の意をこめて、断捨離活動中に古い段ボール箱から発見した1989 年のレースもののビデオテープのイントロ場面を、スマフォカメラに撮ってF Bのコメントやりとり欄に送信いたしました。

「1989年7月撮影のF I S C Oパドックでのあなたと小生との2ショットですが、何のレースか憶えていますか?」と。

 早速、清水さまから返信がございました。「確かにわたしですね。しかし、ユーノスロードスターレースは筑波で、わたしも出場しました。それがF I S C Oとは不思議。覚えなし。到頭、認知症に罹ったのかな?」

 その猛彦さんコメントを待っていたように、元 MAZDA広報の前田保さまからも、助け舟と覚しきメッセージが届く。

「この写真を、ご覧あれ」と。それは第1回プレス4耐レースの結果表。
 実はその第1回の栄光ある覇者が「ベストモータリング」チーム。大井貴之、田部靖彦に編集長のわたしが加わった。業界最速の称号をかち取ったそのシーンが見たくって、いそいそとその古いテープを再生してみたのがことの始まりでもありました

 猛彦さんへ第2信を。
「やっぱり、あなたでもご存知なかったか。年号が平成となったあの年、発売直前のユーノス・ロードスター(欧米ではミアータの名前で、既に発売)がロールバーを装備して、自動車メディアの走り屋さんによるスプリントレースをF I S C Oで挙行し、その予行演習を経て、それが先頃、30周年目を迎えた『メディア対抗ロードスター4時間耐久レース』(筑波サーキット)に発展したものです。なにしろレースイベントの最後に押し込んだものだから、決勝がスタートした時にはすっかり陽が落ち、それに霧雨という最悪のコンディション。あちらこちらでスピンの連続でした、優勝はC G誌の熊倉さんでした」

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と、即座に反応が届きました。いまやベストカー誌を中心に活躍中のCARジャーナリスト、鈴木直也さんからメッセージが届く。
「優勝したのはドライバー誌の三角さん。あと一周あればぼく(鈴木直也)が抜けたのに、と口惜しい想いをしたので憶えています」
 え!? 直也さんも出ていたのか。ともかく古いV H Sの、素人の撮ったテープ。#5がトップでチェッカーを受けたのはわかるが、エントリーリストも手元にない。不明なことが多すぎます。早速、確認する道筋を考えた結果、かつてそのレース写真を、何かの記念に2枚を送ってくれた人物に頼ることにしました。一枚は水玉模様の#6ユーノスを駆る小生、もう一枚はスターして第1コーナーを抜けて、第2コーナーへ駆け下りる集団を、見事に、そして鮮明に捉えたモノクロの紙焼き。
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「サーキットの鉄人カメラマン」の異名を持つ、安川肇さんです。幸い、ちょうど1年前に「富士フレッシュマン同走会」(同窓会ではありません)でお一緒しています。多分、彼なら当日のプログラムをお持ちのはず。
まず、そこから《真相追求》をはじめます。直也さんには、早速、FISCO名物の第1コーナーの飛び込み合戦の画像をお送りしましょう。いろんな記憶が蘇るに違いありません。ご一報ください。

●暗闇&ウエット路面と闘った8周レースの真実
 (Face Book発信=5/31/21:49)
〜幻の『プレス対抗MAZDAロードスター戦』(その1)〜
 手がかりを「サーキットの鉄人」安川肇さんに求めた。彼の収集能力とデータ管理の完璧さなら、間違いなく答えを出してくれるはず。
 5月27日(水)の朝、9時になるのを待って、コールしたが留守電になっている。お昼になっても、残念ながら安川さんからの反応がない。
「もう1周あったら、トップの三角さんを抜けたのに」と挿入コメントで悔しがった鈴木直也君をはじめ、他にどんなメディが参加し、他にどんなドライバーが走ったのかも、ほとんど記憶がない。なんといっても、31年も昔の話である。
 1989年は年号が平成に改元された年。セルシオがデビューし、日本カーオブザイヤーのグランプリに輝いた。海外ヨーロッパ取材に多忙を極めた年でもあった。わたしの主宰する「ベストモータリング」も軌道に乗りはじめていた、というより大井貴之、田部靖彦の両腕が「創り手」として少しはホンモノになりはじめていた。土屋圭市君もレギュラーキャスターとして加わり、中谷明彦君と組んで『The疾る!ユーノスロードスター』というスペシャル版を世に問うたりして‥‥‥。
 そんな風に眠ったままの記憶をまさぐりながら、安川さんからの電話を待った。正午に2度目のラブコール。これもダメだった。が、2時になって受話器が嬉しそうにハミングする。安川さんからのものだった。

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 こちらの抱えている状況を説明すると、よく憶えていて、すぐに『公式プログラム』の表紙、公示&目次、タイムスケジュール、大会組織表、第9レース/エントリーリストがF A Xで送られてきた。これでやっと『プレス対抗ロードスタースプリント戦』の正体が見えてくる。

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 該当のレースは「’89 富士フレッシュマンレース第5戦」の第9レースに組み入れられていて、出走21台。車検は前日に済ませ、公式予選は16:15 分から15分間。決勝スタート16:40分/10周が予定されていた。
 さて肝心のエントリーリスト(別掲画像参照)。
てっきりCGの熊倉重春さんだと思い込んでいた青のマシン⑤はdriver誌の三角明孝さんだし、赤いマシンの#22が熊さんだったのか。
鈴木直也さんがコメントでいっていた「熊倉さんが車載カメラで15分間も実況レポートしたカーグラT V、あれが抜群に面白かった。だれかYouTubeにアップしてくれないかな」という意味が、改めて生きてくる。どなたか、お願いします。
当の直也君は⑨、このあと30回の開催を重ねる「4時間耐久」で出場28回、優勝回数8回をやってのける#19斎藤慎輔さんは「MMレーシングチーム」とあるからモーターマガジン誌からの出場だろう。
 ともかく、業界の走り屋、錚々たるメンバーが揃っていた。
① 飯塚昭三 ②鈴木俊治 ⑦吉田匠 ⑧横越光宏 #11町田英明、#22 熊倉重春‥‥‥そこへプラスして⑩岩貞るみこ #23 佐藤久実‥‥‥若手で③杉野勝秀 #17 奥山文彦。 

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ここまでわかれば、「幻のプレス選抜スプリントレース」のV H Sテープを改めて「謎解き」がてらに鑑賞してみるエネルギーが湧いてくる。

そこへ鈴木直也君から、コメントの続編が届いた。
「せっかく予選でトップをとったのに、スタートのミスで一気に中団までドロップしていたのが、あの1枚の写真でわかりました」
 そうか、そうか。安川さんの捉えた第1コーナー、7位で走るぼくの右後ろ、8位にまで落ちていたとは。ともかくあのレース、コーナーでちょっとでもアクセルを踏みすぎると、すぐにくるりと回ってしまった。
 そういえば「みんカラ」のスペシャルブログ執筆陣仲間の吉田匠さんと、安川さんに貰った「1コーナー」の写真の話をする機会があって、あの時、トップグループを追って300Rをうまくこなしたのに、ダンロップコーナーの出口で一緒にクルリとやりましたね、と笑い合ったのを思い出す。
  
よっしゃ。もう一度、改めて15分テープを再生してみるか。
                  (この項、続く)

Posted at 2020/06/03 00:31:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | サーキットに生きる | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「松山英樹のマスターズ制覇に文字通り世界中が沸き立った。当方も午前3時にガバッと目が覚め、それから8時過ぎまで英樹の闘いの一部始終を目に、心に焼き付けた。マスターズのサンデーバックナインには魔物が待ち受けているとは知っていたが、あれだけ快調だった英樹もメロメロにされかかるとは。」
何シテル?   04/13 20:37
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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