こなぃだの日曜日
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洗車を終わらせて 一息TVをつけたところで見かけた番組のぉ話です。
NHK
「明日へ -支えあおう-」
- 頑張るよりしょうがねえ〜南相馬市・瀬戸際の介護現場で〜 -
ネットよりあらすじを抜粋、一部加工して
あたしなりの感想を織り交ぜて載せてみたぃと思ぃます。
ちょっと長くなりますが
ご興味いただけたら読んでやってくださぃ
☆彡
この番組の中に登場された老夫婦の現実のぉ話。
南相馬では長引く避難生活で介護を必要とするお年寄りが急増。
重い負担が家族にのしかかっている。
そんな中のぉ一人、桑折馨(こおり かおる)さん86歳
桑折さん(以下じぃちゃん)は津波で自宅を失ったため 震災の日から9ヶ月後
妻のタキ子さん(以下ばぁちゃん)と一緒に借り上げ住宅に暮らし始めた。
しかし去年暮れ
ばぁちゃんが家の中で転倒し 持病の腰痛が悪化。
夜眠っていられないほど痛みが激しくなり入院せざるをえなくなった。
以来1人暮らしだ。
年越しも正月も一人で迎えた。
寂しさを紛らわすのは一本のビデオテープ。
元気だった頃のばぁちゃんの晴れ姿だ。
日本舞踊の先生だったばぁちゃん。
80人もの弟子を抱えるばぁちゃんは 美しく人望もある自慢の妻だった。
じぃちゃんは一日も欠かさず ばぁちゃんのもとへ軽トラを走らせ通う。
ぉ食事の介助をしに 朝昼晩毎日3往復。
入院中のばぁちゃんは
腰の痛みだけでなく、
心にも大きな傷を負い うつ病を発症し苦しんでいる。
桑折さん夫婦は、震災で息子の忠夫さんを失った。
年老いた二人が頼りにしていた息子の死。
両親の待つ避難場所へ向かう途中で津波にのまれたという。
入院して二ヶ月。
ばぁちゃんは『夫婦二人で過ごしたい』と繰り返す。
そのコトバに『もう少し待ってくれ』と応えるじぃちゃん。
借り上げ住宅では十分な介護ができない。
妻の願いを叶ぇてやれないもどかしさを じぃちゃんは抱えていた。
途方に暮れていた桑折さん夫婦に嬉しぃ知らせが舞い込んだ。
近所にある介護施設がリニューアルしたのだ。
拡張に伴ぃ 病床も大幅に増えたといぅ。
そんな希望の光に ホッとしたのも束の間
深刻な人手不足に悩まされ、
新たな入居者を受け入れることが出来なぃといぅ。
原発事故後は若い世代がいなくなってしまったため
どこの施設も介護職員が不足している。
拡張に伴い必要となった15人の介護スタッフを確保できなかったのだ。
一時入居させ体力を回復させたいと考えていたが、
280人以上が入所待ちの状態であり、希望は叶ゎなかった。
自治体だって何の手立てもして無ぃ訳ではなぃ。
受講料無料の介護職養成講座を開催。
通常およそ15万円かかる研修費用を全額市が負担するという苦肉の策を講じてはみても
実際 就職に至った人数といぅとほんのわずか。
原発事故以来
働き手となる若い世代がごっそり抜けてしまったのだ。
介護の必要なお年寄りたちが 取り残される形となった。
じぃちゃんは
『原発のせいで若者が戻って来なぃ』と嘆いた。
夫婦に残された時間は少なぃ。
少しでも ばぁちゃんと笑顔の時間を過ごしたぃ。
じぃちゃんは ばぁちゃんを在宅で一人で介護していく覚悟を決めた。
ばぁちゃんを見てやれるのは自分しかいない。
じぃちゃんは思い切った決断に踏み切った。
借り上げ住宅にいては十分な介護はできない。
自宅を再建する事にしたのだ。
無謀な決断だとは百も承知だ。
それでも老夫婦が福島で生きていくためには
新しい希望が必要だった。
家族を養うため 漁業と農業で長年酷使してきた体はボロボロになっていたが、
じぃちゃんは、
『頑張るしかねえんだ。やりようがないんだ。頑張る以外に。』と話した。
コツコツとためた農協の積立金を全て解約し240坪の土地を購入した。
ここに ばぁちゃんのための完全バリアフリー平屋一戸建てを建てる。
自ら図面をひき、車イスでも通りやすい広い廊下など工夫を凝らした。
そんな中
ばぁちゃんも退院に備え リハビリに取り組み始めていた。
依然腰に痛みは残っていたが
『頑張るよりしょうがねえ』。
じぃちゃんの口癖を思い出し リハビリに励む。
しかし心の傷は癒えていなかった。
亡くなった息子を思って涙を流した。
新居での暮らしが始まればばぁちゃんは必ず元気になる。
じぃちゃんはそう信じて ばぁちゃんのもとに通い続けていた。
息子を思い出してはふさぎ込むばぁちゃんに『頑張るよりしょうがねえ』と励まし続けてきた。
新しぃ家を建て、一緒に希望を持って暮らそぅとばぁちゃんに話す。
『頑張るよりしょうがねぇ。な? 一緒に頑張ろぅ!』
『・・・・・頑張れねぇ・・・・』
『いやぁ!頑張れねぇじゃなくょ?“頑張ります!”な?』
『・・・・・・・・』下を向いたままのばぁちゃん。
そして小声でつぶやく。
『・・・・・・・死ぬよりほかねぇ・・・・・。』
『死ぬほかねえのはいいんだけど死ぬまで大変だべ。・・・・・頑張るよりしょぅがねぇんだ。』
きっとばぁちゃんだって
じぃちゃんの心に応ぇて『そうだね。一緒に頑張ろぅね。』
そんな言葉を言いたぃんだろぅなぁ・・・・。
だけど もぅどぅやってもそんな気力は残ってなぃ。
じぃちゃんだって同じ。
ばぁちゃんの気持ちは分かってる。
だけど認めちゃったら先に進めなくなりそぅで 自分に言い聞かせてる・・・・・そんなふぅに見えた。
雪が解けたら新居の建築が始まる。
震災から3年が経とぅとしていた。
津波を生き抜いた二人は原発事故の影響に翻弄されながらも懸命に生きようとしていた。
3月10日
ばぁちゃんが退院し、借り上げ住宅へ帰ってきた。
自力で歩けるまでには回復していないため
新居が完成する半年先までは借り上げ住宅で老々介護の生活となる。
この日のため、じぃちゃんはホームヘルパーを頼んでおり、1日2回訪問してくれることになった。
それでも夕食時はじぃちゃんしか居なぃ。
おかずは ほとんどが缶詰。
在宅介護が始まれば買い物に出る暇はなぃと買ぃだめしてあった。
そして必ず一緒に買っておくのが焼き紫蘇巻き。
ばぁちゃんの大好物だ。
炊きたてのご飯にのせてやると食が進む。
夕食時、ばぁちゃんは1人で座っていることが難しいらしく、
首の痛みを訴え なかなか食べ始める事ができない。
『じゃ、どぅすればいぃの?』
ばぁちゃんがいくらかでも食べやすぃよぅに
じぃちゃんが
介護用のベッドの柵をまたぃで登り、ばぁちゃんの上体が真っ直ぐ立てるよぅに
悪戦苦闘してクッションを挟んでみたり もたれ掛けさせたり・・・・・・。
ばぁちゃんの姿勢を保てるよぅに引っ張り上げよぅとするも
じぃちゃんだって思ぅよぅに力が入らなぃ。
逆にじぃちゃんがベッドからスベって落ちちゃったりしなぃかと
見てるこっちがヒヤヒヤする場面も。
なかなか思うように進まない介護に苛立って 思わず
『(真っ直ぐな姿勢になれなぃのは)わざとなのかッ!』
とばぁちゃんに怒鳴ってしまぅ じぃちゃん。
やっとのこと ばぁちゃんがご飯を口に出来たのは40分後。
炊きたてを食べさせよぅと
ばぁちゃんの為にやわらかめに炊いてあったご飯もすっかり冷めてしまった。
好物の紫蘇巻きだって 食べやすぃよぅに小さく切ってあった。
新しい我が家が完成するまで妻は元気でいてくれるのだろうか?
―『頑張るよりしょうがねえ』。―
この日、じぃちゃんからいつもの口癖が出ることはなかった。
震災から3年目の3月11日がやって来た。
じぃちゃんは津波で押し流された自宅の跡を訪れた。
堤防を突き破った津波は一瞬にして集落を飲み込んでいった。
2時46分、じぃちゃんは黙祷を捧げ、亡き息子に語りかける。
『忠夫。母さんを守ってくれ』。
4月1日、
入所を希望していた施設に7人の新しいスタッフがやってきた。
見かねたグループ施設が臨時の応援要員を出してくれることになったのだ。
夫婦のもとに朗報が届いた。
ばぁちゃんが入所出来ることが決まったのだ。
申し込んでから2か月。
夫婦にとっては長い時間だった。
しかし ばぁちゃんはほとんど寝たきりになっていた。
新居の工事が間もなく始まる。じぃちゃんは ばぁちゃんの回復を信じている。
4月18日、地鎮祭を迎えた。
できる事なら妻と二人でこの日を祝いたかった。
しかし ばぁちゃんはまだ外出できなぃ。
夫婦で暮らす我が家。
お供えする鯛も2匹用意した。
ぉ頭付きの立派な鯛。
『いやぁ~ こんな立派な鯛は見たコトねぇ。』
たとえひと月でも1週間でもいい。
同じ屋根の下で二人で暮らしたい。
もう後には引けない。 決意と覚悟の鍬入れ。
じぃちゃんは地鎮祭を終えるとその足で ばぁちゃんのもとへ行き、報告をした。
新居は9月に完成する予定だ。
『ここからがスタート。誰もやる人いないんだから、やるしかないということよ。
さあ行きましょう。ここまで来たから。』とじぃちゃんは話した。
南相馬に生きる86歳桑折馨さん。
口癖はいつも『頑張るよりしょうがねぇ』。
介護に携わる人たちが足りない状況が深刻化して
今も過酷な生活を強いられているお年寄りたち。
こうした現実は震災から月日がたつにつれて見えにくくなってきています。
一生懸命 前を向こうと気丈に頑張るじぃちゃん
愛しぃ息子を震災に奪われ 希望をなくし
高齢な上に身体の痛みと思ぅよぅに動けなぃ状態で
心身ともに衰弱して
『もぅ終わりにしてもいぃ・・・・』そんな表情のばぁちゃん。
このじぃちゃんには今こそ
以前のよぅな ばぁちゃんの明るくやさしぃ笑顔が必要なんだろぅな。
それが見たくて じぃちゃんは今までも頑張ってきたし
これからも 最後のその日まで頑張って行こぅとしてるのだから・・・・・。
だけど
そんなじぃちゃんの心にも応ぇたくても応ぇられなぃ
ばぁちゃんの気持ち
・・・・そぅだょね。もぅ疲れたょね。
このどぅしよぅもなぃ 切なく厳しぃ現実。
そんな今を生きる人が
あたしも生きるこの同じ時に そぅ遠くなぃ同じ日本でいるといぅ事実を
せめて
いつも忘れず想っていたぃと思ぃます。
番組を見て涙を流し、こぅして文章に起こして涙しても
この じぃちゃんとばぁちゃんの何の手助けにもなっていなぃけど
無関心じゃいられなぃ。
3月限定『旬な話題』なんかであってはいけなぃ。
とりあぇず
どぅかじぃちゃんの建てた・・・・じぃちゃんの愛がいっぱぃ詰まった新しぃぉ家に
いくらか元気になった ばぁちゃんと二人して引越して
1日でも多くのシアヮセな時間を過ごせますよぅに
☆彡
祈りをこめて・・・・・。