
もう20年も前になるんですね、雲仙普賢岳噴火。
1991年6月3日発生した火砕流は島原市と深江町に大きな被害をもたらしました。
その被害の大きさを後世にも伝えるため土石流被災家屋保存することになりました。
横のドームの中には比較的あたらしい家が保存されています。
死者・行方不明者43人を出しました。
マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害の真相」という記事をネットで見つけましたので転記します。
被害の背景には当初発生した小規模の火砕流が衝撃的だったことから取材競争が過熱し十分な知識を持たない報道関係者が火山学者の存在を免罪符として、取材のため、「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。報道関係者は避難して無人となった人家に侵入するなどトラブルを起こしていたため消防団員、警察官が引きずり込まれる形で危険な地域に多く存在し犠牲となっている。犠牲者発生以降この反省も踏まえ報道関係者が警戒区域内に入ることはほとんど無かったが、その後も自衛隊の情報独占に不満があると主張する報道関係者が許可なく警戒区域内に侵入し書類送検される事例もあり、報道のあり方が問われる事件となっている。(ウィキペディアより)
土石流被災家屋保存公園を見てきましたので写真をアップさせていただきます。
長崎県南島原市の道の駅「みずなし本陣」の中にあります。
屋根だけ残して土に埋まった家屋
悲惨な光景で想像すると怖いです。
言葉が出ません。
ここも屋根だけです。行方不明の人が埋もれているかも。
2階部分は残っています。
窓から侵入した土砂が家の中をめちゃめちゃにしていまいました。
玄関の前に石垣があります。どう言う事?保存するために作った通路のものなのかな?
嫁さんと知り合った頃の出来事ですごく不安だったのを記憶しています。
当時、嫁は季節従業員でして半年契約で愛知で働いていましたから。
現在、園の周りは農地になっていてビニールハウスがありました。
完全に復興していて安心しました。
今、山は穏やかです。
遠い未来この様な災害が起きないよう願います。
まだ半分くらいしか来ていません。あまり長居は出来ないので走り続けます。
その3へ続きます。
Posted at 2012/08/15 18:29:58 | |
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