2005年01月17日
…困ったもんで。
一箇所の調子が悪いと、全部に派生するもんなんだな。
ここ一二年ほど、ずっと胃腸がおかしいんだけど。
それがこの一月あまりさらに顕著で。で、そうなると今度は
舌や歯、肩に相当負担が来ているらしく。
あげく、それが精神に至る…と。
やーねーもう。
この一月、悪夢で目覚めた回数のほうが多いってのは…
けしていばれる話ではないんでないかと(汗)
Posted at 2005/01/17 23:49:26 | |
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2005年01月15日
さて中学にあがって。基本的に、何らかの部活には所属しないと
いけないきまりだったんだが…
最初から運動部はあきらめていたので、文科系を見ていると
その中になんと「読書部」という部活が(汗)
どうも本当に本を読む事が部活になっているらしい。
これはつまり、わしに向けての天啓ではあるまいかと。
入部してみて、やはりというか当然男子は自分ひとり(汗)
同い年でも、入ったのは4人…全員女子であった。
ま、放課後図書館に入り浸って本を読んでさえいればいいと
いうんだから、こりゃもう天国ですな。
実際にはラベル貼りやら新刊の整理やら、そのへんの司書仕事を
手伝わされることもあったわけだが…
クラスの図書委員にも当然なっていたので、そのへんの仕事は
しじゅうする羽目にも陥ってはいたのだけれど。
で、まぁなにせ男子がいないんだから、2年にあがれば当然
自分が部長にさせられてしまって。別段それ自体には文句とか
あったわけでなし、むしろ図書館の合鍵を持っていられるという
ある意味禁断の秘儀を手に入れた状態になってしまってもはや
歯止めがきかない状態になったわけですな。
この頃読んでいた本は…
そう、確かこの頃から著者を追いかけて読む傾向が強くなって
いった記憶が。
思い出す限りで小峰元、アーサーランサム、Oヘンリー、
そういや星新一読破もこの頃かな。
本多勝一やポールボネにはまっていた嫌な記憶もあるが(汗)
年齢的にどうこうは気にしないたちだったんで、史記や
聊斎志異、徒然草や土佐日記、逆に本来は小学生向けのはずの
ぽっぺん先生やドリトル先生、カツレ君あたりも読んで。
何を考えているのか、父親が荒俣訳のクトゥルフ(確か
「真ク・リトル・リトル」とか無理な訳だったな)を全巻
よこしたりしたんでそれも読んで。
あー、父親の蔵書からはこの頃ハヤカワSF系をやたらに
持ち出していたような気もするなと。
ともあれ。現在にいたる濫読癖は、この頃に完全に形成されたと
見ていいのではないかと。
…で、本の読みすぎで公立高に落っこちる羽目に(汗)
ま、今思えばこと読書に関しては、この頃が一番恵まれて
いた時代だったのかもしれず。
なにせ元手が、ほぼ一銭もかかっていないんだからして。
そして高校時代、さらにずれた方向へと向かうのであった。
Posted at 2005/01/15 19:47:21 | |
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その昔 | 日記
2005年01月14日
書いてみたので。
ついでにこっちでは、各種趣味についてのはじめて物語なぞ
書いてみようかと気が向いた次第。
さて、趣味というとなんだか山のようにある割には、これぞと
物になったのが何一つ無い自分であるが。
まずその一つ目、読書。
…普通の人が「ご趣味は?」と聞かれた場合。
取り立てて何も無いときなぞに「読書と音楽鑑賞」なんて答えて
しまうもの、ってイメージがあるけれど。
自分の場合、読書というのは本当に、根付いた…というか
DNAに記録されていたとしか思えない代物であって。
そもそもが、我が家は父親も母親も、それなりに…いや、かなりの
ビブリオマニアだったことも問題のひとつ。
幼少の頃から、「マンガは駄目。その代わりいわゆる『本』ならば
かなり自由に買い与える」という父親の方針もあって、おそらく
同年代の子供たちよりは文章に親しむ機会がかなり多くあり。
しかも、それが年齢相当ならばまだしも。小学校低学年の子供に
「海底二万里」それも岩波新書版なんぞを買い与えられても、
まず言い回しや語句からして理解できないものが多いこと多いこと。
それでも「なんとなく」で読み進めていくと、それなりに
読めてはしまうものなのだな。で、またそれがストーリーや
キャラクターやらが魅力的なものだから、ぐんぐんと引き付けられ
気づけばすっかり「暇な時間は本を読む」という習慣が身について
しまっていて。
すっかりインドア志向、つまりは内向的な子供ができあがって
しまったのだった。
またタイミングの悪いことに、小学校四年生の時に引越しをして。
それが中途半端に、学区外ではあるけれどバスを使えば元の学校に
通えなくはない距離で。
すっかり人付き合いが下手な子供、ここで転校でもさせようものなら
友達ができるのは卒業の頃では?と親が危惧したのだろうか、
結局そのまま元の小学校に通うことになって。
となると、学校が終わっても遊んでいられないからすぐにバスで
帰宅。帰っても近所に友達どころか同年代の知り合いなぞいないから
結局家にこもって読書…と。
悪循環は進み、小学校を卒業する頃には完全に「放課後には
図書館へ行って一日3冊の本を借り、その日のうちに読み終わって
翌日には返却、また借りて…」という生活サイクルができあがって
しまっていたのだった。
この頃主に読んでいたのは、いわゆる少年文学という奴。
多くはイギリス、フランスあたりの「名作文学選」とかくくられて
たなざらしになってるあれですね。
一冊あたり400ページくらいのものを、取り付かれたように
読破していたなぁ…
そしてそのまま、中学時代へと移行するのであった。
Posted at 2005/01/14 20:42:31 | |
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その昔 | 日記
2005年01月06日
…昔っからよく思うことではあるのだけれど。
友人のため、知り合いのため、家族のため、なんでもそうだが。
相手のためを思っての行動ってのが、必ずしも相手のために
なるとは限らないのだよな。
相手を思えばこその厳しい言葉も、あるいは優しい言葉も。
結果的には相手を追い込んでしまったり、あるいはただただ
逃げ場とさせてしまって堕落させてしまったりなど。
しょせんは人間、家族だろうが連れ合いだろうが親友だろうが
結局のところは他人のことなど完全に理解することなど
不可能なわけで。
そういう意味では、「相手のためにこうしてやる」という行為も
実際の所、「自分がこうしたいから」「こうなってほしいから」
「こうするべきだと思うから」の行動に過ぎず。
全ての行動、考えは最終的には自分の利益…それは自己満足と
いう意味で、の…に行き着いてしまうのかなと。
そんなことをつれづれ思ってしまう今日この頃…
………で、ちなみに。
タイトルは内田百聞(漢字違うけど)よりというか。
「世の中に、人の来るこそうるさけれ。とはいうものの
お前ではなし」という奴ね。
こういう文章を読んで「あたしのことか、迷惑なのか」と
とんでもない勘違いをしかねない、誰かさんへむけて。
Posted at 2005/01/06 15:04:54 | |
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