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本棚8のブログ一覧

2016年03月14日 イイね!

あなたとは?

あなたとは?ここで考えたいことがあります。



「自分」


の存在について、


「あなたとはなにか?」


ということについてです。








男性があまり興味を持たない種類の問題ですから、車から考えてみましょう。



例えばあなたの愛車がカローラだったとして、あなたの愛車、カローラとは、なんなのでしょうか?




言い換えますと、


「なにが」


あなたの愛車カローラなのでしょうか?







「そりゃあんた、ここにある物体がオレの愛車カローラだよ」


そう屋根に手を置いて、答えられるかもしれません。






ではそのカローラが巨大ミキサーで丸ごと粉末にされたとして、その鉄やゴムから出来た粉末の山を見て、


「オレの愛車カローラ」


と感じるかというと、『物質的』には同じものだとしても、そうは感じないのではないかと思います。









では、ホイールを交換しただけとしたらどうでしょうか。



とくに変わらないでしょう。







しかし、エンジンがブローして、リビルドエンジンに乗せ換えることになった場合はどうでしょうか?



さらに一度バラバラにされ、フレーム(あれば)も同時に交換された場合はどうでしょうか?


『法律的』には、別の車になります。








微妙な気持ちになるかもしれませんが、そうやって組み直された車に実際に乗ってみて、



以前と何も変わらないと『感じ』られれば、



「オレの愛車カローラ」


とまず思うのではないかと思います。












哲学とメンテナンス、アメリカのロードムービーが好きな人には是非読んでほしい本、


「禅とオートバイ修理技術」(ロバート・M・パーシグ)



かなり難しい本で、自分は2回目からでないと理解が進まなかったのですが、価値ある本です。

興味がある方は、難しい部分(登山の部分など)は飛ばしてもいいので、とにかく一度最後まで目を通されたらいいと思います。







この改訂版の序文にこういう部分があります。



・・・・・・・・・


改訂版を出す前に、作中に登場する息子が殺された。

息子はどこへ行ったのか?

火葬場で煙が空へ上がっていったが、あれは息子ではなかった。

骨壺の中にいるとも思えない。


結局のところ、息子とは一個の物体ではなく、そのパターン(原型)だったのである。


・・・・・・・・・・






『息子とは一個の物体ではなく、そのパターン(原型)だったのである』




この意味が、私は当初よく分かりませんでした。





今はこう考えています。








私の愛車の一台は古い軽トラックです。





この車に乗るたびに私は、


補助の無いダイレクトな運転操作、

風景に溶け込むようなダイレクトな視界、

動物的でぬくもりを感じる2気筒エンジンの鼓動、


それらに楽しさと安らぎを感じます。




眺めれば、


悲しいような、その奥に決意を秘めたような目つき、


にいつもジーンとなります。







こういったことが、私にとってのこの車のパターン(原型)なのです。




そして、鉄やゴムなどの物質、それらが組み合わさったものではなく、これらのパターン(原型)が、この車であり、私の愛車なのだと思うのです。







では、あなたという存在は、なんなのでしょうか?















私にとっての車、私の愛車とは、物質的な部分よりも、



「パターン(原型)こそが、この車であり、私の愛車なのだ」



というのがここまでの内容でした。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


またこれはユーザー側にとっての話であり、作る側からすると


「その車のコンセプト、その車にかける思い」


が、その車になると思います。






カローラの作り手にとっては、カローラは鉄とゴムで出来た物体ではなく、ましてや一部の評論家が言うようなダメな日本車の象徴でもなく、


「究極の、日本人のための、ベーシックセダン」


でしょう。






ちなみに私にとってはカローラは、


「急に運転することになっても、いつも本当に乗りやすい助かる車」



乗りやすさと安心感がカローラ


です。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







では自分とは、あなたとは何でしょうか。









例えば、ここ、みんカラにおいては、



『 あなたが書いていることが、私にとってのあなた 』



です。





フェイスブックとかだと、実生活での交流やプロフィール写真の影響なども多少入ってきますが、みんカラだと私の場合は基本的にそうなります。








『 書いていること 』


そして、


『 「イイね!」の内容 』


『 その頻度 』


から、




「愚痴りたいだけでどうしたいかは無い人なんだ・・・・同情するのもされるのも好きなんだ・・・かなり周囲に気を遣うタイプの性格だな・・・」



と、私にとってのあなたが作られていくのです。










どんな顔をしているのか、どんな体格なのか、ほとんど意味を持ちません。




「あなたが書いていること(反応していること)そのパターンがあなた」




です。










ではこれが、毎日顔を合わせる会社の同じ部署の人間になってくるとどうなるでしょうか?







そうです。


意外にここでも相手がどんな顔をしているか、どんな体型か、つまり物質的な肉体はそんなに意味を持ちません。





『 こういう行動をする(しやがる)、そのパターン 』



これが上司・部下・同僚から見たあなたであり、あなたから見た上司・部下・同僚ではないでしょうか?








結婚していない若い人は意外に感じるかもしれませんが、夫婦の間においてもそんなもので、物質的なみてくれはそれほど意味を持ちません。



去年の同じ時期と比べて伴侶が太ったか痩せたか、髪型の変遷、昨日何を着ていたか、化粧をしていたか・・・。


みんカラユーザーでちゃんと把握している人は、きっと極少数なことでしょう。









『 見てくれ 物質的な肉体、外見 』



というのは、実は



「中間距離の一部の対象層、リアルで浅い接点がある人」



にしか、たいした影響は与えないのです。












書いていること、そしてやっていること、そのパターンがあなたであり・・・・





その根底にあるのは


「思考、考え、意識」


です。






これがあなたの本質なのです。




あなたは、思考、考え、意識、なのです。





そして物質的な肉体、みてくれについてさえも、ここからほぼ作られているのです。















あなたの『本質』とは、



『物質的な肉体』



ではない。





肉体を使って何かをする、その



『行動のパターン』



多くの場合それを身近な人間は、『あなた』としてとらえていて、



その『行動パターン』の根底にある、



『思考、考え、意識』



それこそがあなたの本質なのである。






あなたの本質は『思考、考え、意識』なのです。





というここまでの話でした。






若い人にとっては物質的な肉体、つまり外見がもっと大事なもののように感じられるかもしれませんが、こんなことだと思ってください。






昭和50年前半のカーレースゲームというのは、


「神様視点」


雲の上から車両を眺める感じでした。




それから、後方視点や、平成に入り斜め上から眺めたりする感じのものもあらわれました。





ここまでは、車両の外見、色、等に割と意味を感じることが出来たのです。





しかしポリゴン3Ⅾが使われだした平成4年位から、



「ドライバー視点」



しかも実際の車と異なり、ボンネットの上にドライバーが座っているような視点のゲームが主流になっていきました。







この頃には、加速が速い、ハンドリングが安定志向、といった、



「車両の特性」



こそが、昼飯のパン代を節約してゲーム機に投入する学生にとっては、なによりも大事なことになったのでした。





そして、選択する車両の 「外見」 には、ほぼ意味が無くなったのです。






そんな感じです。





(自分は車両の外見に対するこだわりが強かったので、後方視界を常に選んでいましたが、ドライバー視点を周囲が選ぶのを見て、「みんな大人だなぁ、おれって子供っぽいんだな」とおいていかれている感じがしたものです)










それに、物質的な肉体、外見を創っているのも結局は「意識」、あなたの本質である「意識」なのです。






外見は「可視」、見えるものです。



その外見を創るための行動や習慣は、「可視でもあり不可視」でもあります。


現実的には他者にとっては殆どの場合、「不可視」でしょう。







そして行動を創りだす意識、これは「不可視」、完全に見えないものです。





見えない部分の方が多いのです。



まさに氷山です。







繰り返しますが、外からは見えない


「思考、考え、意識」


がその人の本質であり、それが行動として現れ、手で触れられる現状を作りだしています。









いいね、一つ見ても、明らかじゃないですか。




現状が嫌ならば、それを変えるのが理屈でしょう。



嫌なのならば。










Posted at 2016/03/14 04:16:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2015年05月06日 イイね!

アルシオーネでやって来て。

アルシオーネでやって来て。




はじめて群馬にやって来たのはSVXに乗ってでした。




太陽の明るさ、乾いた空気



群馬の魅力に気付いて、あちこち走り回りました。






脱サラしての田舎暮らしを始めるにあたって、それにはちょっと似合わないSVXから、素敵な後ろ姿にいつもエネルギーをもらっていたR2に乗り換えました。





住み込みの山荘管理人を始める際に、会社からTWサンバーを貸与してもらいました。





そして家を建てるにあたって、KTサンバーを6万円で買いました。





そして人にエネルギーを配ろうという考えから、アルシオーネVXを増車しました。






R2は手放し、TWサンバーは山荘管理の仕事を譲った時に同時に譲り、2台体制となり、自分のカーライフも一先ず完成形に達しました。



自分にとってこの2台は最高の2台です。 

満足です。








いろんなところで泊まった「キャンプ箱」は、次第に内装が簡素化され、今は「ゴミ拾い箱」としての形が確立されています。






アルシオーネVXは嫁さんが乗っていることが多かったです。



群馬を離れるにあたって、


「一度あの車でドライブしてみたかったの」


と嫁さんは友人たちから頼まれ、先月はあちこち走りに行っていました。




「運転席に座ってボタンを押してみたいんだけど・・・」


というお願いもあったそうです。



この時点で、初代アルシオーネの内装は素晴らしいと思うのです。







実際に乗りなれて、アルシオーネの内装で困るなと思うのは、エアコンのスイッチ類がサイドブレーキの所にあることだけです。


まるで同乗者の手を握ろうかとモゾモゾシテいるような動きになるので、最初のデートにこの車を使う人は、相手に説明してから操作した方がいいかもしれません。





F型のハンドルについては、9時の位置にちゃんと突起があるのだから困ることはありませんし、


「押す楽しみ」


があるサテライトスイッチは


「押しごたえのないボタン」


ばかりの昨今においては大きな武器です。


慣れればむしろ便利なところもあります。





そうやって初代アルシオーネに乗ることで、願った通りにたくさんの出会いに恵まれ、出会う人にエネルギーを配ることが出来ました。




初代アルシオーネは事前の予想をはるかに超える人気ものでした。





素晴らしい、


「宇宙船」 


です、初代アルシオーネは。







そしてKTサンバーを運転する楽しさも、毎日乗っていてもかすむ気配がありません。








こうやってカーライフが完成し、キャップ君も無事に進学し、周囲も綺麗になり、開発の話も発表され、その他の事もあり、群馬での生活全体が一先ず完成したのを感じるようになってきました。














昨日、榛名山のふもとにある健康系美容院に朝から嫁さんを送り、待っている間に近くの道を走っていたら榛名湖まで着いてしまいました。


自分はエンジンの存在を感じながら巡航することが何より好きで、横Gも縦Gも、減速Gも、加速Gすら嫌いなことが自覚出来てきたので、いつもは山道をあえて走らないのです。





榛名湖、良い場所でした。

コーヒーだけ飲んで、湖を一周して山を下りて合流し、前橋で食事して夕方帰りました。







この連休中の間ずっとそうでしたが、昨日も一日中晴天でした。




帰ってから自分は寝込んでしまったのです。


そして、東京へ行った帰りにしばしばなるように、嘔吐してしまいました。







あれほど自分を引き寄せ、不安定な状況下で、暗くなってもおかしくないメンタルをいつも支えてくれた群馬の眩しい日差しが、最近では自分を傷つけるようになってきているのです。





北陸育ちの体質なのか、自分の体質なのか。


日光許容量の限界を超えていたようです。

サングラスや首巻など、気を付けていたのですがダメでした。












悶絶しながら吐きつくして、アイデアが下りてきました。






自分はこれから食べることから自由になろうと。


不食の人を目指そうと。








自分は群馬での生活で、いくつかの常識や囚われを乗り越えることが出来ました。


脱サラしてフリーターになっても楽しく生きていけるとか、

全く筋トレしなくても体は作れるとか、

自己発揮すれば、周囲を喜ばせて豊かさを得ることは可能だとか、


そういったことをずっとやって来たつもりです。








「好きなことをするには」


編で、自分は


「身近な人に対する囚われを捨てることが必要」


と書きました。










今度は、「食」 に対する囚われ、それだけでなく、


「衣食住」


全体に対する囚われから自由になれるか、やってみることにします。






人は、


「衣食住だけは!」


と思っているではないですか。





しかし、


「身近な人に対する囚われ」


が深い苦しみを呼ぶように、


「衣食住に対する囚われ」


も、大きな苦しみを人にもたらしている面があると思うのです。





それでも、


「衣食住だけは無くてはダメなんだ!」


と思っているから、その苦しみからはなかなか逃れられることが出来ません。









だから、自分がやってみます。










それに伴い、ここも終了します。


アカウントは消しませんしチェックは入れます。












自分は詳しくないし、占い系に興味はありませんが、


「数霊」


によると、


「群馬」


という言葉を数霊で表すと 「85」 という数字になり、


虹、弥勒、遺伝子、光明・・・



そして、


「アルシオーネ」


という言葉も 「85」 になるそうです。







「85」という数字は、


魂が望む方向に運命が開けて行っていることを示す証の数霊


であり、


自分の神性が外に現れていくにつれて、物事はどんどん好転し、光明を得やすくなり、ますます予期せぬところからのサポートも受けやすくなることでしょう


と、今嫁さんが教えてくれました。










アルシオーネで群馬でやって来て、アルシオーネで新しい場所へ向かいます。


それは必然だったのだと、確信しています。



2015年05月03日 イイね!

宇宙を信頼する

宇宙を信頼する
一度書きましたが、「動物の飼い方」 みたいな本を読むと、


「動物に感情は無く、ただ状況に反応しているだけです」


ということがまだ当たり前のことの様に書いてあって、私はドンびきします。





飼い主が体調を崩した時に、猫が 「お見舞い」 に来るのは、


「ただいつもと違う状況に対し、確認しにきているだけ」


というやつです。










それはペット業界が 「行動心理学」 のような古い学問の影響をまだ強く受けていることと、単にペット・動物業界関係者などは、


「そう思って動物と接していないと、やっていられないから」


というのが理由だと思います。





私が日々草木と接していても、草木の事は何も知らない様に、生き物としての動物の事を、よく知らないのでしょう。







動物には感情があります。







それを否定する人は、ここにおいても少数派でしょう。










一方で昆虫については、私は山の中で暮らすようになるまで関心を持ったことは無く、むしろ苦手でした。


カブトムシを飼ったことすらなかったです。



蚊を見つければ叩くし、ゴキブリを見たら嫌だと思うし、その程度でした。







しかし恵まれた環境の中で、多様な虫たちと、近い距離で暮らすようになってみると、


「虫にも感情がある」


ことを認めざるを得なくなりました。






ここで 「恵まれた環境」 に下線を引きましたが、ここは大切です。



空箱の中に、生き物と餌だけ入れたのでは駄目なのです。


そんなでは、虫の感情がわかるわけがないのです。







そうでしょう?


もしあなたが捕えられて、6畳間程度の箱に入れられ、食料だけ定期的に出てくる状態に置かれたとしましょう。




最初は何とか脱出しようともがくはずです。


しかしそのうち絶望するか、エネルギーの消耗を抑えようと決心するかで、食料を摂取するなど最小限の、


「無感情に見える動き」


しかしなくなることでしょう。






それを見た観察者に、


「こいつに『感情』なんて無いな」


と判断されたとしたら、どう思いますか?








とはいえ、自分も山の中で暮らすまでは、昆虫に対してはそれくらいの認識でしかいませんでした。



むしろ、オートバイや車など


『機械の意識』


の存在を感じることはありましたが。






しかし山の中で、虫にとって恵まれた多様な環境の中で過ごすようになり、その認識を変えざるを得ませんでした。




頻繁に恐れ、


時に怒り、


まれに遊び、


ある時は孤独を好み、


ある時は寄り添う相手を求める、



虫にも意識が、感情はあります。










「それはあなたの意識の反映だ」


と考える人はそれでいいです。



その人の世界はそうなのです。






私の世界は違う。


これは私の世界の話です。









「意識はどこまである?」





では意識は どこまで あるのでしょうか。



虫にもあるのであれば、鳥にも魚類にも爬虫類にもあるでしょう。


蛛形類、蜘蛛、地蜘蛛などはかなりフレンドリーな性格のものもいて、朝挨拶にきたり、外出についてきたりしたりするのもいます。





ごく小さい生き物にもあるでしょう。


草木にもあるでしょう。






無いというのであれば、


「ここから先は無いと、『こういう理由』で線を引きました」


とその 「理由」 を教えてください。






白血球や血小板にも、それぞれにあるでしょうか?


あるでしょう。





おそらく白血球や血小板は、


「(傷があるところに)行かなければいけないと感じるんだ!」


と考えて自由意思で行動していて、


「人間本体に意識? あるわけないだろ!」


と思っているのではないかと思います。



人間がこれだけ激しく動いている地球の意識を認めない様に。








また我々に、


「個人の意識」 


以外に、


「家族の一員としての意識」、「組織・社会の構成員通しての意識」


があるように、



「臓器単位の意識」


や、もっと細かく範囲が重なったいくつもの意識もあるはずだと思います。








では、水や鉄、酸素など


 「無機物」 


はどうでしょうか?






私も最初は、


「有機物と無機物の間が、意識の有無の線を引くところになるのではないか」


と考えていました。





しかし詳しい方はご存知でしょうが、現在では


「有機物とは生体が産出す化学物質である」


という定義は過去のものになっており、有機物と無機物の線引きが難しくなっています。





「炭素が原子結合の中心となる物質の総称」


が現在の有機物の定義のようですが、これも何年後には変わっているかもしれません。





それに、


「炭素が原子結合の中心となる物質は 『意識』 を有する」


ということにはならないでしょう。



意識はそんなものではない。










結局のところ、


「どこまでいってもある」


という結論にたどり着くことになります。





だから、金属が集まってできた車やバイクに意識があっても、不思議ではないと思うのです。


(碇さんに撮って頂いた一枚)


それを感じたことがある人も、多いことでしょう。












では 「大きな方」 へはどうでしょうか?     




人個人より先に、意識は無いなどと、どうして線が引けるのでしょうか?




無いというのであれば、


「ここから先は無いと、『こういう理由』で線を引きました」


とその「理由」を教えてください。







よく言われますが、地球に意識はあるでしょうか?


私はあると確信しています。



山にも、海にも、台風にも、あるでしょう。





昔の一部の人は、


「大きいもの、動きのあるもの」


ほど意識があると考えていたのですが、納得出来る考え方だと私は思います。







そこまで大きいもの、そして


「形がはっきりしたもの」


ではなくても、先ほど一度出た 「家族、家の意識」 から始まって、


町内の意識

集落の意識

街の意識

地方の意識

国家の意識

大陸の意識

・・・


星の意識

太陽系の意識

銀河の意識

宇宙の意識



どこまでも重なりながらあると確信しています。







私がゴミ拾いを始めたのは5年前、本格化したのは4年前位からなのですが、きっかけは渡良瀬川を越えて桐生市街に入る「錦桜橋」をバイトを終えて深夜に渡っていた時に、初老の夫婦がゴミ拾いをしているのを見かけたことでした。


ものすごい衝撃を受けましたし、メッセージを受け取った気もしました。


「おれもやるしかないんだ」


と。





それでバイトから帰っての深夜のワンコ散歩の際に、当時住んでいた西宮神社周辺のゴミを拾い出したのでした。


やってみると、実に大したことなかったです。






しかし1年位、毎日コンビニ袋一袋分のゴミを拾っていると、心配するようになってきました。



「オレが家を建て終わって引っ越してしまったら、この辺はもの凄く汚くなるのでは?」


と。


だって、1週間でコンビニ袋7袋分、1か月で30袋分があたりに放置されることになるわけですから。







でも引っ越して様子を見に来てみると、特に変わっていなかったのです。


特に綺麗にもなっていないけれど、汚くなったわけでもなかった。





何故だ? と思いました。


あの月30袋分のゴミは、ではどこに消えたのだと。






間違いなく、


「代わりに誰かが拾うようになった」


のでしょう。






この時に、


「町内の意識」


の様なものをはっきりと感じました。




それが、


「これ以上汚いのはちょっとキツイわ」


と思った時に、人を動かすのではないかと。







山に引っ越してから、ゴミ拾いは本格化していきました。



「こんなことしている場合じゃないだろ、バイト増やした方が・・・」


と、やはり何度も思いました。





しかし一方で、


「自分より上の意識は確実にある。 だから町内、村の意識があるならば、絶対にオレを助ける、食わせていくはずだ」


という確信も強くあり、続けました。






するといろんなチャンスをもらえるようになり、それを自信をもって受け止められるようになり、仕事の幅は広がっていきました。



やはりこの地域の意識は、私を守ってくれたのです。






だから私は店を閉めてからも、働きに出てはいません。


家事をしっかりして、ゴミ拾いに行って、アルシオーネを喜んでもらえる場所にもっていったりして過ごしています。


宇宙は私が家を引き渡すまでの僅かな間に日雇いバイトに行くよりも、その方が喜ぶと思うからです。


シンプルに言うと、その方が自分と社会に喜びを与えられるからです。






私がネットビジネスの副業に興味がどうしても持てず、良い印象も持っていないのはそこです。


その作業自体が本当に好きなのかと、みんながそれを始めても、世界は良くなりそうなことなのかと。





それぞれが自分の好きなことで、そして宇宙意識視点で見て喜んでもらえることで、宇宙から給料をもらって生きていけたら、みんながそうして、それで社会が回ったら、最高じゃないですか。


地球は楽園に近づきます。








少し前の多摩川でのリンチ事件でも、 


「フルコンタクト空手の方が当然強い!」  「いや寸止め空手の方が実戦的だ!」 


とネットで言い争っている中からそれぞれ6名ずつ出して、呉越同舟の4人組3チームで深夜の河川敷を毎日巡回していれば、あの事件は防げたし、これから何度も起きるであろう同じような事件も防げるはずです。







何故それが出来ないか?



そんなことをしていたら、食っていけないと思われているからですよね。








だから、まず自分でやってみようと思うのです。


食っていけると、宇宙には意識があって、きっと宇宙給料を払ってくれると。



宇宙を信頼して。





これは私の


「宇宙業宣言」


です。







先日のアルシオーネのデザイナー碇さん主催のトークイベントの二次会で、元スバルのデザイン関係者の方から啓示を受けました。



その方もかなりの宇宙人で、(宇宙は機会を与えてくれますねぇ)



意識は 「個人」 から 「永遠・神・宇宙」 までの8階層で出来ていて、そして


「それぞれの階層で争ってはいけない」


というお話でした。








自分は・・・・・、


「宇宙」 的にオッケーなら、間の 「家」 や 「社会・グループ」 とはぶつかっても構わない


という横紙破りな性格ではないですか。




だから、みんカラのつながりの空気を読まずにこういう話を書くし、ゴミ拾いだって地域の空気を壊しているところもかなりあります。

昔からの地元の人にすれば、自分達が責められているように感じるでしょうから。


でも無視して進めています。






その方の話は、そういうのを、私は・今は、見直したほうが良いという啓示だと思いました。



止めるわけではないんです。


ただそういう行為が、調和する場所で次はやるべきだと。






だから、次に何処に行くかは言いません。

Posted at 2015/05/03 17:07:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2015年05月02日 イイね!

魂の声のままにのびのびと生きる

魂の声のままにのびのびと生きる前まで自分の信条は、


「恐れず、力まず」


でした。






「恐れているからこそ人は怒る」


わけで、怒りよりも恐れないことを重視していたのですが、今はそういった 


「○○せず」 


といった否定形ではなく、





恐れず⇒宇宙を信頼する


力まず⇒魂の声を聞きそれに逆らわない




「宇宙を信頼しながら、魂の声のままにのびのびと」



にしています。




前のブログも勇気のいる記事でしたが、魂の声を優先しました。








ところで魂の声を聞いて行動していると、所謂



「シンクロニシティ」


「意味のある偶然の一致」



に遭遇すると、精神世界系の世界ではよく言われています。



自分も体験的にそうだと思っています。








それで今日、自分にとって意味がある記事をやっとこさ書き終え、夕方からは高崎に出かけていた嫁さんを迎えに行き、帰りに


「湯ノ花」


を買いに太田イオンに行きました。






いつもの2階駐車場に入るやいなや、すぐ前に綺麗な2代目レオーネと、オーナーの青年がいるのが見えました。




面識はないけれど、知っている人だなとすぐに思いました。






それで車を停めてから挨拶に行ってみると、奈良のレオーネオーナー 詩信さんでした。



オーナーズクラブの集まりに向かわれる途中で、スバル最中を買うために途中で高速を降り、ちょっと休まれていたところだったそうです。






宇宙はこの出来事を通じて自分に何を考えさせたいのか、詩信さんにとってもどんな意味があるのか、それを考えるのは後にして、楽しくお話しさせていただきました。

ありがとうございました。




出発を見送りましたが、レオーネの排気音は自分の魂を震えさせてくれました。


ロードムービーの1シーンの様でした。









買い物だけのつもりで寄ったのですが、とても気分が良かったので食事もして帰りました。


今まで食べた中で一番おいしいピザでした。





魂の声のままに、のびのびと進みます。


2015年05月02日 イイね!

さらば! 魂の故郷 群馬 【後編】

さらば! 魂の故郷 群馬 【後編】
山荘管理の仕事を譲って3ヶ月。

確実に腰の状態は良くなってきています。


以前は基本的にコルセットをしている状態でしたが、今はしていません。





屈み作業の多い管理業務を辞めれば良くなることはわかっていたことでした。

でもなかなか辞められなかった。





やっぱり固定収入がなくなるのは、自分にしたって怖かったですからね。




しかし恐怖を乗り越え、つまり 


「宇宙への信頼」 


を示しました。




宇宙はそれに応えてくれています。









山荘管理の仕事を辞めると決めたことから始まって、子猫を拾い、新しい世界への扉が開きました。






腰痛が無ければ辞められなかったと思うので、まさに


「腰痛ありがとう」


です。



肌荒れも、これがなければ、自分は食べ物と洗剤を真剣に選ぶということを、いつまでもしなかったでしょう。













自分は昭和五十年生まれのいわゆる


「就職氷河期世代」


ということになります。







とは言っても、自分はそのことをあまりハンデだとか思ったことはなかったです。




なぜなら自分らの世代というのは、


「レールにはまった生き方なんて!」


というのをメディアに刷り込まれ続けた世代でもあったからです。






故、川谷拓三さんが演ずるバスの運転手が、引きこもりかなにか問題を抱えた悩みがちの息子から、


「父さんはずっと決められたルートを走っていて何も思わないの!?」


というようなことを言われて、路線から飛び出してドライブに行ってしまうというドラマなんか強烈に印象に残っています。






そういう時代の空気の中で育ったので、学校出てもすぐに就職しようなんて最初から考えてなかったですし、最初に勤めた会社を辞める時にも、それほどのこだわりはなかったですね。



そして景気がすごく良い時代に働き出していたとしたら、もっともっと辞めにくかったと思います。




だから良かったです。


氷河期世代からは、古い価値観に縛られない発想を持つ人材が、これからあちこちで成果を出し始めると思いますよ。








まぁでもそういったタイプはあくまで少数派で、大学生の場合3年の秋から就職活動を始め、就職したらそこに何があってもそこにしがみつこうとするのが、まだ多数派でした。




だから、自分なんかはっきり言って


 「メディアに影響されやすい方だった」 


といえます。



一見すると社会に背を向けているように見えても。



うちは基本的に 「民放禁止」 の教育方針だったのですが、重いドラマやドキュメンタリーなんかはしっかり見せられていたので、免疫がないところに効いてしまったのかもしれません。









それで自分が文章を書いていた最初のころのテーマは、多数派の氷河期世代に向けて


「まぁオフコースしたって大丈夫だって。 だからオフコースしろとは言わないけど、あまり心配したり、体を壊してまでしがみついたりしなさんな」


ということを、慰めや口で言うだけではなく 「実際にやって見せながら」 伝えたいということでした。








運転が楽しい車に乗りたければ、古い軽トラックに乗ればそれだけで凄く楽しいし、


お金を掛けなくても、楽しいことはこの豊かな日本では沢山出来るし、


非正規雇用でも住宅ローンだって組めるようになってきたしさ・・・といったようなことです。







  



それがご存知のように、途中から自分は 『宇宙系』 になりました。


その手前でやめておけば、もっと楽です。






「な、そうだろ。 やめとけよ」


と思われますか。







でもこっちも体験的に知っているんですよ。



言わないでおけばおいたで将来必ず、


「あいつ教えなかった!」


って言われることを。







自分はこれからも間髪を置かずにどんどん面白いことをしていきます。



そして20年たって、60になっても、断言しますが、



「病気一つしていないし、外見も今と変わっていません」



20年後に何処かでばったり会ったら、ほとんど恐怖を感じて悲鳴を上げられるでしょう。








その時に、絶対に強くこう思われるはずです。


「どうやって? 何で教えなかったの? ひどいじゃないか!」


と。








どっちにしろ言われるのだから、話すようにしているのです。



自分が出したものは、相手からは直に帰ってこなくても、宇宙経由で利子がついて帰ってくるのですし。












群馬、桐生という所は、自分にとって 『ピット』 でした。


ボロボロになって、街乗りすらままならない状況で転がり込み、6年掛けて壊れたところを直したのです。





ですから、


「ピットにいつまでもいる」


というのは、なにか違うと思ったのです。







自分は走ってないとダメなんです。


常に新しい場所を開拓していたり、作り出したりしていたい。


生活が完成してしまうと、力が出なくなる。





それが群馬から離れる理由の一つです。










もう一つ、自分は群馬・桐生という「ピット」で修理だけでなく、


「改造」


も受けることが出来たのです。





改造というか、それまでの自分はエアクリーナーが塞がれていたり、マフラーは抜けが悪いものになっていたりと、デチューンされていたものが取り払われて、ようやく本来のフルパワー仕様にしてもらうことが出来たのです。



つまり、


「超力招来!」


して、


「宇宙系」


のパワーも発動したわけです。









が、そうなってくると、今の場所で、今のやり方で、というのは


「調和していない」


と感じるようになった、そのことも群馬を離れることにした大きな理由でした。







それに、ここではもうやりつくしたという確信が自分にはあったのです。


これ以上のことを今の群馬でするのは、ますます調和を壊してしまうことになると思いました。





だから群馬が嫌になったというわけではなかったのです。







このHPを止めるのも、調和の問題ですね。



それと半年くらい前にだいぶ記事を消して、それ以降はまた全部の記事を読んで帰ってくれる人が数日おきに現れてくれているのですが、体験的に今以上に記事が増えると、そういう人はいなくなるのです。


大事なことを書いてきたので、ちゃんと見ていって欲しいのです。









もう意識が完全に次に行っているので、書き足し書き足しでやっと書いてます。


つながりがなく申し訳ない。





「弱虫ペダル」 見ました。 


自転車競技に真剣に打ち込んでいる人には、我慢ならないところが多いかもしれませんが、スポーツ漫画の傑作だと自分は感じました。



主人公の小野田君が 「市川雅敏」 選手級の怪物で全然弱くなく、むしろ勝っていないと息も出来ない御堂筋君や、その御堂筋君に振り回され続ける今泉君のどちらかを主役にするべきではなかったかと思ったりしますが。






それとこの挿入歌の2番の歌詞が良いんです。



「はじめの一歩はいつも、夢をみることね・・・」









夢をみる・・・




【まず心にイメージを描く】



そして、


【実現を決心する】



【イメージにエネルギーを送り続ける、念じ続ける、選択する】






青汁・・・・ではなく、これにつきます。








これをいかに伝えていくか、これがこれからずっと自分の人生のテーマ、確定です。



これまでもそうでしたが、これから自分がする全ての行為も、そのための手段です。











「英単語・熟語・構文・口語」


を覚えまくれば、大体の英文は読めるでしょうか?




およその意味は分かると思いますし、それだけでなく英語は 


「S・V・O・C (主語・動詞・目的語・補語)」


で出来ている、ということへの理解もあれば、まず大丈夫でしょう。







「イメージ描く・決心する・念じる・選択する」



何故人はこれをしないのか・・・?







みんカラを見ていても、イメージを描くところまでは比較的見かけることはあっても、すぐに


「金がない、時間がない」


と言っては自分自身で打ち消す様子を見ることが多く、


「しびれる様な決心」


は3回くらいしか見ていないように感じます。




これはスバルの旧車つながりの世界特有の傾向なのでしょうか?










何故だろう?


何が足りないのだろうか? 


SVOCに対する理解の様に。








それが、


「宇宙」 「意識」 に対する理解ではないかと考えます。




だからこれについては避けずに研究し、書いていきます。










あと、簡単なことで言うと、


「それほど真剣には困っていないから」


でしょう。



自分はずっと真剣にならざるを得ない状況だったし、今もそうなるように、数か月先のことがわからないようにしているので。









あとは、


「与えていないから」


です。





全てはエネルギーの交換です。


自分の夢につり合うものを、世界に与えなくてはなりません。













あなたは世界に何を与えていますか?






(おわり)
Posted at 2015/05/02 16:15:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 暮らし | 日記

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