
家の土間の上がり口の化粧板が外れてきていて、その修理を建築会社に頼んだら酷い直し方をして帰られ、そのショックで寝込んでました。
肺が痛く、3日間寝込んで今日やっと出掛けられるようになった。
前回病気で寝込んだ時も、野良犬が車に接触されて逃げて行くのを見た直後で、すぐに肺が痛くなり熱が出たのですが、つくづく体と心は繋がっているのだなと思ったのでした。
肺は 「悲しみの臓器」 ということになっとります。
「あらゆる人間関係は、自分を知るための手段でしかない。つまり相手を知るための手段ではない」
という考え方があって、オレもそうだと思っているのですが、今回のことで自分について知ったのは、
「自分は仕事に対し、かなり真剣で厳しいところがあるのだな」
ということでした。
だから自分はそういうことが求められる仕事をした方が良いし、
もっとそういうことだけにしていかなくてはならないし、
そして、自分がそう考えていることを、もっと周りに伝わるようにしなくてはな、と思ったのでした。
そう、周囲にハッキリと希望を言わなくては。
今回のことで、もう一つよく分かった自分の事というのがあって、それは
「あの人は意外と細かい注文を付けてくる」
「あの人は実は怒るし、怒るとタガが外れたような怒り方をしてちょっと意外」
「あの人は意外にお金に厳しい」
と言われることを、自分はまだ凄く怖がっているのだなということです。
自分は「心云々」の話をしていて、そのことで「胡散臭い」とか「宗教じみている」と言われても、
「そりゃ世間の理解はそんなもんでしょうよ」
位に思っているからこたえません。
でも、
「心云々を語っているくせに、意外に細かいことを言ったり、怒ると凄いし、お金もはっきりしている」
と言われるのは、まだ凄くショックを受ける。
そういうのをまだ凄く怖がっている、そのことがよく分かりました。
この部分についてはまた長々書くことになると思います。
で例えば、今度銀座である群馬県への移住者向けイベントで講演してくれと、昨年末に役所から依頼を受けているのです。
オレのことですから、ド真剣に魂削ってやります。
それで・・・オレはそれだけの気持ちでいるのだから、当然役所の方からは1ヶ月以上前に詳細な打ち合わせの連絡が入って当然、とオレは思ってしまうところがあるのです。
でもギリギリにならないと来ない気がしますね。
来ないでしょう。
これは小さい頃からはっきりしているんですが、オレは接した相手に
「この人相手だと気を抜きやすい」
と感じさせるところが凄くあるらしいのです。
一度福島で車に跳ねられ入院した時に、相手のおばさんが
「こう言ったらなんなんだけど、跳ねた相手があなたで本当に良かったわ」
とポロっと言ったことがあるのですが、物心ついた時からこういうことが続いているのを感じます。
小さい頃から床屋に行けば若手の練習台にされ、医者に掛かれば「資料」として容赦なく患部を撮られ、不良を怒れない先生に不良の代わりに怒られ(皆さん後で謝ってきた)、今でも商売においてはノルマやクレームに追われる相手の
「息抜きポイント」
になりがちなのです。
銀座の件も、日々の忙しい業務の中で後回しにされ、担当者の心の中の
「ギリギリでよいファイル」
に入れられていくでしょう。
担当の方も面識がある人なんで。
もっともそういった 「相手に気を抜かせやすい気質」 で凄く得をしている部分もあります。
だから、
「少しでも良い内容にするために、細かい条件を早めに把握して練っておきたいから、少なくとも一ヶ月前までには打ち合わせをしてください」
といった要求は要求で、自分からしっかりしていかないと。
・・・でも出来ればこちらから言わないでも一ヶ月前迄には必ず連絡くれないかな・・・、こちらから言って
「あの人って意外に 『いつでもどんと来いっ!』 て感じじゃなかったのね」
って思われたら嫌だなぁ・・・
自分は本当にそういうことがまだ怖いんだな、と自分自身を更に知った三日間でした。
それで今日は病み上がりなので、昼から体に優しい外食を求めて桐生市街の 「つぼみ」 さんへ行ったのでした。
先にカウンターで飲んでる旦那さんがおられて、
今日は前橋育英は勝ったのかねとか、
群馬は知名度の低い県で一位になっちゃったらっしいね(「でも群馬の人はそれをネタにして楽しんでいるだけで、内心では『冗談じゃないよ、どれだけ総理大臣出してると思ってるんだ』と思ってて余裕がありますよね」 「うん、まぁそうだね」)とか、
昔は娯楽って言っても社交ダンスか登山くらいしかなくて、よく登ったけどやはり後立山連峰は素晴らしいよとかいう話をしていて、
その中で、
「昔は車体のテストでも雪山に行っていて、まぁメーカーそれぞれ場所はだいたい決まったところがあったんだけど」
という話になり、凄いですね、ちなみにどちらのメーカーで?と尋ねたところやはりスバルOBの方でした。
ではアルシオーネのデザイナーだった碇さんや、剛力サンバーの車体をやった〇〇さんと私知り合いなんですが、ご存知で?と聞いたところ、よくご存じで思い出話を聞かせていただけました。
世間狭い。
というか、宇宙を感じました。
最期に
「君らにはこれから無限の可能性があるよ!」
と言って先に引き上げていかれた。
ずっと自分はそういうことを人に言うばかりだったけれど、言われたのは久しぶり。
弱っていた体にエネルギーが入って来て震えました。
買い物にも行って帰りました。
ちなみに初めてこられたお客さんだったそうで、今考えると本当に実在する人間だったのかとすら思うのでした。