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2014年11月26日 イイね!

好きな車に乗る方法・・・5

好きな車に乗る方法・・・5続きます。


❸選択の度に、決めた 「好きなこと」 に近づく方の選択をする。



今までは頭の中での出来事でしたが、ここでようやく体を使った 「行動」 が出てきます。



日々起こる出来事の中で、選択が生まれた時、


「自分の好きなこと、したいことに近づく選択を常にする」


ことです。



簡単なようで、殆どの人はこの点シッチャカメッチャカな選択をしているのです。



例えば、若い人聞きなさい。



「もてたい、彼女が欲しい」


と思っていると言う。




しかし、自己紹介の際に、


「オタだから、モテません」


と言う。





そう言えば、


「同情される」


ことはあっても、


「モテない」


でしょう。




それを聞いて、この子に知り合いの女の子を紹介しようと思う人も、まずいないでしょう。

しますか?  しないでしょう、明らかです。




ですからある意味で、「オタだから、モテません」 とい言った人物の本当の願い、「好きなこと」 は


「同情されること」


なのです。





「オタだから、モテない」

というのがそもそもおかしいですから。


「自分をオタだと思っていて、オタはモテないから自分はモテないのだと思いこんでいる、もしくは自分自身をだましている人がいる」


というのが客観的な現実でしょう。




「傷ついた!」

と言うかもしれませんが、ここのところよく噛み締めて下さい。


(オレは 「傷ついた!」 と言われても、態度は変えません。

そうしていたら相手はそれに味をしめて、ずっと 「自分が傷つき続けるためのネタ」 を探し続ける習慣が付いてしまうでしょうから)






モテるオタも、結構います。


ましてやオタ趣味をカップルで楽しみたいと思っている女の子は、五万どころか何十万といるでしょう。



『みんな内向的だ。

あなたから行って暖めてあげなくてどうする?』 (天の声)




だから今度からは、爽やかに×2 こういうことです。


「彼女募集中です。自分はオタなんで、オタ趣味を一緒に楽しめるような人がいたら、是非紹介してください!」




笑われて、からかわれるかもしれません。

いや。 たぶんからかわれるでしょう。




でも続けていれば、必ずチャンスは来ます。

トライを繰り返しているうちに、洗練されてくるからです。










中年の人も笑えないでしょう。


「お金が欲しい」


と思っているなら、


「自分は貧乏なんで・・・」


とか、


「お金が無いんでDIYしてます」


なんて書くと、お金は逃げる、避けるようになるのだから書かないことです。






初老の人。


「良い奴ほど早く死ぬ」


なんて 『呪いの言葉』 を吐いていると、早く死ぬ羽目になるか、悪い人間になることになりますよ。



まぁ早死にした人の周囲に対する同情のつもりなのでしょうが。


そして自分が早死にした時にも 「良い人だったから・・・」 と同情されることが 「好きなこと」 なのでしょう。



私の中ではこうなっています。


『周囲に 「良い人」 と思われることが優先で、自分の心身を蔑ろにし、周囲に気を使ってばかりいる人間は早く死にやすい』





良い人であって、長生きしてください。


もちろん何をもって 「良い」 とするかは、自分自身でしか決められないことです。


私はただ上の二つを願うだけです。






乗り心地を良くしたければ、ダウンサスは入れないことです。

ショップとの付き合いが面倒くさければ、ディラーで新車を買って保証期間が切れるごとに乗り換えることです。

ダイレクトな操作感を楽しみたければ、ノンパワステのグレードを選ぶことです。

出会いが欲しければ、家におらずにばっちり決めて出掛けることです。

痩せたければ、デザートは無しにするか和菓子にするのです。

太りたければ、丸っこいタレントが活躍している番組にチャンネルを合わせるのです。

お金が欲しいのであれば、お金が回って来た時は気持ちよく受け取ることです。






オレも 「友達」 が欲しければ、こういうことは書かない事、です。






目的と直接つながらないようなことでも、例えば電車で行こうか車で行こうか迷った時も、好きな方を選んでください。


「損得よりも、好きな方を優先して選択する習慣」

を付けてください。


その方が少し後に全体的に評価して見れば、満足のいく結果につながっていることに気付くはずです。



経済的な損失も、恐れることはありません。


だって迷ったくらいですから、それほど大きな金額の差ではないでしょう。


帝国ホテルの5500円のランチと、ファミレスの600円のランチどちらにしようかというレベルの違いではないですよね。

ハンバーグをエビフライ付にしようかとか、ドリンクバーは付けようかとか、そんな違いでしょう。




好きな方を選んで、満足出来れば最高です。


ところが好きな方を選ばず、経済的な損得で選択した場合、満足したとしても、


「では好きな方を選んでいたら、どれくらい素晴らしかったのだろうか?」


という思いが残ってしまいます。 


とりつかれてしまうのです。




一方で損得を越えて好きな方を選んで、満足出来なかった時は


「なんだこんなものだったのか。分かった次は安いので十分だ」


と納得することが出来て、


「解放される」


のです。


ですから、次に目を向け進むことが出来るのです。



同じような環境にいて、次々に新しいこと、好きなことを実行していく人と、同じところをグルグル回ってしまっている人の差はここが大きいと思います。






現実には、損得で判断した結果、満足出来なくて気が重くなる悲しい経験をしている人が多いと思います。

そういうことが積み重なって、表情に出て、起こる出来事もそれに合ったものになっていってしまうのです。




もちろん、今すぐ出来ないことはそれぞれあるでしょう。


でも迷うレベルの事であれば、好きな方を選んで、少しずつでも、好きなことを選択する力を鍛えていってください。



これも 「勇気」 ですよ。  こうやって勇気も鍛えられていくのです。



Posted at 2014/11/26 14:44:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記
2014年11月25日 イイね!

好きな車に乗る方法・・・4

好きな車に乗る方法・・・4では勇気を奮って、罪悪感を捨て、好きなこと、したいことを細かいところまで明確にイメージしましょう。


そして本当に好きなこと、してみたいことを3つ書いてみてください。
      




1.                                        。

2.                                        。

3.                                        。                        



で、一つ目は、24時間以内に叶えられるようなことにしてみましょう。

ファミレスで普段遠慮している高い方のケーキを食べるとか、そんなことです。



そして必ず、実際に実行してください。


「お話」 で終わらせずに、必ずです。



だから、確実に出来る事を書いてください。

お風呂のお湯を多めに使う、とかでもいいのです。



必ず、実行してください。


そうすれば、自分の行動力に気付き、運命が変わり始めるでしょう。






殆どの人は聞いてもやらないのです。

おそらく、あなたも書かないでしょう。



だから実際に行動に移した人は、その時点でかなりの、


「100人に1人級」


の行動力がある人になるのです。





そのことだけでも、自分に自信を持ってください、持てるはずです。


「100人に1人」 ですよ!


その自信が、また運命を動かしていきます。







では次です。


❷決めた好きなこと、したいことについて考え続ける。


これも好きなこと、したいことをはっきりさせる位に難しいことです。

人は 「悪いこと」 を考え続けるのは、簡単に感じますし、実際に得意なのです。



そうやって常日頃から悪いことを考え続けて、いざ悪いことが本当に起きても、あまりショックを受けないように、楽しいことが起きなくてもガッカリしないように、保険を掛けて

「悪いことの予防接種」

をしているのです。




ところがその結果、悪いことの予防接種で本当に悪いことに感染してしまうのです。



それをやっているとい、悪いことが起きやすくなってしまうのです。


何故なら、悪いことを避けずに受け入れてしまうようになるからです。



「やっぱり悪いことが起きたか、オレの思った通りだぜ」  と。 





もっと悪いことに 「思ったとおり」 にするために、自分で悪いことを呼んでしまうのです。


例えば、

「私なんてどうせ嫌われてるわ」

といって不愛想な対応をすると。





こういうのも結局は本人が望んでやっている事なのです。


つまり、それが良いとか悪いことかよりも、

 「叶える」 ことが大事

なわけです。





そして、


「悪いことなら叶えやすい」


と思っていると。





つまらない習慣ですが、こう考えるには良い材料です。



「悪いことを考えていれば、自然な流れで悪いことを引き寄せられる。

悪い出来事を簡単に受け入れてしまうから。

そして 『自分の予言』 を実現させるために、自分で悪いことを起こしてしまうから・・・

自然な話だ。

ならば、良いこと(好きなこと、したいこと)を考えていれば、良いことを引き寄せられるはずだ。

良い出来事を気持ちよく受け入れ、そして良いことにつながることを、自分でするようになるからだ」 

と。



これが分かれば、悪いことを日常的に考えるのが怖くなって、好きなこと、したいことについて考えやすくなると思います。





そう、好きなことについて考え続けてください。  

そしてそれはもう叶っているかのように振舞ってください。


そうする中で、好きなこと、したいことを実現するために、必要な 「道具」 がより見えるようになってくるからです。

「道具」 とは、お金や能力や資格、物や出会いの機会、 「日頃の立ち振る舞い」 も含めてのことです。



多くの人は、今手元にある道具を見て、じゃあ自分に出来るのはこれ位の事だろうと考えてしまいますが、余程恵まれた人でもなければ、そのやり方では面白いことは出来ないでしょう。



現状を見て、進学なんて出来そうにないと考える。
現状を見て、なんとか黒帯が取れれば、それがいい所かなと考える。
現状を見て、フリーターだから家を建てるのは無理だろうと考える。




逆なのです。


まず、➊好きなこと、したいことを明確にし、❷それについて考え続け、必要な道具をチェックし、チャンスがあれば逃さずに引き寄せるのです。


ですから、細かく、細かくイメージした方が、必要な道具を正確にあぶり出し易く出来るので良いのです。




例えば、ただ


「速い車に乗りたい」


では 「必要な道具」 がいつまでもハッキリしないでしょう。



サーキットで速いのか、街乗りで速いのか、ユーラシア大陸横断で速いなのか。

それによって準備するものはまるで違います。



ですから、目標は早めに細かくイメージし、必要な 「道具」 を多く正確にあぶだせるようにするのです。



そしてそうやってあぶりだして引き寄せたものを蓄積して、夢は叶えられていくのですから。 


考え続けて下さい、好きなことを、考え続けてください!







ここまで説明しても、好きなこと、やりたいことを考え続けるのは難しいことです。


だからこそ、➊の好きなことを、したいことを明確にする時、本当に好きなこと、したいことにしておかなくてはいけないのです。



放っておいても、頭に次々浮かんできて消えない位に好きなものです。




そうでないと、やっぱり続かないのです。


言い換えますと、考え続けられないような好きなこと、したいことは、本当に好きなことではない可能性が大きいということです。

(つづく)


















Posted at 2014/11/25 22:45:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記
2014年11月22日 イイね!

好きな車に乗る方法・・・3

好きな車に乗る方法・・・3
「前回の極簡単なまとめ」


・多くの人は 「好きなこと」 を悪く誤解している。


・「好きなこと」 と 「抑圧からの反動」 や 「中毒」 は別のものだが、それが混同されている。


・「好きなこと」 をすること自体は悪いことでも何でもない、 問題なのは 「何を」 好きなこととしているか。


・「すべき」 という言葉の根底には差別意識がある。


・社会の一員としての立場から考えても人は 「好きなこと」 をしている方が能力を発揮出来るし、他人も喜ばせられるし、迷惑行為もむしろしなくなる。




・「好きなこと」 をするのにまず必要なことは、 好きなこと、したいことを細かい所まで明確に、はっきりさせること。


・「好きなこと」 をハッキリさせるのは実はとても怖いこと。

この恐怖を乗り越えられるかどうかが、これが好きなことを出来る人間になれるかどうかの境目。


・好きなことをするために必要なのは、 「お金や時間」 などではなく、まず 「勇気」。


・その 「勇気」 が出なければ、「忍耐」 することになる。


・いつまでも新鮮な気持ちを持ったままで、次々と好きなことし続けていく人間には、結局のところ勇気はどこまでも必要。




しかし 「勇気だ!勇気だ!」 と叫ばれても、なかなか行動には移せないかと思いますので、もっと具体的に、一つ一つ見ていきましょう、というところまでが前回でした。




➊好きなこと、したいことを、明確にイメージすること、文章や絵にし、具体的に視覚化すること

これが一番大事な作業で、これが出来れば、半分ゴールしたようなものです。


頭の中で考えているだけの事というのは、かなりあいまいです。


例えば今、実際に鉛筆を持って紙に 「トヨタのマーク」 を書いてみましょう。

自信を持って、30人の前で発表出来ますか?



好きなことが 「はっきり」 していないと、「不安」 が先行してしまいがちです。

すると 「行動」 に移しにくくなってきます。 


そして好きなことがはっきりしていないと、適切な 「チャンス」 が来ていても気付くことも難しくなります。



つまり、

「好きなこと、したいことが細かい所まで具体的にハッキリしていれば、 『不安』 は減るし、 『チャンス』 に気付きやすくなる」

のです。



例えば、正月に箱根駅伝を見ていて、なんとか大学が走っているのを見て、何となく気になったと。


でもすぐに、

「今の偏差値じゃとても無理」 だとか、「私立はお金がかかるに違いない」

という思いが湧いてきてしまいます。



ここで、ただ 

「なんとか大に入りてぇな」 と思った。

で終わらせずに、もっと細かく具体的にリアルに考えるのです。


「自分は今のところ特に進みたい学部がハッキリしているわけではない。
だから学部はどこでもいいから、取り敢えず入学して、それから考えてもいい。

調べてみると、この情報コミュニケーション学部というのはそれほど難しくないようだし、自分もそういうのは嫌いじゃない。

勉強にはそれほど力を入れる予定はないわけだから、アルバイトも沢山出来るはずだ。
都内のバイト時給は・・・900円以上なのか!生活費は賄えるかな?

でも学費は? 調べてみたら意外にこんなもんか。 しかしやはり国立よりは高いな。

ん?ここに 「新聞奨学生」 というのが書いてある。
なになに新聞配達をすれば学費は全額出してくれて、部屋も食事も用意されて小遣いも?フムフム」


こうやって細かい所まで明確にすることで、自分に必要なもの、準備しなくてはならないもの、そしてチャンスが見え、恐れが減ってきます。




今は空想の様にしか感じない事でも、遠慮はいりません。


好きなこと、したいことを明確にしたことで、

今まで考えたことも無かったような力が、自分の中から出るようになる


からです。


そして、それはあなただけの力で成し遂げられるわけではありません。


あなたが変わり始めれば、周囲も変わります。 

反対していた人が同意してくれる、助けてくれるようになることも起こるから

です。


ただしそれには、 「それが本当に好きなこと、したいことであること」 が必要です。 

そうでないと本気にはなれません。


そして、

周囲にあなたの 「本気」 が伝わらなければ、助けを得ることは難しい

からです。


ですから 「本気になれる、本当に好きなこと、したいこと」 を見つけてください。

そうでなくてはならないのです。




まだ不安を感じる時、この時これを考えてみましょう。


1・「出来ない!」 という考えは、客観的に見た場合に本当か?


自分と似たような人達には出来そうだなと思うことが、自分には出来ないと思っていないでしょうか。

ある意味で、「自分は特別」 という自信があるのですね。悪い癖です。



2・「これを行動に移さなかった」 ことと、 「現状維持を貫いた(貫こうとした)」 こと、死ぬ瞬間に後悔するのはどちらか?

実際のところ、どっちですか?


3・「出来なかった!」 からといって、その時に想定される最悪な状況とはどの程度のものだ?


たとえば好きな旧車を買ってすぐに故障したからといって、どれほどのことが起こるというのでしょうか?


4・「出来なかった!」 場合の最悪の状態に陥った後悔と、死ぬ瞬間の後悔、取り返せないのはどちらか?

これはハッキリしていますね。
 


5・この世に生を受けて、好きなことをしないで終わるもったいなさをよく考えたか? 


ただこれは、好きなことをしてみないと、本当のところは分からないところがあるのですが。



最期は、


6・人は自分に全く出来もしなそうなことは考えない。 頭に浮かんだということは、十分な可能性があなたの中にあるということ。



勇気を奮ってください。


何度も言いますが、好きなことをするには時間やお金ではなく、

好きなことに対する 「罪悪感」 を捨てる、好きなことをする 「恐れ」 を乗り越える、その為の 「勇気」 

がなにより必要なのです。





「束縛や依存を超えた人間関係」


罪悪感を捨てる・・・、同じように反対意見に必ず耳を貸さなくては、という考えも捨てる必要があります。


これも心に留めておかれてください。


あなたが何をしようとしようと、反対する、それは 「悪いことだ」、そんなことをしようとするお前は 「悪い奴」 だ、と言ってくる人は必ずいるのです。

そう言った声にいちいち耳を貸していては、絶対に何も出来なくなってしまうのです。





そしてそれは誰の意見であっても同じです。


他人の言うことは聞かない、親戚の言うことは半分は聞く、親の言うことはだいたい聞く、という風に線を引くというわけにはいきません。


誰の意見であっても同じです。 


自分の意志、希望を尊重してください。

そして同じ様に、相手を尊重してください。





とはいえ、親の意見だけは、配偶者の意見だけは、子供についてだけは、と思われる方が殆どでしょう。


でも繰り返し言います。  

心が壊れるほどの問題というのは、親、配偶者、子供との関係から生まれることがほとんどなのです。

近い相手こそ、むしろ手放さなくてはならないのです。




「親の意見だけは、配偶者の意見だけは、子供についてだけは!」 

と感じるでしょう。



それでも!むしろ好きにしてください。

そして、むしろ好きにさせてあげましょう。





ここを乗り越えられるかどうか、好きなことをするには、ここでも勇気が必要になるのです。



ここを乗り越えられない場合、


・好きなことが出来ないし、させられない

・自分は好きなことをするのを我慢し、相手が好きなことをする、したことについては我慢する

・自分が好きなことをした時はまるで悪い事でもしたかのように相手に謝り、相手が好きなことをした時には謝らせる


こういったことが続くでしょう。

・・・何だこりゃ? 人間の生活かこれは。






それでも相手、周囲の理解が進むまでは、間違いなく、


冷たいと言われるでしょう、

無責任だと言われるでしょう、


しかし、ここを乗り越えれば、その時には親、配偶者、子供との関係は、お互いを認め尊重し合う、質の高いものになります。


この時、人間関係が初めて束縛や依存を超えたものになります。




まぁそんな難しい言い方をしなくても、実際にやってみれば、相手に対して冷めて無関心になるようなことは無くて、喧嘩も減りますよ。


(つづく)






Posted at 2014/11/22 16:06:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記
2014年11月15日 イイね!

好きな車に乗る方法・・・2

好きな車に乗る方法・・・2




読まれる際は①から読み進められて下さい。





『身近な人に対する責任感』



「自分の運命に責任を持っているのは自分のみ!」



そしてそれは他の人間にしても同じことです。



あなたが他の誰かの運命、人生の責任を負うことは出来ないのです。


親であれ、配偶者であれ、子供であれです。




しかし、自分に近い存在であるほど 「責任」 を感じ、介入しようとしてしまうでしょう。



が、そのことが 「時に死を選ぶほどの苦しみ」 を呼びます。


相手が遠い存在であれば、そこまでのことにはまずなりません。



だからこそ、自分に近い、大切に感じる存在だからこそ、手放さなくてはならないのです。









他者に対しての責任を果たすことを第一優先にしてしまう。


「いい人」 と言われる人ほどそうでしょう。




気持ちはわかりますが、しかしその一方で


「だからお返しに、私に対しても責任を果たしてほしい」 


という気持ちもあるはずです。



そして、思うようにお返しが返って来ないことに不満を募らせることも、きっとあるでしょう。





面白いですね。 

自分のことは後回しにして、相手のことを優先し、そして相手には自分を優先して欲しいと思っている。




「別に面白くないよ、それこそが美しい関係だよ」 


という考えが、世の中を支配していると思います。



しかし、あなたのことはあなたが期待するほど相手は分かりませんし、あなたも相手のことを相手が期待するほどに把握することは出来ません。


これが現実です。



今自分の頭に浮かんだ相手が、 「こしあんと粒あん」 どちらが好きか把握していますか? 


逆に相手はあなたの好みを把握しているでしょうか?





つまり、


 「相手に対する責任をそれぞれ果たし合おう」 


というやり方で、お互い満たされることは現実には難しいのです。


実際に男女の間、親子の間の深刻な危機というのは、この種の 「ズレ」 から生まれることが多いでしょう。





しかも、本当に相手のことを思いやっての行動ばかりなのかというと、そうでもないはずです。


「相手の希望に答えようとする」 のではなく、いつの間にか 「自分の希望を相手に押し付けている」 ことが多いことでしょう。


「相手のことを思ってこそ」 と言いながら。


実際に本人はそう思い込んでいるからこそ、悩みは深くなるのですが。






自分よりも相手に対する責任を果たそうとし、相手にもそれを期待する。


何故そんなことをしてしまうのか?




繰り返しになりますが、それは根底に 「恐れ」 があるからです。



「自分が好きなことをしたい!自分でやってみよう!」


しかし、失敗してしまったらどうしよう・・・。



そういった恐れが、自分を自分の人生と直接向き合わさせず、自分の運命に対する責任を持とうとせずに、誰かに責任を任せようとさせるのです。


そうであれば、思うようにいかなかったとしても自分で責任を負わなくて済む、もしくは連帯責任に出来て、痛みを抑えられる、そういった考えがあるのです。


それで自分の好きなことではなく、 「誰かに」 やれと言われたことをしてしまう。


そして 「誰か」 に責任を取ってもらったと思いたい。






好きなことが無い、出来ないという人は、


「自分の人生に対する責任と直接向き合おうとせずに、『誰か』 に責任と取ってもらおう、それか 『誰か』 と責任を分け合いたい」


そう思っているところがあるのです。



結局、自分から自作農であることを放棄して、奴隷になるのです。



そしてだからこそ、その 『誰か』 に振り回され続けてしまうのです。


そしてその 『誰か』 は、これからも特に変わることはありません。




問題があるのは、その 『誰か』 ではありません。


自分自身です。


自分の運命・人生に対する責任を、他の誰かに預けよう、共有してもらおうと考えている自分です。



責めているのではありません。

ここが好きなことをすることへの入り口だからです。





今鎖でつながれている人はおられますか?  おられないでしょう。


「いや、でも家に帰ったら繋がれるんだ」 

という人がもしおられるのなら、この後すぐに警察に行けばいいのです。



「いや、お前は知らないから気安くそう言えるだろうけど、オレが帰らないとかわりに弟が繋がれて、殴られるんだ」


と言って 「誰かのせい」、 この場合は 「弟のせい」 にしてはいけません。



そういった状況になった時に、どう考えて、どう判断し行動するかは、弟さんの責任であり、弟さんの領域なのです。


恩着せがましくせずに、好きにさせるべきです。


そういった経験からも学び、成長し、そこを乗り越えた時に、大きな自信を手にすることが出来るのですから。





そう、あくまでやるかやらないか、鎖でつないでくる 『誰か』 ではなく、警察に行こうとしない 「自分自身」 の問題なのです。



だからこそ、そう考えるからこそ、自分自身でどうにか出来るようになるのです。



自分の運命に責任を持っているのは誰か? 100%自分自身だと。


そしてそれは全ての人がそうなのだと。


他の誰かの運命・人生の責任を負うことは出来ないし、それは相手のものなのだと。



覚悟を決めることです。




状況に振り回されずに、常に自由の身になり、好きなことをするには、ここは必ず通ることになる道です。



あなたは誰が何と言おうと、本当は好きなことが出来るのです。 


そして今までも好きなことをしてきているのです。






ここまでをまとめますと、


・人には何の義務も無い。

・神様がいるならば、人には好きなことをして欲しいと考えるはず。 宇宙は何も考えていない。

・不安があるから楽しめる。 でも多くの人は不安を感じないことを優先している。

・多くの人は「不安を感じたくない」という好きなことを、無自覚のまま選んでいる。 つまり好きなことをしている。

・他人を尊重し、自分を尊重すること、つまり好きにさせ、好きにすること。 縛りあうのではなく、認め合う事。

・つまり 「好きなことをする」 というのは 「非常に勇気がいる」 ことであるという事。

・しかし、自分の運命・人生の責任を放棄し、「するべき」 と言われたことをこなすのも、自分自身が好きで選んでいる事。

・問題はその自覚があるかどうか。

・自分の運命、人生のあらゆる出来事に責任を持っているか。


・そして他人の運命、人生を尊重できるか。


・そうであれば、好きなことは出来る。



ということです。





『好きなことに対する誤解を解く』



好きなことをする・・・少女漫画の様に、フワフワで キラキラ で虹色で甘い感じばかりではないのですね。


どちらかというと、着替えも持たずに歩いて旅行して回るような、ワイルドな感じです。


周りから 「非常識」 と言われようが、 「小汚いな、そして自分の事しか考えていない」 と言われようが、そんな事を気にしているようでは、好きなことは出来ないのです。



そうです。 

人は 「好きなこと」 について誤解している、よく分かっていないのです。 


だから出来なくもあるのです。





ここまで読んで頂いて、


「なるほど理屈はわかった。 人に義務は無いということも出来るだろう。 しかし、人がそれぞれ好き勝手にしていたら、世界は滅茶苦茶になるだろうから、好き勝手には出来ないし、させられないのではないか」

と思った人も多いと思います。




好きなことをすることについて、神様に対する罪悪感でも、宇宙に対する罪悪感でもなく、社会の一員としての社会に対しての罪悪感、第三の罪悪感です。


実際には、これを一番意識している人が多いかもしれません。




しかしそう思われた方は、今度は 「好きなこと」 を、少年漫画の様に 「飲む打つ買う喧嘩する」 の、欲望ままの ギラギラ した様なことだと勘違いしているのです。


「好きなことばかりしていいとなったら、

嫁は毎日午後まで寝ているわ、朝から酒を飲んでいるわ、カタログショッピングで注文し続けているわ。

子供達も好きにさせておいたら、きっと一日中ゲームかメールしているわ、ジャンクフードばかり食べて、炭酸ジュースばかり飲んでるわ

オレは道路沿いの早寝の爺さんが目を覚まそうが、夜更かしの婆さんが朝方に目を覚まそうが気にせずに爆音マフラーで走り回って、前の車は煽り放題、スピード出し放題、道路にタイヤ痕を付けてもオイル垂らしても気にしねぇ」





それは本当に好きなことではないでしょう?



というか、むしろそういったことは、


「日常的に好きなことが出来ていない人間が、その反動でやること」


であり、


「中毒」


です。




本当に好きなことをしていたら、もったいなくてそんな中毒的な行為に時間もお金も使いません。


周囲を見れば、好きなことが出来ていない人ほど、中毒的なことをしているでしょう。



ですから、経済の活性化の視点から見れば、人に好きなことをさせないで、その反動で消費させ、中毒にした方が効率がいいのです。



好きなことと、反動的行為や中毒は違うものです。










「好きなこと」  自体は悪いことではないのです。



問題なのは、


「何を」 好きなこととしているか、 なのです。




「いい人」 ほどここを混同しないでください。














『好きなことだけでは社会は回らないのか?』



繰り返しますが、殆どの人は好きなことを誤解しているのです。

それも悪い風に。 


悪いことだと誤解しているのです。 

だからしようとしない、悪いことだから、出来ないのです。


でもそれは誤解です。




ちなみに私が好きに時間を使えるようになって、家を建てて、車庫に好きな車もバイクも並べて、それで次はどうしようとなった時に、始めた 「好きなこと」 ことは道路掃除でした。


それまでも川とか公園のゴミは拾ってましたが、せっかくピカピカの車でドライブに行くのに、自分の家の周りの道が汚いのがダサくて耐えられない、せっかくなら綺麗な道から走り出したいと感じるようになったからです。



満たされてみれば、そんなものですよ。


中毒は満たされませんよ。


特殊な例ではないです。 そういう人に、私はよく会っていますから。



何度か書いていますが、私が桐生に来て最初に始めたアルバイトはスポーツクラブの風呂とトイレ掃除のバイトでした。


この話やゴミ拾いの話はミンカラでは 「苦労話」 として 「好意的」 に受け止められたり、 「偽善」 として反発を買うことが多いのですが、私は 「苦労話」 をしているつもりも 「美談」 を語っているつもりもありません。

(読むことで自分も拾うようになる、少なくとも捨てるのはやめて「衛生の神様」に愛されるようになったらいい、という気持ちはありますが)



単に掃除が、綺麗にすることが好きだから選んだという 「私が私の好きなことをした話」 です。  


清掃業に従事する人で、私の様に単に好きでやっているという人は多いと思います。





言いたいのは、人に好きにさせていたら誰も汚れ仕事をやらなくなるから、すべきことを決めて、するべき、させるべきだ、というのは視野の狭い考えだということです。



私の様に汚れ仕事が、汚れ仕事も、というか 「綺麗にする、綺麗さを維持する仕事」 が好きな人間はちゃんといるのです。



「汚れ仕事もすべきだ」 


などと言う人は、汚れ仕事に偏見を持っているのです。



そういった偏見が、人を特定の仕事から遠ざけるのです。 



だから 「すべき」 と言って、させなくてはいけなくなってしまう。





それに誰もが避ける役割があったからといって、それならそれで各人が自分の分は自分で処理するといった新しい形が出来ます。


そこで社会がまた進歩・進化するのです。

むしろそれが自然な形です。


私がせねば、誰かにさせねば、などと考える必要は無いのです。




それぞれが、好きなことをすればいいのです。






ここまでが、神も宇宙も 「人には義務があり〇〇すべき」 とは言っていない、そして人間社会の一員としての立場から考えても、何かをせねば、させねばと考える必要は無い。

好きなことをすればいい。 

その 「後ろ向きな」 方向から見た理由でした。





『好きなことをした方が良い前向きな理由』


では今度は、明るい 「前向きな」 方から見た理由を考えてみましょう。


一度書いた話ですが、


車で旅行中に通行止めで付近で一泊することになった。

近くには、人が 「するべき」 と思ったことをそれぞれ仕事にしている 「するべき村」 と、それぞれが好きなことを仕事にしている 「好きなこと村」 があったと。


「好きなこと村」 のパン屋はパンを作るのも食べるのも好き、ガソリンスタンドの店員は車の整備とガソリンのにおいが大好き、消防士は消防車とレスキュー訓練が大好き。



あなたはどちらの村に泊まった方が安心出来ますか、楽しめますか?





そう、単純に好きなことをするのは強いのです。


その人の能力が発揮されるのです。


人を喜ばせることも出来るのです。







では自分自身もそうされたらいいでしょう。 


好きな場所で、好きなことをしてください。





そしてそこで出会う人に笑顔で接してください。 


そうすれば多くの人の助けを得られて、どんどん運命が好転していくでしょう。




好きなことをしていれば、簡単ですよ。

でも好きでもないことを、すべきと思ってやっていると、とても難しい。


難しいことだから、結局のところ続かない。 

難しいことだから、どうしても不自然になる。

難しいことをしているから、他のことまで手が回らなくなる。


好きなことをすればいいのです。





簡単なことは、見えにくいものです。 


特に、

 「人は好きなことをした方が上手くいくし、他人も喜ばせられる」 

しばらく考えてみれば当たり前のこの理屈は、わざと見えにくくされています。



「人に好きなことをさせずに、自分がさせたいことをさせるために」


わざと見えにくくされているのです。


失業保険の様な、お金ををもらう手続きの殆どが、わざとわかりにくくなっているのと同じです。




私も最初は見えなかったのですが、掃除という好きなことを黙々としているうちに、そういったことが少しずつ見えるようになっていき、もっとシンプルに好きなことで自分を活かして、まわりも楽しませようという気持ちが強くなりました。


そうして新しいことも始めてみると、やはりそれも上手くいくのです。

なにしろ自分が好きなことだけに、深い知識と愛を持ってことにあたりますから、当然です。


それは相手にも伝わるんです。 

皆さん愛のある仕事をされる事にけっこう飢えてますから。



「この人は愛のある仕事をしているな~」


と感じる人に、最近どれくらい会いましたか?


きっと少ないでしょう。


少ないものには、それだけで価値が出るのです。




だから、好きなことを仕事にして、愛のある仕事をして、価値を作り出してください。





私の場合は、まず格闘技を教え始めることから始めて、喫茶店を始めて、喫茶店を使って塾も始めて、どれも上手くいきました。


もちろん何を持って上手くいったとするかは人それぞれですけどね。


どれも始める前はあれこれ言ってくる人はいました。でもそんなの関係ないですよ。


だって上手く行ったかどうかを決めるのは、自分の基準で決めることであって、彼らはその私の基準を知らないのですから。




こうやって自分が好きなことで、人を喜ばせて、それが上手くいくとですね、世界がすごく素晴らしい場所だということに気づいて、感謝出来るようになってきます。


そして誰だって感謝する相手のためなら、 「義務感」 なんてなくても何かしてあげたいと思うじゃないですか。


世界に対して、そう思って行動するようにようになるのです。


私の場合は、ゴミ拾いが本格化したわけです。

こういったことを皆が始めたらどうなると思いますか。


地球は楽園に近づきますよ。




人が好きなことばかりしても、世界が滅茶苦茶になったりは決してしない、これが前向きな方の理由ですね。


そして義務感からでなく、好きなことで世界を楽園に近づけられるようになっていった時に、人間はまた一歩前に進めるのです。





だから伝わったでしょう! 好きなことをした方が良いのです。


好きなことをすることに罪悪感を持つ必要は無いし、好きなことをする方が本人にとっても周囲にとっても幸せをもたらすのですから。



好きなことをしていいのです。


好きな車に乗ってください!






神様は好きにしてと言っている、宇宙は何も考えていない、社会の一員としても好きなことをしていた方が良い。


では、どうやって好きなことをしていくかです。





「好きなことをする方法」



そのためにまず必要なことは、


「好きなこと、したいことを細かい所まで明確に、はっきりさせることです」


とにかくこれです。



ではまず好きなこと、してみたいことを今すぐに3つ書いてみてください。


1・                                                     。

2・                                                     。

3.                                                     。



ポンポン書けそうですか?


書けた人は素晴らしい。 どんどん実行に移されてください。




すぐに書けなかった人は、


「何故書けないのか?」


そこのところを考える必要があります。





好きなこと、したいことが書けない、何故なのか?


好きなことが出来れば幸せ、それはわかる。 


でもその好きなことが何か、それが自分で分からない。




好きなこともせずに、どうやって幸せになろうというのでしょうか?


ではいったい今は、何をされているのでしょうか?



おそらく義務的なこと、それか 「誰かがあなたにさせたいこと」 をこなして、こなそうとしておられるのでしょう。


そうです。 

あなたが自分が好きなこと、したいことを自分で決めておかないと、誰かに決められてしまうのです。



ですので決めてください、「好きなこと、したいこと」 を。



そうでなければ、 

「自分は好きで義務をこなしているのだ、言いなりになっているのだ、だからこれで良いのだ」

 とはっきりと認め、現状に感謝してください。





『私は自分が好きで義務をこなし、人の指示に従っているので、既に十分幸せです。 だから愚痴も言わないし、社会批判もいたしません』


                       署名                        印






こうハッキリ覚悟を決めて、感謝の態度を前面に出すようになれば、間違いなく周囲の評価は上がり 「可愛がられる」 ようになると思います。




しかしそれで満足しようと思う人は少ないでしょう。


人の言いなりの人生は嫌だ。


でも自分の好きなこと、したいことはわからない。



それか、

分かっているけれど、実行に移せない。




言いましたが繰り返しますが、好きなことに対する 「罪悪感」、そして 「恐れ」 があるからです。



怖いから、行動するどころか、口に出すどころか、自分の中で考えをまとめることも出来ないのです。


その結果、行く当てもなくただ成り行き任せに彷徨ってしまうのです。



この 「恐れの気持ち」 を乗り越えられるかどうかが、これが好きなことを出来る人間になれるかどうかの境目です。




そうです。

好きなことをするために必要なのは、 「お金や時間」 などではなく、まず 「勇気」 なんです。



その 「勇気」 が出なければ、「忍耐」 することになるのです。



「勇気」 の対義語は 「臆病」 なのかもしれませんが、


「勇気を出す」 の反対は 「忍耐する」 


になると私は思っています。


だから私は人の忍耐話に耳を貸しません。






頭の中で考えをまとめる勇気、


言葉に出して宣言する勇気、


人の反対や批判を乗り越える勇気、


実際の行動に移す勇気、


必要ならば方向転換する勇気、


挫けそうになった時も継続する勇気、


そして自分作り上げたものを放り出して、また新しいことを始める勇気。



いつまでも新鮮な気持ちを持ったままで、好きなことを次々していく人間には、結局のところ勇気はどこまでも必要なのです。






しかし 「勇気だ!勇気だ!」 と叫ばれても、なかなか行動には移せないかと思います。


もっと具体的に、一つ一つ見ていきましょう。



(つづく)

Posted at 2014/11/15 17:04:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記
2014年11月12日 イイね!

好きな車に乗る方法・・・1

好きな車に乗る方法・・・1
自分の中に、ある条件が満たされるまでミンカラで心に関する文章を書き続ける、という決め事があったのですが、それが達成されたのでもうこれで最後にします。



『好きなことをする方法』



皆さんは毎日好きなことをしていますか?



あえて難しく考えようとしなければ、好きなことをして毎日過ごせていれば、それだけで人は


「幸せだ!」


と感じるはずです。



好きなことをするということは、それだけ大事なことです。



ところが 「毎日好きなことをして過ごしています」 そういった人と出会うことは、極めて稀です。



なぜ、多くの人は好きなことを出来ないのでしょうか? どうすれば出来るようになるのでしょうか?

そこのところを、オカルトに走らず、「理屈」で考えていきましょう。







『好きなことをしたい人が、まず理解し肝に銘じておくべきこと』


真面目な人は 「好きなこと」 をしようとする時に 「罪悪感」 を感じるものです。


「好きなことばかりしていてはいけません。 皆のために、するべきことをして、好きなことはそのおまけ。ご褒美程度にしておくものです」


そういった考えを、誰かからずっと押し込まれて育ってきているからです。



誰かから。 


殆どの場合は親であり、教師であり、上司であり、そういった考えを目上の人間から押し付けられた結果です。




簡単な話で、多くの人が「好きなこと」を出来ないのは、好きなことを「悪いこと」だと思っていて、


「悪いこと」 だと思っているから 「出来ない」 のです。   


それか好きなことを実は出来ていても、まわりには言わないのです。




悪っぽい人が好き勝手に振舞えるのは、 「おれは悪いから、好きな事という悪い事をしちゃうぜ」 位に思っているからです。


いわゆる 「いい人」 が 「好きなことをする」 という言葉を聞くと、一瞬腹が立ったり、不安を感じるのは、それが 「悪いこと」 だと思っているからです。






しかし、

「好きなことばかりしていてはいけません、皆のために、するべきことをしましょう。 それが良いことです」

このもっともらしく、殆どの 「いい人」 が縛られている考えは、神様が決めたルールでも、宇宙の法則とかでもありません。 



単に親や教師や上司といった、人を支配する立場の人間にとって、都合の良い考えです。

(全ての人が、人を支配する立場になった時に、都合の良い考えとも言えます)



自分がさせたいことをさせるために、ただ 「やれ!」 と命令しては嫌われるので、


「皆のために、するべきことなのだから、やりなさい」


とずっと言ってきて、それが今も言い続けられているというだけのことです。 




皆さんも、人を支配する側になることもあるはずですが、大量の知識と経験に基づく、はっきりとした自分の考えが無い事柄(例えば医療・食栄養・教育)に関してほど、


「するべきって言われているからやりなさい」


と言って済ませてきていると思います。






好きなことをしたいならば、まずこのこと肝に銘じてください。


「好きなことをすること自体は、別に悪いことではないのだから 『罪悪感』 を感じる必要は無い」


誰がが 「好きなことをしないで〇〇をすべきだ」 という時、その「〇〇」とは、単に 「その人があなたにさせたいこと」 である、と。


その〇〇をさせることで、相手は 「安心」 したいのだと。 


相手は 「不安」 なのだと。


なので、好きなことをする際に誰かを説得する必要がある際は、相手の不安をよく理解し、解くことが必要なわけですが、最終的には、そういう必要もないのだということも、分かることになるでしょう。









「良い人」  が「好きなこと」 を出来ないのは、 「好きなこと」 を 「悪いこと」 だと思っていて、「悪いこと」 だから 「良い人」 ほど 「好きなこと」 が出来ない。


と書きました。



「罪悪感」 が 「好きなこと」 をさせないわけですが、ではその 「罪悪感」 は 「誰」 に対してのものなのか?


そこを見つめていきましょう。





『神様がいたなら、どう思っているか』



神様。


特定の宗教の神様のことではなく、この世界を作り出した何らかの 『意識』、それがここでいう  『神様』  のことになります。


もちろんそれが存在する、ということを私は言いたいわけではありません。



『神様(何らかの意識)』 が存在し無かった場合、それでは宇宙は 『科学的な偶然の反応の連続』 で出来たことになります。


そうやって生まれたとした世界を 『宇宙』 とここでは呼ぶことにします。



そのいずれかになります。



念押ししておきますが、私としてはそれはどちらでもいいことなのです。







ではまず 「神様」 の方から。



神様がいたとして、神様は人間に対して 「あれをしてくれ、これをしろ」 といった要求はありません。


ありません。




神様はそんなに貧乏臭い存在ではありません。


そもそも全知全能なのですから。 


人間に何かをさせる 「必要性」 は無いのです。




やらなければどうにもならない必要性があることは、神様は最初から自分でやっています。



生き物が生きていくのにどうしても酸素が必要だから、酸素は用意されています。

陸上を移動するにどうしても足が必要であるから、足も生まれながらに付いています。



「やっていない!あれがない!」


と人間が感じる部分は、神様は 「現状で良い」 と思っているからこそ、そこには手を付けないできているのです。




人間が鳥のように飛べないのも、モグラの様に土に潜れないのも、過去にタイムスリップ出来ないのも、未来が分からないのも、神様は

  「人間には必要ない」

 と思っているから、そうしているのです。



そして、人間を神のごとくに完璧な存在として作らなかったのも、 「その方が良い」  と思ったからです。




そうでなければ、神様は失敗作を作ってしまった、失敗したことになります。 



でも神様は完璧でしょうから、失敗はしません。


神様が失敗したというのは、神様に対する侮辱になります。


だから 「神様は人間を完璧に作ったけど、後で人間が堕落した」 と宗教は言います。 

でもそれも結局は 「子育て」 に失敗したということでしょ。


神は完璧なのだから失敗はしません。(もし完璧でないのならば、こちらも全て言いなりになる義理は無いでしょう)






つまり、人間に欠陥があるように感じても、世界に問題があるように感じても、そういったことにも神様には何らかの意図があって、狙ってやっているということになります。



神は死んだわけではないのです。 


ただ人間に不要なものは付けなかった。


完全さも含めて。


そして、自分が手を出すことではない、と思っている部分については、手を出さないでいるだけです。






つまり神様は、人間に対し


「私は必要なものは用意しておきましたし、今も裏方はちゃんとやっていますから。 皆さんはこの世界の中で好きにしてください」


と思っています。






あなたが全知全能の神だったとして、宇宙と地球、多くの生き物と、そして人間を作り出して、その人間に対して


 「さあ!あれをしろ!これをしろ!」


 と言いますか?



答えて下さい、言いますか?



「働け!納税しろ!軍隊を編成して戦い合え!神殿を建てて私を拝め!」


あなたは言う気になりますか?







勿論、絶対にそんなことは思わないでしょう。



神様はなおさらそんなことは思わないはずです。

人間より、人間が出来ていますから。


もし、そう思わない神様だったとしたら、私だったらドン引きしますね。






結局、こういった 「人は〇〇すべき」 といった考えは、「神様」ではなく、まるっきり 「王様」、つまり支配者的立場の人間の発想なのです。



ですから、

「神様があれをしろ、これをしろ、と言っているから皆さんそうしなさい」

という考えは、全て神様の名を騙った支配者的発想から来ていると考えるべきです。





神様は何も要求していません。


そして人間には、好きなことをして過ごして欲しいと思っています。


これだけの凝った環境と、多感で複雑な心を準備してくれているのですから。








ここまでお話してきて、私が 「神様が、神様が」 という部分が宗教的で、抵抗を感じたという人も多いと思います。


ちょっと考えれば、私は既存の宗教の神様を否定しているわけで、宗教的ではないことになると思うのですが。


でも私が宗教的と思われようが、逆に宗教を否定していると思われようが、それは今はどちらでもいいことなのです。

私は 「神様がいるかいないか」 を証明したいわけではなく、 「人には義務は無く、好きなことをしていいのだ」 ということを証明したいのですから。









『宇宙はどう考えているか』


では神様的なものは存在せず、科学的な偶然の連続で、宇宙が生まれ、地球が生まれ、生物が誕生し、人間に進化したと。


それでも私は全然かまいません。


では、「科学的な偶然の連続で誕生したこの宇宙」 から、どうして 「人はすべきことをするべきだ」 などといった考えが生まれて来るのでしょうか?




宇宙もそんなことは全く考えていません。


というか、宇宙はなにも考えていません。


宇宙はただの科学的な偶然の連続なのですから。


そう、宇宙は何も考えていない、考えられないのです。


もちろん人に対し 「何々すべき」 などとは思いようがありません。






結局のところ 「人には義務があり、すべきことをするべきだ」 というのは 「宇宙の法則」 でもなく、「神様の作ったルール」 でもないのです。



繰り返しますが、人が人を支配するために、後から作り出した発想なのです。


だから、たいして恐れなくても大丈夫です。 


神様や宇宙に対して罪悪感を感じる必要はありません。



繰り返しますが、神様も宇宙も、 「あれをしろこれをしろ」 とは思っていません。


好きなことをすることに、罪悪感を感じる必要はありません。




これで 「好きなこと」 が少ししやすくなってきたと思います。


繰り返しますが、本質的には人間に何の義務もありません。


それは支配者的立場の人間(つまり全ての人間)、人間が自分の都合で作り出した幻想です。






皆さんが神様なら、人間に対して 「好きなことしなさい」 と言って、温かく見守ろうとするはずです。



例えば、部屋いっぱいに山や海や街の模型を作って、お気に入りのヌイグルミたちを配置して、それらに命を吹き込んだとします。


「さぁ、この環境の中で存分に楽しんでくれ!」


それ以外のことは、皆さんは考えないでしょう。



そしてイキイキと遊びまわったり、山によじ登りだしたり、手作り潜水艦を作って沈没させたり、 「好きなことを」 夢中になって始めるヌイグルミに喜ばせられ、愛着を抱き、応援したいと思うはずです。



ところが、


隅っこに固まって動こうとしない、

何かを蓄えることばかりしている、

こんな世界じゃ何も出来ないと文句ばかり言っている、


そして、 

「義務と思ったことを苦しげな表情で繰り返している」 

こういったヌイグルミたちには、


「なんでだよ・・・」

と思って次第に興味を失うはずです。


そうでしょう?





であるならば、皆さんはまず自分自身に対してもそうしたらいい。 


自分を好きにさせるべきです。


好きな車に乗るべきです。


そして他者も、自由にさせるべきです。



していないのであれば、何故していないのですか?


皆さんは好きなことをしていいし、させていいのです。 


むしろ好きなことをした方が、させた方が良いのです。


好きな車に乗った方が良いのです。










『好きなことと不安』


人は好きなことをしていいのです。


繰り返しますが、皆さんが神様ならば、人間に対して 「好きなことをしなさい」 ためらうことなく、そう言えることでしょう。




しかし人である我々は、なかなかそれが言えません。 

そして自分自身も好きなことが出来ません。




では、 「神様と人の違いは何か?」 ということになります。



それは 「不安を感じるかどうか」 の違いです。


神様と人間の違いは 「不安を感じるかどうか」 です。





神様には不安はありません。


全知全能であり、過去のことも、未来のこともお見通しでしょうから、不安を感じようがないはずです。



もし不安があるとすれば、何でも出来て、何でもお見通しの状態が、永遠に続くことへの不安だけでしょう。

それは人間の基準で考えると、退屈な生活といえるかもしれません。






一方で人間は 幸いなことに  「不安」 を感じることが出来ます。



しかし多くの人は、 「不安」 を感じられる幸せを自覚せずに、 「不安を感じないこと」 を最も優先して生きています。


そしてまただからこそ、身近な相手、大切にしている相手に関することだからこそ、強く不安を感じ、その結果好きなことではなく、


「自分が既に知っていること、予想が付くことをさせようとする」


のです。


なぜならそれが、自分が 「一番不安を感じないで済む道のり」 だからです。



自分の仕事に不満を言いながらも、それでも子供を自分と同じ会社に入れようとしたり、家業を継がせようとしたりする親は、この典型です。


不安なのです。




多くの人は、不安を感じないで済むことが最優先なのです。


だからまた好きなことが出来ない。


楽しいか、好きなことかを、最優先にはしていないのです。



一度通った道を歩く、知っている道を旅する、案内するようなものですから、それほど楽しくはないでしょう。

ある意味で、神様の生活に近いですね。








さてここまで来て、思わぬことがハッキリしてきました。


そう、不安があるから、人が生きることは面白いのです。 楽しめるのです。




しかし多くの人が好きなことをしないでいる、させないでいる理由も、不安がある、恐れているからなわけです。


人が好きなこと、楽しいことには必ず何らかのリスクがあります。 

しかし多くの人は不安を感じないことを最優先しているから、好きなことが出来ないのです。




不安を感じないでいられることを最優先にしているうえに、好きなことは 「悪」 というイメージまで生まれた時から刷り込まれ続けている.

これでは好きなことが出来ている人間が少ないわけです。




恐れているから、先人の言うことに従って、 「するべき」 と言われたことをすることで安心しようとして、そして好きなことをしないでいるのです。


その 「するべき」 と言われたことが、どんなに辛く苦しく、奇妙で、そして心身に傷を残すことであっても、不安を感じるよりいいのです。








つまり視点を広げてみると、 「不安を感じたくない」 という 「好きなこと」 を既に自分で選択しているのです。


既に 「好きなこと」 をしているのです。





問題は自分にその自覚があるかどうかです。


「これは自分が好きで選んでいることなのだ」 と。



不安を感じたくないという、好きなことを、自分で選んで、既にしているのだと、まず自覚することです。


そうであれば、自分で決めた事ですから、自分が望めばすぐに変えることが出来ます。



ですがそうでなく、


「誰かの指示で、私は嫌だけれど義務として好きでもないことをしているのだ」


と考えているのでは、自分ではどうすることも出来なくなってしまいます。



自分で決めた事ではない、そして自分には抵抗する力も無いと思っているのですから、当然です。




となると、自分に指示してきている 「誰か」 の考えが変わるのを、 「忍耐」 しながら待つしかありません。



そういう日は、おそらく来ないでしょう。


来たとしても、またその 「誰か」 の考えはコロッと変わるかもしれません。


つまり結局、その後も 「運任せ、成り行き任せ」 の生活が続くことになるのです。




そんなことはせずに、


「そうだな、これまでも、自分で好きな方を選んできたのだ、これたのだ。 これからも好きな方を選ぼう、それも意識して、楽しいことを選ぼう」


と自覚を持って覚悟することです。






『意志とアクシデント』


しかしこうも思われると思います。



「確かに言われてみれば、今までも 『こっちの方がマシ』 だからということで、広い意味で自分で 『好きな方』 を選んできたともいえるだろう。


しかし人生には、自分の意志とは関係なく、どうにもならないような事が起こることもあるはずだ。

ニュースでもやっていた、飲酒運転の対向車が飛び込んできた事故なんて、被害者がどんな判断をしたから、事故にという結果につながったというのだ?」

と。





確かに、人の人生には自分の判断では決められず 「運任せ」 から逃れられないと感じる部分があり、100%出来事は自分の判断の結果、とは言い切れない、と私も思っています。

不慮の事故や災害など、そうですね。



しかし、そういったことがあるからといって、 「人生など運任せで、自分にはどうにもならないものだ」 と考えるのは冷静ではありません。




例えば、いつも挨拶をすると気持ちよく返してくれる、毎日顔を合わせる友人がいたとしましょう。

ところが何千、何万回のやり取りの中で、何度か挨拶が返って来ない、思いもよらない接し方をされたことがあったとします。



この時に、 

「あいつは挨拶もしないし、何考えているのかよく分からない行動をする奴だ、あいつなんてそんなもんだ」

と決めつけてしまうのは、冷静な判断でしょうか?




それからずっと、 


「あいつはそういう奴なんだ、何をするかわからない、危ない所があるんだ」 


と決めつけ、怖がりながら接し続けることは、自分に得を、利益をもたらす行動でしょうか?




つまり、


「人生なんて思いもよらない事があって、自分ではどうにも出来ないもんだ」


と決めつけ、開き直って成り行き任せで生きるのは、自分にとって 「得」 な行動なのかということです。




そうではないでしょう。


「不慮の出来事があったとしても、それでも、起こる出来事は自分で選んだ結果、だからこそ自分で変えられるのだ!」


そう考えて行動した方が 「得」 なのです。 



生きている間の時間を、自分の建設的な意志で、自由に過ごせるのです。




だから覚悟を決めて下さい。 自分の判断だけが、運命の運命を決めるのだと。 


ここが 「勇気」 を奮うところですよ。






厳しいことです。


でも、そういうものだと認め、覚悟を決めない限り、いつまでも自分の人生を歩むことは出来ません。 


「思いもよらなかった!」 アクシデントに、いつまでも振り回され続けるでしょう。



つまり 「あれをしろ、これが義務だ」 と命令され続けるままで、起こる出来事に受け身で翻弄されるままで、自覚を持って自分で好きなことをすることは出来ないということです。





自分の運命に責任を持っているのは誰か?


それは100%自分自身だと。


そう胸に刻んでください。 そうすれば、より好きなことが出来るようになっていきます。



そしてこう覚悟を決めていれば、不測のアクシデントにも、挫けることはありません。



(つづく)





Posted at 2014/11/12 16:35:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記

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