長いですが読むなら絶対に
読み飛ばさずに 最後までお願いします。
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「Jターン」 や 「田舎暮らし」
こういう言葉を使うと、どれも一括りの似たようなものに感じてしまうんですが、その内容は人によって全く異なります。
皆さんのいま頭の中にあるイメージも、それぞれだいぶ異なると思いますし、もうある程度はっきりしたイメージをお持ちの方もいらっしゃれば、まだ具体的なものは無い方もいらっしゃると思います。
ではまず僕が何故田舎暮らしすることになったのか、桐生市にJターンすることになったかのお話しをさせて下さい。
その中で、
「あぁ自分もそうだ」
と共感出来る部分があったり、また反対に
「それは自分は違うな」
と思う部分が出てきたり。
そういった部分を通じて、自分が田舎暮らしに対してどういった気持ちを持っているのか、何を求めているのか、よりハッキリと「自分のイメージ」見えてくると思います。
「自分のイメージ」
それは無くてはならないものなのです。
僕はあまりいないタイプの田舎暮らしをしていますから、話を聞くことでイメージの幅はきっと広がりますよ。
僕は富山県出身でして、よくある感じで進学を期に上京しました。
でも東京に出た事には、はっきりとした目的意識を持ってました。
格闘技をやっていたので、東京に出て活躍したいというのがあったのです。
その希望は叶えることが出来たのですが、だからといってとくに幸せを感じることも、自分に自信が付くようなことも無く、26歳の時に大ケガをしてやめて、それからやっとサラリーマンとして働き始めました。
社会人としてのスタートは遅かったんです。
桐生に来たのは6年前、33歳の時でした。
人が生活に大きな変化を起こそうとする時、それは病気、経済問題、人間関係の破たん、だいたいこの3つか、これらがまとめてきた時くらいではないかと思います。
そうでなく生活に変化を起こせる人は、相当強い人ではないでしょうか?
僕はそうではなかったですね。
だからこの3つの出来事は悪いことではありますが、考えようによっては大きなチャンスでもあります。
そういう風に、考えていただきたいですね。
僕が田舎暮らしを考え出したのは32歳の時で、きっかけは病気でした。
時に気絶する位の偏頭痛が頻繁に起こるようになってしまって、サラリーマンとして、やっていけなくなってしまったからです。
いくら検査しても原因は不明でした。
でも、都会の中でこんな無茶な生活をしていたら無理もないだろう、という自覚はあったんですね。
それで、
「のんびり田舎暮らし」
を・・・と考えるようになったんですが、最初は街の中にいて、とても実現出来る気がしませんでした。
それで通勤だけでも楽な会社にしようと、住んでいたアパートの近所の会社に転職したんですが、すぐに埼玉のはずれに転勤することになりました。
これが転機でした。
埼玉のはずれに行って良かったことが二つありました。
一つは、埼玉のはずれという準田舎に一度住んでみたことで、本格的な田舎暮らしも、やれば出来るんじゃないか、という気持ちが出てきたこと。
もう一つが群馬県の魅力に気付けたことでした。
群馬とか北関東って、あえて意識する場所ではないではないですか。
「オレは旅に出るぜ!群馬へ!」
とか、特に若い頃は思わなかったんですよね。
田舎暮らしを始めようとする人にしても
「群馬で!栃木で!茨城で!北関東で!」
とはあまりイメージしないと思うんです。
だから何故皆さんが今日ここに来られているのか、ちょっとセンスを疑う部分もあるんですが。
でも、埼玉のはずれに住んでみて、あたりをフラフラするようになってみると、群馬県という場所は実に魅力がある所だったのです。
・まず、天気が良い日が多く日照時間が長い。雪も東京と同じ程度。
・関東平野の終わりに位置していることで、風景が起伏に富んでいるんですね、そして自然が多い。
富山も自然は多いですけど、厳しい自然で遊び場所には出来ないですから。
群馬の自然は遊び場所になるような、良い意味で 「ゆるい自然」 なんです。
・そして東京まで近く、交通手段も選べること。
・200万の人口のいる県ですから、買い物場所や遊び場所は沢山あります。
・そして群馬ってはっきりした殿様がいなかったせいだと思うんですが、縄張り意識が低くて、全体的にオープンな県民性なんですね。
北関東全般がそうなんですが、
「普段の暮らし目線」
でみると凄く良い場所なんです。
埼玉のはずれに住んだことで、それに気付けました。
それから群馬中を走り回って、
「ここ良いな!」
と思う場所があったら、すぐにそこの役所に飛び込んで、
「良い所ですね!住みたくなったんですが何か定住支援などはしておられませんか?」
というのを繰り返しました。
好意的な反応、そうでない反応、いろいろありました。
でもそうやって続けていって、新規移住者に協力的なのは上野村と、こちら桐生市ということが分かってきました。
今は、
「新規移住者募集!協力します!」
的なアピールをしている自治体はもっと増えていると思うんです。
でもそういうのも、一朝一夕で上手く出来るものではなくて、自治体の方も積み重ねがいりますから。
早くから始めていた桐生市は、やっぱりオススメですよ。
でも、初めて桐生に下見に行った時の印象は、それほど良くはなかったんです。
「夕暮れの街」
という雰囲気が漂っているように感じて、
「太陽キラキラ明るい群馬」
という自分の中のイメージとちょっと違ったのですね。
でも何度か通っているうちに、印象はすぐに良い方に変わっていきました。
「あぁ、ここは文化と歴史の重みがある街なんだ」
と。
そういう魅力って、すぐには見えなかったんですね。
そして桐生市の魅力は、文化と歴史のある街並みだけではなく、そこから車で10分ちょっとのすぐ近くに、本格的な自然も備えていることでした。
私の住んでいる桐生の奥座敷と言われる梅田地区ですが、ここには他所なら標高1000m以上行かないと無いような自然があります。
うちの裏の川なんかも、泳げますし、泳いでいて水飲んでも特に平気ですから。
それは桐生の背後には、人家も工場もゴルフ場も、何も無いからなんです。
桐生は3方を山に囲まれていて、南には大きな川が、渡良瀬川が流れているという、風水的にも恵まれた立地なんです。
文化と歴史のある街並みと、本格的な自然、
「その二つが凄く近い距離にある」
しかも桐生自体が東京からも近い。
この点で見ると、桐生は他に無い魅力のある場所だと思います。
そうやっているうちに思わぬ話が来ました。
それは、
「桐生の梅田地区の山中に、誰も使っていない山荘があるのだが、そこにタダで住んでもらって構わないから、管理人をやってみないか」
というものでした。
その山荘は、昔自分がアルバイトしていたことがある、東京の会社の保養所という扱いになっていて、
「でも汚いから誰も使わない、そしてますます汚くなる、の悪循環で困っている」
とのことでした。
自分は常々、
「群馬の山の中で暮らしてぇ」
と、
願いをちゃんと口に出す
ようにしていたのですが、その話が巡り巡って社長の耳にまで届き、
「じゃあ彼にお願い出来ないもんかね?」
ということになったのでした。
そう、願いは口に出していると、こういうこともあるんですね。
とはいえ、それで
「やったー!ラッキー!」
と思ったかというと、そうではなかったですね。
だって、30代前半で山荘の、しかも人は来ないという、そこの住み込み管理人に夫婦でなる・・・。
「非常識だろ。 オレそんなことをしていていいのか」
と。
そして、
「嫁さんをそんなことにつき合わせて良いのかなぁ・・・」
と、
「罪悪感」
が一気に噴き出してきました。
それでも、一度見るだけでいいからと促されて、その山荘を見に行くことにしたのです。
一度お話ししましたけれど、自分は最初一人で桐生の下見に来たことがあって、その時の印象はそれほど良くありませんでした。
市街地を抜け、山道を走り、しばらく進んだところで、
「ここから先に住める気は絶対にしない」
と感じて引き返し、そのまま帰ったことがあるんですね。
その引き返した場所から、
「10mだけ市街地寄りの場所」
に、その山荘はあったのでした。
「だから、ここならオーケーだよね?手前だもんね?」
と、桐生の神様が言うのが聞こえました。
その時 「ここに来るしかない」 のだなと思いました。
強力な 「流れ」 に、いま乗ってている、これに逆らってはダメだと。
というわけで、私はその仕事を引き受けることにしたのでした。
それまでいろんな反応をされながらも、勇気を奮ってあちこち飛び込み訪問していたにもかかわらず、最終的には昔のつながりであっさり進路が決まってしまったことに、結構ガッカリもしたのですが、でも
「そういうことの積み重ねが、引き寄せてくれた」
のだと今は思います。
本当にそうでして、例えば皆さん時間とお金をかけて今日ここまで来たと。
凄いことです。
この時点で、1000人に一人級の行動力ですよ。
1000人に一人ですよ、自信持ってください。
でも今日見たり聞いたりしたことが、それほど自分には関係なかったかなと感じても、ちゃんと
「ポイント」
として貯まっているんです。
「イメージの実現へのポイント券のポイント」
です。
もちろんそれは、肝心のイメージがあれば、の話ですが。
この話は最後にまたしますね。
さて私たちは 「誰も来ない山荘の住み込み管理人」 として桐生市にやって来ました。
こう言うとシュールで怖い感じですが、実際にはかなり快適でした。
なにしろ千坪くらいの敷地は森林に囲まれ、脇には渓流が流れ、自分たちの住んだ建物は5DKの立派な純和風住宅でしたから。
逆にこんな立派な家に住んだことないよいう感じでした。
ただ、家賃がタダの代わりに、給料も特に無いよという条件でした。
それでも最初の1か月を掛けて建物を徹底的に掃除してピカピカにし、その様子を写真付き資料にして会社に送ったところ、
「これでタダじゃ悪いよ」
ということになって、バイト代も月々少しもらえることになりました。
凄く良い会社ですね。
でもこういった
「自分のことを伝える努力」
は田舎暮らしをしていく上では必ず必要になってくると思います。
「自分はどんな人間なのか、何をしていて、何が出来るのか」
田舎暮らしを志す人にの中には、いろんな不安があると思うんです。
でもそれ以上に、引っ越してこられる側にも不安があります。
「あの人はどんな人なのか?何をしている人なのか?」
だって受け入れる側は、相手を選べないし、自分たちは逃げられないですからね。
ですから、受け入れる側の不安を解くために、自分のことを伝える努力が必要になるんです。
ムーミンに出てくるスナフキンに憧れるような、
「他人からの理解を放棄したタイプ」
の人が田舎暮らしをしようとして、つまづくことになるのがここになると思います。
そうであれば、都会で暮らした方がきっと快適ですよ。
電気も水道も道路も無い山の中に住むなら別ですけど、それはキャリアが無いと、いきなりは出来ないですから。
そうやって、これであとバイトをいくらかすれば、取り敢えず生きていくことは出来る目途が立ちました。
それで 「スポーツクラブの朝のトイレと風呂の掃除」 のバイトを見つけてやることにしました。
何故そういう仕事を選んだかというと、自分はもともと掃除が好きだったのです。
そして、なにしろまだ偏頭痛が酷く、
「もはや好きなことくらいしか出来そうになかった」
からです。
好きなことなら、苦しい時も続けられる、頑張れる、工夫出来る。
実際にそうでした。
好きなことをするって、甘いようで、とても強いことなんです。
だから好きなほうを選ぶべきだと思います。
これから田舎暮らしをするにあたって、何か判断に迷うことがあったら。
ここで自分にとって良かったのは、桐生に身寄りも何も無かったことですね。
だからフリーターという立場にしろ、アルバイトの種類にしても自由に選べましたし、自分に制限が掛からずに、逆に力を出すことが出来ました。
これが地元へ帰っていたとしたら、こういう風に自由には出来なかったでしょうし、周囲も許さなかったでしょう。
それで普通のことをしようとして、でもそれが上手くいかなくて、
「何故みんなに出来ていることが自分には出来ないのだ!」
そう自分を責めて、かなりまずいことになっていったと思います。
よく 「身寄りもいないところに来て大変だね」 と言われましたけれど、いない方が楽ですよ。
だから、
「特に群馬や桐生が好きなわけではないけど、桐生に親戚がいて建物をあまらせているから、そこを借りて桐生に住もうかなって考えている」
というのであれば僕は反対ですね。
好きな場所に住んだ方が、きっと力が出ますし、のちのち困難があっても乗り越えようって気になりますよ。
さて掃除のバイトを始めて、管理人の仕事も殆ど掃除なんで、掃除ばっかりしていて、やっぱり気持ちが卑屈になることも、その頃はありました。
でもいいんだと思っていました。
だって自分は、
「もうある意味で終わったのだ」
位に思っていましたから。
僕は 「野心の無い田舎暮らし」 だったんです。
望んでいた田舎暮らしを始められたといっても、心の中では
「自分はもう終わった。 あとは生きていければいい」
という気持ちでいたのですね。
他のしてみたかったことは、もうみんな出来なくなってしまっただろうなと、思っていました。
でもそれは違いました。
初の田舎暮らし、身寄りもいない土地で、アルバイトの掛け持ちで生計を建てる生活。
やってみると、ちゃんと道が開けていきました。
目の前の 「自分に出来る好きなこと」 をしっかりやっているうちに、
「もう何も出来ない」
から、逆に
「好きなことなら何でも出来るんじゃねぇの?」
に変わっていったんです。
だって実際に好きなことなら出来ているわけですから。
それで僕は桐生に来てから、渓流脇で仙人のような生活をして、健康体操教室もやりましたし、自分で空手道場や学習塾もやって凄く強い子も、すごく成績が上がった子も出しましたし、旅行も沢山行ったし、毎日社会活動をしていますし、結局フリーターのまま家も住宅ローンで建てて、そこを使って喫茶店まで始めましたから。
昔やってみたいと思っていたようなことは、もうみんな出来ちゃいました。
それはこういう理屈なんです。
会社員だった頃の自分は、社会的な立場を失うことは、奈落の底に落ちて、二度と這い上がれない、もうアウト、みたいなことだと思っていました。
それは昔の人が海を見て、
「水平線の向こうはきっと滝みたいになっているだろうから、近寄って落ちたらお終い」
と考えていたようなものです。
でも病気が切欠で水平線の向こうに行ってみると、水平線の向こう側は、実際の海がそうであるように、さらに広くて豊かな海だったんです。
そして自分自身も変わっていったんです。
それまでは、水平線の向こうに落ちるのを怖がりながら、陸地の近くばかりを、陸地を目安にしていました。
でも病気のせいで水平線の向こう側へ行くことになり、陸地が見えなくなってしまった。
そのことで、やっとしっかりと
「自分の中の方位磁石」
を見るようになったんです。
この場合の 「陸地」 ってなんのことだと思われます?
そう、「常識」 や、今まで自分が囚われていた古い価値観なんかですね。
つまり桐生という、身寄りもいない未知の地に来て、会社員という縛りも無くなったことで、ようやく
「とらわれずに自己発揮」
出来るようになったんです。
そう、僕は群馬・桐生に来てから、ようやく生き始めたんです。
僕の「体」が生まれたのは富山で、「心」がずっと無かったとまでは言いませんけれど、
「魂」
がやっと生まれた、表に出たのは、群馬・桐生に来てからと言っても過言ではないですね。
まさに、
「魂の故郷」
ですよ。
そして今は、その 「魂の故郷」 も、せっかく手に入れた素敵な家も手放して、キャンピングカーでこれから長い旅に出るつもりです。
凄いでしょ?
それは、真の意味で自信が付いたから出来るんです。
僕は自信がずっと無くてですね、それで強くなれば自信がつくと思って、強くなったんですが、自信は全くつかなかったんですよ。
それが群馬に来て、不安定な生活をしているうちに自信がついたという。
分からないものなんです。
そう、やってみるまで分からないことばかりなんですよ。
何が起きるのかも、そして自分がどう変わって、自分の中から何が出てくるかも。
やってみるまでわからない、だから気になったことは、それは何かのサインがあると思って、やってみるしかないと思います。
田舎暮らしを始める前の自分と、実際に田舎暮らしを始めて時間が経った後の自分は、別人になっていると思います。
またそれでいいんです。
田舎暮らしやJターンを始める人の中には、
「生活環境は変えたいけれど、自分は変えたくない」
という人が割とおられるんですが、それだとあまり生活を変える意味が無いと思います。
生活環境だけを変えるのなんて、オーディオを変えるようなもんで、最初は良い音になったなと感じても、直に耳に同じになりますよ。
生活環境を変えるということは、あくまで自分を変えるためのチャンスであり、手段なんです。
それが面白いんです!
だから新しい力が出るんです!
そんな調子だからこそ、新しい生活も成功するんです!
ですから、田舎暮らしを始めるにしても、最初は
・選択肢の多い場所
・方向転換が容易な場所
からスタートした方が良いと、私は思います。
実際にやってみて、自分の中から何が出てくるかはわからないですから。
そういった意味でも、北関東は良い所です。
キャラクターが薄いですし、首都圏からなまじ近いことも原因で、旅情が無いと田舎暮らしの場所として人気が無いわけですが、
それはまさに、選択肢が多いし、方向転換が簡単ということですから。
その中でも桐生市は、歴史と文化を感じさせる街並みがあって、かつ自然も一杯。
東京までも各駅停車で2時間弱。
今なら住宅購入支援も最大200万円ですよ!
オススメします。(宣伝)
ここまでお話ししてきましたように、たとえ今、どんな難しい状況にあったとしても、まず出来ることでひとつ、行動してみることが大事なわけです。
そこから道が開け、自分の中も外も、そして周囲の反応も、起きる出来事も変わって行きます。
そう、自分が行動すると周りも変わるんです。
だから、
「自分の力じゃこれは出来ないから無理だ」
と考えてはダメです。
自分の力だけで、物事が起きるわけではないですから。
あなたが本気で行動すれば、その本気が伝わることで、周りは変わるんです。
奥さんが 「田舎暮らし、私は嫌よ、あなた一人で行きなさいよ」 と今は言っていたとしても、変わってきます。
その為にも、本気が伝わるようにするためにも、自分が本当に好きな場所、好きなことを選ぶべきです。
そうでないと、新しい生活の魅力を相手に伝えることは出来ないですから。
「桐生って良い所だと思うんだ・・・、ウナギの養殖って儲かるらしいんだ・・・」
と言われて応援しようと思いますか?
「・・・そうか、頑張って!・・・って言っていいのかな?」
って相手は思いますよ。
それでは当然協力は得られません。
ですから本当に好きな場所、好きなことを選んで、行動を起こしてください。
そもそも好きなことに失敗は無いんですから。
最期に、行動するにあたって、根底に、
「一つのイメージを常に意識し守り続ける」
それは必ずして下さい。
そうでないと、
やみくもにいろいろな行動をしても、遠回り、遠回りの連続になって、結局何処にも辿り着けない
ということも、やはり起きると思います。
というか、まずそうなるだろうと思います。
自分の根底のイメージはこういうものでした。
「平日の昼間から、犬をたっぷり散歩させている自分の姿」
埼玉のはずれに転職した際に、会社の窓から、隣の河原を犬と散歩しているお年寄りの姿をよく見かけていたんです。
その時に、強く強く思いました。
「オレは今すぐに、ああしたい!」
と。
そしてその思いは、ブレずに守り続けていました。
そういったイメージは、灯台の明りの様なものなんです。
暗い中で七転八倒じゃいと感じるような時期があっても、その光さえ見失っていなければ、這ったままでもいつかは辿り着けます。
ですから、
今日から必ず、
何時でも思い出せる大切な未来のイメージをひとつ、
心の中で養っていってください。
シンプルなものでいいんです。
ちなみに 「昼間から犬をたっぷり散歩させる」 というイメージを叶えた、自分の最近のイメージは、
「聞いた人が元気を出す話を、人前でする機会を増やしたい」
というものでした。
それも今、こういったかたちで叶いました。
皆さんのおかげです。
今日はありがとうございました。
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これが先日の市の移住イベント用に書いた原稿で、完全に丸暗記して、20分ジャストで喋りました。
ギャラは4000円で、下書きから本番まで200時間位掛けてます。
さらにネタ元となる体験を積むのに、桐生に来てからの6年、その切っ掛けとなる病気や転職期間をいれると約10年掛けたわけです。
セルシオの開発期間より長い。
こういう、
経済的に一見全く割に合わず、
しかし自分の魂が求める、
そして宇宙視点で見た場合やったほうが良いこと、
そういう仕事、これも
『魂業』(※前ブログ参照の事)
今日も梅田のゴミ拾い(魂業)してる。
さて桐生の人はご存知でしょうが、梅田湖の一角にある日当たりも展望も良いのに塩漬けにされていた土地、「梅田台緑地」 を開発して大規模公園化することが決まりましたな。
今は渡良瀬川の草木湖まで行っている人たちも、だいぶこちらに流れてくるようになるでしょう。
これでようやく梅田の集客力も上がり、オレがずーっとあちこちで誰にでも言っていたように、
「桐生の街並みと、梅田の自然のセット売り」
で、桐生も他所の人を引っ張ってくることが出来る、より魅力のある街になっていきます。
「オレは 『はなさか爺さん』 だから、住んだ家は資産価値が上がるし、周辺は雰囲気が良くなって、地価も上がる」
という話をしたのを覚えておられますか。
このあいだ町会の副会長の奥さんにもそう言われた。
またその通りになったでしょう?
この公園を引っ張ってきたのはオレです。
誰かが陳情した?
ダム建設時からの揉め事が決着ついた?
違う! 木村政彦級のオレの「念」です!
念を込めて、市長にも、副市長にも、保守派・革新派の市議たちにも、町の有力者達にも、ずっと説いてきたんです!
そして綺麗にし続けてきたんです!
この、
「梅田台緑地公園化」
のニュースを見た時、ちょっと 「シマった!」 と思いもした。
でもいいです。
まさに桐生での最後の仕事が出来ました。
完成した公園を見てみたいとも思わないです。
だってオレの心の中に、もうそれは出来ているから。
なんでこう思ったことがオレはホイホイと出来ると思います?
秘訣はあるんです。
はっきりした秘訣があるんです。
・・・
・・・
・・・

(ハトのお嫁さん8巻)