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2014年12月24日 イイね!

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・8

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・8


自分を愛する。


自分を認める。


自己信頼。





それが無いと、他者を認める、世界を肯定することもままならない。


つまり感謝することがままならない。





感謝の感情の湧く状態こそが幸福である、がオレの幸福の定義ですが、それに従うと



「自己信頼が無いと幸福になることもままならない」



ということになります。






 

考えてみれば、自分を認めない、自分を愛さない、そんなことは許されないし、許さない、という意識でいて、


「でも自分で幸せになりたいと思っている」


というのは不思議な話です。




「だから、誰かに幸せにして欲しいと思っている。 誰か私を認めて、愛して、許して」


というのなら話は通じますが・・・。



高速道路の制限速度は100キロなのに、速度リミッターは180キロで効くようになっていることを国が許していることくらいに不思議です。







「ラッキー!」 と感じるようなことがあれば、その時は幸せを感じ、


「アンラッキー・・・」 と感じるようなことがあれば、その時は不幸と感じる。





それでは受け身のまま、成り行きに翻弄される状態が続きます。





だからほとんどの人は 「不安」 の中に生きていて、不安だからこそ絶えず 「不足」 を訴えているのです。









そう、



「不足を訴える」


つまり感謝していない、不安の中にいる、不幸な人は、


自己信頼が無い、自分を愛していない、自分を自分自身で認めていないから、


「不足を訴える」



のです。







仮面ライダーのバイク、サイクロン号のブレーキはドラムブレーキでしたが、仮面ライダーがそのことについて不足を訴えると思いますか?







仮面ライダーはそんなことは言わないでしょう。


同じ様に 「バットモービル」 のリアサスがリーフリジッドだったとしても、バットマンはどーこー言わないでしょう。






そう、自分自身がスーパーマンだと認めているなら、足回りのアーム類がアルミでなくなっていたって、デュアルクラッチではなくシングルクラッチだったからって、文句を言う気になどならないのです。









自分自身を認めることが出来ていれば、自分の子供の能力に不足を感じることは無いのです。


自分を愛せていれば、伴侶を鬼嫁などと呼ぶことは無くなるのです。



自己信頼があれば、マスコミも、政治も、社会も、起こる出来事全てを肯定して、自分を今すぐ活かせるようになるのです。








『しかし大人は、自意識によって牢獄に放り込まれたようなものだ。

その行いや言葉が称賛を浴びることにでもなれば、たちまち囚われの身となり、共感や反感を抱く何百人もの人々の目にさらされて、今度は自分がどう思われるかを気にしなければならなくなる。


人は彼の掲げる旗印に新しい支持者が加わるほどに弱くなる。

・・・ラルフ・ウォルド―・エマソン』







『善や悪はただの名目に過ぎない。

正しいものはただ一つ、私の性質に従っているものだけだ。

不正なものはただ一つ、私の性質に逆らっているものだけだ。

・・・ラルフ・ウォルド―・エマソン』


この一文から、多くの思想の流れが生み出されていて、その中には「神の言葉」とされているものもあります。


だからあえて自分までが書くことのなのか、考えたこともあるのですが、さまざまな段階に合わせた、多くの入り口があった方が良いに違いないという確信から、書き続けてきましたし、書き続けていきます。





何度か書いていますが、 「善」 や 「悪」 というものがただ存在するということはありません。



自分の目的に対して、「善」 であり 「悪」 があるというだけです。




楽にハンドル操作をしたい、という目的から見ればパワーステアリングは善であり、


純粋に操作を楽しみたい、という目的から見れば悪です。








自分を認めずに、不足を訴えることが 「悪」 だとオレは責めたいという話ではありません。


そんな危険なことをしなければならないと感じる理由はオレにはありません。








好きな車に乗る、ホイホイと好きなことをしていきたいのであれば、そういったことは


 「悪」 


であり、避けなければならない、という話ですこれは。








いくら不足を訴えたところで、何もそう変わりはしません。



「金が無い」


と不足を訴えて、


「じゃあ給料上げてやるよ」


と言われた人はいるのでしょうか、いないでしょう。



せいぜい出先で知人から、缶コーヒーか食事をおごってもらえた程度ではないでしょうか。

それを3回やったら、交友関係に影が差すでしょう。








「政治が悪い、社会が悪い」


と言うのにしても、それで良くなるのでしょうか?


そもそも一体いつ何処の時代と比べて 「悪い」 と判断しているのでしょうか?


オレも満員列車のなかで、週刊誌の中吊り広告を見上げていた頃は、政治も社会もなんて悪いんだと思っていましたが、こちらに来て市議会・県議会・国会議員と知り合う機会に恵まれてみると、みんな支持者個々人の我儘を上手く抑えながら、皆にとってベストと思う方向に何とか持っていこうとしている人ばかりでしたけれどね。

少なくともオレが会った範囲では。



それぞれが、自分の頭の中に描く政治や社会と違うと感じたというだけで、政治も社会も、今迄もこれからも、常にこんなものはないでしょうか。








その中で


「自分がどう変わって、何を次々にしていくか」


というゲームです、これは。









そう、


「世界の『悪』を指摘して変えることはなかなか出来ないが、自分が変わることはすぐに出来る」


そう考えることが、好きなことをしていく上では


 「善」 


なのです。








変わることは、すぐに、出来ます。



今すぐに自分自身を認め、

他者や世界を肯定し、

感謝する。




感謝とは、意識を向けた対象から、自分を最も活かす最良の部分を切り出すこと。


切り出した自分の最良の部分を、与えられた環境の最良の部分を活かして輝き、世界を明るくする、それは、すぐに、出来るのです。




世界に明るさが足りないと思うなら、すぐに、やってください。








変身の時が来た!


仮面ライダーなり、バットマンなり、海阪 譲なりになる時だ!



(つづく)




































ところが、どこかしらもう既にスーパーマンな人しか、最近はもうここを見ていないですな。


それが今感じる自分の限界。

必要な人に、届けられていない。




「やってみせれば分かってもらえる」


と考えていたけれど、


「やってみせてもダメな相手にはダメ」


ということが、この数年の 「人生という実験」 の結果から得た学びの一つです。




ただそれが悪いことというわけではなく、


「ではどうしよう?」


と考えているところです。




(つづく)
Posted at 2014/12/27 20:14:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記
2014年12月23日 イイね!

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・7

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・7 次の住居はトレーラーハウスをメインにするつもりなので、荷物を減らすために物を処分し続けています。


オレはもともと持ち物が少なかったのですが、さらにバサバサ捨てています。


今は、お店の飾りとして置いているラジコン類を除けば、自分の荷物は衣類が衣装ケースで2個、その他が中型ダンボール2個、といったところまで来ています。



昔、サンバーバンに持ち物の全てが収まったらカッコいいと思っていましたが、自分一人であれば、もう達成出来てますね。




賞状やトロフィー、免状は既に捨てていて、また必要あるかもと思っていた防具やグローブ・ミット類も捨てました。


道着も、所属が変わっていることで何種類かあった黒帯も、みな捨てました。




「段位」について、自分の中では30代になって新しい稽古方法で腕を上げた時、ようやく10年以上前にもらった三段の壁を越えて四段だな、と感じました。


その後、ここで一本独鈷で道場を運営し、わりと起こる様々な問題を乗り越えた時、あぁ今なら五段位だな、と思いました。



人は 「お山の大将」 をよく馬鹿にしますが、お山の大将には、お山の大将にしか分からない苦労が沢山あるものです。

自分が最終防波堤ですから。



だからその後、上部団体に加盟することになり、そこから五段を頂けることになった時、自分の中で違和感が無かったので抵抗無く受け取れました。










今、改めて思うのは、


『自分の価値を決めるのは自分だけ』


ということです。





それを人に決めてもらおうなんて、もう自分は全く思いません。


自分が決めなくてどうする?



自分が何段かなどということは、自分の基準で、自分で決めれば良いのです。




自分で自分の価値を決めることを 「恥」 だと思っている武道の世界。


気持ちの上ではそこから離れていたものの、「物」が残っていることに気付き、良い機会なので全て処分しました。






オレも昔はアメリカ人の 『武道家』 で、


「自衛武須流空手 創始者 ジェームズ・ワトソン十段(自称)」


みたいな人が、アクション映画の様に派手なだけの創作型を演武しているのを見たりすると、こういうのは本当に 「恥ずべきこと」 だ、我慢ならんなと感じたものです。




が、今はその 


「自己信頼」


の精神が素晴らしいと、皮肉でなく思います。



さすが、ラルフ・ウォルド―・エマソンを生んだ国だなと。






自分もグローブを捨てて、でも畑は耕しませんが、現代の内蔵允として、


「人の心の畑を耕す」


大事な仕事をしていきます。



そのことを宣言します。










みんなが自己認定で勝手なことを自称し始めたら、社会が混乱すると心配しておられるのですか?





自分に対する自分の認識が、良くも悪くも不当なものであれば、その時は、


 「天」 


が必ず調整してきます。




だからオレは心配しません。


そして、全く怖くないですね。






こういった自己信頼がないと、自由に好きなことは出来ません。






自分を認めること・・・


自己信頼


自己愛


自分を愛すること。





やはり最後はここに行き着きます。







しかしここに着いた頃には、殆どの人は見てない振りをするのですわ。








聖書のレビ記19章18節に、


「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」


とあります。


のちにキリストがここを引用して問答する有名な場面があることもあって、広く知られた言葉です。





しかし自分自身を、今そのままで愛せている人は殆どいないのです。



だから、隣人を愛せない。



「今そのままでは愛せない」 と言う。


「お前はあれが足りない、ここが違う。 あれがあったら、ここが変わったら愛するよ」 と言う。



そんなものは愛ではない。






持っていないのだから、与えられない。


自分を認めていないのだから、他者を認められない。





一方で、自分自身ではなく、他者に自分を認めてもらいたい。


その時に自分を認めようと思っている。



しかし、自分自身を認めていない人間を、他者が認めるということは決してない。








何故なら、他者が自分を認めたということも、結局は自分自身の認識の産物でしかないからです。







あなたが自分自身を認めていなければ、町中の人が平伏して


「私たちはあなたを認めます!」


と言ったところで、 



「これは大がかりな 『ドッキリ』 か何かに嵌められかけているに違いない」


とキョロキョロするのがオチでしょう。









答えは出ています。


今このままの自分を、自分で認める、まずはそこから始めるしかありません。











するとそう、


攻撃されるでしょう。





間違いなく、あらゆる形で、社会的に殺してもいいくらいの、激しい攻撃を受けるでしょう。




「自分で自分を認める? 笑わせんなよ?w」


「本気なのか? 悪ふざけは止めろよ」


「・・・けしからんな、罰が必要だな」


「そんな 『悪い』 奴は! 殺してもいい!」





皆さんもそれを知っているはずです。

加担したこともあると思います。 オレもあります。


だから怖くて、出来ないでしょう。


分厚い壁です。







でも、そこを突き抜けていかないと、好きなことは、こうやって好きなことを書くことも、出来ないのです。




好きなことをするって厳しいですね。



でも実際に殺されるまで行くことは稀ですし、いつかは必ず死ぬわけですから。








時間は、考えている以上に限られています。



オレなんかも若いといっても、 


「冒険」 


と、やっていることを周囲が捉えてくれたり、自分自身がそう感じて楽しめるのは、たぶんあと数年です。

生きるだけなら、あと80年は生きるでしょうが。





今でももう既に、電車で若い女の子に声を掛けたとしたら、それはナンパには見られず、セクハラか犯罪の臭いが漂ってしまうようにはなっているわけです。








歳をとることは素晴らしい。



年代ごとの良さ、楽しみがあります。



でも一度通過してしまうと、そこへはもう戻ることは出来ません。





だからこそ今の自分を、今すぐにそのまま認め、今の時間を逃さず謳歌して欲しいと思って、力が入ってしまいますね。


(つづく)






Posted at 2014/12/23 19:06:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2014年12月20日 イイね!

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・6

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・6 この話は、


『感謝、感謝することの何が具体的に良いのか』


『しかし何故に感謝することは難しいのか』


その点について書いているものです。











4.自分を認めること







あなたは自分を認めることが出来ますか?


出来ていますか?





これが分厚い 『感謝の壁』 です。




自分を認める。


とても、難しいことです。



しかし、これが出来ていないと、自在に心から感謝をすることは出来ません。


義務的に、

「感謝だ!感謝だ!」 

と自分に強要するか、何か 


『超★ラッキー』


っぽいことがあった時にだけ、

「ありがてぇ、感謝だわぁ♡」 

と言えるだけでしょう。




常に、自分自身を含めた、意識を向けた対象から、自分を最も活かす最良の部分を切り出していくことは出来ないのです。



好きなことを次々にしていくことは出来ないのです。


好きな車に乗ることすら、大騒ぎなのです。








1・苦しみ否定

2・『正義』 否定

3・世界を肯定すること

4・自分を認めること




2.の 『正義』 に惑わされてしまう事も根深い問題ですが、時間が解決してくれる部分があります。


人は常に「正義」の旗印の元に操作されてきていることに、「正義」にエネルギーを注ぐほど、その分早く気付きやすくなるものだからです。


もっと言うと、年老いて膝もろくに上がらなくなって来た頃には、そういったことへの興味を自然と失っているでしょう。





1.の 『苦しみ』 を手放せないことも、多くの場合は時間が、長い時間ですが、解決してくれることがあります。


やがて苦しみに耐えられない体になっていくからです。

(最後まで苦しむことを捨てられずに、苦しい治療を受け続けながら回復せずに死んでいく人も多くおられますが)




とはいえ、時間の経過によって 「正義」 や 「苦しみ」 を手放すことになった場合、その頃には好きなことは出来ない心身になっているでしょう。


その時に代わりに身に付けているのは、きっと捻くれた卑屈な精神です。




ですから、


「自分で意識して手放す」


ということが、やはりどうしても必要になってきます。






一方で、


4.自分を認めること


死ぬ間際になって、若干ヤケクソ気味に自分を、自分の人生を肯定するといったケース以外では、時間が解決してくれることも無いように思います。





また、


4.自分を認めること 

と 

3.世界を肯定すること


には複雑な関連があります。





多くの人は、


「人は他者(世界)から認められた時に、自分を認める」


そうしようとしています。




もしくは、


「他者(世界)の基準で、自分を自己評価しようとする」


この二通りです。




自分で自分を認める、自分の基準で自分を評価するなど、とんでもないことだと思っています。





しかし自分を認めることが出来ていない人は、同時に、


「他者(世界)のことも心から認めてはいない」


ものです。




何故なら、


「究極的には、人にとって何よりつらいことは、他者の方が自分よりも優れている (神に近い) と感じること」


だからです。




自分を認めていない人間が、他者を 「認める」 というのは、考えてみればおかしな話でしょう?






「お前は速いな!」


そうサラッと言える人は、


「でもオレだって速いぜ」

「でもオレだって昔はそれ位速かったぜ」

「でもオレだって必ずそれくらい速くなってみせるぜ!」


それか、

「でもオレはモテるぜ」


そういった確信、自分を認める部分があるからこそ、そう言える、相手を認めることが出来るわけです。




しかし自分自身を自分で認めることが出来ない人は、それが出来ず、


「奴はマシーンに恵まれているから」

とか、

「あいつみたいに小さい頃からカートに乗ってりゃ誰だって・・・」

とか、

「そもそも世の中スタートの段階からして不公平なのが問題で、まず現在の社会のシステムを・・・」


とか、匿名系のコメント欄ではよくこういった「批評」をよく見ますね、他者を認める、世界を肯定することが出来ません。





これは深刻な問題です。


自分を評価した相手を、他者を、世界を、自分が認めていないのですから、他者(世界)に認められた、その基準に適ったと自己評価出来たいっても、それはそれで深い喜びを得ることが出来ません。



評価していない相手から評価されても、それほど嬉しくはないでしょう?



それでも、自分が何故満たされないのか、わからないまま、また同じ様に走り出してしまうのです。




つまり、ゴールに辿り着けないようになっているのです。






ですから、今この瞬間から、状況に関わらず、まず自分自身を認めなくてはなりません。


それも自分の基準でです。


どんな、どんな状況にあってでもです。



「自分自身をまず認めること」


が必要なのです。






少し脱線しますが、


これは 「時間とお金」 の関係によく似ています。



人はよく 「時間とお金があればやってみたい」 と言います。



それが本当かどうかはともかくとして (まぁ本当に時間とお金があればやってみたい程度のことなのでしょうが)、しかし殆どの人は


「自分の時間を切り売りしお金に変えている」


ため、何時までたってもその二つを同時に手に入れることは出来ず、結局出来ないままで終わってしまうことが多いわけです。


ジレンマと思われている部分です。




少し昔であれば、定年まで頑張り切れば、そのあと好きなことにお金と時間を回せる状況に至る人は割とおられたのかもしれません。

今もまだそうですね。


でもこれからは違ってきます。





とはいってもオレは悲観は全くしませんね。



オレが小さい頃は、男性は70歳を過ぎたら、見た目からして


「さぁ、いつお迎えが来るのやら」


といった感じでしたが、最近ではその位の年齢の人を見ても、


「確かにあと10年は持つだろうな」


という人が凄く多くなっています。




「時間」 は確実に多く手に入れられるようになっているのです。



「時間とお金」


どちらに価値があるといったら 「時間」 です。





また昔の人は今の人以上に不自由な 「考え方」 が染みついていました。


今の人もやたら不自由な考え方をしているとオレは思っていますが、間違いなくそれ以上でした。




「考え方」 が自由になっていないと、お金と時間があっても


「悪い出来事や不足への備え」


くらいにしか使えないですから。




実際に 「定年まで頑張ったから今は好きなことしてま~す」 って罪悪感も感じさせずにサラッと言う人に会うこと、どれくらいあります?





だから、今のように 「考え方」 の幅がどんどん広がっている時代、そして 「時間」 が増えている時代を生きられている方が、オレは豊かで自由だと思いますし、まったくもってありがたいですね。


エンジョイさせてもらいます。






これが感謝です。



「幸せなら手を叩こう」


って歌がありましたが、手を叩いたってしょうがない。




幸せなら、つまり感謝を感じているなら、自分の命を、与えられた環境を活かしきって、輝いてくれ、


「世界を明るく照らしてくれ!」


ということです。







今回は、


「4.自分を認めること、これが出来ていないと 「3・世界を肯定すること」 も出来ない。

そして感謝することもままならない」


についての説明でした。



次回は、


「ではどうやって自分を認めていくか、そもそも何故自分を認めることが出来ないのか」


といった話になっていきます。



(つづく)







Posted at 2014/12/21 18:21:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記
2014年12月17日 イイね!

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・5

 好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・5

この話は、


『感謝、感謝することの何が具体的に良いのか』


『しかし何故に感謝することは難しいのか』


その点について書いているものです。











私はこの土地に対しても感謝で接してきました。




「感謝とは、意識を向けた対象から、自分を最も活かす最良の部分を切り出すことである」



だからこそ、最良の機会に恵まれ続け、最良の自身となり、最良の働きが出来るのだ、と書きました。



これに納得がいかない場合は、


「自分を最も活かす」


とはどういうことか、そこを掘り下げて欲しいと思います。



そうしてきた結果、6年の間にそれ以前の人生で行ってきたことの、何倍ものことが出来ました。


むしろこちらに来て、私は 「やっと本当に生き始めた」 のです。








私は真剣にそう思っていますが・・・


その私にとって、KTサンバーに乗るということは、この土地で過ごした時間を象徴するような行為でした。




簡単に言いますと、


「周囲の不理解と戦いながら、それでも自分の価値観に従って進む」


という行為の象徴でした。




周囲というのは距離的に近い人というよりも、精神的に近い存在ということになります。













何故、感謝することは難しいのか?





それは周囲から、


「感謝させない力が常に働き続けている」


ということがまずあります。








「感謝だ、感謝。 感謝しろよ」


と人は言います。






しかし言葉は変えてありますが、その何倍も、反対の意味のことを言われていることでしょう。





「お前は足りない、そんなことでどうする? もっと走れ! もっと! もっと! もっとだ!!」


と。










恐れがそう言わせるのです。


相手は不安なのです。







ミンカラでもよく見ますがね。




「国内専用車を出してくれたのはまぁいいけど、CVTだけってなんだよ?


そんなことでそうするんだ?


ドイツ勢との差がますます開いてしまうよ・・・  やる気あるのか!?


あぁこんなことでどうするのやら・・・。


いやいや、オレはお前のことを心配しているからこそ言ってやっているのだぞ!」











「足りない!足りない!足りない!足りない!」








不足に焦点を当てながら、同時に心から感謝することは出来ません。




でも生まれてからずっと、もうそういうのが ぐわっちり と染みついてしまっているんですよ。













『感謝出来ないのは、感謝させない力が常に働いているから』



しかしそれは表面的な問題です。





本当の問題は



「そういった力に抗うだけの自分自身の価値観を持てていない」



何故なら、




「自分自身を認めることが出来ていないから」




ということです。









1・苦しみ否定

2・『正義』 否定

3・世界を肯定すること

4・自分を認めること



1・苦しまないでください。

2・『正義』 に惑わされないでください。

3・世界の良い所に目を向けてください。

4・自分の良い所を見て認めてください。






4.自分を認めること


これが出来ていないと 「3・世界を肯定すること」 は出来ません。







そう、これが出来ていないと、感謝することもままならないのです。





あなたは自分で自分を認めることが出来ますか?





これが 『感謝の壁』 です。





(つづく)



Posted at 2014/12/17 22:09:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記
2014年12月10日 イイね!

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・4

好きな車に乗る方法 感謝の意味と壁・・・4先日、身寄りも何も無かった今の場所で田舎暮らしを始めてから、丸6年が経過しました。



その6年で、


「運命を変えた買い物」


だったなあれは、と思う物の上位3つをあげてみるとこうなります。





【第3位】

『ボディメーカー セーフティヘッドガード』


 (画像はネットから)


これはもう廃盤になっていますが、3,000円という実勢価格からは考えられない衝撃吸収力と使い勝手を持っていました。


これが無ければ、スポーツクラブ内のお遊びレッスンから始まった稽古を、本格的な稽古会に変えていくことは出来ずに、その後の学習塾への発展、そこから先への展開も無かったと思います。


みんな使った経験が無く、品質の差が分からないヘッドガードにポンと払ってくれるお金は、3,000円程度がやはり限界でしたから、これが当時は売られていたことは本当に助かりました。






二位は無く、同率一位です。



【第1位】

『リョービ 充電式インパクトドライバー』



初めて買った本格工具です。


これが無ければ、KTサンバーをキャンピングカーすることが出来ず、何処にも出掛けないままでいて、物事がほとんど進んでいなかったかもしれません。

そして庭に簡単にドックランを作ることが出来るなど夢にも思わなかったでしょうから、ブロック塀に囲まれていたおかげで犬を放せた市街地の借家から、何時までも出ようと思わなかったかもしれません。


お店の内装も殆どこれで作ったのですが、これが無ければお店を始めることについても、もっとハードルを高く感じたでしょうね。


また車一台が入る車庫位はすぐに作れるだろうという気になっていなければ、アルシオーネを迎え入れようとも思わなかったと思います。






そしてこれらの経験が無ければ、


「何処に行っても大丈夫」 


という、今の確信も育たなかったでしょう。




インパクトドライバー・・・。


なんと素晴らしい道具なのでしょうか。









そしてもう一つの同率一位が、やはり




『スバル サンバー』


となります。









感謝の意味は私の中ではこうなっています。


「感謝とは、意識を向けた対象から、自分を最も活かす最良の部分を切り出すことである」


だからこそ、最良の機会に恵まれ続け、最良の自身となり、最良の働きが出来るのだと。




と書きました。





私はサンバーに対して感謝で接しています。



サンバーの性質・特質から、自分を最も活かす部分を切り出し、



それを活かして自分が考える最良の機会に恵まれ続け、


自分が考える最良の自分となり、


自分の考える最良の働きが出来ているのです。



ありがとう、サンバー。










しかし、これが分かってもらえるのは、ここがミンカラだからです。



私がサンバーに乗ることには、常に壁が立ちふさがり続けているのです。



それが、


「感謝の壁」


です。



(つづく)






Posted at 2014/12/10 16:35:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 好きな車に乗る方法 | 日記

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