2012年10月11日
どうも。m(__)m
今日はライトノベルみたいな、ドキュメンタリーみたいな、そんな感じでブログを書いていこうかと思います。
かなり長くなることが予測されるのと、拙い文章であることを了承の上お進みくださいませ。
☆プロローグ ~はじめてのかみこうさく~
「わぁぁ・・・」
目の前を駆け抜ける鉄の塊。
幾つも連なって走るそれを、鉄道とか、電車とか言うらしい。
"ぼく"が見たそれは、「さいきょうせん」とかいう通勤電車のようだ。
新幹線のように速くは無い。
でも、なんだか強そうな名前で、「緑」ではなくエメラルドグリーンの帯をまとったその電車に、ぼくは少しずつ惹かれていった・・・。
ある日両親に連れられてデパートに行ったとき、たまたま見つけた「さいきょうせん」のプラレールがどうしても欲しくて、2人にお願いして買ってもらった。
ぼくはそれから、電車のおもちゃがすっかり大好きになってしまった。
数日後、家の近くにあるデパートで、ぼくはおもちゃに釘付けだった。
またおねだりしたら買ってもらえるかも。そう思って必死に親にしがみつくことを繰り返した・・・。
日が経つにつれ、徐々に電車のおもちゃが増えていき、おもちゃ箱がいっぱいになった。
ぼくにとって厳しい父親は、その中身を捨てると言い出して、買い物に出かけても、おもちゃを買ってくれなくなった。足にしがみついたり、泣き喚いても無駄だった。
欲しい欲しい欲しい・・・
我慢できないのは、小さかったからか。それともそういう子なのか―。
・・・父さんの部屋に入る。
まだ後ろに大きく伸びて邪魔くさかったPCの画面。
なぜだろう。ふと覗いてみると、電車の絵が目に入った。
それは、正確に言えば絵というより、展開図だった。
「これなぁに?」
面白そうだったから聞いてみた。
「これは印刷して作るんだよ。」
「いんさつ」がなんだか分からなかったが、父さんは「いんさつ」したそれをぼくにくれた。
使い方を覚えたばかりのはさみをぎこちなく握って、セロハンテープでぺたぺたと紙面を貼り付ける。
のりなんて知らなかった。ただただ、箱状に組み立てた。
当時4歳。それが初めての「ペーパークラフト」。
ここから、現在の"俺"は出来上がっているのだと思う。
☆第一章 ~シマウマみたいなくるま~
数年経ったある日、ぼくは引っ越すことになった。
住んでいるマンションから双眼鏡を使って見てた「さいきょう線」も、ちょっと遠くなってしまう。
何枚も「いんさつ」して作った小さな電車のペーパークラフトをフロッピーケースに入れて、ぼくは家を出た。
新しい家は、祖父母の家だった。
ぼくの為に買ってくれたという電車のゲームと専用のコントローラーに夢中になった。
小学校が終わって、時間があればテレビに向かった。
散々電車のゲームで遊んで、そろそろ飽きてきた時。
ぼくは棚にひっそりと入っていた「くるま」のゲームを見つけた。
当時のぼくには難しい内容でつまらなかったけど、暇つぶしで遊んでいた。
そんな時、家に訪れていた親戚のおじさんが、ぼくにゲームをくれた。
赤くて「えいご」がたくさん書かれたパッケージで、何のゲームか分からなかったが、一緒にくれたハンドルコントローラーを見るに、くるまのゲームだった。
ゲームが大好きな年頃で、ワクワクしながら起動した。
オープニングムービーを見て、その迫力に惹かれた。
でも、ぼくには「くるま」の違いがわからない。ゲーム開始直後に選べるくるまは2種類しかなく、数字(性能)を見て、「シマウマみたいなくるま」を買った。
とりあえずレースをしてみるが、CPUは強くて勝てなかった。つまらなくなって、そうそうに勝つことをあきらめた。
「こんなのかてるわけないじゃん!このゲームむずかしくてできないよ!」
母さんと一緒に中古本を扱うお店に来た。ゲームも売っていて、ぼくはそれが目当てだった。
母さんにおねだりして、1本のとあるゲームを買ってもらった。タイトルは、「しゅとこうばとるぜろ」っていうらしい。
最初におじさんにもらったゲームよりおもしろくって、何度も遊んだ。
いつからか、最初に見た「シマウマみたいなくるま」のことを、少しずつ忘れていった。
「あ!」
数日後、再び本屋に来て、思わず声を上げてしまった。
あの「シマウマにたいなくるま」のマンガを手に持ったお兄さんを見たからだ。
店内を探し回ってそのマンガが置いてある場所を見つけて、母さんに買ってもらった。
あの遅かったシマウマが、速そうな「すぽーつかー」をたくさん「どりふと」で抜いていく・・・。そんなマンガ。
周りの友達は、みんなヒーローになりたがるように、ぼくはこのマンガの主人公になりたかった。
そこで、最初にもらったあのゲームを思い出した。
「ぼくもたくみみたいになりたい!!」
灯が付いた。
ぼくはあのゲームを再びやり始めた。あのシマウマみたいなくるまを使って、レースに勝ちたかった。
でも、そう簡単ではなかった。
負けず嫌いなぼくは、泣きながらレースをした。
そこまでしてでもやる理由はただひとつ。憧れにも似た、藤原拓海のドリフト。ゲームの中でもいいから、ぼくもやりたい。レースで勝ちたい。ただそれだけだった。気がつけば、シマウマみたいなくるまは「パンダトレノ」に、電車のゲームを飽きるほどしていたぼくは、今度はハンドルを握って飽きるほど毎日くるまを走らせた・・・。
ゲームを進めるたびに、マンガを読み進めていくたびに、藤原拓海と「ハチロク」に惹かれた。
ぼくのなかでハチロクは「さいきょう」だった。
☆第二章 ~かみ+ハチロク~
欲しいおもちゃは、プラレールなどの電車から、"車"に変わっていった。
けれど、プラモデルも作れないぼくにとって、特に欲しかったハチロクのおもちゃは見つけられなかった。
買ってもらえないならまだしも、そもそも商品がないというのはどうしようもないことだったが、フロッピーケースの中で転がる電車のペーパークラフトを見て、「これだ!」と思った。
・・・一件のとあるハチロクオーナーさんのサイトにたどり着いた。
単純だが、「ハチロクのペーパークラフト」と検索したら引っかかったのである。
「頭文字D仕様」のハチロクもペーパークラフトにラインナップされていて、たくさんダウンロードして組み立てたが、これには限度があった。
「イメージとちがうかも・・・」
なんとなくだが、引っかかるものがあった。
マンガやゲームで見たハチロクと、このペーパークラフト。大きさ、デフォルメ・・・どこと無く「もっと良いもの」が欲しくなってしまった。
ダウンロードしたものを30台は組み立てただろうか。そこで決心して、今度は、自分のイメージに合うものを見つけるべく、またハチロクのペーパークラフトを探した。
しかし、いくつかヒットしたものの、理想のものは見つからなかった・・・。
小学校の図工の時間。
紙を使って、自分の好きなものを1から作っていく。
そのときはなんとなく、何も考えずに工作をしていたが、ある時、唐突に閃いた。
「無いなら、ぼくが作ってやる・・・!」
ここからぼくの、一枚の紙から理想のハチロクを作る道がスタートした。
・・・しかし、その道はかなり険しかった。
鉛筆描きの展開図はもちろんダメ。小学生が手描きで作った展開図など、とてもではないがネットで見つけた「あの」ペーパークラフトには届かなかった。
運良くたまたまぼく専用のパソコンを手に入れたものの、まずどうやって作るのかわからない。
その手のツールなんかはきっとこの世に幾つも存在するのだろうが、まだ漢字も少ししか分からず、「えいご」なんてもってのほかだったぼくに、その手のことはさっぱりわからない。
なんとかWindowsの「ペイント」を見つけ出すも、それだけだった。
そんな中、もしかしたらぼくの調べ方がまだ足りなかったのかもしれない・・・。
そう思ってペーパークラフトを探しているとひとつ、気になるものを見つけた。
手のひらサイズの車のペーパークラフト。
展開図も比較的シンプルで、ぼくにも組み立てられるレベル。
そしてなにより目を引いたのは、それをベースに展開図をカスタムして、自身の好きなように組み立てている人がたくさん作品を公開していたのだ。
「ぼくにも組み立てられる」
「カスタムしている人がたくさんいる→カスタムしやすい」
現に、ここまでベースの展開図を改造しているものは他に見なかったし、何より、「ぼくにもできそう」というのは、すごく良い条件だった。
「これだ!!これならきっとできる!!」
光が差した、と思った。
☆第三章 ~トライ&エラーから・・・~
幸いなことに、展開図の編集は、「ペイント」でできることがわかった。
これでやっと展開図をカスタムすることができる―!
何度も失敗を繰り返し、紙とインクを使った。
父さんのプリンターを使って「印刷」するのだが、あまりにも回数が多いため、ついに禁止になってしまった。それでも作り続けた。紙とインクは"おれ"がお小遣いで買うことを約束した。
でも。
イメージどおりにいかなくて、悔しくて泣いた。
時には原点に返って、「埼京線」のペーパークラフトも組み立てた。電車のさいきょうがこれなら、車のさいきょうはハチロクだ。そう思って、「さいきょうの車を作る!」。意気込んだ。
他人の作品を見た。自分の作品が惨めになった。
実車と比べてあまりの違いに絶望した。「もう嫌だ!」と、涙を流して放り投げた。
車の絵も描くようになった。平面しか描けなかったが、これでペーパークラフトで再現できない悔しさを発散した。
やっとのことで手にしたハチロクのミニカー、雑誌、ネットでの写真。少しでも実車のハチロクに近づけるため、時間さえあれば資料になるものは何でも手にし、カスタムを繰り返した。
・・・しかし、やっとのことで組み立てた「はちろく」はバカにされた。家に来た友達に笑われた。
弱々しく何とか形を保っているそれは、ぼくの今までを踏みにじるかのように踏み潰され、一瞬にして燃えるごみになった。
・・・そのたびに悔しくなった。
「はちろく」を潰したやつに喧嘩を売った。ぶん殴った。殴り返されて泣いた。
弱かった。作るものも、ぼく自身も・・・。
・・・気がついたら、それから5年の月日が過ぎていた。
"俺"の「ハチロク」は、周りの友人に聞いてもハチロクと認識してもらえるようになった。
失敗を繰り返すうちに、他の車も改造して作れるようになり、ある程度のクオリティーに仕上げることができるようになった。
そのころから俺は、ペーパークラフトのベースを公開していた「あの」サイトに、見る側でなく、改造した作品を投稿する側になった。
掲示板にも書き込みをして、ペーパークラフトを改造している他の人たちに作品を見てもらった。
足りないところをアドバイスしてもらい、少しずつ完成度を高めていった。
逆に自分が分かることをアドバイスし、お互い技術に磨きをかけた。
展開図のボディー面に影、艶の表現を始めた。完成した作品を投稿した時、新たな表現方法に皆が驚いてくれた。それをやがて何人もが実践し始め、広がっていった。
1色だけで仕上げられていたボディーは、時間が経って約15色での表現になった。
光沢の無い紙の表面だけで、凹凸を再現できるようになった。
そして気がつけば、3Dのようだと言われるようになった―。
☆最終章 ~点が線になるとき~
暑かった・・・。
これから夏本番に向かうころ、"俺"はみんカラに登録してから1年経ったことに、時間の進む早さを感じていた。
今日も学校へ通い、肌にまとわり付くシャツを脱ぎながらパソコンのメールチェックをする。
あの時親父のパソコンでペーパークラフトを見つけてからもう13年が経った。
ハチロクへの憧れはいまだ途切れることなく続き、今度はゲーム内だけではなく、真剣に実車を所有したいと思うほどだ。
それだけあの"クルマ"との出会いは衝撃的で、こうしてたくさんのクルマを知って、今尚クルマ好きでいるのも、そしてペーパークラフトを続けているのも、間違いなく最初にハチロクと出逢ったからこそだと思っている。
そしてきっとそれは、これからもさらに続いていくんだろう・・・と―。
「無いなら、ぼくが作ってやる・・・!」
その思いで始めたことが、とあるペーパークラフトサイトの掲示板で―、GT5で―、みんカラで―。
少しずつ、少しずつ広がっていった。
・・・新着メールを知らせるアラーム。
知らない方から、みんカラにメッセージが届いたようだ。
早速サイトに接続して内容を確認する。
・・・驚いた。
送り主の方は、どうやら俺が製作したペーパークラフトを販売されている商品だと思ってくれたようだ。
「ついにここまできたか・・・。」
自己満足でやってきて、まだまだ小さい俺のペーパークラフトだけど、こういうこともあるんだ・・・。
俺が作ったもので人が喜んでくれること。それはきっと、この上ない幸せ―。
2012年7月24日。
この日は、約9年間にわたって俺が製作したハチロクのペーパークラフトに、ついに価値が付いた記念すべき1日。

END
Posted at 2012/10/11 20:59:35 | |
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