
GT-Rは2002年。8月を持って生産終了となった。
JGTCは直6名機RB26DETTに決定的な欠点、重量が露になりスープラ、NSXに水を開けられていた・・・・
結果シーズン途中V6エンジンVQ35DETTを搭載されることとなったがとうとう1勝も出来ずに終っていた。
2003年。日産は必勝体制のもと新たに変更となったレギュレーション、前方投影面積を利用し、第1戦から#23ザナヴィニスモGT-Rが参戦。エッソウルトラフロースープラに敗れるものの第二位というまずまずの成績で第2戦富士を迎えた。
この富士から#22モチュールピットワーク、#12カルソニックスカイラインが2003年モデルとなり、反撃のノロシを上げた。
5月4日決勝。
N-JUNKIE一家は逸早く日産ピット前に到着した。
長女も3歳になって物事がわかるようになった。
一人、また一人・・・いつもの日産応援団のメンバーが集まってきた。
そしてK団長。
みんなで旗をセッティングする。
見分け名人Mさん、ベテランTさん、お馴染みT一家、Y君、Yさん・・・そしてN-JUNKIE。
NISMO広報のOさん。「役者そろいましたね。」と言った。
N-JUNKIEは「あったりまえじゃん(笑)、こっちもオールスターだよ(爆笑)。」と答えた。
レース前、K団長が観客に声を掛ける。
「NISMOさんから応援してくださるみなさんにこの小旗分けるように言われました。近くの応援団員に声を掛けてください!それからタトゥーシールがあります。こちらもお願いします!」
N-JUNKIEはタトゥー係。これがベテランなんですwwww
応援グッズが瞬く間に無くなった。
団長Kさんがスタンドのみなさんに声を掛ける。
「みなさん、国歌斉唱のときお手持ちの赤いなんでもいいですからタオルとか上に掲げてください。」
「日産応援団がんばります!!!」
団長Kさんがこう言った。
K「N-JUNKIEさん、いきますか?」
N「いきましょう!」
隣でスタンバイするN-JUNKIE
君が代斉唱。スタンドのみなさんと一緒に真っ赤になった。
団長さんが大声で
「せーの!」と言った。
N-JUNKIEはメガホン持って二人でK団長と「日産!」と叫ぶ。
お客さんは拍手する。チャチャチャ!
つまり・・・・
「NISSAN!」ちゃちゃちゃ!「NISSAN!」ちゃちゃちゃ!「NISSAN!」ちゃちゃちゃ!「NISSAN!」ちゃちゃちゃ!
ドライバーが挨拶に来た。C・ゴーン社長を連れたNISMO前社長安達二郎さんもこっちに二人で手を振る。
ローリング開始。
爆音が響いてさあ・・・スタート!!!
N-JUNKIEは旗を振りながら叫んでいた。
「いっけぇ!!!ぶちかませ!!!!日産!!! GT-R!!!!」
笑っちゃうくらい、バカ正直でアツイ男である。ホッチに似たのかな?
旗降りのコツは8の字に振る。
風を読みながら縦に振るのである。
ただ振ってるだけじゃ、旗が支柱に絡んでしまう。
このあたりはサッカーのサポーターのみなさんと同じです。
マシンが通るたび、日産車全部に振るのである。
ピットインは振り放しである。
この第2戦、コレに限っては500kmの長丁場なのだ。
チームも必死ならこっちも必死なのだ。
レースはauセルモスープラが主導権を握る。
あの竹内浩典(敬称略)である。
N-JUNKIEは複雑だった。
何故なら一緒にスカGでこの富士走ったからだ。
その竹内がコースアウト!!!!
モチュールピットワークが逆転!!!
ついにGT-Rがトップだ!!
続いてカルソニックが順位をあげる。
レースはGT-Rが1-2フィニッシュ!!
狂喜乱舞の日産応援席全員!!!
N-JUNKIEがこの目でGT-R優勝を見たのは96年、この富士で勝ったユニシアジェックススカイライン以来だった。
ついに勝った!!!
やっと勝った!!!
応援団長Kさんと抱き合って喜んだ。
万歳三唱!
バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!
星野一義監督はご機嫌でこっちに声を掛けてくれた。
「みんな、ありがとう!!最高だったよ!!!」
恥ずかしながらN-JUNKIEは目頭がアツくなった・・・・
路につくときN-JUNKIEはGT-Rで来てたから、渋滞の中を強化クラッチ(ツインプレート)と格闘していた。
N「あたまいていよー」
女房(以下 女)「なんで?」
N「日射病かな?」
女「帽子被っていたじゃん。」
N「被っていたのになあ。」
女「バカじゃん(笑)。あ・・・お父さん、タトゥー剥がして・・・ぶははははーーーー!!!」
長女は言った。「あれ、GT-Rって言うんでしょ?」
N「え・・・・覚えちゃったの?」
長「うん・・・赤いGT-R、だあいすき・・・」
Posted at 2006/03/04 08:00:32 | |
トラックバック(0) |
スカイライン | 日記