※演出のため、敬称略にて失礼致します。
☆一部画像提供:フォトヤマさん
20011年。
例年通り、横浜で決起集会を開催。
チャンピオン奪回に向け日産応援団も気合が入った。
NISMOの代表取締役社長に宮谷正一氏が就任後初の参加。
宮城県からいつも参加の
くま2315。
「皆さん元気そうですね。また今年もよろしくね」と奥様の日産応援団東北支部長「
まーママ」が声をかける。
チャンピオン奪取を掲げ決起集会はお開きになったのだが…。
その数日後…
東日本を最大級の自然災害が襲った。
全国、いや世界中に計り知れないショックを与えた程の出来事と言っても過言ではない。
くま2315もまた、その中に居た。
自宅の目の前まで津波が襲ってきたのだ。
家族との連絡がついたのは更に数日後。
必死の様子がリアルになってくる。
電気、水道は勿論、交通網も麻痺。
関東にある知人の伝をたどって一時的に避難。
その際、日産応援団は彼との個人連絡は禁止とした。
誰もが納得できるであろう。
再び地元宮城県へ戻る
くま2315。
関東住在のライバル応援団をも含む私設応援団メンバーに見送られた。
国内モータースポーツもアクションが起こる。
脇阪寿一氏を中心に義援金サイト「
SAVE JAPAN」が立ち上がった。
各カテゴリー、シーズン開幕が遅延となった。
「がんばろう!日本」を合言葉にモータースポーツもシーズンインを迎えようとしていた。
私設応援団。
ビッグフラッグを自主制作。
お客さんにメッセージを書き込んでもらって転戦するサーキットで広げようと企画をした。
SuperGT、事実上の開幕となった第二戦、富士。
2012年シーズンの日産応援団も全ての情熱を注いでいた。
決勝レースは雨の中。
黒澤日産応援団長、関西寿一會代表谷角氏がずぶ濡れで応援団同士の応援バトルの先頭に立っていた。
レースは悪天候でレースは赤旗。
そのままレース成立となった。
優勝は#23 MOTULAUTECH GT-R。
くま2315、涙を堪えることは出来なかった。
日産応援団の応援を受け、再び戦いの地へ戻って行った。
この年のSuperGTシリーズ。
まさかの展開が待っていた。
GT500、王者ブリヂストンタイヤにミシュランタイヤが待ったをかけた。
第3戦をキッカケに#46 S-Road MOLA GT-Rの快進撃が始まった。
世界のフィールドでも日本への応援の声が大きくなった。
ブノワ・トレルイエ、アンドレ・ロッテラー両選手が日本への応援をマシンに表記して貰うようアウディチームに依頼。
チームは承諾してくれたのだが、それは異例中の異例の事だった。
黒澤日産応援団長は、前年は応援旗の準備を行ったが、この年はメッセージをWebで伝えようと企画していた。
ルマン24時間レース。
彼らが乗り込むアウディ2号車が総合優勝を果たす。
LMP2クラスでは日産がエンジン供給したマシンが1-2フィニッシュという嬉しい結果になった。
8月。
爆走坂東組応援隊と日産応援団の合同BBQを開催。
交流の場となった。
SuperGT。
ミシュラン旋風が吹き荒れる。
GT500、シリーズチャンピオンは#46 S-Road MOLA GT-Rに輝いた。
嬉しいニュースが更に海外から入ってくる。
FIA-GT、NISSAN GT-Rのミハエル・クルム/ルーカス・ルアー組の#23 JRM NISSAN GT-Rがドライバーズチャンピオンを獲得した。
JAF Grand Prix SUPER GT & Formula NIPPON FUJI SPRINT CUP 2011。
この年も私設応援団での共同企画記念撮影会を実施。
たくさんのドライバーさんも関係者さんも足を運んでくれた。
エキシビジョンレースでも私設応援団は本気。
グランドフィナーレでも声援が飛び交っていた。
ニスモフェスティバル。
イベント前日、FSWレストランORIZURUで恒例の日産応援団忘年会実施。
アタリマエだが運転者の飲酒は厳禁。
関係者さんもドライバーさんも足を運んでくれたのだった。
イベント当日。
日産応援団は結成15周年。
早朝から記念撮影企画を実施。
イベントではファンにとってたまらないプログラムが進む。
グランド・フィナーレ。
チャンピオンを獲得したドライバーさんからのメッセージ。
2011 F-3 Nクラスチャンピオン、NDDP(ニッサン・ドライバー・デベロップメント・プログラム(NDDP)、#23千代勝正選手。
2011 FIA-GT World Championship。#23 JRM Racingのミハエル・クルム/ルーカス・ルアー組のマイケル(ミハエル・クルム)選手からのメッセージ。
2011 SuperGT。
#46 S-Road MOLA GT-Rがドライバー、ロニー・クインタレッリ、柳田真孝両選手からメッセージ。
そして…
少し寂しいお知らせが。
「来年2012年のニスモフェスティバルの開催は休止」が発表された。
ニスモのビジネス強化などが理由で現在の大森から鶴見へ移転するとの事。
翌年の12月がその時にあたるらしい。
かなり大規模な移動ということで開催は休止としざるを得ないようだ。
しかし宮谷社長からは「2013年、アップデートしたニスモフェスティバル開催」というお言葉。
ただ、ニッサン・モータースポーツの歴史を語る上で「大森」は…
ひとつの時代が終わったのかもしれない。
~つづく~
Posted at 2013/06/09 15:07:42 | |
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日産応援団物語 | 日記