私には同級生Aがいた。
彼の母親と私の母親も会社の同僚で仲がよかった。
あれからもうすぐ13年。
13年前の当時、私は23歳。
R32GTS-t TypeMを新車購入して喜んで乗っていた。
新車は初めてだったのです。
忘れやしない13年前。
ある小春日和の土曜日の午後。
土曜日の半日休日出勤を終えて家に帰ると見慣れない女性がいた。
私の母親が言った。
「会社の女の子だよ。遊びに来たんだよ。」と。
「おまえ、この子家まで送ってくれないか?」
「いいえけっこうです悪いから…」
「そんな事言わずに送ってもらいな。」
と母親が私の都合なぞ無視して勝手に決めた。
ま…いいか、どうせヒマだし。
彼女をHCR32に乗せようと準備をしていた。
そこへ同級生Aの母親が原付で登場。
彼女もまたウチに遊びに来た。
そこで同僚3人が揃ったワケ。
Aの母親は私にこう言った。
「ウチのコゾーさんテニスへ言ったよ。」
「今日はいい日になったからね。」と私は返事したのだが…。
女性を家に送る。
途中クレーン車がぐちゃぐちゃになったクルマを吊り上げていた。
「事故かな?怖いですね。僕もひっくり返った事があるんですが今生きてるのが不思議ですよ。」と私。
彼女を送り届けると渋滞が出来ていたのでその道を避けて買い物に行った。
当時携帯なんて持っていない時代だったから店の公衆電話で自宅へ電話した。
「無事、送ったから」と私が言うと母親がいつもと違う。
「おまえ、帰ってきて。」
「はあ?」
家に着くなり母親が言った。
「今、会社から連絡があって『Aさんいないか?』って。
ウチにいたから電話代わってもらったっらA君死んじゃったって…何かの間違いならいいんだけど」
「はあ?あいつこの前ピンピンしてたじゃん。え…まてよ、あのクルマあいつのクルマか???」
「オマエ知ってるの?」
「これこれこーいうワケで(略)」
そしたらテレビニュースがこの事故を取り上げた。
「心配だねぇ。病院行こうかしら?」
「オレ、クルマ出すから行くか?」
「やだやだ。」
「大丈夫!しっかりしろや!」と舞い上がるウチの母親を乗せて病院へ行った。
そこにAさん一家がいた。
私の母親にすがるようにAの母親は言った。
「死んじゃった。死んじゃったあ~あ。」
私の母親も崩れた。
コレが私N-JUNKIEだったらと思ったらしく彼女にとってそれは想像に難しくない。
友達の子なのだけど自分の子供のように感じたらしいのです。
スピードオーバー縁石超え。
トラックを含む5台と正面衝突。
推定スピード170km/h。
幸い対向車に死傷者ひとりもいなかった。
Aの同乗者はこれまた同級生B。
彼も重体だったが命だけは助かった。
Aの父親は警察にも被害者にも平謝りだった。
病院で看護婦さんが私に「知人の方ですか?あっ!」と言った。
私が「ん?あーっ」って…。
そう看護婦さんも同級生Cだった。
「彼が着てた衣服、とりあえず持ってて」ってドサっと。
何も透明ビニールに入れなくてもいいのに。
私は血だらけの服を見るとフラフラになった。
遺体はあの男前の顔が崩れまるでお笑いタレントのメイクのように顔が膨れ上がっていた。
これがメイクだったら笑ってあげられるのだけど、私は怒りと悲しみと言った複雑な思いだった。
目頭がアツくなった。
「なんでだよ、なあ?なんでこんなバカなマネしたんだ?」
葬式の時私は彼を前にこうつぶやいた。
「バカヤロー、母さん泣いていたぞ。オマエはオマエだけのものじゃないんだぞ。」
私はこの日を境にどんなに短距離でもシートベルト着用を怠らず、むやみに一般公道では飛ばさなくなりました。
その後警察からAの家に電話が入った。
「事故現場に花がありすぎて通行の妨げになります。引き取ってください。」
安全運転一番です。
※乱文失礼 N-JUNKIEよりドライバーへのメッセージ
Posted at 2005/01/10 20:20:57 | |
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