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2013年05月31日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #8

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #8《第二章 国内GTに日産応援団登場》

※演出のため、敬称略にて失礼致します。

ルマン・イン富士1000kmレースの興奮冷めやまぬ田上家長男のイケメン君、「裕規」。

時は2000年の3月。
日産のルマン撤退はファンにしてみれば衝撃的。
ニスモのスタッフも非常に残念がっていたという。

「ニスモの皆さんに少しでも力を与えることは出来ないか?」
「少しでも無念を晴らすことはできないか?」

彼はそう考えていた。

「GTで日産旗を」と思い、ダメモトで黒澤に連絡。

「GTで日産旗を振りたいので旗を貸して下さい」

二つ返事だった。
後日、トリコロールの日産旗を託された。

だが、裕規。
「皆の色々な沢山の大切な思いが詰まったトリコロールの日産旗を、たかだか1・2回会っただけ・旗振っただけの私に託してくれた。」との事でプレッシャーも感じ取る。
しかし強さを兼ね備えていた。
プレッシャーを感動に変えた。

2000年4月、JGTC(現:SuperGT)開幕戦、もてぎ。
Y32氏率いる、田上一家が予選・決勝と乗り込んだ。
この時は裕規が一人で日産旗を振っていたという(注)
注:Y32サンはこのあたり、否定的だが(笑)。

そんな中、ライバル達に押され優勝は難しいと思われたのだが、#1ロックタイトゼクセルGT-Rが見事に優勝。

チェッカーの瞬間はオーバルコースに降りて旗を振っていた。
嬉しくて嬉しくてチームの方へ駆け寄った。
エリック・コマス氏と影山正美氏が手を振りガッツポーズ。
裕規の感動を呼んだ。

表彰式。
安達元社長を始め、ニスモスタッフの皆さんが「ありがとう!」と言って握手を求めてきたという。
「一生懸命応援して良かった。」と嬉しく思ったと同時に「私なんかに大切な旗を快く貸して下さった黒澤団長に感謝の気持ちでいっぱい。」とも思った裕規。

後にその事を知った黒澤。
「自分はいったい何やっていたのだろう…」
自分を責めた。
単独で応援をする勇気は黒澤が一番知っていた。

¨裕規¨の¨勇気¨は、黒澤を動かせた。

黒澤、日産応援団メンバーに連絡を入れた。
「GTです。やりませんか!」

この時、日産応援団の誰もがこう思っただろう。
¨待ってました!¨

~つづく~
Posted at 2013/05/31 11:54:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年05月31日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) ~なかがき 2~

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) ~なかがき 2~ 「We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー)」を書くにあたり、持っている資料や過去に書いた内容を確認していると当時の様子を思い出したりする。

ほんの少し前だと思っていたのに、結構時間が経過していることに気がつく。

自分のことを書かせて頂けるなら、初めて参加した時は、まだ新婚だった。
長女がまだ生まれたばかりの頃、言葉を覚えたばかりの頃、応援団の皆さんが本当に可愛がってくれた。
家族の記録、日産応援団と共に歩んできたといっても決して過言ではないと思う。

99年のルマンが終わったあと、黒澤団長と話が出来る機会があった。
その際、「GTでの日産応援団」について話をさせてもらった。
「考えてはいたのですが、ルマンとは違いますからね。」との回答。
それも一理ある。
向こうとこちらとでは文化も何も違っているのも事実。
かといって、Nジャン自身が下手に行動をすれば日産応援団の名を汚しそうな気もした。

ところが翌年、それらを払拭する出来事が起きた。

次の章は2000年代に突入。
日産応援団も新たなる活路を見出す。

新たなる一歩。
そして…



¨日産応援団は終わらなかった¨
Posted at 2013/05/31 10:46:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年05月30日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #7

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #7※演出のため、敬称略にて失礼致します。

1999年11月。
ルマン・イン・富士1000kmレースが開催。

急遽、日産はR391でエントリーを表明。
グランドスタンド、日産ピット前に日産応援団、歴代ルマンツアー参加者が集った。
日産応援団、初の国内ステージだった。

黒澤は、有りったけの日産大応援旗を用意した。
旗が余ってしまうほどだった。
黒澤は呼びかけた。
ダンボールに書き込んでの呼びかけもあった。

「日産応援旗、振ってくれる方を募集します!」
観客の皆さん数名が名乗りを上げてくれたのだが…。

ある親子が現れた。
「私達も参加していいですか?」
それがY32氏率いる、田上一家だった。
後にセンセーションを起こす事になろうとはこの時誰が思っただろうか…

ルマンのTV中継で日産応援団を見ていた彼ら。
田上一家は夢中で旗を振っていた。



レースがスタート。
序盤、トヨタTS020とニッサンR391のバトルが勃発。
トヨタに不運が続き順位を落す。
ニッサンがトップに戻りそのまま死守。

そしてチェッカー。
ニッサンR391が優勝。
本場ルマンでの屈辱を晴らす。

拍手喝采の日産応援団。

翌年ルマン24時間レースの予備予選免除となる。
日産応援団の誰もが2000年のルマンが楽しみになった。

しかし、後日…。
日産はルマン24時間から撤退を表明。

12月。
ニスモフェスティバル。

黒澤団長とNジャンとメンバーさんと数名で応援旗を振った。

声をかけてくれるお客さん。
「日産応援団だ!」
「ルマン行ってきたんですね!」
その度、応える黒澤団長。

この時、カルロス・ゴーン氏が現れた。
エリック・コマス氏がドライブするR390 GT-1に同乗。
日産応援団、気合の旗降り。
ゴーン氏は「あの旗は何だ?」と関係者に聞いたという。

フィナーレ。
ニッサンモータースポーツインターナショナル(株)代表取締役社長「安達二郎」氏が日産応援団を紹介。

顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった(笑)、Nジャンだった。

しかし…
日産応援団、その後は誰もわからなかった。



~つづく~
Posted at 2013/05/30 11:20:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年05月30日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #6

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #6※演出のため、敬称略にて失礼致します。

1999年ルマン予選二日目。
日産は前日に1台失ったが、残りの2台は順調にラップタイムを刻む。

予選終了。
日産勢、予選順位は中盤。
上位はやはりトヨタとメルセデスだった。

翌日。
ルマン市では恒例のパレード。



ここでハプニングが起こる。
ニッサンチーム#23のR391がクラッシュ・リタイヤしたことでパレードランのクラッシックカーに乗るドライバーが不在となった。
「日産応援団に乗って欲しい」と依頼があった。
最初は断っていたようだが、「どうしても…」ということで根負けしてしまう。

黒澤は言った。
「Nジャンさん、行きましょう!」

突然の出来事にアタマは真っ白。
「これでイイのか、オレみたいのが…」

何千何万人の大観衆の中、二人は鈴木亜久里・影山正美・エリック・バン・デ・ポール各選手の変わりにパレードランに…

サインを求める大観衆。
その度二人はこう言っていた。
「アイム ノット ドライバー」



ルマン決勝。
オープニングイベントが催される。
日本とは全く違ったお祭り状態。
モータースポーツファンのみならず、老若男女、ルマンを楽しんでいる。

毎年、ルマンに登場する日産応援団。
現地の方々が再会を楽しみに訪ねてくれる。



そして午後4時、その時はやってきた。



ルマンは4時間に一度、場内放送が日本語放送になる。
最初の日本語放送、どうやら順位の案内だ。
ところが突然、あちらの言葉の叫び声に切り替わる。
あの衝撃的なシーンだった。

太陽が傾く。
早くも戦線離脱するチーム。
粘り強く走り続けるチーム。
様々だった。
R391は4位浮上。
日産の本領発揮かと思われた。



真夜中のサルテサーキット。
気温が一気に下がる。
なんとトヨタTS020がクラッシュ。
アクシデントもあってTS020は2台失った。
日産R391は電気系トラブル発生。
リタイヤとなった・・・・・

BMW V12と日本人トリオの乗り込むトヨタTS020とのトップ争い。

日産としては期待の#21、クラージュ日産C52。
しかし順位が上がらない。
途中、30分に渡るピットストップ。
日産コールは続いた。
ピットアウトするものの、順位は下がる。
そしてゴール。

日産・・・・勝つことは出来なかった。

帰りの飛行機。
黒澤は悔しくて眠れなかったという。



~つづく~
Posted at 2013/05/30 10:45:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記
2013年05月29日 イイね!

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #5

We are ¨N¨ (日産応援団 ストーリー) #5※演出のため、敬称略にて失礼致します。

1999年。
日産のルマン24時間レースへの挑戦はGTクラスからプロトタイプにカテゴリー変更。
R391を2台投入。
更にクラージュC52を加え3台で挑戦した。

この年もルマン観戦ツアーを開催。
その中にNジャンが居た。

ルマン・サルテサーキット予選。
ルマンの予選は日没前~ナイトセッション。
2日に渡って繰り広げられる。

黒澤にNジャンが言った。

「ボクにも旗を振らせてもらえますか?」
「もちろんです!お願いします!」

遂に日産応援団の仲間入りを果たせた。
後から聞いたのだが、Nジャンに対し、他の参加者とは違う雰囲気を感じ取っていたという。

「Nジャンさん、旗は縦に8の字に振ってください。すると上手に降ることができるんです。」
最初はぎこちなかったが次第にできるようになった。

いよいよ予選開始。
日産応援団も声援が飛び応援開始。



予選開始30分後、いきなりルマンの魔物が牙を…
なんとNISSAN R391 #23号車がクラッシュ。
フロントを大破し、リタイアとなった。
ドライバーのエリック・バンデポール氏の命に別上はなかったものの脊椎にひびが入る重症となってしまった。
翌日から#23号車出走をチームは試みようとするが、出走は無かった。

ルマン予選二日目。

サーキット入りしたツアー参加者。
そして黒澤団長、大槻添乗員、Nジャンの3人が大爆走!?


[業務連絡] 大槻さん、ごめんなさいw

~つづく~
Posted at 2013/05/29 12:02:10 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日産応援団物語 | 日記

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