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Black_Airのブログ一覧

2014年11月09日 イイね!

エアトレック ターボR 最後の洗車

エアトレック ターボR 最後の洗車エアをとうとう手放すことにしました。2002年8月に購入してから、なんと12年3ヶ月もの長きにわたって相棒として付き合ってきましたが、昨日、最後の洗車をして・・・次のオーナーへ・・・親戚へ引き渡しました。(親戚でホットしてます)

こんなに長い間乗って来たのは、本当に飽きる事のない素晴らしいクルマだったからですね。ブレーキとサスペンションは気に入るように変更しましたが、走り、パッケージング、スタイルいずれも三菱が高速オンロードSUVとして目指したコンセプトが具現化されたクルマでした。ありがとう!エアトレック!





次期車は月末頃に納車される予定です。静かに乗ります。
Posted at 2014/11/09 23:11:39 | コメント(8) | トラックバック(0) | マイカー | クルマ
2014年08月16日 イイね!

三菱名車館 2007 LANCER EVOLUTION Ⅹ

三菱名車館 2007 LANCER EVOLUTION Ⅹ2014年7月10日、三菱自動車はランサーエボリューションⅩに一部改良を施し発売した。同時にそのニュースリリースでは、「TC-SST車について2014年度内に生産を終了する予定である」ことも公表している。5速マニュアル車については、販売を継続するとしているが、一つの時代が終焉を迎えつつあるのだろうか・・・

2004年夏、次期ランサーエボリューションのコンセプトメイキングの真っ只中において、開発の指揮を執っていたのは、プロダクトエグゼクティブのK氏であった。K氏は専門誌のインタビューに応えて当時の様子を伝えている・・・

「次期ランサーエボリューションでは、三菱がWRCなど様々なモータースポーツで勝つために磨きあげて来た技術を全て盛り込もうと云う機運にありました。
確かに1992年に出現した初代ランエボから12年、高速フルタイム4WDセダンと云う意味では1987年のギャランVR4に遡りますから17年の歳月を費やして三菱が追求してきたオールホイールコントロールも玉成の域にありましたし、開発陣のこの車にかける熱気も凄いものがありました。

問題は、次期ランサーエボリューションをどのようなコンセプトで世に問うのかということでした。勿論、それまでのランエボは一言でいえば、走ること、そして勝つことを徹底的に追求した戦闘機のようなコンセプトでしたし、多くのファンに支えられてきたのも、その明快なコンセプトの商品だったからと云うことも承知していました。社内では次期車もそうあるべしと云う声も多かったですね。

しかし、私はもう少し別の視点で、一言でいえば、従来のファン層から輪を広げ、もっと多くの人達に三菱のオールホイールコントロール技術を使って欲しい・・・三菱の技術開発の基本である<走る・曲がる・止まる>を徹底的に追求した果てにあったのは、誰よりも速く走りゴールに辿り着くことが、実は誰よりも安全に走れることと同義だったと云うことですし、それをより多くの方<若者から熟年層まで、日本から海外まで>に提供するのが我々の目指す道だと考えていました。

その結果、ランサーエボリューションⅩでは、ランエボの集大成とも言うべきS-AWCやボデー/サスペンション技術と新たにTC-SSTや4B11-MIVECターボなど三菱の全ての先進技術を搭載すると共に、外観/内装は従来通りの迫力あるスポーティなものに大人の雰囲気も加味したデザインでまとめる事ができました」

それから7年、K氏の意図したとおり、ランサーエボリューションⅩは、国内で10,000台、海外でも20,000台の販売実績(7/10三菱自動車公表値)を残し、S-AWCは、新型アウトランダーPHEVにも搭載されるなど、三菱車を支える技術に進化している。

今後、三菱自動車が、PHEVなど環境対応技術の開発にリソースを集中して行くのは、2020年や2030年を考えた時、三菱自動車が生き残るための必要条件として正しい道だと思う。だが、ファンとしては寂しい。様々な機械の中で自動車だけが、人間の感性に訴えかけ、ワクワク・ドキドキさせてくれる不思議な存在だと思う。いつの日か、環境対応技術をまとったランサーエボリューションⅪが出現し、再び私をワクワク・ドキドキさせてくれることを願ってやまない。

三菱技術陣の誇り、そして三菱ファンの喜びを永年に亘って担ってきたランエボ。その集大成とも言うべき “ランサーエボリューションⅩ” は、正に三菱自動車史に輝く比類なき名車と言えるでしょう。







Posted at 2014/08/16 11:08:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 名車の思い出 | クルマ
2014年06月08日 イイね!

人生で最初で最後の・・・(最終回)

人生で最初で最後の・・・(最終回)「テメェ~」「コノヤロウ」「フザケンジャネェ」・・・「悪の軍団」との最終戦は、罵詈雑言との戦いでもあった。「悪の軍団」との戦い方は、スリートップを押さえ込むことにつきた。その他のメンバーは追随しているだけであったし、スリートップとも喧嘩をするわけではなく、サッカーをすれば良かった。

しかし、「宇宙人中山」には困った。激しいボール取り合いの最中に、グランドの砂を俺の顔に投げつけて来た。「お前は砂かけ爺か!」「・・・」無言である。こういう奴には応えてやることが必要だ。軽く肘を入れ、動きが鈍ったところでボールを頂き、右前方の「ピアニスト四隅」へ出す。

四隅は、「アフロ綿貫」との攻防をピアノコンチェルト風足裁き(どんな?)で凌ぎ、ワントップの「ノッポ枯谷」へ繋いだ。枯谷に敵の大将「悪玉キング森山」が突進してゆく。枯谷が前を向き敵のゴールを目指してドリブルを始めるが、森山も速い、テメェとか叫びながらどんどん追い付いて来る。俺も左サイドを上がる!上がる!上がる!

「枯谷~!こっちだぁ~!ボール回せ~!」と俺が叫ぶ。もう時間が無い。オフサイドっぽいが決めるしかない。枯谷から返事が来た「ヤダァ~俺が決める~」・・・ほぼ同時に森山が追い付き激しい当たりだ!枯谷がぶっ飛びボールは森山の足下に。此処まで1対1ながら、既に教師は腕時計を見ている。もう終わりか・・・

その時、どこから迫っていたのかRD50河辺が、森山の足下のボールにスライディングアタック!運良くボールが俺の方へコロコロと出た。ゴールまで残り30mプラス・・・キーパーと1対1の勝負だ。

俺は前を向きゴールへのドリブルを蹴りだした。残り20mキーパーも出てくる。残り15m此処でシュートだ!渾身の右足シュートを放つ!勢い余って俺の体は地面に倒れ込む。ボールはキーパーの右脇を抜けた!

ボールは、勢いよく伸びて行く。そしてゴールポストの上方を超えて・・・その時、ピッピッピー・・・試合終了のフォイッスルが響いた。
俺は倒れたまま、強い太陽の光輪と真っ青な天空に立ち上ってゆく夏の入道雲を見ていた。


40年経った今もこの試合の最後のシーンは忘れられません。最後はシュートが決まらず、試合は引き分けに終わりましたが、何故か至福の記憶として残りました。
なぜ体育教師が私に5の成績を与えたのか、その時は正直言ってスッキリしませんでしたが、その後、社会人として会社に勤め、やがて部下と共に仕事をする立場になって、何となく少しだけ分かったような気がします。



<その後>
私はその後、スポーツ大好き男子の桐山やマサル、カープマウス大澤との連れ行動が多くなり、高校卒業記念と云って普段の練習もしないまま、突然、川崎から伊豆下田まで自転車旅行に行って急性切れ痔になったり、インベーダーゲームにはまったり、おばかなこともやりながら青春時代を飛び跳ねておりました。



Posted at 2014/06/08 18:42:11 | コメント(3) | トラックバック(0) | 青春の日々 | 日記
2014年06月07日 イイね!

人生で最初で最後の・・・(その⑤)

人生で最初で最後の・・・(その⑤)高校生の体育授業のサッカーは15分ハーフである。誰が何と言おうが川崎北部高校では15分ハーフであった。それが、我々「何でも成り行き拘りナッシング」の様な弱小・・・と言うか、軟弱者チームにとっては、基礎体力の不足を誤魔化せる限界ラインなのである。

「スポーツ大好き男子」との二回戦はシビアな戦いになった。なにしろ向こうは略全員がスポーツが得意なのである。敵のグルービー桐山、折り箱屋マサル、蕎麦屋の斎田、ここまでは運動神経抜群。カープマウス大澤・・・こいつはスケベである。

<補足しよう>
なぜ大澤をカープマウスと言うかといえば、単純ながら、口の形が餌を貰わんとして水面から顔を出している鯉そのものだからである。そういう口をしたスケベが居ると思って下さい。後年、私は彼と新宿歌舞伎町のストリ◯プビアガーデンで、ウェイターのバイトをしたことがありますが、彼は仕事を忘れて踊り子ショータイムばかりに注目していたのである。その夜の終礼で、怖い系のマネージャーからキツーイお叱り(通称ヤキイレ)を頂いたのは、言うまでもありません。


我々の作戦その①は、サッカー部の大澤を戦力外にすることだった。この役目は、RD50河辺が担当した。河辺家の押入から出て来た平パンとプレーボーイを試合前日に大澤に禅譲申し上げたのだ。試合当日、大澤の走りやキックが、腰の入ったものだったかは定かではない。

作戦その②は、ワントップ残しのカウンター狙いだ。当たり前っぽい作戦だが、「スポーツ大好き男子」は我々を侮っており、目立った活躍をアピールするためにキーパー以外の全員がフォワードで来ると予想できた。我々はディフェンシブな布陣で猛攻を凌ぎながら、RD50河辺をオフサイド無視に近いラインに残しておき、ディフェンスがボールを奪うや前線の河辺へロングパスを出すと云う一発狙いで試合を進めた。試合は我々が1対0で勝利した。我々は高校生らしい爽やかな勝利に酔いしれた。

<補足しよう>
昔のサッカールールだと、相手のキーパー以外の全員がハーフウェイラインよりも自陣に入った場合は、オフサイドが適用されなかったと思いますが、まぁ高校生のことだからその辺はいいやね。


いよいよ最終戦で勝てば、我々「何でも成り行き拘りナッシング」の優勝だ!

しかし、その前に立ちはだかるのは、我が川崎北部高校の「悪の軍団」。リーダーは学校までCB750を乗り付けてしまう「悪玉キング森山」身の丈1m80cmほどながら完全なるリーゼントヘアーで鶏冠の如く周囲を威嚇。サブリーダーは高校二年生ながら既に子供がいるとの噂を持つ「アフロ綿貫」そのボンタン・チョウランは幾多の喧嘩を示す継ぎ接ぎだらけだ。更に三番手は「宇宙人 中山」常に無表情で喧嘩では汚い手も平気で使って来る不気味系ワル。

我々正直に言って喧嘩は得意ではないが、勝負はサッカーだからね・・・遠くには、将来、港北ニュータウンに変貌してゆく丘陵地帯が広がり、その上空には梅雨の終わりを告げる雷雲が広がっている。

<補足しよう>
昭和40年代後半から50年代にかけては、高校生でも中学生でもワルは外見で直ぐ分かる時代だった。男子は、ボンタンと称したダボダボの学生ズボンに、チョウランと呼ばれる尻下まで丈があり詰め襟が高い上着を着ていた。これに好みに応じたヘアースタイル、リーゼント、パンチ、アフロを組み合わせれば正統派ワル軍団の出来上がりだった。女子もはっきりしており、スカートは地面を引きずるようなロングをはいており頭にパーマをかければ、これもスケバンの出来上がりだった。現代は、外見ではワルと普通の区別が付かなくなっており、寧ろ危ない時代とも言える気がします。

・・・つづく

Posted at 2014/06/07 16:08:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | 青春の日々 | 日記
2014年06月06日 イイね!

人生で最初で最後の・・・(その④)

人生で最初で最後の・・・(その④)俺達は勝った。初戦をあっという間に突破した・・・ 俺達に実力があった・・・と云うよりも、初戦の相手が「勉強系ブレインズ」だったと云うことに尽きる。しかし、その後の人生経験を振り返って見ると、運が良いということは重要なファクターと言い切れる。

しかし、ここから先を突破するには、駄菓子屋の前でコーラをしゃがんで飲んでるだけじゃ駄目で、少しは相手のことを研究して作戦を立てようと云うことになった。
我がチームの主要メンバー5人・・・しつこいようだが、ノッポ枯谷、ピアニスト四隅、ベジタブル大川、RD50河辺と俺Black-Airは、学校から最も近く親と姉さんが仕事で留守の河辺の家に「どうも~」とか言いながらお邪魔した。全員早速、畳にゴロゴロし漫画本を読み始める・・・オイオイオイ!作戦立てるんでしょ?

<補足しよう>
当時、神奈川県は40年代の高度成長による流入も含めた人口増加・就学児童増加に対処するため、新設の県立高校をどんどん建てていた。私の通っていた高校もその一つで、私はその栄誉ある?第一期生であった。川崎市北部の丘陵地帯にある新設校舎からは見晴らしもよく、先輩が全くいないと云うこともあり、高校生活は爽快で自由な風が吹き渡っていた。


我々の次の対戦相手は、優勝ど本命の「スポーツ大好き男子」に決まった。
キャプテンはビートルズに熱狂している「グルービー桐山」川崎市全中テニス大会で準優勝している運動神経と負けん気の強さが特徴だ(後に俺の親友となり、夜な夜な初代RX-7で第三京浜を飛ばした)。
次にコイツもテニス野郎の「折箱屋の鈴川」通称マサル(卒業近くにベージュのLB2000STなどと云う甘いクルマ買ったモテ系)。
更に曲者「蕎麦屋の斎田」川崎市柿生辺りを本拠としていたルート2xゴーストの中核人物だったが、遊びに行くといつも店のグザイでカツ丼を作ってくれた優しいやつ(クルマはサバンナRX-3 GT 水中花シフトレバー付)。
そして、サッカー部の鯉「カープマウス大澤」憎めない野郎だがはっきり言ってスケベ(クルマに拘りナッシングで、ファミリーカー買っていたなぁ)。
こいつら相手にどう戦うか?俺達は多少考えた・・・だが、目線は河辺の部屋の押入から出て来た平パンやプレーボーイに釘付けになっていた。

<補足しよう>
当時は、箱スカvs.サバンナRX-3の名勝負が行われていた時代で、SUVなどは全く無く、クルマは速いスポーティタイプか只のセダンかと云った状況だった。若者の人気車は、セリカ、ケンメリ、箱スカ、サバンナ、レビン/トレノ、110サニー、ギャランGTO、或いはベレット、シビックRS、スバルと云った車種だった。

・・・つづく

Posted at 2014/06/06 15:22:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 青春の日々 | 日記

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「[整備] #ランサーエボリューションX メーター部からのビビリ音対策Ⅱ(3年ぶり) https://minkara.carview.co.jp/userid/1188843/car/1839399/5312467/note.aspx
何シテル?   05/12 17:03
Black_Airです。よろしくお願いします。 1980年購入のLancerEX 1800GSR以来、三菱一筋に乗り継いで来ました。直前には2002年初期...
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三菱が辿り着いた一つの究極。また新たな三菱車で旅に出ます。
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