
今年のノーベル平和賞を「EU」に授与するとの発表があった。
この決定に、賛否両論があるようだが、発表があった金曜日に、妻と祝杯を挙げた。
EU市民ではないが、EU域に住んでいて、また、少なからず税金を納めているので、祝杯を挙げるぐらいの権利はあると考えた。
土曜日、「クーデンホーフ光子(日本名:青山みつ)」という明治の日本人女性のウィーンにおける足跡を訪ねるウォーキングツアーに参加した。
妻が申し込んでいた日本語のツアーであるが、そのツアーで、日本人が、EUに少なからず関与していることを知った。
欧州統合構想を最初に唱えたのは、
リヒャルト・クーデンホーフの「汎ヨーロッパ主義」(1923年)であると言われている。
リヒャルトは、青山みつの次男で、みつの夫のハインリヒが、オーストリア・ハンガリー帝国の大使として日本に駐在している時に誕生している。つまり、東京生まれである。
写真の一番右がみつ、右から3人目がリヒャルトである。

リヒャルトは、小学校から高校まで、ウィーン市内のTheresianische Akademieで学んだ。
この学校は、多くの著名人を輩出しているウィーンの名門校であるが、オーストリア人ばかりでなく、多くの外国人の子女が通っている。
リヒャルトが学んだ当時も、クラスメートに多くの外国人がいて、それが、後の「汎ヨーロッパ主義」に結びついたのではないかと言われている。
リヒャルトは、若いときに年上の女優と結婚し、反対したみつとは、それを機会に疎遠になっている。
リヒャルトと女優のイダ・ローラントが暮らした、ウィーン旧市街の家には、「EUの父」と言われたリヒャルトがこの家に住んでいたことを記した石盤が掲げられている。

ウォーキングツアーの最後に、シェーンブルン宮殿の近くにある、みつの墓を訪ねた。
十字架が掲げられたみつの墓は、きれいに維持されていた。
彼女は、第2次大戦中の1941年に亡くなった。
その後、第2次大戦が終わり、東西冷戦を経て、みつの息子が唱えた欧州統合が実現し、ヨーロッパに平和が訪れた。
この墓地には、オーストリアを代表する建築家のオットー・ワーグナーや画家のクリムトの墓もある。
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2012/10/14 05:51:45