主人公は新田 智郎(トモロー)32歳 スポーツ万能で空手三段
一年前に妻と子を同時に事故で失い、失意のどん底で日本未来研究所のパイロットを志願した。
パイロットと言ってもただのパイロットではなく、タイムマシンのパイロットであった。
そこで出会ったのが今日子(トゥディ)である。
美人ではあるが、小生意気な今日子に、智郎は段々惹かれて行くのである。
やがて二人は結ばれ、子供を授かり、未来(ミキ)と名づけた。
智郎はまず三日後の未来に飛び立った。
しかしタイムマシンであるサンダーバードは故障し、自動操縦での帰還が出来なくなる。
今日子が気転を利かし、智郎のサンダーバードを誘導し、事なきを得る。
ここから二人の、宇宙と未来への挑戦が始まった。
二人が10年後の未来に旅立ったあと、異星人が太陽系に突入した。
X1と呼ばれる異星人の船は、直径4㎞。船長の名はゼウス。
木星の衛星エウロパに着陸すると、探査の為にアポロンを地球に向かわせた。
その頃地球では、日本未来研究所のサンダーバードが、タイムマシンとして、また宇宙往還機として認められ、配備される事になった。
エージェクタ(アメリカ・日本・ヨーロッパ・中国・タイムマシン開発共同体)が結成され、やがて異星人達と戦うのである。
未来(ミキ)がお兄ちゃんと慕う良祐は、エージェクタ日本のパイロットとなる。
未来は12歳になると年齢を偽り、日本未来研究所に入り、サンダーバードのパイロットとなる。
異星人の攻撃が激しくなり、エージェクタは地球防衛軍と呼び名を変え、日本未来研究所のサンダーバード達は、銀河戦隊と呼ばれるようになった。
そして人類が劣勢に立たされたとき、智郎と今日子が、10年前の過去から現れるのである。
異星人との戦いの中で、智郎は最愛の妻今日子と、子供である未来(ミキ)を失う。
心に大きな傷を負った智郎は、過去に戻るのであった。
智朗は事故で失った最初の妻と子を助け、日本未来研究所に戻り、再び今日子と出会うのである。
だが、智郎は、今日子を愛する事が出来なかった。
どうしても腕の中で死んでしまった、トゥディ(今日子)が忘れられないのだ。
智郎は、トゥディと今日子が同一人物と解っていながら、トゥディを愛したように、今日子を愛する事が出来なかった。
「どうしても付いてくるのか」
「貴方を見ていると、心配になるの」
「無茶をするタイプだし、後先考えないし」
「人類の未来を、貴方一人に託すのは無理だと思うし、私のようなしっかりした人間がついて行かないと、大変な事になると思うわ」
「お願い、連れてって」
「貴方を愛しているの」
それまで必死にこらえていたのだろうが、今日子の瞳から、次から次に涙が溢れ出した。
「好きにするがいいさ」
2020年5月1日。
智郎は、3年後の未来に向かって旅立った。
後を追うように今日子が旅立ったのが、次の日の2日である。
目的は、智郎が持ち帰った未来の情報が「人類の歴史に、どれだけの影響を与えたのか」の確認であった。
智郎にとっては、何度も経験した未来への旅立ちである。
不安が無いわけではないが、なんとかなるの思いのほうが強かった。
今日子にとっては、初めてのフライトである。不安だらけのフライトといえる。
智郎は今日子に何か有ったら、助けるつもりがあった。
ただ「俺がいるから安心しろ」とは今日子に言わない。
そして、今日子も智郎に「何か有ったら助けてね」とは言わない。
そんな弱音を吐いたら「じゃ、ついて来るのをやめるんだな」と、言われるのが落ちだからだ。
シュパーン。智郎が宇宙空間に飛び出すのとほぼ同時に、今日子が宇宙空間に飛び出した。
但し智郎は地球から780万㎞、今日子は520万㎞離れた宇宙空間である。
日本未来研究所からすかさず電波が届いた。
今日子には17秒前(520万㎞÷30万㎞)の地球からの電波である。
「こちら山本。今日子大丈夫か」で、あった。
智郎に届いた電波は、26秒前(780万㎞÷30万㎞)の電波である。
「こちら山本。二人力を合わせて、無事帰還するように」であった。
宇宙はこれほど明るかったのかと、思わせるほどの輝きを見せる。
その宇宙空間を、二人は亜光速で飛んで行くのである。
2023年5月4日木曜日。月はほぼ満月。日本は晴れ。
但しハワイ上空はハリケーンであった。
段々月が近づいてきた。
サンダーバードは月の裏側をかすめるように通過すると、月の引力を最大限に利用して、一挙に地球に向かって方向を変える。
両サイドの姿勢制御ロケットエンジンが断続的に雄たけびを上げ、正面に地球を捉えたところで、後部メインロケットエンジンが炸裂する。
狙いは地球の左側。地球を半周周ってのハワイ上空への帰還路である。
やがて大気圏突入とともに、二機のサンダーバードは真っ赤に燃え上がる。
パイロットが一番緊張する瞬間である。「このまま燃え尽きてしまうのではないか」と不安になる。
その頃ハワイにハリケーンが近づいていた。
「おかしいね」と、山本が唸る。
ハワイにハリケーンが来るとしたら、6月から11月のはずである。
「まだ、5月なんだぜ」
サンダーバードの飛行に支障が出るとは思えなかったが、二人に連絡する事にした。
サンダーバードのキャノピーを覆っていたシールドが解除される頃を見計らって、日本未来研究所から電波が届いた。
「こちら、山本。ハリケーンが見えるか。かなり大型だから、気をつけてくれ」
智郎は前方はるか彼方にハリケーンを見つけた。
(灼熱地獄を通り抜けたと思ったら、今度は渦巻きか)
「今日子、高度を下げるな。このままハリケーン上空を通過する」
「解ったわ」
二機のサンダーバードは、一旦オートコントロールを解除し、マニュアルモードに切り替えた。
その時今日子は台風の目の中に、何か動く物を見た気がしたが、それは智郎も同じであった。
「なにかしら」
「なんだろう」
二人を追ってクロノス(時の神の名前)が、この世界に現れた事を誰も知らない。
大きな渦巻きであったハリケーンは、どんどん小さくなっていった。
「不自然だね」
ハリケーンは、こんなに短時間で小さくなるはずがないのである。
今度は無数の雷が、2機のサンダーバードを追いかけだした。
これが日本未来研究所が開発した、タイムマシンの名前の由来である。
サンダーバード。
タイムマシンが宇宙から帰還すると、必ず大量に雷が発生するのである。
大気圏で小さめの翼を広げるタイムマシンは、サンダーバードと名づけられた。
白い機体に黒と黄色のZラインが、機首から尾翼に向かって走る。
これも雷光を表している。
機体№1は智郎。№2は、今日子のサンダーバードである。
オートコントロールに戻された2機のサンダーバードは、着陸コースに入った。
九十九里浜。日本未来研究所の滑走路が前方に見えた。
先頭は今日子の№2。続けて今日子を守るように、智郎の№1が滑走路を正面に捉えた。
智郎は今まで何度も未来に向かって旅立った。
最初は2020年5月1日。全世界がサンダーバードと智郎に期待した。
人類は新しい時代の幕開けに、大きな可能性を夢見たのだ。
次に智郎は1年後の未来を目指したのだが、世界は、智郎に拍手喝采を浴びせかけた。
事態が急変したのは、2033年から2019年に智郎が戻ってからである。
人類は「過去に戻る事の恐ろしさ」に、気がついた。
過去に戻ると未来が変わる。人類は開けてはいけない、パンドラの箱を開けた気持ちになった。
今回のフライトは極秘であった。
世界各国の首脳は知っていたが、日本未来研究所の5000人でさえ、知らないものが多数を占めたのである。
2号の後輪が滑走路に接地すると、パラシュートが開いた。
続けて1号がパラシュートを開いて2号を追いかける。
その二機が立ち上げる陽炎の中に、黒塗りのベンツが現れた。
(せめて俺だけでも二人を迎えに行くか)プロジェクトリーダーの山本である。
その山本の目に、サンダーバードから降りて、滑走路を歩いてくる智郎の姿が飛び込んできた。
身長178cmの鍛えられた身体からは、男臭さと逞しさが感じられた。
空手3段の智郎は、スポーツマンというより、格闘家である。
酒は飲まないし、タバコも吸わない。
女が嫌いと言うわけではないが、3m後ろに付いてくる今日子だけは、好きになれなかった。
智郎が2020年5月1日に、未来に旅立つのは、今回二度目である。
前回は3日後の未来が目的地であったが、今回は3年後であった。
過去の智郎は今日子と結婚し、2032年の異星人との闘いの中で今日子を失っている。
又結ばれるなんて、腕の中で死んでいった今日子に対し、申し訳ないと思うのだ。
だから智郎は、いくら今日子がモーションをかけてきても、付き合う気になれなかった。
今日子は純和風の美人である。スタイルの良さは特筆もので、並みの芸能人では相手にならない。
通り過ぎる男達は、誰もが振り返った。
今日子の心に秘めた想いには情熱的な激しさがある。
智郎が自分の事を愛してくれなくても関係ない。愛される事より、愛する事を大事にする女性であった。
今日子が智郎に追いついて話しかける。
「貴方は何度も未来へ行ったかもしれないけど、私は初めてなのよ」
「おめでとうとか、お疲れさんとか言ってよ」
智郎が無愛想に答える。
「その役目は山本に任せるよ」
山本が近づいてきて、智郎に向かって右手を差し出した。
若くして、5000人からの人間が勤める、日本未来研究所のリーダーである。
能力が有り、繊細で有りながら、豪胆であった。
「お疲れさん」
そして今度は今日子に握手を求め「おめでとう」と言った。
智郎は、今日子に向かって(ほら、言った通りだろ)と微笑んだ。
ベンツに乗り込むと、山本は説明を始めた。
三年前に智郎が持ち帰った未来の記録と、現在の違いについてである。
「お前が持ち帰ったディスクのおかげで、人類は随分助けられたよ」
説明によると、地震、台風、噴火等の自然災害は事前に発表され、被害は信じられない程少なく済んだそうだ。
ただ、戦争の記録は発表されなかった。結果を教える事は、戦争を始める国にとっては、良くも悪くも影響が有ると思えた。
敗戦国は、戦争を始めないかもしれないし、敗戦の結果を踏まえて、戦略を変えるかもしれなかった。
戦争については、始まりも結果も知らされなかった。
経済の記録については随分検討されたが、これも公表されなかった。
たとえばどこかの国の経済がはじけた事が前もって分かっていると、投機の対象になるだけで、世界が混乱するだけである。
発明発見の記録であるが、これは発明発見者に情報が提供された。
「3年かかるところを、人類は2年で進歩したね」
どこか山本は元気が無い。こんなに楽をして、人類は進歩して良いのだろうか。
または、災害から助かった人達の中には、これから世界を支える人がいるだろうが、凶悪犯罪人もいるだろう。
果たしてこれで良かったのだろうか。
神で無い限り、誰にも解らないことであった。それを山本は悩んでいるのだ。
「一つ聞きたいけど、美穂はまだ生きているのか」
美穂とは、智郎の最初の妻の名前である。
2019年に事故で命を失ったのだが、2032年から2019年に戻った時に、智郎は助けてしまった。
時間にゆり戻しが有るとしたら、美穂はやっぱり死んでいてもおかしくない。
「生きているよ。そしてその夫、過去のお前である智郎は、今も普通のサラリーマンだ」
やはり過去を変えると、未来は代わるのである。そして、時間はゆり戻さない。
という事は、おれはどうなるのだろう。過去と繋がりが無くなった俺は、これからどうなるのだろう。
普通に考えると、時間は過去から未来に繋がっていく。
過去が変化したのが未来であるならば、今の俺はどうなるのだろう。
過去には妻を事故で失わずに済んだ智郎がいて、今日現在サラリーマンとして生きているのだ。
2032年の俺と今日子は、どうなるのだろう。
過去が変化した事で、今はもう存在していないのではないだろうか。
二年で人類は三年分の進歩をしたのであれば、時代の変化が俺に追いついた時、俺は消滅するのではないだろうか。
物体が消滅する時、核爆発が起こる。
広島のリトルボーイが炸裂したとき、失われた物体はわずか7gであった。俺は75kgだ。
全ての検査が終わり、智郎は、日本未来研究所の客室に泊まる事にした、
今日子は両親が待つ自宅に帰ったのだろう。智郎は帰る所もないから研究所の客室を選んだ。
食事は研究所の食堂で済ませた。相変わらず美味くも不味くもない食事である。その食堂でTVをなんとなく見ていた。
ボクシングの世界タイトルマッチである。結果は新チャンピョンの誕生。そして勝利者インタビューが始まった。
「おめでとう御座います」
圧倒的な勝利である。3ラウンド2分40秒のKO勝ちであった。新チャンピョンは無傷であり、顔には余裕の笑みさえ見られた。
「有難う」と言った新チャンピョンの前に、男が現れたのはその時であった。
智郎は嫌な感じがした。智郎の動体視力をもってしても、何時、何処から男が現れたのか、分からなかったのである。
関係者が男を連れ出そうとしたが、瞬く間に倒されてしまった。
これも智郎には見えなかった。空手3段の智郎に見えないのだから、よほどの速さであろう。
流石に新チャンピョンが身構えた。「それ以上近づくな」
男はお構いなしに近づいて行く。
金髪で、瞳はブルー。身長は190㎝くらいだろうか。その身のこなしを見て、智郎は新チャンピョンが危ないと思った。
まずリーチが長い。そして角度がある。
さらにこの男の強さは、智郎の想像を超えるのである。
まず2発のジャブが新チャンピョンを襲った。確かに早いジャブであったが、新チャンピョンはかわせると思った。しかし当たった。
ビシッ、ビシッ。新チャンピョンの頬は裂け、血が流れ出した。
驚いたのはその次であった。
反撃に出た新チャンピョンの右フックは空をきり、謎の男の右ストレートが新チャンピョンの左頬を捉えたのである。
智郎は我が目を疑った。瞬間移動でもしない限り、有り得ない出来事だった。
男はマイクを鷲づかみにすると、「この程度では相手にならない」「智郎を出せ」と叫んだ。
観客は(智郎とは誰の事だ)と怪訝な顔をした。
警察官が走ってくる。
TVを見ながら、智郎は俺の事だと思った。
リングに上がった警察官は、そこに男を見つける事が出来なかった。
倒された新チャンピョンの、哀れな姿を見つけただけであった。
背中で声がした。
「あれがクロノス」「時間と空間の神、クロノス」
智郎が振り向くと、見覚えの有る顔が二つ並んでいた。
小太りの男と、黒シャツである。
「ここでは話が出来ない。お前の部屋はどうだ」
有無を言わせない態度である。智郎に選択の余地はなかった。
二人を部屋に連れて行き「タイムパトロールがなんの用だ」と聞くと
「このままではお前の命が危ない」「手を組まないか」と小太りの男が話しを切り出した。
相変わらず金つくしである。
金のネックレスに、手首の時計、指のリングも金である。知らない人が見たら、やくざと勘違いしてもおかしくない。
小太りの男は、「私は000(トリプルオー)」だと初めて名乗った。
そして黒シャツを「003(ダブルオー・スリー)だと紹介した。
クロノスは、3年間追いかけている重要犯罪人だという。
困ったことに、時間と空間を自由に操る超能力者だそうだ。
それなら、新チャンピョンの右フックが空を切ったのも、納得がいく。
被害者はすでに12人、何れも高名な格闘家が命を失ったそうだ。
クロノスは殺人鬼。それも世界最強を名乗る男たちをターゲットにした、殺人鬼だそうだ。
「タイムパトロールとしては、クロノスを、お前の協力で捕まえたい」
「断ったらどうなる」
「お前は一人でクロノスと闘う事になる」「まず勝てないだろう」
この「まず勝てないだろう」の言葉に智郎は反発した
勿論智郎にも、負けた経験は何度でも有る。
しかし、闘う前から「まず勝てないだろう」と決め付けられても、やってみないと判らないじゃないかと思うのである。
「タイムパトロールと手を組む気持ちは無いね」
「利用されるのは嫌だし、人を頼りにするのも性に合わない」
「帰ってくれないか」
小太りの男は「お前は13番目の犠牲者になるだけだ」「後悔するぞ」の捨て台詞を残して、部屋から出て行った。
今日子からの電話が鳴った。
「TVを見たかしら。どうやら貴方をご指名よ」
智郎は「今怖くて震えているんだ」と笑って答えると、今日子は真剣に「私に出来ることは無いかしら」と聞いてきた。
智郎はつい「助けてくれないか」と、言ってしまった。これは冗談のつもりであった。
しかし今日子は嬉しかった。(智郎の役に立てるかもしれない)
実際智郎は、今日子に助けられることになるのである。
そして智郎は、生まれて初めて、心底恐怖を感じる事になる。
ほどなく今日子が訪ねてきた。これにはまいった。
今日子はどうやら「助けてくれないか」を本気に取ったようだ。
今更冗談だなんて言えやしない。
今日子はベッドに陣取ると。早速TVをつけた。
「見てよ、丁度始まったわ」
思わず智郎もベッドに座り込む。これは危険な距離である。
今日子は魅力的な女性だが、ベッドの上で手が届く距離に魅力的な女性がいたとして、行動を起こさない男性は10人の内何人いるだろうか。
番組は、新チャンピョンのインタビューから始まった。
「おめでとう御座います」
「有難う」
ここでクロノスが現れる。何度見ても何処から何時現れたのか解らない。
「見てよ、一瞬だけど空間が白く光ったわ」
新チャンピョンがクロノスのジャブをかわすシーンである。
そう言われればかすかに光った気がした。
次の瞬間クロノスのフックが新チャンピョンを襲うのである。
新チャンピョンが一発で伸ばされたのだから、破壊力は相当なものだろう。
「どう勝てそう」
「無理だな」
本当に強い人間は、変に強がったりしないものだ。勝てないと思ったら逃げる。これはライオンでさえ同じだ。
録画していたから、スローモーションでもう一度見ることにした。
今日子は珍しくミニスカートであった。脚を組み替えて、これ見よがしに脚線美を智郎にアピールする。
智郎はそれどころではない。1/30倍速での再生でさえ、クロノスの動きが見えないのだ。
まずクロノスの左ジャブ。新チャンピョンの動きから見て当たるはずが無いジャブである。それが当たる。(白く光った。確かに光った)
そしてジャブが20cmほど伸びた。これじゃかわせない。
クロノスの右フックは左45度の角度からである。
一瞬にして右から左に50cmほどクロノスは移動したことになる。
テレポート。クロノスは、やはり瞬間移動したとしか思えない。
雨が降ってきたようだ。
「ねぇ、今晩泊まっていっていいかしら」「私傘を忘れたの」
「駄目だ」「俺は男で、君は女性」「帰った帰った」
智郎は今日子を引き止めるべきであった。
雨空に追い出された今日子が見たものは
夜空に渦巻く雨雲であった。
智郎に山本から連絡が入ったのは、次の日の朝であった。
「大変だ。今日子さんが拉致された」
智郎の表情が一瞬強張る。
「犯人は誰だ」
「クロノスと名乗っている」
(クロノスは、どうしても俺を誘い出したいのか)
智郎は、今日子を愛していない。
だが、俺の為に危険な目に遭っていると思うと、今日子に対して、すまない気持ちがした。
「クロノスはお前に、夜の後楽園ホールに来いと言っている」
「どうする」
「行かない訳にはいかないだろう」
智郎に勝算は無かった。TVを見る限り、勝ち目は無かった。
それほどクロノスの動きは、常識を超えていたのである。
クロノスとは、時間と空間を支配する神の名前。
智郎が空手3段だとしても、かすり傷さえ負わせる事が出来ないかもしれなかった。
勝てる相手と闘うのはたやすい。勝てない相手と闘うのは恐怖が伴う。
智郎がこんなに恐怖を感じたのは初めてであった。
「大人しくしていれば、危害を与えない」
その声に向かって、今日子の左回し蹴りが炸裂した。
ビシュッ。
しかし、今までかわされた覚えが無い今日子の蹴りは、空を切るのである。
「痛い目に遭わないと、駄目なようだな」
ボカァ。みるみる今日子の美しい顔が腫れていった。
(智郎、来ないで。貴方でも勝てないわ)
車のエンジンをかける。
(待っていろ今日子。俺がなんとか助けてやる)
車の中で智郎は考える。
クロノスが瞬間移動(テレポート)しているので有れば、わずかではあるが勝機はある。
消えた瞬間に四方八方にパンチを加えれば、まぐれ当たりがあるかもしれない。
しかし・・・と思うのである。
もしもクロノスに時間を止める能力があるのであれば、100%勝ち目は無い。
止まったままの俺を、クロノスは袋だたきに出来るのである。
俺は骨を砕かれ、内蔵は破裂し、血の海に沈むしかないのだ。
せめて相打ちに持ち込む方法は無いだろうか。
俺は死んでもいい。
それで今日子が助かるのであれば、死んでも構わない。
自分の為にひどい目に遭っている人間が居るという事は、それがたった一人であっても、愛していない女性であっても、我慢ならないのが智郎であった。
気がつくと隣に見慣れた黒のベンツが並んだ。所長の田所だ。いい男だと思う。俺と今日子が心配なのだろう。
後方に見慣れぬ車が等間隔で付いてくる。タイムパトロールの金づくしと黒シャツに違いない。
そして、誰が運転しているのか。赤いワンボックスが別ルートで後楽園ホールに向かった。
後楽園ホールは最大収容人数:2,000人程度である。
600㎡くらいだから大空間とは言えない。
クロノスは、この空間の時間を止める事ができるのだろうか。
答えは否であった。というより、日本全国の時間を止める力が、クロノスには必要であった。
試合の中継を、智郎は未来研究所の食堂のTVで見たのである。
そして画面はよどみなく流れたのであった。
クロノスが時間を止めて敵を倒すには、少なくとも日本中の時間を止めなくてはいけないのだ。
TV中継は日本全国に流れていたのだから。
「クロノスには時間を止める力は無い」「ならば、勝機は有る」
わずかに智郎の顔に赤みがさしてきた。
後楽園ホールの観客は、クロノスに手を引かれてやってきた今日子、日本未来研究所の所長である田所、タイムパトロールの二人、警視庁特捜課の二十人、最後に赤いワンボックスの男の計25人であった。
1対3の変則マッチがやがて始まる。
TV中継で「智郎を出せ」と言ったのはクロノスである。
当然挑戦者はクロノスであり、智郎はその挑戦を受けたチャンピョンという事になる。
リングの上にクロノスの姿が有った。そして観客席に今日子の姿が有った。
リングはわずかばかりの照明に照らされていたが、この暗さは智郎には不利では無かった。
どうせ見えない敵だからである。
タイムパトロールの二人が話をしている。
「どちらが勝つと思うかね」と金づくしの000(トリプルオー)が、黒シャツの003(ダブルオースリー)に聞く。
「10対1でクロノスだね」
「今日子が助けたとしたら?」
「10対2でクロノスだろう」
「いずれにしてもクロノスの勝ちだということだな」
タイムパトロールとしては、クロノスを逮捕する絶好のチャンスである。
智郎にはなんとしても頑張って欲しいところだが、智郎が負けた場合を考えて、エアーガンを使用する用意がある。
衝撃波で相手を倒す武器だが、像でさえひとたまりもない威力が有る。
警視庁の武器はニューナンブ99である。45口径だから殺傷能力はとても高い。
目の前で殺人事件が起これば、20人が同時に発砲することになる。
今日子が準備運動を始めた。軽い屈伸運動から始まり、肩を左右にひねり、長い脚の蹴りが空間を切り裂いた。
智郎がエレベーターで5階の後楽園ホールに上がってくる。多少緊張の色がうかがえる。
その頃赤いワンボックスの男が駐車場に車を止めた。微風の中の星空は美しく、月は満月であった。
タイムパトロールの話によると、クロノスは殺人狂だそうだ。
強い人間に勝負をしかけては、一人残らず倒してきたそうだ。
それは時代を超えてである。被害者はここまでに12人にのぼる。
タイムパトロールは、クロノスを3年追いかけているが、クロノスの為に005と008を失ったようだ。
これ以上被害者を出すわけにはいかないし、命を失った仲間の仇を取りたいところである。
クロノスが智郎に「出てこい」と言った。
そしてタイムパトロールは、智郎に期待した。
「もしかしたら・・・彼なら・・・」
エレベーターの中の智郎は、引き返したい気持ちで一杯であった。
膝がわずかではあるが、震えているのが自分でもわかる。
智郎は格闘家である。
一般人には無い、殺気を感じる能力が有る。
感じた方向に拳や蹴りを打ち込んだら、当たるかもしれない。
クロノスに10発殴られる間に、一度でもダメージを与える事が出来たら、勝機が見えてくるかもしれない。
そんな事を考えていると、エレベーターのドアが開いた。
警視庁の警部補が待ちかまえていて、「ここから引き返す事をお勧めします」と話しかけてきた。
「俺が逃げたら今日子が殺されるだろう。引き返す事はできないね」
タイムパトロールが近づいてくる。
「頼むぞ」
「どうせ掛け率は10:1くらいだろ」と智郎がにやりと笑う。
今日子が横に来た。
未だにクロノスに殴られた顔の腫れが引いていない。
「せっかくの美人が台無しだな」
「この顔だけは、貴男に見られたくなかったわ」
リングまでもう少しである。そこにクロノスが待っている。
「それ以上殴られたら、嫁のもらい手がなくなるぞ」
「いいわ。その時は貴男の奥さんになるから」
エレベーターのドアが再び開いたが、誰も振り向かない。
赤いワンボックスの男。過去の智郎、3年前の智郎であった。
リング下から見上げるクロノスは、TVで見るより大きく見えた。
「私もリングに上がっていいかしら・・」と今日子。
「いざという時にお願いするよ」と智郎。
クロノスは白いガウンを羽織っていた。
智郎はリングのロープを掴むと、宙を舞ってリングの中央に降り立った。
1辺18フィート(5.47m)の四角形のリングは、思ったより狭い。
クロノスまで3m足らずの距離である。
「よく逃げ出さずに来たな」クロノスは嬉しそうである。
これから始める残虐行為が、楽しみでならないのだろう。
クロノスは、白いガウンをリングの外へ放り投げた。
試合開始のゴングである。
鍛え抜かれた筋肉が露わになり、白く光った瞬間、クロノスは智郎の目の前から姿を消した。
(左か・・)
智郎の3段突きが空間に放たれた時に、クロノスが現れた。
読み通りの左であった。しかしクロノスはきちんと顔面をブロックして現れたのだ。
智郎の正拳突きはブロックを跳ね飛ばし、クロノスの頬をかすめたが、また白い光と共に、クロノスは消える
(右か・・)
智郎の右脚の前蹴りを、左腕で挟むようにクロノスが現れ、右のパンチが智郎を襲う。
左脚でジャンプして、クロノスの顔面を左脚の蹴りで狙うが、クロノスの右のパンチが一瞬早い。
グワァ。智郎がリングの端まではじき飛ばされた。
「まずい、智郎の読みは当たっている。しかしクロノスがその上を行っている」003である。
殺気を感じて攻撃をしかける智郎に対し、未来を感じて攻撃をしかけるクロノスの差であろう。
ここで、主人公である智郎(以下トモロー)と、赤いワンボックスで現れた智郎(以下智郎)について再度述べたい。
トモローは未来に旅立ち現在に舞い戻った。智郎は現在の世界に生き、未来にも過去にも行った事がない一般人である。
トモローは3年前、人生の生き甲斐である妻と子を失い、未来研究所にタイムマシンのパイロットとして入社、今日子(以下トゥデイ)と出会った。
トモローは二度目の妻としてトゥデイと結ばれ、子を授かり、未来に旅立ち、異星人との闘いの中で、再び最愛の妻(トゥデイ)と子を失う。
話がややこしくなるのは、これからである。
トモローは過去に戻り、智郎の目の前で、最初の妻と子の命を助けたのである。
人生には数多くの分岐点がある。受験の当落であったり、就職や結婚の良否は大きな分岐点となりえる。
事故で妻と子を失わずにすんだ智郎は、その後もサラリーマン生活を続けていて、幸せで平穏無事な人生を歩んでいる。
事故で妻と子を失ったトモローは、波瀾万丈の人生を送り、今は超能力者であるクロノスと闘っている。
智郎はトモローに借りがあり、それを返す為にここ後楽園ホールに現れたのであった。
念のためにくどくなるが、観客席にいる今日子は、トゥデイではなく今日子である。
トゥデイは未来の世界において、トモローの腕の中で死んでいるのだから・・・
トモローでさえ、クロノスには勝てないのかという気持ちが、000と003の頭の中をよぎった。
二人の前を、黒いシャツを着た智郎が通り過ぎたのはその時である。
(そうとも言えなくなったな)
トモローの苦戦にいたたまれず、思わず今日子がリングに向かおうとしたところを、智郎の掌が制した。
「貴女の出番はもう少し後だ」
今日子は驚き、ただでさえ大きな瞳がさらに大きくなった。
倒れたままのトモローに対し、クロノスが姿を消す。
(上・・)
トモローが転がって攻撃を避け、クロノスの蹴りはリングの床に衝撃を与えた。
今のところトモローは大きなダメージを受けていない。
しかしやがて感がはずれ、パンチを浴び、血を吐き、マットに這わされるのは時間の問題だと思われた。
立ち上がったトモローは飛び上がる。空中二段蹴りであるが、クロノスは姿を消してそれをかわす。
(後ろ・・)
絶対絶命の位置関係である。トモローの肘打ちはわずかにはずれ、クロノスのストレートがトモローのこめかみに向かった。
当たれば即死だろう。
その時一陣の風と共に、共郎が現れた。
クロノスの動きが止まった。
(面白い、二人の智郎か・・)
トモローはすかさず振り返り、正拳5段突きを繰り出すが、例によってクロノスは姿を消す。
トモローは左足を軸に回転を始める。現れるクロノスの脚を払う為の低い回転である。
智郎はロープに向かって走り、反動を利用してトモローの頭上に向かって蹴りを入れた。
そこにクロノスが姿を現した。流石に二人同時の動きは読めなかったのだろう。
智郎の蹴りはかわしたが、トモローに脚を払われマットに這わされた。
二人がかりでクロノスの両腕を掴む。クロノスは立ち上がろうとする。
智郎が目配せをする。
いまかいまかと待っていた今日子が走り、リングの最上段のロープから、前方回転、続けて踵落とし。「頬のアザのお返しよ」
それが見事にクロノスの脳天に決まった。白目をむいてクロノスはマットに倒れ込んだ。
タイムパトロールが来て手錠をかける。クロノス用の特殊タイプのようだ。
警視庁の警部補と000がなにやら話している。どうやらタイムパトロールが連行する事に決まったようだ。
日本未来研究所の所長田所が来て、トモローと智郎の手を握る。そして今日子の肩を抱く。
トモローが「あんな大技いつ覚えたんだ」と聞くと
「マトリックスのトリニティ。スコーピオンキックの応用よ」と今日子は答えた。
トモローは(怖い女だな)と苦笑いした。
タイムパトロールの000(トリプルオー)が来て、トモローと今日子に話しかけた。
「005と008の№が空いている。二人一緒にタイムパトロールに来ないか。
過去と未来の人類の平和に貢献して欲しい」と持ちかけた。
トモローの答えはNOであった。「俺は2032年に行くよ」
今日子が「トゥデイを助けに行くのね」と言うと、トモローは黙って頷いた。
もしもトゥデイを助けられたとしても、2032年のトモローが悲しみから救われるだけで、貴男の居場所は2032年にも無いわと今日子は思った。
「ついて行くわよ」というと、「勘弁してくれ、これ以上悲しみを味わいたくない」とトモローは答える。
トモローは、段々今日子に愛を感じていたのだろう。ついそんな言葉を吐いてしまった。
「貴男はただの弱虫よ」今日子の目に涙が浮かぶ。
人は失う物が大きければ大きいほど、悲しみは大きく、傷は深くなり、不幸のどん底に突き落とされる。
トモローは二度最愛の妻と子を失った。
未来から戻ったトモローは、最初の妻と子の命を3年前に助けたが、
いまだに2032年の妻は腕の中で命を落としたままであり、子は木星の惑星「エウロパ」の氷の海の中である。
それが心残りであり、トモローは2032年に戻り、妻のトゥディと子である未来(ミキ)の命を助けるつもりである。
今日子が聞いた。「もしも2032年の奥さんとお子さんの命を助ける事が出来たとしたら、その後はどうするの」
「ここに帰って来て、君に結婚を申し込むよ」
嘘である。少なくとも今日子にはそう聞こえた。
そしてトモローは、自分にふさわしい死に場所を探しているのではないかと思った。
トモローは「サンダーバードより高性能なタイムマシンをくれないか」と000に申し入れた。
000は「未来はもちろん、過去にも自由に行けるタイムマシンを、君に進呈するよ」と言ってくれた。
過去にペルーに巨大隕石が衝突した可能性があるとNASAが発表したのは、その三日後であった。
トモローの目が細くなり、右の掌を顎にあててにやりとした。
「まずは2032年だ」「そして次にペルー」トモローは立ち上がった。