どうも最近イタリア機にはまっていまして・・・フィアットのG50「フレッチア(矢)」がロールアウトしました。この機体が初飛行したのが1937年(昭和12年)、ちょうど各国で後の大戦で活躍する戦闘機が開発されていた時期です。当然当機に対するイタリア空軍の機体も高く、ライバルの
マッキMC200と共に新時代の戦闘機となるはずでした。(
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イタリアの戦闘機パイロット達は保守的で、運動性至上主義だったことは、前回も書きましたが、この機体でも同じような経緯があり、らくだのコブのように、胴体から不自然に盛り上がったコックピット・・・しかも同時代の各国の戦闘機とは逆行する開放式の風防が設置されています。イタリア機全般に言えることですが、エンジンの馬力が低く(初期型で840馬力 3型に相当する「ter」で1000馬力)最高速度は470km/hほどだったとか。また航続距離も670kmほどしかなく、まともに侵攻作戦に使える飛行機ではなかったようです。
実際に北アフリカ戦線では、
ハリケーンの初期型に対しても苦戦したようです。さらに、やめておけばいいのに(笑)
バトル・オブ・ブリテンも終焉した1940年10月には、「イタリア航空団」という遠征空軍を送り、百戦錬磨のイギリス防空戦闘機に挑戦しています。G50はまだしも、
CR42という複葉機を爆撃機の護衛につけてイギリス本土爆撃を敢行(←「敢行」という言葉そのものですねw)。
一回目の出撃では、複葉機を伴う二線級飛行機の集団に、あまりに意表を付かれた英空軍の情報部がその意図を量りかね、何かの謀略かと疑ったという話しもあります。
この後、この機体は独のDB600系エンジンに換装され
G55となるのですが、実際は機体各部の補強が必要で、違う設計の機体といっても良いほどの改修が行われたようです。(ライバルのMC200はもっとスムーズに換装出来たようです。)
私の父が30年以上前にドイツに出張した時に、ビールを酌み交わしたドイツ人から「今度はイタリア抜きでやろうな!」と耳打ちされたと笑っていましたが・・・そういうブラックユーモアが生まれるのも当然だろうな、と、この機体を眺めていると納得が出来ます。
でも、そういうマイナスのエピソードばかりが伝わるこの機体(や他のイタリア機)なのに、それを含めてなんとなく愛すべき滑稽さもまた同時に感じてしまうのが・・・魅力なんでしょうね(笑)
Posted at 2008/03/31 18:09:10 | |
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