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アスロックのブログ一覧

2016年04月10日 イイね!

であごすてぃーに雷電

さて05号です。
創刊号が紫電改、02号が零戦五二型、04号がキ43と、4号中3号が日本機です。
えらいペースだなぁ。
この後大型機はのぞいてもキ44、キ61、キ84、キ45、九九式双軽爆零戦二一型、二式水戦、月光、紫電、秋水、九七式艦攻、九九艦爆、銀河、彗星、橘花、烈風、震電・・・と試作機含めてメジャーどころがいっぱいあるのでネタには困らないか。
あ、橘花については特別攻撃機という分類ではありますが、いわゆる特攻機ではなく帰還を前提とした攻撃機(陸軍の火竜は戦闘機)として開発されていたようですよ。



ということで05号は海軍局地戦闘機雷電です。
ちなみに第07号はキ84なのでこれも楽しみ。



モデルのほうは今回も悪くないですね。
やはり筋彫りの代わりに一部は黒い線で表現されていますが2000円未満という値段を考えればこれは我慢できるのではないでしょうか。
派手な否妻模様の352空の機体なのもうれしいですね。



局地戦闘機「雷電」といいますが、「局地」というのは軍事上の要地のことでそれをまもる戦闘機。
局地戦闘機というのはいわゆる迎撃戦闘機のことをいいます。
元々海軍は艦上戦闘機1本に絞った戦闘機の装備体形だったのですが、昭和13年の中支戦区の漢口で中国軍爆撃機による奇襲をうけて被害を受けてしまいました。
九六艦戦が迎撃にあたったものの、防空戦闘では対処が難しいことがわかり、敵の爆撃機から局地の防空戦闘を行う局地戦闘機と長距離まで進出して爆撃機を護衛する長距離戦闘機の装備体形を作ることを決め、昭和14年に試作発注して生まれたのが雷電ということになります。



深緑色に日の丸が描かれてるので日本の戦闘機に感じますが、あらためてみてみるとどこか日本の戦闘機っぽくないシルエットに感じますね。
繊細で華奢な零戦やキ43と比べるとずんぐりでどこか重そう、それでいて非常にパワフルという感じがします。
この設計を担当したのは零戦の堀越技師なのですが、全く正反対に感じる機体で面白いですね。



後ろから。
零戦やキ43と比べると翼が短くみえます。
零戦二一型が全幅12m、全長9.05mに対して雷電は全幅10.85m、全長9.7m。
全長は60センチ以上雷電のほうが長いのに幅は1メートル以上短い!
これは雷電が求められた大火力で速度性能と上昇能力をもつことという要求仕様からくるものです。
最高速度602km/hという速度性能高度6000mまでの上昇時間5分30秒、7.7mm機銃と20mm機銃をそれぞれ2挺装備することというかなりのスペックだったようです。
零戦の要求仕様では速度500km/hでしたから実に100km/hの速度アップ!
これはもう強力なエンジンがなくては成立しません。
ただし運動性能や航続距離などは二義的なものとされていました。
この辺は零戦と対照的ですね。



機首が本当に太いですね。
零戦のエンジンが940馬力に対して雷電のエンジンは1800馬力と、2倍近いパワーです。
面白いのはこのエンジンですが大馬力なので当然直径も大きいのですが空気抵抗がバカになりません。
そこでプロペラの軸を前方に延長してその周囲を先を絞ったカウルで覆ったわけです。
それと速度性能重視のため、運動性能は二義的なものとされていたので重量増や抵抗をさけるため主翼を小さなものとしたのですが、翼面積が小さくなれば当然翼面荷重があがります。
零戦二一型が107kg/m^2に対して雷電は190kg/m^2と実に2倍近い翼面荷重となりました。
揚力は速度をあげることで得られますが主翼面積が小さい(翼面荷重が大きい)ということは速度をより上げないと揚力が得られないということなので旋回性能や低速での運動性能は低下してしまいます。
ここは対爆撃機に対して高速で接近して迎撃を行う雷電の用途を現してると思います。
主翼には空中戦時に使えるようファウラー式フラップを採用していたようです。




機体下に見えるでっぱりは水メタノール噴射装置のようです。
加給器で加圧された混合気を冷却するためのものです。
大馬力エンジンで高度1万メートルでの機動もできたため、本土防空戦ではB-29迎撃にも活躍しました。
ただ扱いが難しく、エンジンの振動問題もあったようで、零戦のような機動性重視から雷電の機動性は二の次で大パワーで速度重視の機体は搭乗員も戸惑ったと聞きます。
軽戦闘機と重戦闘機の過渡期の機体といえるかもしれませんね。
Posted at 2016/04/10 13:58:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記
2016年04月10日 イイね!

であごすてぃーに一式戦闘機(キ43)

さてであごすてぃーにのWW2傑作機コレクション04号です。

04号は一式戦闘機「隼」です。


モデルのほうはフォルムは悪くありませんね。
筋彫りなどは一部省略されて代わりに黒の線で表現されているのは好き嫌い分かれると思いますが、私はさほど気にならないかな?
主翼には200リットル落下タンクを装着することが出来ます。
胴体下につけるわけじゃないので、スタンドを組みつけても邪魔にならないのがいいですね。


塗装のほうは緑色ではなく無塗装銀に緑のまだら模様が施されているもの。
飛行第五四戦隊の機体を再現しています。



風防前には望遠鏡状のものがありません。
九六式艦戦や九七式戦闘機などにはついてるあの望遠鏡のようなものは照準器でレンズを用いた望遠鏡式照準器です。
あの筒状のものを覗いて照準して射撃するわけですが、当然見難いですし、照準中は周囲が見えないので空中戦では不便で、零戦では今のヘッドアップディスプレイのようなガラスに照準輪を投影する光像式が採用されています。
一式戦闘機も途中の生産型(二型の途中)から光像式が採用されています。
ということでこのモデルは二型というわけです。



こうしてみると翼が本当に長く、面積も広そうですね。
一式戦闘機は全幅11.4m、全幅8.8m、自重は1.58トン。
これは軽い!
ほぼ同時期にデビューした零戦が全幅12m、全長9.05m、自重1.75トンとわずかに一式戦闘機よりも大型でちょっと重いんですね。
零戦は格闘戦を重視した戦闘機だと知られていますが、一式戦闘機も同じく格闘戦を重視した軽戦闘機。
メチャクチャ軽いことがわかります。
一式戦闘機はその前任になる九七式戦闘機の影響を強く引き継いでいます。
空中戦=格闘戦という認識が強かったのか、陸軍は卓越した格闘戦能力を持つ九七式戦闘機の後継として昭和12年に中島に試作発注したわけですが、昭和14年に発生したノモンハン事件で九七式戦闘機はその強力な格闘戦能力を活かしてソ連戦闘機を圧倒したこともあり、格闘戦信望となったわけです。
九七式戦闘機は優れた格闘戦能力をもっているわけですが、その後継ともなればやはり速度性能の向上を求められます。
九七式戦闘機は650馬力のエンジンをもち最高速度468km/h、高度5000mまで5分38秒に対して新型戦闘機の要求は最高速度500km/h以上、高度5000mまで5分以内の上昇力というものです。
速度が速いということはさらに大きな出力のエンジンを搭載することになります。
当然重くて大型のエンジンを搭載するわけですが、要求仕様にはこうかかれてたそうです。
「九七式戦闘機と同程度以上の運動性能」
上昇力と速度を向上させて機体が重く大型化すれば運動性能は落ちてしまいますが、この無茶振りのなかで九七式戦闘機の拡大発展型ということで開発を進め、なんとか昭和13年12月に試作機がキ43として完成してテストされました。
性能はほぼ合格だったものの、水平旋回戦闘では勝てないからと審査官はNG判定。
採用の価値無しと判断されてしまったわけです。




中島では治具すら撤去したようですが、このとき太平洋での戦いでは陸軍はマレー半島で作戦を行うわけですが、九七式戦闘機ではそこまでの航続距離はありません。
そこでこのキ43の試作機に注目されたわけです。
要求仕様では800km以上の航続距離ですがキ43は落下タンクなしで1200km、落下タンク付で最大2600kmの航続距離。
九七式戦闘機の航続距離が627kmですから4倍以上にもなるわけです。
これでわずか40機の限定配備が行われたわけですが、非常に優れた活躍をするわけです。
水平旋回では負けてもそりゃ上昇性能が九七式戦闘機より向上してるなら水平だけでなく垂直方向での戦いに持ち込めば圧倒的な格闘戦能力を発揮できるはずです。
これで昭和16年に制式化され一式戦闘機」となったわけです。
その調達数は陸軍最多の5751機。
零戦とほぼ同時期にデビューしながらも隼のほうが1年遅い「一式」なのはそういう理由だったりします。



一式戦闘機「隼」ですが、どうも現場では「一式戦闘機」とも「隼」ともあまり呼ばれていなかったようですね。
略号の「キ-43」と呼ばれてたようです。
実際の操縦席内の銘板にも「キ43」とかかれているようで○型などの型式については防諜上の関係で未記入なんだとか。
この辺はちょっと面白いですね。
ところでこの写真だと胴体の日の丸の手前にちょっと大きな四角いパネルがありますね。
これ実は・・・・
非常脱出扉なんです。
知らなかった・・・・。




こうしてみると大型の機関銃がみえませんね。
もともと陸軍の要求では7.7mm機銃2挺だったわけですが、これは後にホ一〇三12.7mm機関銃に変更されています。
零戦は20ミリ機銃を装備してたのですが、キ43は装備できませんでした。
その理由は翼の構造で、零戦は超超ジュラルミンを使った超軽量・強度構造材で主桁を作ったために主桁が2本だったのに対してキ43は従来材料だったので強度維持のために主桁を3本にせざるを得なかったわけです。
当然主翼内部のレイアウトにも関係してくるので20ミリ機関銃を搭載できず、主脚の引込構造も場所が取れなかったので主翼付け根の前縁を膨らませる形にせざるを得なかったようです。
とはいえ、一方で燃料タンクは防弾対策がされていました。
アルミ合金製のタンクの周りをゴム皮膜と絹製フェルトで覆っていたわけです。


以上、キ43一式戦闘機隼でした。
Posted at 2016/04/10 02:25:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記

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