まだ学生の頃、スタンドでバイトをしていた。
しばらくやって夏休みを機会にやめたり、先方の人数が足りなくなったりして呼び出しが
掛かり復帰したりと、結構長く続いた。
長く続けると、バイトの中から正社員になったり、しかられて辞めたりとそこそこの人間
模様を見ることになる。丸先輩(仮称)はそんな中の一人だ。
不良である。車にいかれてると言った方が正しいかもしれない。
あまり他人と深く交わらない自分からすると、社会のいろんな事を知っているし、決断も
大胆だ。
バイトの中にはヤンキーもいたし地方出身ののんびり屋もいたが、先輩がしきるように
なった頃は、結構うまくいっていた。
先輩の車はニッパチのS130。濃紺に全塗装して、ロンシャンに当時としては異常な
50タイヤを履いていた。
みんなで伊豆に行った時に、少しだけ運転をまかされたが無茶苦茶に緊張した。当時は
土禁だ。懐かしいと思った人は同年代か?
渋滞が一時的にとぎれた。先輩が「踏めーっ」とどなるが、ほとんどペーパーな俺には
無理な話だ・・・。速攻でドライバーを降ろされた、くそっ。
ある日バイト先で先輩が、
「お前、箱スカいらね?裏にあっからよっ」
箱スカ?GT-Rの頃のスカイラインか・・・。当時はすでにケンメリを経てジャパンから
鉄仮面だった頃だと思う。32のRなんて乗りやすい車とは関係ない時代の話だ。
(箱スカか~、結構古いけどいいかもしれない・・・)
「つれのだけど2ヵ月車検あっから、とりあえず名変なしで乗ってろ、気に入ったら車検
通して5万くれ」
「それから駐車場は所長に頼んどいたから、裏おいとけばいいぞ」
さすが先輩、的確である。
箱スカはさすがにやれていたが、ボンネットの中のL型が誘ってるように思えた。先輩の
友人はかなりさわっていたようで、半分廃車予定だったが故に強引に部品を取られ、電装
系やカーステまわりはかなりラフな状態であった。
ホーンが鳴らない、ウインカーがつきっ放し、急に失火するなどなど『もらいます』とは
言ったものの、公道を走るのは難しい状態だった。
先輩や正社員が仕事の片手間にいろいろみてくれたけど、深夜ひそかに環状線あたりを
2回ほどしか走れなかった。ブレーキを踏むと、ハイビームが4灯同時点灯するんで恥ず
かしかったな。
「おぃ、金かけて直すまでねえぞこれ」
結局税金がもったいないってことで、すぐ廃車になってしまった。
今でも思い出す。
私の初めての、一週間だけの愛車、箱スカ。
小振りな車体に、すかすかなエンジンルーム。へたった内装に三角窓。さびた給油口の
そばにあった『有鉛』の赤いシール。
先輩の困ったような懐かしい笑顔。
遠ざかる破れたマフラーの音・・・
(この文章は、スピマスさんのブログ『初めて~』と『エンジン~』の協賛テーマです)
Posted at 2005/02/18 19:40:03 | |
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