すんまそん、前回ブログに書いてから2ヵ月以上も経ってしまい、
「あの続きを楽しみにしてるんですけどぉ…」ってなリクエストを
面と向かって言われたりしたもんだから(汗)、続きを書こうか、と(笑)。
せっつかれないと始めないというスタンスは、
〆切が迫らないと原稿を書かない…という、
雑誌編集者の生きざま(!?)そのものじゃんか(笑)。
前回のブログを忘れちゃってるひとも多いと思うんで、
まずは
ココをポチッ! として読んでもらえると幸い。
単身イタリアに乗り込んで、
アウトドローモ・ディ・モンツァにたどり着き、
みごと自由席3日間の通し券をGETしたオレ。
F1GP開催期間中は、ミラノに確保した安宿から、
毎日、電車&バスを乗り継いでのモンツァ参りだ。
1991年と言えば、エントリーマシンがたしか40台近くあって、
予選に出るための予選、“予備予選”が開催されていた時代。
つまり、GPウィークは金曜の朝8時にスタートするのだ!
当然オレは、それに間に合うようにモンツァ入り。
予備予選でしか見られないマシンが出走するわけだし、
(出走8台中、予選にコマを進められたのは上位4台のみ)
公式セッションを1つ多く見てトクした気分にもなりたかったし、
なにより、お気に入りのM.アルボレートが走るんだから、
「これを見ずに何がF1GPだ!!」ってな意気込みだった(笑)。
オレはピットから一番離れたレズモコーナー出口のイン側で観戦。
まだ日が昇りきっていないコースを、
ブラバム、フットワーク、コローニ、
AGS、フォンドメタルのマシンが駆けていく。
フットワークのM.アルボレート。
(コンパクトカメラでの撮影なんでクオリティは期待しないこと!! 笑)
かつて栄光のナンバー“27”をつけ、
ティフォシの期待を一身に受けて
真紅のマシンを駆っていたドライバーが、
予備予選を走らなければならないとは皮肉だけど、
初めてナマで見るF1マシン、そしてアルボレートの走りに、
オレは鳥肌が立ったのをよく覚えてる(笑)。
そのあとのフリー走行&予選はバックストレート外側に移動。
前日、ちゃんと下見をしておいたおかげで、
お目当ての観戦ポイントにスムーズにたどり着けた(笑)。
まずはフェラーリのエースドライバー、
A.プロスト。
V12のカンツォーネは澄んでいてカン高く、
ホントおしっこチビりそうなくらいの
スーパー悶絶☆快感サウンドだ!!
マクラーレンに搭載されたホンダV12や、
リジェに載ったランボルギーニV12は、
ことサウンドに関しては、
フェラーリの足元にも及ばない…
ってことを実感したもんだ。
さらに、A.プロスト&J.アレジの赤いマシンが現れると、
観客からは割れんばかりの声援が飛び、
憎きライバル、A.セナに対しては当然ブーイング(笑)。
そう、イタリア人にとってのF1は、
フェラーリこそすべて! なのだ。
(M.アルボレートやR.パトレーゼ、I.カペリなど、
イタリア人ドライバーにも声援が送られてた)
続いて、この年がF1最後の年となった、
我らが中嶋 悟。
アンヘドラルウイングを装備した、
ブラウンカラーのティレルが懐かしい!
前年のチャンピオンエンジン、ホンダV10を手に入れ、
パワー的にはライバルと互角以上の戦闘力を持っていたものの、
マシンの重量バランスとピレリタイヤが泣きどころだった。
それでも、この年の開幕戦アメリカGPで中嶋が5位入賞を果たし、
チームメイトのS.モデナ(これもオレの好きなドライバーだ、笑)は、
モナコGPで予選2位(決勝リタイヤ)、カナダGPでは決勝2位で
表彰台に立つなど、時折速さを見せてたっけな~。
さらに、前戦ベルギーGPでジョーダンチームから
衝撃的なデビューを果たし、イタリアGPではなんと
ベネトンのシートに収まっていた
M.シューマッハ。
オレはM.シューマッハが電撃移籍したことを知らなかったから、
モンツァでベネトンのマシンを見て、
「N.ピケは走ってるけど、もう1台はだれ??
あのヘルメット、R.モレノじゃないし…」
と不思議に思った記憶がある。
んで、場内放送を聞いていて、
「な~るほど、あれがM.シューマッハか!」と。
つまり、1991年のイタリアGPはM.シューマッハにとって、
ベネトンでの初レースであり、のち1995年だか1996年まで、
ワールドチャンピオン獲得を含むベネトン黄金期を築き上げる、
最初の一歩、メモリアルレースだったとオレは思ってる。
いや~予備予選、フリー走行、予選を観ただけでも、
すでにお腹いっぱいな感じ(笑)。
これが翌日(土曜日)にもあって(予備予選はないけど)、
さらに日曜には決勝レースが行われると思うと、
もう「F1GPを満喫しまくりだ~!!」と超ウキウキモードに(笑)。
が、しかし、これだけで終わらないのがイタリアGP。
金曜日の全セッションが終わったあと、
なんとヒストリックF1が走り出したのだ!
最終コーナー、パラポリカの内側で観てると、
いきなり目の前に現れたのが、
フェラーリ312T!!
1975年、N.ラウダとC.レガツォーニの布陣で、
N.ラウダがドライバーズチャンピオンに輝き、
コンストラクターズチャンピオンも獲得し、
のち“T5”まで進化することになる
近代フェラーリF1の傑作マシンだ。
続いて、312Tの最終進化モデル、
1980年シーズンを戦った
312T5。
特徴的なノーズを持つこのマシンは、
横幅の広いフラット12が災いして空力特性に劣り、
グランドエフェクトカー全盛の時代に戦闘力不足が露呈。
J.シェクターとJ.ビルヌーブという名手をもってしても、
シーズン0勝、コンストラクターズランキング10位という、
フェラーリにとっては屈辱的なシーズンとなってしまった。
それに代わって1981年に投入されたのが、
フェラーリ初の1.5LV6ターボ搭載の126CK。
写真は、その正常進化モデルで、
1984年に実戦投入された
126C4だ。
ドライバーはM.アルボレートとR.アルヌーのコンビ。
この年からフェラーリに加入し、
ひさしぶりの地元イタリア人ドライバーとして
ティフォシに大きな歓迎をもって受け入れられた
M.アルボレートがベルギーGPでポール・トゥ・ウィン。
しかし、1984年シーズンはこの1勝だけに留まり、
コンストラクターズタイトルを獲得したマクラーレンに、
大差をつけられてシーズンを終えた。
さらに、イタリアつながりでこんなマシンも!
アルファロメオ182!!
アルファロメオV12を搭載した1982年のマシンで、
まだF1ドライバーとして駆け出しだったA.デ・チェザリスが、
ロングビーチGPでポールポジションを獲得、
モナコGPでは決勝で3位に食い込んだ。
そして、ヒストリックF1と言えば、コレ!
ティレル…いや、
タイレルP34だ!!
空力性能の向上とアンダーステアの解消を狙って、
フロントに4つの小径タイヤを配した6輪マシン。
カラーリングが青×白の2トーンだから、
R.ピーターソンとP.デパイユがドライブした1977年仕様だ。
…とまぁ、こんな往年のF1マシンがホンキでアタック(汗)。
日本人の感覚からすると、
博物館に展示されててもおかしくないような
往年の名F1マシンを全開で走らせちゃうなんて、
心底「スゲェ~!!!!!!」とえらく感心&感動した。
でもって「モータースポーツの本場はヨーロッパ!」
なんてことを初めて意識したのも、この時だったと思う。
しかもこのあと、テールtoノーズなんて甘いもんじゃなく、
前車と後車が完全に一体化してるバンパーtoバンパー(笑)で、
スリップストリームの応酬合戦をくり広げてる
ルノークリオカップなんかも開催されてたな。
とまぁ、予選1日目にして、
見るものがすべてが新鮮で、
この上ない興奮を覚えたイタリアGP。
決勝レースが終わるまでの3日間は、
あまりにも濃すぎる時間に
圧倒されっぱなしだった
…ような気がする。
と同時に「ナマで観るF1GPってこんなに面白いんだ!!」と思い、
翌年、翌々年とまたイタリアGPに
足を運ぶことにもなったのだ。