1987年、フジテレビの全戦テレビ中継開始とともに始まった
オレのF1熱(笑)は、1991~1993年にピークを迎えた。
日本では中嶋悟デビュー年のロータスでのチームメイト、
A.セナが大人気だったけど、
80年代半ばに台頭しつつあったホンダパワーに対して、
マシンの絶対的なパフォーマンスで劣りながらも、
チームの総合力と、計算高く老獪なテクニックで、
85~86年と2年連続でチャンピオンを獲得していた
A.プロストにオレは興味を持っていた。
そんなA.プロストが1989年のシーズンオフ、
長年苦楽を共にしたマクラーレンからフェラーリに移籍。
1990年は鈴鹿1コーナーでの“あの一件”が起こるまで、
マクラーレン&A.セナを相手にシリーズタイトルを争った。
上昇気流に乗った超名門チームの戦いぶりを見て、
「1991年は間違いなく
A.プロスト&フェラーリが
シリーズタイトルを獲得する」と確信したオレは、
晴れて大学に合格して“自由の身”になったこともあり、
A.プロストが駆るフェラーリF1をナマで観る!!と決意。
それも、
フェラーリのホームコース、
アウトドローモ・ディ・モンツァで、
ティフォシたちの熱気を感じながら、だ。
ぶっちゃけ、鈴鹿でF1を観る気はまったくなかった。
当時の異常なまでのF1人気によって、
当たるか当たんないかわからない観戦チケット購入の抽選なんて、
バカバカしくて応募する気にならなかったし、
自由席でも3日間の通し券が1万5000円くらいと高く、
交通費や宿泊費まで考えたら「いくらかかるのよ?」
って感じだったから。
どうせカネかけるなら、
フェラーリの本場に行っちゃお!
ってワケだ。
が、ツアーで行くとなると、
どうでもいい観光がついてたりするし、
見ず知らずの連中と団体行動しなきゃなんないし、
それ以前に30~40万円なんていう
旅行代金が必要なんで当然パス。
初めてのF1観戦である前に、初めての海外旅行だってのに、
大韓航空の成田~チューリッヒの往復格安航空チケットと、
ヨーロッパ各国の電車が乗り放題のユーレイルパスだけ手に入れて、
「あとは行けばなんとかなるだろ?」と(笑)。
こうして1991年9月、
オレはついに
モンツァに足を踏み入れた。
(サーキットにたどり着くまでにもイロイロあったけど、
書くと長くなりすぎるんでここでは割愛)
到着してから知ったんだけど、
だだっ広い国立公園の一角に、
サーキットがあるのね。
…ってな感想はどうでもよくて、
F1イタリアGPを観るために
オレがまずやらなければならなかったことは、
F1観戦チケットの購入だ。
↑コースに向かう道。
今でも自分で「スゲェな」と思うんだけど、
「観戦チケットを持たずして現地まで乗り込み、
もし買えなかったらどうすんだ??」ってな考えは、
当時20歳のオレには
まったくなかった(笑)。
というか「モンツァまで来ちゃったよ!!!!!!!」と感激しながら、
まずはサーキットを隅から隅までこの目で見たくて、
コースに沿って歩いていると、ほったて小屋を発見!
中にはオバちゃんがひとり座っていて、その前には、
なんとF1観戦チケットが、
山積みになってるじゃないの!!
「翌日からF1ウィークが始まるってのに、
こんなに売れ残ってんのか?」と思ったら、
イタリアGPではサーキットが収容できる観客数以上の
観戦チケットを売ってるのが普通らしい(汗)。
というサーキット側の事情はどうでもよくて、
はるばる日本からやってきて、念願だった
イタリアGPの観戦チケットを
GETすることに成功したのだ!!
で、思わずベンチで記念撮影(笑)
手に入れたのは当然、自由席3日間の通し券。
鈴鹿じゃ1万5000円もする券が、イタリアでは、
なんと4500円(当時の為替レート)
で買えてしまったことにビックリだ!
(これに気をよくして1992~1993年もイタリアGPに足を運ぶことになる、笑)
無事にF1観戦チケットを手に入れ、
これでイタリアの路頭で迷う心配がなくなったオレは、
もはやこわいものナシ!
気持ちにもよゆうができたんで、
「フェラーリ応援グッズを買わなきゃ」と思い、
いくつものテントが軒を連ねるお土産屋を巡って、
キャップとフラッグを購入した。
で、にわかティフォシ(笑)になってコース巡りを続行。
最終コーナー立ち上がりから見たホームストレート。
ここをF1マシンが全開で加速してくと思うだけで、
ゾクゾクして鳥ハダ立ちまくり。
ホームストレート上では…
なんかスターティンググリッドを描いてるんですけど(笑)。
さらに、レズモコーナーの立ち上がり。
バックストレートの手前で、
オーバーテイクポイントのひとつ、
アスカリシケイン進入側。
オレは予選をココで観ていて、想像をはるかに超えた
F1マシンの凄まじい減速力
を目の当たりにすることになる。
で、最終コーナーであり、
F1だと200km/h以上で突っ込んでいく
モンツァの名物コーナー、パラボリカ。
こっちが進入側で、
こっちが立ち上がり。
コースをひと通り下見したあとは、
もう1ヵ所、どうしても見てみたかった場所に向かう。
かつてレースで使われていた
オーバルコースのバンクだ。
1961年を最後にレースで使われたことはないけど、
ここを駆け抜けていった往年のグランプリマシンを想像すると、
ジーンと胸が熱くなって、イタリアGPの伝統と歴史ってやつを
ちょっとは実感できたような気がする。
ちなみに、バンクの裏側はこんな感じ。
梁や支柱の数が思いのほか少なく、
しかも細い…ってのが意外だった。
さらに、オレは他のひとがまずやらないであろう、
記念撮影にチャレンジ!
そう、セルフタイマーを使って、
バンクに大の字に寝そべったところを
撮影してみたのだ(笑)。
意外にも寝心地は良かった!?
以下、そのうち書こうと思う。
Posted at 2012/10/11 17:10:27 | |
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