2012年09月05日
今思うこと・・・・①
平成24年7月30日午前10時29分 母当年85歳 市内総合病院にて死去・・・
母は5年前の6月頃から、糖尿病・認知症・脳梗塞・等々で入院しました。
入院当時は自分の財布を自分自身で隠してそれ自体を忘れてしまい
周りの人が盗んだと思い・・『だれかれかまわずに どろぼーーと叫んでました』
それが一日に何度も続くと流石に、家庭内が徐々にですがギクシャクして来ました。
もちろん病気『認知症』だと分かっていてもです;;
母が入院させる事にした一週間の間はある意味地獄で・・家庭内は怒号が飛び交って
遣る瀬無い日々・・・・そして私の入内決心!
その夜中、まだ元気だった頃の父(2年後に他界)のところに行き、話がありますと言った・・
「明日、おやじと俺とで母を病因に入院させよう・・・・ね、おやじ!」
もちろん、それは母を騙してでもと言う意味でもありました。通常認知症の人は自分が
そんな病気だとは認知しておらず、そこがこの病気の陰気なところだと今は思っています。
翌朝、親父とおふくろは私の車に乗せ市内にある総合病院の精神科へ行き
即日、入院させました。
それからは、仕事の合間に週に2~3回位は病院通いが始まりました。当時私は
会社を経営しており、そこそこ成功を収めていましたが、母が入院して一年後には
父親の通っている母とは違う、市内の某総合病院の主治医から電話があり身内の
方に会いたいとの事だったので、その三日後のお約束した時間に尋ねると、そこで
聞かされた事は肺癌が大きくなってきたので余命は後1年以内でしょうとの事でした。
もちろん父もそれからは病院への入退院を繰り返すようになり、実は兄弟は姉が
いるのですが、姉も自宅療養の病人なので、当時独身の私は1人で3人の病人を
診なければ行けなくなり。仕事が終わったから病院へ行く事が多くなり自分自身も
体の不調が出てきて、これじゃいけないと思い。人生を掛けていた会社を休業状態
にし介護に専念することになりました。
まず、父親の事から時系列にお話すると、本人がどうしても入院が嫌だと言うので
自宅療養にし医師と看護婦に往診をお願いして点滴と酸素をさせていましたが最終的には
地元のホスピス(最終緩和医療)へ入院させるとこになり取りあえず安心感があった
ことは言うまでもありませんでしが、それもつかの間の事。 医者に言わせると譫妄(せんもう)
と呼ぶらしいですが、末期の癌患者によくみられる症状で認知症に良く似た症状になるそうで
父の場合、その症状とはホスピスで急に「明日家に帰りますので明日息子が迎えにきますので
病院代の清算してください」と怒鳴ってたそうです。
無論、父からは私にも電話があり明日退院するので支払いしてくれとの事!その日即座に
病院へ行き主治医とお話して父には【退院】、病院的には【外泊】ということにして頂きました。
それからは自宅にて介護ベットで医者と看護師さんの往診でした。
その父がホスピスに戻る事になったのは、家に戻ってきてから20日程してから急に吐き気を
覚え急遽、医者に往診を頼み診断をして頂いたのですがホスピスに連絡した方が良いと言われ
連絡をしたところ、嘘を言っても父を病院へ連れてきなさいと言われ、その通りにしました。
亡くなったのは次の日のお昼でした・・・・・・・・(早いものですね命の炎が消えるのは)
続く
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Posted at
2012/09/05 11:12:38
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