これからの日産の世界戦略車たる FWD 車の先鞭としてパルサーは登場した訳だが、実際の中身はチェリーのメカニズムをキャリーオーヴァーしたに過ぎない内容だった。
裏を返せば、FWD特有のクセが強かろうと、エンヂンの幅を少しでも狭くしたいという思いから採用されていた「イシゴニス式」の二階建てエンヂンとミッションの構造も、当時の FWD 車としては、そんなに悪くない内容だったからに他ならない。
何よりも、日産が売れなかったにしろ、脈々と FWD車 を造り続けていた財産は、パルサーになってもメンテ等は、変化が無くディーラーにとってもお手の物だったし、逆に早急なメカの見直しは、信頼性という点からも難しいだろうという判断だったのかもしれない。
奇しくも、この年、トヨタからは、トヨタ初の FWD車 である、ターセルとコルサがリリースされたが、操縦性やメンテなどの点から、縦置きエンヂンという本来の FWD車 のメリットを打ち消す様なレイアウトでリリースされたのも、 FWD車のクセと整備性の悪さの克服(当時はFR車全盛なので、FWD車のレイアウトは少数派だったのだ)という観点で作られていたのだ。
あまりにも売れなくて、後期には「山口百恵」をキャラクターに「MOMOEセレクション」なんて末恐ろしいグレードもありました。
特別 山口百恵の・・・こんな特別仕様車もありましたねぇ・・・
⇒ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/119244/
さらに些細な事なのだが、クルマとしての縦横比が、チェリーに比べて良くなり、見た目もそうだが、FWD車の美点であった直進安定性などもパルサーになって、ずいぶんと良くなっていた。
チェリーもF-2になって、僕的には好きなクルマだったのだが、本当に売れなかった・・・
そして、FWD、2BOXという世界的な潮流に乗ったかに見えた パルサー だったが、前回ブログした通り、その外見とは似合わず、じつはハッチを持たない「セダン」であったことは、ユーティリティの面でも不利であって、さらに、それまで 2BOX でハッチが開くと「ヴァン」みたい・・という声も確かにあったが、ハッチの開くモデルの追加を求める声も強くあった。
その声に応えるように、発売から4か月後には、3ドアハッチバックと、スポーティなクウペ、そして、それでなくともビュンビュン回る A14 エンヂン に EGI を装着したモデルを追加した!!
Cピラーがダーク色に塗られ、あたかもタルガトップの風情があるクウペ。
とにかく、A14E を搭載するモデルは、軽量なボディとも相まって、さらにもともとビュンビュン回る素性の良い A型 の性格をより一層引き出して実に痛快なクルマだった!!
ミニスカラインたるデザインとも相まって、さらに人気が加速した事は言うまでも無かった。
そして、ハッチバックの売れ行きを見届けるように、翌年の 9月 には、ついにと言うか、ようやく 5ドアハッチバック も追加され、
4ドアセダン、3ドアハッチバック、5ドアハッチバック、クウペ という実に賑やかな布陣で、サニーより若々しいイメージも後押しして、
どうだ!と言わんばかりラインナップを誇ったパルサーシリーズ。日産の意気込みが伝わる一枚だ。
人気車種としての立場を不動のものとしたのだった。
ブログ一覧 |
クルマ | クルマ
Posted at
2014/08/08 01:51:54