1978年、日産からチェリーよりブランニューした「パルサー」が登場した。
まだまだ日本では、FWDと言えば「好きモノ」が乗るクルマみたいな風潮があって、中には、それまで親しまれたFRとは違った操縦性に、免許取り立てや女性にはお勧めできないなんていう論調まで存在した。
それは、喰わず嫌いで、タックインやガスペダルの加減で自在に向きを変える事が出来る「クセ」さえ飲込めば実に楽しいモノであったが、そういった点も「好きモノ」と言わせるポイントになってしまっていた。
しかし、風雲急を告げ、オイルショックによって小型車人気が定着して北米ではアメリカ資本のクルマが売れなくなっていた。
そこでビックスリーは、中小型車の開発に力を入れ、特に GM は、日本車キラーと呼ばれた「Xカー」を開発して北米のみならず日本や欧州にも殴り込みをかけて来た!!
省燃費、低故障率でわが春を謳歌していた国産車も、あの GM が名指しで「日本車キラー」といって開発した「Xカー」には戦々恐々だった。
そうしたアメ車の日本車追撃の先鋒として、そして国産車がまだ弱かった欧州にクサビを打ち込むために日産が開発したのがパルサーでもあった。
「Xカー」なんだが、日本にやって来て中身を見ると、低品質で故障も多く、デザインも日本人のテイストに合わなかった為に、まったく売れなかった。
日本車キラーで登場した「シボレー・サイテーション」。造り込みが甘くデザインも大雑把で故障も多く「最低ション」とも呼ばれてしまった。
本国でも、品質の悪さで叩かれ、あれほど「日本車キラー」なんて自信満々で日本にも来たが、デザインも日本人に合わず故障も多かったので
「最低ション」 とも揶揄された。
パルサーにハナシは戻るが、外見は大幅に現代的になったが、中身は、まだまだ「チェリー」の技術がキャリーオヴァーされ、マイルドになったとは言え、まだまだFWDの癖が時たま覗くものではあったが、たっぷりとした、サスストロークを持ったトレーリングアームのサスは、乗り心地が良く
「いくら乗っても疲れない」なんても言われて概ね好評で迎え入れられた。
欧州でも、その質実剛健で手ごろなサイズ、故障の少なさで一定の評価も受けるようになっていった。
パルサーは、まだまだ粗削りな部分もあったが、日産の国産車のFWDの敷居を下げた功労者と言ってもいいだろう。
そんな初代パルサーの姿を徳小寺的にブログでまとめてみた。
パルサー ヨーロッパ 生涯欧州戦略車として生き続けた
https://minkara.carview.co.jp/summary/13059/
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Posted at
2020/12/30 15:12:57