N14パルサーのブログの中で「アルファロメオ・アルナ」の話題を一行カキコミしたら、
「そんなクルマ知らない」、
「詳細を」、
「レオーネの3ドア?」
なんていう問い合わせが個人的にてんこ盛りやって来てしまいました。
そこで、かつて歴史の波に消えた、メーカーでさえ作った事を忘れていると言われた、孤高のレア車「スタンザリゾート」を越える謎の日伊混血車「アルナ」をご紹介しようと思い立ったのです。
(噂によれば、日本のレア車研究の第一人者
「みやこし氏」 も知らないとか・・・こりゃ大変だ!!)
1980年代、日本の自動車産業は未曾有の危機的状況にあった。
オイルショックが始まると、北米でのスモールカー、究極には日本車の大躍進で、アメリカのビッグスリーはひん死の状況。
その中で、GMは究極の日本車キラーとして「Xカー」を発売し、ジリジリと北米での日本車のシュアを侵食し始めていた。
(実際には、Xカーはクルマとしてのデキは最悪で、大幅なディスカウントで売り上げを伸ばしていただけだったのですが。)
残念ながら資本力等では、日本の当時のトヨタでさえ、ビッグスリーには到底太刀打ちできるモノではなく、日本のメーカー各社が、世界的規模で生き残りをかけた模索を始めたのだ。
日産は、「グローバル10」 という目標を掲げ、盛んに欧州のメーカーとの合弁やOEM(相手先ブランド供給)、現地生産に活路を見出そうとしていた。
その中で、当時経営的に苦しかったアルファロメオとの劇的な合弁が発表された。
落ち目とはいえ、欧州で絶大なブランド力をもつ「アルファ」のネームヴァリューと、卓越したアルファの技術力を吸収したかったというのが日産のホンネだった。
そこから生まれたのが、N12「アルナ」だった。
フロントグリルと内装、エンジンはアルファが手がけ、初の日伊合作のクルマとして華々しくデヴューしたが。
確かにアルファチューンドの足回りは、オリジナルのN12に見られた、頑固一徹のドアンダーステアから、欧州的なロールは許すが懐の深い・・といった特性に変化し、当時、造り手が違うとこうも違うのか・・と日本の評論家達は舌を巻いたのだが、しかし、基本的なデザインが異なりすぎていた。
いかにも付け焼刃なフロントグリルと言い、どうしようもない質感の無い内装は、アルファが意地で本皮のステアリングを奢ろうが魅力的とは言えなかった。
当時の日本車の内装は「プラスティッキィーバロック様式」と欧州では呼ばれていて、つまり一見豪華に見えるが、良く見るとただのプラスティック細工で中身が伴わないと言われていた。
正直、N12でアルファを作れと言われた向こうの技術者達は、大いに悩んだ事は容易に想像できる。
どだいN12パルサーのボディに、スッドのエンジンを搭載しても、絶対的なクルマとしての完成度は低く果たせるかな、アルナは大失敗した。
1980年に日産自動車と共同出資組織として設立しARNAであったが、結局日産との提携を解消され、莫大な借金を更に重ねる事なり、1987年フィアット傘下に収まる事となったのだ。
同時期、あれほど「日本車キラー」と言われた、GMの「Xカー」も日本に輸入されたが、その出来栄えの酷さに早々に市場から消えて無くなってしまった。
結局は日産も、アルファも歴史の激流に翻弄されてただけだったのかもしれない・・・
スタンザリゾート以上に歴史の波を読みきれずに、日産お得意の「無かった事に。。」の80年代代表が「アルナ」だったのかもしれないのだ。
Posted at 2005/03/17 11:51:03 | |
トラックバック(0) |
クルマ | クルマ