僕はアイドルとか芸能というモノには、正直疎いのだが、なぜか彼女の名前と存在は、とても気になっていた。。
僕が彼女の存在を知ったのは、もちろん、あの大ヒットとなった「1986年のマリリン」からなのだが、それ以来は、正直に言って然したる興味も示さないでいたのだが。。。
それが、「ミスサイゴン」でオーディションを受け合格してミュージカルスターとして活躍した。。という話しを聞く様になって、移り変わりや、人の入れ替わり立ち代りの多い芸能界で頑張っているんだな。。と思うようになったのだ。
そして、今年の1月彼女が「白血病」であるというニュースが流れてからは、僕は密かに彼女を応援する様になっていた。
「白血病」。。。
この病気の名前を聞くと、とても苦く僕の心をいまだ持って悩ませるのだ。。
最初に、この病気の存在を知ったのは、僕が小学生の低学年の頃、被爆後10年たって「白血病」になり、折鶴を1000羽折れば病気が治る・・・と信じて、折鶴を折り続けたが、途中で力尽きて尊い命を失った、「原爆の子の像」のモデル、佐々木禎子さんの事を知ってからだった。。
小学5年生の時、実はクラスで「千羽鶴」を折って、この像に送ったのだが、数日後、心無い大人の為に放火に合い、焼かれてしまったのだ。
僕は、この「千羽鶴」造りに熱心に没頭しただけにショックは大きかった。
僕が柄でもなく「千羽鶴」の製作に没頭したのは、実は、やはり小学生の頃、クラスに一人の女の子がおり、その子は身体が弱く、いつも体育の授業を休んで見ていた。
クラスでも僕は体育が苦手で、いつも休んでいるその女の子に、ある日「いいなぁ、いつも体育休んでいて。。」と何気なく言ってしまったのだ。
そのときの悲しげな顔が、数十年経った僕の脳裏からいまだ離れないのだ。
その言葉を発した数日後、彼女は入院してしまった。
病名は「白血病」だった。
どれほど、元気に運動したかったのか?どれほど彼女が苦しんでいたのか?小学生だった僕でも、その難しい病気であったと聞いた時には、頭から冷水を掛けられた気がした。
入院してから、僕は少しでも励みになるようにと、何通かの手紙を送ったが、数ヵ月後に彼女は帰らぬ人となってしまった。
「何気ない」とはいえ、自分の発した言葉の重さと、「白血病」という病魔の恐ろしさに僕は、どうしていいのか分からない気持ちと、自虐の念が交錯した。
そして、千羽鶴の焼き討ち事件。。。
僕の中では、そのふたつの交点に「白血病」があった。
その病魔に本田美奈子.さんが闘っている。。。そんな記事を読むにつけ、僕はなぜか激しく彼女の復活を心から祈った。
それは、幼い頃の苦い思い出もあったのだろう・・・、どうしても彼女を応援したくなったのだ。
もはや、治らない病気ではない・・・そんな言葉も聞かれる中、今注目されている「さい帯血移植」などをおこなって、回復に向かっている・・と聞いていた矢先だったので、安心していたのに。。。
世の中には、彼女の他にも多くの人たちが同じ病気で苦しんでいる。
たまたま、彼女は多くの人の注目を浴びて、たくさんの応援を受けていたのだが、本当はそうでない患者の方々が多く居る事も承知している。
しかし、そんな彼女だから元気になって、同じ病魔と闘っている人々の心の支えとなって欲しかったのだが。。
残念な結果になってしまったが、今度は、これまでの彼女の病気との闘いの日々が、貴重な医学の進歩の役に立つことを願って止まない。
彼女の「アメイジング・グレイス」を聞きながら、この病魔が必ず治る病気になるように。。とも・・・
Posted at 2005/11/07 11:40:08 | |
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