さてさて、先日1971年のサファリ・ウイナーである、「E・ハーマン」と「H・シューラ」が日本に招待され8月に行われた「富士500キロ」を激走したブログを上げたが。。。
数少ない資料に、おぼろげな僕の記憶でリザルトなどなどを書き綴り、できうるなら詳細な資料をお持ちの方はいませんか?と書いたところ・・・・
転身 240Z名手ハーマン&シューラー富士を走る!
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/18063157/
ブルーバード時代からの友人の「くまさん」から、一通のメールを受け取った。
そこには、彼が所有する1971年10月の「カーグラフィック」のスキャンした画像が添えられており、スキャン画像の記事には8月に行われた、富士500キロの詳細が書かれていた。
当時の記事でも「サファリウイナー」が走る事に大いに注目が集まっていた事が伺える。資料提供 くまさん 資料元:CG1971年10月
その記事と、後にJAFより資料を引っ張り出した結果、リザルトが間違っていた事が判明した。
ここに くまさん から入手した貴重な当時の カーグラ の資料と、JAF の資料を合わせて再度、当時の様子を整理したいと思う。
レースは2ヒートで行わた。
まず1ヒートの結果は
日産ドライヴァー元祖「田中健二郎」、伝説のZ使い「柳田春人」、カージャーナリスの草分けとなった「浅岡 重輝」などそうそうたるメンバーが。。資料:JAF「レース情報簡単検索」より抜粋
ここで、H.シュラーが12位、E.ヘルマンが13位。
そして運命の第2ヒートでは
H.シューラーは順位を上げたが、E.ヘルマンはアクセルワヤーのトラブルでリタイヤ 資料:JAF「レース情報簡単検索」より抜粋
H.シュラーが7位、E.ヘルマンが、アクセルワイヤーのトラブルでリタイヤ。
結果、総合順位は
ラリードライヴァーでもレースで結果を残せるという証となった。 資料:JAF「レース情報簡単検索」より抜粋
H.シュラーが9位クラス4位、E.ヘルマンが20位クラス7位と検討した。
前回も書いたが、速いレーサーがラリーでも速い訳でもなし、その逆も真なのだが、
空撮された、悪路のサファリロードを200Km/hに迫るアヴェレージで走行する240Zのノーズ。このアングルがもっともZらしいアングルか。
努力をすれば、それなりの結果が残せると言う、ひとつの証を彼らは形作ったのだ。
前回のブログは、僕の薄っすらとした記憶と、ずいぶん以前
セントラル20 で、柳田春人 氏 から伺った話で構成したのだが、リザルトが総合や各ヒートの結果がごちゃごちゃになってしまっていたようだ。。。
この点に付いては、まったく僕の不徳の致す所で弁明の余地は無い。申し訳なかったと素直に謝罪する次第だ。
貴重な資料を、わざわざ発掘して頂いた、古くからの友人 くまさん にも、心からお礼を述べたいと思う。
これからも、襟を正してブログを書き続けて行ければと思うのだ。
Posted at 2010/05/23 15:05:14 | |
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