マツダ キャロル 三代目 出てきたのは平成七年
画像の個体は前期のオートザムキャロルですね すっぴんキャロル(^ ^*)
エアロついていますがSGあたりでしょうか? アンフィニのステッカーが泣かせます
三ドアだけの乗用専用 二代目に引き続き五ドアもバンも無しの強気の布陣
過給モデルを旗頭に結構バージョンあった筈ですね 過給車は原動機回転速度計がありません
女人向けの手軽なサラダ感覚の過給エンジン 過給つきで回転計ないのは日本車初だったかも。
ただ過給付きはいい値段していた筈ですね CDつけたら総額140とかしていたと思います
マツダは物足りないと思ったのか重装のマツダスピードAスペックを追加 光岡とも縁組して
麗としてこれまた文字通り麗しいモデルが出ています この頃はOEMでも金のかかり様が
まるで違いました
とはいえもちろん主力はミレディやSGの可愛いモデル 中身はアルトなんだから必要にして十分
二代に引き続いてパッと見勝負に出てきます ピンクにグリーンにブルーの百花繚乱
「ミラなんて店屋物の配達車 さあさ可愛いすっぴんキャロルはいかが?(^ ^*)」
これが上手く行かない 理由は幾つも言われています
バブルの終わり 軽SUVの台頭 初代が可愛い過ぎて男性や法人がすっかり敬遠してしまった、
何より多チャンネル戦役の大敗北でマツダが御家存亡の危機 と言う 風評被害
実際 オートザムが滅んで後期はマツダ キャロルと改名しています とは言えなんだかんだで
アフターサービスでは迷惑は・・・・・若干かけたか 若干ね(- -;)
もう十年くらい前になりますが 知人女性がこのモデルのキャロルに一目ぼれ
ただ知識が無いから車名もわからず ナンバーと車体が共に黄色い とだけの雲を掴むような話
「 詳しいなら疾く捜して来やれ!( -皿-) 以ての外の御難題(+ +;) 」
二代目キャロルかトゥディあたりかと思ったら違うとの事で大苦戦
偶然グリーンの物件を見つけて車種特定 これの黄色を捜して来いというのだから騒ぎは大きい
結局湘南マツダから旧アンフィニ仙台を通じミレディ・イエローリミテッドを取り寄せ これかなり揉めました
「ディーラー網はいろいろ事情がありまして(;+ +)b わらわの知った事か(-皿- )」
なればと姫御前が直々に当時のアンフィニ仙台に乗り込み
「はい(;+◇+(-皿- )マツダでマツダのクルマ買う話に何の迂遠がいるのじゃ」
姫御前が店で騒いで店が折れる格好になり 金額や小さな瑕疵でのキャンセルなしの条件で購入成立
軽一台の為にマツダはよくやってくれたと思います まあ鎌倉にあるんだけどアンフィニが
手間を惜しんで渋っている と姫に讒言した不届き者がいたんですけど(- - )♪
来れば来たで車検とって陸送費用も併せて 店長も驚きの小傷全部修理にCD取り付け
タイヤ夏冬8本をホイールとセットで一気呵成に発注 新車並みの価格になっていたと思います
で これで話は終わらない 総額の見積もりが出る前に現金の束をカバンに入れて辻駕籠で店に
持ってきたらしいんですね
「必要なぶん持っていくがよいぞ(- - )♪」
で なぜ振込みなのだ 払い方が気に入らないなんて話があるのか 駕籠代返せとまた一騒ぎ。
板金が終わる前から文字通りの現金一括払いに移行 話題を振りまいてしまいます
ここまでして買った黄色のキャロル 余程乗るのかと思いきや 全くと言って良いほど乗らずに
自宅のガレージの奥底にしまわれてしまっていたようです 年で70キロとかそんな調子
「なんて勿体無い(;- -) 電車と辻駕籠あるし(- - )」
このまま永久保存にでもなるのかと思っていたのですが 仮に乗換えていないと去年の津波で喪失は
確定的 震災前に一度だけ市内でみたのですが・・・惜しい一台が消えています
画像の個体は傷もないし アンフィニのステッカーまで残る綺麗な一台ですね
もし某が増車するなら最有力候補の一台 どうか末永く(^人^)
今日は 鎌倉幕府を開いた源頼朝・・・・の奥さん 北条政子の忌日
享年69歳 病死しています
通称「尼将軍」 政子 と言う名前は晩年使い出した名前で本当の名前は分かっていません
静岡県の伊豆の出身 北条と言いますが戦国時代の小田原北条家とは全く無関係です
20歳の頃 伊豆に流刑くらっていた源頼朝と交際スタート 頼朝はこの時30歳
この時 政子には平家の婚約者がいたのですが二人で駆け落ちして結婚しています
日本の征夷大将軍で駆け落ちする程の恋愛の上に結婚したのはこの二人くらいの筈ですね
「離さない(*T T)T T*)私も しょーがねーなー(- -;)」
理解あるパパのおかげで源頼朝は北条家のバックアップを得て平家に対する大掛かりな反撃の
きっかけを得ることに 京都から遠い関東とは言え源氏と関るのはかなりのバクチだったと思います
政子が42歳の時 幕府を開いた源頼朝が52歳で急死 すぐに十四才の次女も亡くしています
この時 既に二十歳の長女も亡くしているので相次いで家族を失っていますね
更に長男の二代将軍 頼家が浴室で怪死して 次男の実朝が鎌倉で殺害されています
源氏は本当にこういのが多い(- -;)
その為 まともな跡取りがいなくなってしまい内紛が発生 幼君を立てて事実上自分が将軍になり
見事にクーデターを押さえ込んでいますね ここから尼将軍と呼ばれるようになっています
みんな気づいているのかいないのか夫婦別姓を思いっ切り公言している夫婦ですね
折角だから話題にすると夫婦が同姓にならなければならなくなったのは明治30年代に入ってから
日本の歴史全体から行くと同姓でなければならなくなったのはここ百年くらいの最近の事
それ以前は真逆で別姓が当たり前 と言うか当時の法律で別姓が原則だったんです
そしてこれが更に江戸時代以前になると
「何故左様な事いちいち法度で決めねばならぬのだ 勝手にすればよかろう」
と なる訳です 伊達政宗と奥さんは夫婦別姓 奥さんは「田村氏」とも
呼ばれていました カーチャンヒトリッコダッタカラ(X - )
どっちが良いか悪いか なんて私なんかにはとてもわかりませんが
「昔から当たり前に行われてる事」
と思ってる事は歴史全体を通して見ると実は割と最近の話だったりする場合が間々あります
今日は京都五山の送り火の日でもあります 大の字の形に火をつけるやつ
もう夏も終わりですね
暑いけど(+ +;)