大分の戦国大名 大友義鎮の忌日 享年58歳 病死しています
大分市出身 キリシタン大名として有名ですね
二十歳の時に相続で揉めて両親と育て親と弟と妹を皆殺しにて大友家を相続しています
と言うと凄いですが先に手を出したのは家族の方です これで悪名被ってしまいますが
引き換えに大友家は急成長 山口の大内家と結んで博多を制圧 一時期は九州最大勢力に
までなるんですが
「山口が広島に滅ぼされた?東に向かわず門司に?(-皿-;)バカヤロー京都目指せっつの!」
佐賀の龍造寺と広島の毛利に東西から挟まれる格好になり 武器調達もあってキリスト教徒
に入信したのです が
「おお 神よ!(T人T )私が間違っていたような気がしてきました」
政治的理由で入信したキリスト教に本気になってしまったらしく これが内紛を呼んで
しまい おまけに佐賀の龍造寺に大敗 前半の勢いは失われてしまいます それどころか
「え?佐賀の龍造寺を鹿児島の島津が倒してこっちに向かってる?( T人T)龍造寺よりも強いの?」
滅亡寸前と悟った義鎮が秀吉にSOSを打電したのが秀吉の九州征伐のきっかけ
秀吉がやってきて島津に圧勝しますが島津の降伏直前に病死してしまっています
信長の野望では大分は周囲が列強で実は難易度かなり高い無理ゲー(+¥+;)
この条件でとにかくは戦国時代クリアしたのだからめちゃくちゃ優秀な人だと評価されていますね
そりゃ銅像も建つよ
さて
最近見かけたコマッタ運転教えて下さい!
だ そうですね まあ皆様が言うようなのもたくさんありますが ちょっとルール違反で昔話を。
まあ作り話と思って頂ければこっちも気が楽と言うもの
某所で運転手の募集をして 応募して採用になった人が 元極道系でそこから足を洗って
大型の運転手を数十年経て定年 そんな人で外見は大分のスター、テルマエロマエの
百人隊長のような人
しかも運転手と言っても貨物ではありません
これです いかにあの平成前半でも地方都市でこれ乗ってたら相当目立ったものですが
どうしてこう出そろったのか
誰かの母親の夫がヤナセで紹介したんですね 後ろに乗るのは勿論カタギの偉い先生
もう爺様で自分で運転も億劫だし それに社用でお客さんも乗せるし 知り合いの夫がヤナセの
社員で安心して乗れる バリバリの中古車なのは言うまでもありません なんだかんだ言っても
やはり中古Sは190みたいには売れないんです
で 運転手兼日常整備の人を雇うとなってまっとうにハロワに募集かけて返事があったのが
その百人隊長 で 爺様がハロワの紹介の際に
「真っ先に応募してくれたんだし 紹介もまともなんだし ベテランなんだろう」
なんて調子でろくに履歴書も見ないで採用したのです まさか鷹揚なものです
後に分かったのですが 百人隊長には悲しい分別があった
ろくに面接も無いままSクラスがあてがわれた時に
「ああ・・・・そういう事か」
静かに車いすを押したりワックスがけして余生を過ごしたかったが止むを得ない 己が応募
したのだ そう 元大型で鳴らした百人隊長 今更穏やかな再就職など虫が良かった、
とこうなったのです 勿論そんな事誰も何も考えていない メルセデスの業の深さが為せる
事態だったと言って良いのかも知れません
かくして
「どかんかいボゲェ!!!誰が乗ってると思ってんだオラァ!」
60も超えようとしてる身でこうなったのです 昭和のあの良くも悪くもいい加減な時代
駐車位置を巡って築地で乱闘やったような身には田舎のノーサス三兄弟など敵ではなかった
事でしょう 誰もそんな依頼していないのに 百人隊長の心の慟哭が聞こえるようです
こんな日々が続く筈もなく
間もなく交差点で右折の辻駕籠とぶつかりかけて交差点の真ん中で取っ組み合い
で 警察沙汰 Sから降りてきた百人隊長に退かなかったのだから大したものですが要は
どうせこれまた斜に構えたような駕籠かきだったのは間違いないと思います
その交差点が職場正面だったのだからいよいよ辛い 皆が見ている前で引っ込んでは
爺様の顔が立たないとでも考えたのかも知れません
この騒動でしおれかえっていた所をついに後席の爺様が忙しい中を割いての面談 これで
採用以来かなり無理していた事が分かって職場的には不問になって 以後は普通に運転手
さんを勤めていたそうです 後席側も運転の粗さを感じてはいたのですが
「餅は餅屋 元プロに口出しするのもなんだし」
ぐらいにおもんばって黙っていたのだそうで
シルビア時代 偶然一度お会いしましたがこちらが下痢するくらい迫力ある人でした
運転席で眉間にしわ寄せながら焼き鳥むしゃむしゃやっていて おっかないのって
面接してたらかえって落とせないような そんな人
母が面白がってあれこれ聞かせてくれたのですよ やはり母にも尋常な人には
見えていなかったようで この日以来 話しかけてみたりしたんだそうです
そうそう 無事に奥州に戻って参りました<(_ _)>
ちょっと父が再入院しまして 伝言ゲームの恐ろしさでICUで意識不明とかって
ただ部屋がそこしか空いていなかったのと 爆睡して起きなかったのが判明したのが
既に福島
口惜しいので
日乃屋カレーを道中食べて参りました
評判ながら辛さ変えられないカレーなので大した事ないのだろうと高を括っていたら
案外辛くてびっくりしております 評判になるだけはある美味しいカレーです