あの日....
シビックシャトル ビーグルを中古車店に引き取りに行った日から、4月24日で丸二十年が過ぎた。そう言えばみんカラにはまだ〝あの日〟のことを記していなかった。もう忘れてしまった部分もあろうが、更に忘れゆく前に....ここに書き残しておきたい。
きっかけは、私が1998年9月に普通自動車免許を取得したことだった。実は前に一度〝失敗〟してて、最初は1995年春、18歳の時に民間のドライビングスクールに通って取得を目指したが、民間のため学科試験を一切ケアしてくれなかった為、実地試験をパスしたまま等閑になり、親に出してもらった約30万円をドブに捨ててしまった。これに懲り、二度目は学科試験もケアしてくれる地元の公認教習所に通い、実地も学科も幸いな事にオールストレートでクリア、22にしてようやく普通自動車免許を取得。当時私はフリーターだった為、親に工面して貰いつつ人生初のマイカーを手に入れようという事になった。当然、中古車情報誌『
カーセンサー』を買って物色したが、その中で目に飛び込んできたのが『
シビックシャトル ビーグル』だった。シビックシャトル自体は初代も二代目も知ってはいたが、もろ〝RVブーム〟を当て込んだ装飾モデルが存在した事はそれまで知らなかった。ノーマルのシビックシャトルでは商用4ナンバーの『
PRO』と大差なく地味過ぎるものの、見ようによっては〝幼稚〟とも取れる派手な装飾を施した『ビーグル』に、私は心を奪われた。他にどんな車種を検討したのか全く覚えていないので〝一目惚れ〟といった感じでビーグルにしか目が行かなかったのだろう。
免許取得後の'98年秋からビーグルを買う'99年春にかけ、片手じゃ足りない程レンタカーを借りてドライブに行ったが、時期も場所も失念したが 両親とドライブに出かけた帰り… 私はまだ運転技術が未熟だったので少しだけ運転し、父の運転で帰路の高速道路を走っていた時のこと。前方にシビックシャトル ビーグルを見つけ、父に「
後を追って!」と懇願した。父は冷めた人なので、余り追ってくれなかった気がするが…。
'99年初春はひたすら『カーセンサー』と睨めっこ。条件に合うビーグルを探し続けた。条件はATで走行距離5万km以内。年式は比較的新しいもの。(ビーグルの販売時期は'94年7月~'96年2月)そんな条件にぴったりマッチする物件が3月になってようやく見つかった。場所は隣の神奈川県の平塚市。
1999年4月10日(土)、私は父を連れ(運転の練習がてらだったのか)電車ではなくレンタカーの
EKシビック 3ドアで、神奈川県平塚市のその中古車店にシビックシャトル ビーグルを見に行った。やはりまだまだ運転技術が未熟(そして道も知らない)なので、ほぼ父の運転だったように思う。
店の前まで来ると、駐車場に居並ぶ中古車たちの中に青緑のシビックシャトル ビーグルを見つけ、すぐに 「これだ」 と分かった。如何にも〝街の中古車屋〟風情で、店員たちも〝元暴走族ヘッドの店長と子分が二人〟といった趣。挨拶を済ませビーグルを見せてもらったが、事前に電話していたにも関わらず、荷室には鉄パイプだのといった店の備品が置いてあり 絶句したことを覚えている。他に良い物件も早々ないのでそのくらいで見限る訳にも行かず、店長と交渉。カーセンサーに載っていた車両本体価格は64万円だったが、気付けばコミコミ100万円で父と私は契約書にサインをしていた。カーセンサーで目にする〝諸経費〟は大抵15万円ほどだが、父も私も値引きなど出来ないお人好しなので、いま思うと足下を見られてぼったくられたのかもしれない。そう言えば、中古車購入時の常識と言われる試乗も、前述のような状態だったので断られたのか、出来ず終いだった。
ビーグルを引き取りに行ったのは二週間後の1999年4月24日(土)。今度は当然レンタカーで行く訳にも行かず、父と東海道線で平塚駅まで、そこからタクシーで現地に行った。4/10の初来訪時と違って詳しく覚えてはいないが、その時のビーグルは店(と言ってもちんけなプレハブ小屋)の前にピカピカの状態で停められていたはず。父の援助を受け、100万円は一括で払った。なぜか特大のウォッシャー液をサービスしてくれたが、後にウォッシャータンクが破損している事と車体左前方が修復済みの事故車だった事が判明。もう細かくは覚えていないが、交渉時の店長の説明に 「事故車」 という文言はなかったように思うし、サンルーフ車という事もカーセンサーには記載されておらず、4/10に実車を見て初めて判明。(これは結果的には開放感のあるカーライフを味わえて良かったが)改めて書くと
悪質店以外の何者でもない(笑)
引き取りを済ませ、父の運転で家路を走った。店からR129に出て北上、GSで満タンにし、厚木ICから東名道に乗り、すぐの海老名SAで撮ったのが上の画像。当時はまだ携帯電話もデジカメも無く『
写ルンです』で撮ったはずだが、思いの外よく撮れている。なぜすぐ海老名SAに入ったのかはもう覚えていないが(父のたばこ切れかトイレ?)、上の画像には傘を差した父が写っている。
気象庁公式サイトのデータによると、当日は大雨。海老名の15時の気温は14.6℃で、肌寒い日だったようだ。地元に着き、予め契約を済ませた駐車場で運転を代わり、車庫入れの練習をした。ビーグルを見に行く時に借りたEKシビック 3ドア(CVT)はアクセルが急で、ビーグルも同様なのか不安があったが(二代も違うしCVTでもないので当然だが)全くそんな事もなく、至って自然なアクセルだった。これからどんなカーライフが待っているのか....否が応でも胸が躍った。
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それからは、首都高を始めいろんな所にドライブに行ったし、2年後の2001年には生まれて初めて出来た彼女とビーグルでいろんな所にドライブデートにも行った。その翌年には社会人入学した夜間大学にビーグルで4年間通い、卒業もした。どれもビーグルが無ければ出来なかっただろう。私の生活にビーグルは溶け込み、
2006年4月27日に手放すまでの7年間、ビーグルと共に歩んだ人生だった。それから早、ビーグルと過ごした月日の倍近い13年もの月日が流れた。金銭的理由が主だが、東京都23区という生活上 車が無くても困らなく、かつ高い駐車場代等の理由も相まって、結局一度もマイカーを購入する事なく現在に至った。 ....と言うか、ビーグルのように〝
ビビビッ〟と啓示が下りるような車にも巡り逢えなかった。そりゃあ金があればマイカーを買っているだろうが、思えばビーグルの晩年はちっとも出掛けず、バッテリー上がりを防ぐ為に嫌々ドライブに出かける事もあったし、今はカーシェアでのたまのドライブで満足してしまっている自分が居るのも事実。
そんなこんなで、ビーグルを取りに行った〝あの日〟が尚のこと懐かしく思える。件の中古車店は、Googleストリートビューによると2011年までは存在していたが、次の2013年の画像では無くなり駐車場に。その次の2015年では駐車場も無くなり只の空き地に。私が
昨夏に直接見に行った時も空き地のままで、雑草が生い茂っていた。夜だったせいもあってか、当時の面影は何も感じられなかった。
※ ※ ※
ビーグルを手に入れてからの数年は、私にとって正に〝青春〟だった。あの頃と比べ、今はあまり楽しいとは言えない。四十路を迎え、加齢によるセロトニン低下のせいなのか睡眠障害気味で、体調も芳しくない。老け込むにはまだ早い年齢....何とかしてもう一度、あの頃に負けないくらい充実した日々を送りたいものだが....。
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車 - 狩猟犬のカーライフ | クルマ
Posted at
2019/04/24 23:04:37