以前、三鷹の跨線橋を取り上げた。
これまで鉄道には縁遠かったのだが、
少し興味を持つきっかけにもなった。
そこで計3回の予定で三鷹&鉄道に関連する話を記したいと思う。
初回の今回はそのプロローグとも言うべき前振りをしたい。
【1】
『東京発武蔵野競技場行』かつてこんな列車があった。
【2】
武蔵野競技場とは?一体どこのことだ?というのが大半の方の反応だろう。
今回は風化してしまいそうなこの話に焦点を当ててみたいと思う。
【3】
表題とした列車が運行されていたのは、国鉄(現JR)武蔵野競技場線である。
1951年中央本線の支線として、三鷹〜武蔵野競技場間が開通した。
【4】
武蔵野競技場とは、別名「武蔵野グリーンパーク」野球場とも言い、
当時進駐軍に接収され使用不能となっていた神宮球場の代替として、
旧中島飛行機武蔵製作所跡地に建設された競技場である。
つまり、支線は競技場に向かう観客を運ぶために敷設されたわけだ。
【5】
競技場では支線開通初年度にこそ、国鉄スワローズの公式戦も行われたが、
実働はこの年僅か1シーズンのみ、5年後の1956年には解体となっている。
たったの5年という超短命に終わった競技場に引きずられるように、
武蔵野競技場線も数年の休止の後、1959年に廃線となったのである。
【6】
廃線となった線路跡はその後どのようになっているのか???
廃線跡を見つけ出し、国鉄の支線の痕跡を見てみようと思った。
【7】
従って痕跡探しは、三鷹駅の北側から始まる。
先日跨線橋をブログに記したが、丁度あの辺りが出発地点になる。
【8】
ここを「堀合」というが、この近辺で見かけた三鷹車両庫の光景、
あるいは道端に咲いた花をプロローグ・ブログの画像に選んでみた。
【9】
決して地価が親しみ易いエリアではないので、廃線跡が放置されているはずもなく、
痕跡は開発によって跡形もなく消滅しているだろうと思いながら歩いてみたが、
辛うじてそれと分かる徴(しるし)もないこともなかった。
【10】
ただやはり「ここにこうした痕跡があるかも知れない」という先入観がない限り、
自然体で線路跡に気付くことは不可能だと感じた。
【11】
それほどまでに時間は経過し、風化が進んでいたのである。
【12】
50年余りの歳月は、大きな時代のうねりとなって、
まだ長閑さが残っていた武蔵野を劇的に変えていったのである。
【13】
ちょっとした歴史散歩風の導入になってしまったが、現実はかなりシビアだ。
【14】
ただ地元での発見や再認識が気軽に出来ればなかなか面白いものだとも感じた。
【15】
普段何気なく眺めていたり、意識せずに歩いていたりする場所に、
かつてこんな歴史があったのだと気付くことは、その土地に暮らし、
愛着を持ち、人との関係を築く上で、相応に有意義なことだと思った。
【16】
これからも機会を作って武蔵野を放浪してみる価値がありそうだ。
【17】
跨線橋は人専用であるため、堀合には南北の行き来のために自転車用の地下通路がある
次回以降、前後編に分けて、支線の痕跡辿りを綴ってみたいと思う。
因みに廃線をこよなく愛す方々が、ビビッドに反応されるような
鄙びた古レールや枕木の類いは皆無なので、予めご了承いただきたい。
とにかく、妙な導入に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
※EOS 5D MarkⅢ EF100-400㎜ F4.5-5.6L IS Ⅱ USM【Top/2-3/5-6/8-9/14/17】
EOS 6D Carl Zeiss Makro-Planar T*2/50㎜ ZE【1/4/7/10-13/15-16】
(了)
Posted at 2015/09/27 18:56:06 |
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