2017年5月27日(土)もバラ撮り。
実はこの日は僕らの結婚記念日だった。
平成元年のこの日、僕らは共同生活を
始めたけど、長かったのか短かったのか。
もちろん人並みに波風に晒されもした。
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つい最近までハードワークの連続で、家には寝に帰るだけの有様だった。
【1】
若い頃は残業時に出前を頼むか、深夜飲みに連れていかれるか、
30代も後半になると極力自宅で夕食をとるようにはなったが、
いつも夕食のスタートは日付け境界上にあった。
【2】
たった6時間程前に退出したオフィスに再び出社していた毎日。
【3】
段々曜日の感覚が鈍り、ワーキングハイになったかと思えば、
土曜の朝には既にサザエさん現象が出現したり(汗)
【4】
そんな生活も数年だったらどうということもなかっただろう。
○十年にも亘ってこんな生活が続いていたのだから、今時なら、
ハートのどこかがブッ壊れていても不思議じゃないと言われるね。
【5】
結構な期間、海外も含めて各地を飛び回るような業務だったから、
東京にいられないことも少なくはなかった。
【6】
ある何年間は、週に4度飛行機または新幹線に乗っていた。
特定の時期に特定の場所に常駐するような業務も担当した。
春先の金沢、初夏の岐阜、真夏の名古屋は、いつか定番になった。
【7】
ビジネスマンが全くいない山の中や温泉地やリゾートにも
度々商用で訪れた。スーツでいることが滑稽に思える環境だ。
【8】
若かりし頃は出張時の宿泊施設の確保にも骨が折れた。
あらゆる伝手を頼って漸く確保した宿が、
木賃宿や湯治場のような激烈な施設だったこともあった。
【9】
客側の理不尽な要求だと分かっていながら、
腰が折れる程頭を下げたり、無理やり笑顔を浮かべたり、
なぜ?と思うことが、会社生活では日常茶飯事だった。
【10】
まぁこんなことはサラリーマンである以上、誰にだってあることだし、
苦労の部類に入りはしない。
【11】
何ヶ月も休日がなく、慢性的に寝不足気味で、身体は疲労していても、
周りもみなそうだし、むしろがむしゃらに働くことで士気を高めてもいた。
【12】
サービス残業は当り前で、ブラック企業なんて言葉、当時はなかったし、
今の物差しで測るなら、総ての業績好調企業は全該当だっただろう。
【13】
それが僕ら世代のスタンダードだった。。。
【14】
しかし、それらは総て金銭という対価を伴って初めて成り立つ行動で、
昇格などの名誉も含め、求めるものを手に入れるためだからこそ、
みなそれなりの我慢もきいたのだろう。
【15】
嫌なことを請け負って、初めて対価が産まれるのだから。
愉しむのなら、金銭は支払うべき立ち位置にあるハズだからね。
【16】
勿論、公私の私を犠牲にしたのだろうけど、正直悲壮感はなかった。
その時代があったから今があるに他ならない。
【17】
だからなのかも知れないが、後遺症を自覚している。それはつまり、
昨今の働き方改革には少なからず違和感を持ってしまうという症状…。
【18】
男は戦場で闘うという風潮がもてはやされた時代を歩いてきたけど、
その間、家内は菜々や舞を第一に考え、家を守ってくれたわけだ。
【19】
まさに銃後の守り、だよね。
それがあったからこそ、どんな苦境にも立ち向かっていけたハズ。
【20】
にも関わらず、、、
男には目に見える対価や人事考課という行動評価が伴うけど、
専業主婦族にはそうした正当な評価制度がない。
【21】
おまけに自分も含めて世のお父さん方は口数が少ないときている。
【22】
お父さんたちだって、誰からも評価も感謝もされなきゃ、
だいたいやってられないんじゃない?と単純なことに今更気付く。
【23】
やっぱり幾つになっても、オトコは女性に敵わない(苦笑)
【24】
菜々や舞はもういなくなってしまったけど、
変わらず側に居てくれる神さんには感謝しなきゃイケナイよね。
実際には、なっかなか難しーーーィんだけどね(*≧∀≦*)
【25】
ということで、今回はお手軽にバラの掲載で感謝表明(笑)
※但し「没画像」を使用したことは内緒(爆)
【26】
さて、まずは30年目に向けて、ゆっくり歩きますか〜(^_-)
【27】
※Canon 5D MarkⅣ Tamron SP 90mm F2.8 Di MACRO VC USD (F017)
(了)