初回車検が終わったC63AMG。
ここのところ公園の駐車場でしか
写真を撮っていないので、久しぶりに
煉瓦の建物をバックに撮影してみた。
時間が遅かったこともあり太陽の位置も今ひとつ、
雲も多く明度が目まぐるしく変わってしまう日で、
決してコンディションが良いとは言えなかったが、強行突破。
【1】
今は長い時間運転できる状況にないため、
自ずとクルマとの対話は断片的になる。
【2】
だから近場で写真を撮るだけの機会であっても、
それはこのクルマとの貴重な接点になり得ると思っている。
【3】
近付いて、離れて、客観的に、思い入れを込めて、
様々な角度で、光の加減で、ファインダーを覗くと、
クルマの発する微細なメッセージが感じられるような気がする。
【4】
もちろんそれは錯覚で、キズや凹みを別にすれば、
外形から読み取れるものなど「ない」に決まっている。
【5】
相手は機械であって、人を介さない限り静物なのだから。
3歳の子どもでも分かる理屈だ。
【6】
しかし、クルマを擬人化して接するとそうとばかりも言えない。
【7】
主観によってかなりバイアスのかかった捉え方かも知れないが、
「語りかければ応えてくれる」関係性が成立し得ると思う。
【8】
自分の感情が愛車に伝わったとしか思えない経験をされた方も多いだろう。
愛着のあるクルマに、ないハズの意志を感じたこともあるのではないか。
【9】
だからこそ、クルマは家族の一員と表現されることもあるのだと思う。
【10】
四六時中一緒にいるはずのTVや冷蔵庫を家族の一員とは言わない。
PCやスマホだってプライベート利用が基本だから家族とは呼ばない。
【11】
当然「動く=移動する」ことが他の機器と一線を画す要因だろう。
【12】
動くことは、何らかの目的を持って、進むことに他ならない。
進む目的によって、喜怒哀楽いずれかの感情を伴うことになる。
いずれかの感情を伴ってクルマで移動したのなら、
後にその情景を思い起こすとき、そこに必ずクルマがあるはずだ。
【13】
自分や家族の人生の一部を、当時の愛車と共に過ごしたことになる。
【14】
多くの方がクルマと共に写った若かりし頃の両親や幼少期の自分を
古いアルバムで見つけたことがあるのではないか。
写真はセピア色になっても、大切な記憶は色褪せない。
【15】
人は想い出を胸に仕舞い、時々それを取り出して愛おしむ。
【16】
父や母のクルマが家族の一員だった家庭に育った方は、
その想い出を再び自分のクルマに投影し、それをまた次代に繋げてゆく。
クルマという機械は、感情を移入され、いつか大切な家族に変わってゆく。
【17】
今の若い世代の方々にもライフスタイルの中心に「クルマのある生活」が
描けるならば、夢や希望の限界点をグッと外に広げられるかも知れない。
【18】
そんな可能性を秘めた機械は、他にそうあるものでもないよね。
【19】
だからクルマはやめられない(^^)
※EOS 5D MarkⅢ SIGMA Art 50㎜ F1.4 DG HSM
(了)
Posted at 2016/01/29 21:40:41 |
トラックバック(0) |
C63AMG PP | クルマ