
2019年1月26日(土)。
NHKで表題の番組の再放送があった。
日本の植物学の父とされる牧野富太郎氏は、
自らを植物の精と語る自由奔放な人物だった。
氏は、少年時代から故郷・高知の大自然の中、独学で植物学を学んだ。
学歴は小学校中退ながら、22歳で東大の植物学教室へ出入りを許されると、
北は北海道利尻島から南は鹿児島の奄美まで隈なく実地調査を行ったそうだ。
「ヤマトグサ」の命名を皮切りに、実に1500種以上の植物に学名を与え、
なんと78歳で全国の植物を網羅する「牧野植物図鑑」を完成させている。
番組では氏の植物への情熱と、彼を支えた家族や仲間の存在にも触れている。
NHKの関連HP:「
“私は植物の精である”牧野富太郎 夢の植物図鑑」
そんな偉人である氏の住まいは、練馬区内の大泉にあったという。
旧居は現在「牧野記念庭園」として一般開放されていると分かり、
距離的に近いこともあって、唐突に出かけてみよう!と思った。
大泉学園駅から南に400-500mほどの位置で、学芸大付属小中の近くだ。
となると、あまり道も広くはないし、駐車場を探すのも面倒そうだな(汗)
ここは公共交通機関が妥当だろうとバスと電車を乗り継いで行ってみた。
以下は住宅街にひっそりと佇む牧野記念庭園の光景第1弾。
1.敷地の入り口にあった大きな石碑
2.敷地内に設置されていた案内板(なぜ四が修正されているんだろう?)
3.庭園の南西にあった牧野富太郎像
4.北東側の奥まったところにある庭園の紹介板
5.記念館前の石板
氏の生涯や年譜などは庭園の情報サイトに詳しく掲載されているが、
こうした天才が持てる能力を発揮するには、妻である壽衛子の存在が欠かせなかった。
子沢山だったうえに金に無頓着で、豪快に使いまくるため、
牧野家は借金が絶えず、家計は火の車、夜逃げ状の引越しは30回を超えたらしい…。
家庭人として見た場合はさておき、氏は無類の植物好き、天性の描画力も備えていた。
したがって『日本植物志図篇』をはじめとする氏の研究成果は極めて分かり易い。
植物学には実地での採集や研究が欠かせないと精力的に全国を歩いた人だ。
記念館には、研究に使用した様々な道具類やスケッチなどが展示される。
それらを眺めれば、どれだけ植物学いや植物そのものに没頭していたかが伝わってくる。
6.記念館外観
7.記念館の屋根に・・・
8.ここから記念館の展示品等
9.スケッチ用の絵の具
10.着色料用の小皿など
11.角度を変えて
12.クローズアップ
13.青年期の年譜
14.氏の命名した植物たちの一部紹介
15.採集・観察道具
16.採集箱
17.採集用の小道具類
18.彼岸花の解説
19.日本植物志図篇
20.展示室全景
21.土佐和紙壁紙作品
22.土佐和紙
23.リアル!
老齢となって野山に採集に出かけられなくなって以降、
氏は大泉の自宅に籠り、庭に移植した植物を観察・採集したり、
大量の標本を整理したり、訪問客と植物談義に花を咲かせていたそうだ。
24.庭園内で販売されている植物絵ハガキ
庭園には今でも氏が全国から採集した様々な植物が折々に生い茂り、
訪れる観覧者を和ませてくれる。
次回はそんな植物たちの一部を抜粋してお届けしようと思っている。
【番外編】
1月20日(日)の富士夕景。頂上の雲が噴煙のように見えていた。。。
25.とても色が素敵だった♪
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
Canon EOS R Canon RF24-105㎜ F4L IS USM
FUJIFILM GFX50S FUJINON GF250㎜ F4 R LM OIS WR(番外編のみ)
(了)
Posted at 2019/01/28 22:05:17 |
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